学位論文要旨



No 213466
著者(漢字) 横山,隆
著者(英字)
著者(カナ) ヨコヤマ,タカシ
標題(和) 抗ペプチド抗体を用いた異常プリオン蛋白質の抗原構造解析と診断に関する研究
標題(洋)
報告番号 213466
報告番号 乙13466
学位授与日 1997.07.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第13466号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 見上,彪
 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 大塚,治城
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 助教授 甲斐,智恵子
内容要旨

 羊,山羊のスクレイピー,牛海綿状脳症(BSE)は中枢神経系の変性を主徴とする伝達性疾病で,ヒトのクロイツフェルト・ヤコブ病,ゲルストマン・シェンカー症候群,致死性家族性不眠症と共に,プリオン病と呼ばれている。本病の病原体としてプリオンが提唱されているが,その本体は明確にされていない。発症動物には宿主由来の正常プリオン蛋白質(PrPC)が転写後の修飾をうけて形成される異常プリオン蛋白質(PrPSc)が認められ,これが病原体の主要な構成成分と考えられている。PrPCは分子量33〜37kDaの細胞膜に結合する糖蛋白質である。PrPScはPrPCと同じアミノ酸の一次構造を有しているが,疎水性で細胞内に蓄積し,蛋白分解酵素抵抗性を示し,感染性と相関している。PrPCとPrPScを抗体によって識別することは不可能であるが,両者は蛋白分解酵素に対する抵抗性の差によって識別される。プリオン病の診断は,病理組織学的検索,分離精製したPrPScの電子顕微鏡学的検索および部分精製したPrPScで免疫した家兎血清を用いた免疫学的または免疫組織化学的検索によるPrPScの検出によって行われる。しかし,プリオン(Prn)遺伝子は多くの動物種で高度に保存され,また相同性も高いことから,免疫学的診断に有用な抗血清の作製は非常に困難とされている。

 PrPCからPrPScへの変換,すなわちプリオン病の発病機序は明らかにされていない。プリオンの異種動物への伝達は同種動物への伝達に比べ長い潜伏期を示し,この現象は種間バリアーと呼ばれている。種間バリアーは各動物種におけるプリオン蛋白質(PrP)の立体構造の違いに起因すると考えられており,種特異的なアミノ酸の置換に伴うPrPの構造の差を解析することは,プリオン病の発病機序解明の上で重要である。また,プリオン病では中枢神経系の海綿状変性およびアストロサイトの活性化が認められる。アストロサイトのマーカーであるグリア線維性酸性蛋白質(GFAP)はPrPと特異的な結合能をもつと考えられ,プリオン病の病変形成への関与が疑われている。

 本論文は,プリオン病の診断およびPrPScの構造解析への抗PrPペプチド抗体の有用性を示すとともに,グリア線維性酸性蛋白質(Gfap)遺伝子欠損マウスのプリオンに対する感受性を調べ,発病におけるGFAPの意義について明らかにしたものであり,以下の4章から構成されている。

第1章:プリオン蛋白質(PrP)に対する抗ペプチド抗体の作製と反応性

 PrPの種特異性に関与するエピトープを同定するため,マウスPrPおよびハムスターPrPでアミノ酸が置換した5領域7種類のペプチドを合成して抗体を作製した。マウスPrPのアミノ酸配列100-115(領域I),150-159(領域III),165-174(領域IV),199-208(領域V),213-226(領域VI)およびハムスターPrPのアミノ酸配列101-116(領域I),200-209(領域V)のペプチドでウサギを免疫した。得られた抗ペプチド抗体はいずれも免疫に用いたペプチドと反応した。しかし,スクレイピー感染マウスおよびハムスターから分離精製したPrPScとのウエスタンブロッティング(WB)における反応性には差が認められた。マウスPrPの領域I,Vに対する抗体(Ab.Mo-I,Ab.Mo-V)はマウスPrPScと特異的に反応した。マウスPrPの領域IV,VIに対する抗体(Ab.Mo-IV,Ab.Mo-VI)およびハムスターPrPの領域Iに対する抗体(Ab.Ha-I)はマウスおよびハムスターPrPScと反応した。マウスPrPの領域IIIに対する抗体(Ab.Mo-III)およびハムスターPrPの領域Vに対する抗体(Ab.Ha-V)はマウス,ハムスターPrPScのどちらとも反応しなかった。

第2章:マウス,ハムスター異常プリオン蛋白質(PrPSc)の種特異性に関するエピトープの解析

 Ab.Mo-I,Ab.Mo-VはマウスPrPScと種特異的に反応した。Ab.Ha-IはハムスターPrPScと強く反応したが,マウスPrPScとも弱い交差反応が認められた。この抗体をマウスPrPの領域Iのペプチド(Mo-I)で吸収するとハムスターPrPScのみと反応した。領域I,VにおけるマウスおよびハムスターPrPの配列には2アミノ酸の置換が存在している。作製した抗体はいずれもこの置換したアミノ酸を主に認識していることから,この領域のアミノ酸の置換がマウス,ハムスターPrPScの種特異性を規定することが明らかとなった。一方,Ab.Ha-Vはマウス,ハムスターいずれのPrPScとも反応しなかった。Ab.Mo-VおよびAb.Ha-VとPrPScの反応性の違いからマウス,ハムスターPrPScは領域Vにおいて異なる立体構造をとることが示された。上記の抗体を用いて,プリオンを異種動物に伝達したときに蓄積するPrPScの抗原性が宿主Prn遺伝子に規定されることが免疫学的に証明された。

第3章:抗ペプチド抗体のプリオン病の診断への有用性

 第1章で作製した抗ペプチド抗体について,プリオン病の診断への有用性について検討した。免疫組織化学的検索により組織中のPrPScとの反応性を調べたところ,Ab.Mo-VはマウスPrPScと反応したが,ハムスターPrPScとは反応しなかった。一方,Ab,Mo-VIはマウス,ハムスター,羊のPrPScおよび牛の異常プリオン蛋白質(PrPBSE)と反応し,広く家畜のプリオン病の診断に有用であることが示された。次に,WBの検出感度を高めるための条件を検討した。ブロッティング後のPrPScをオートクレーブ処理すると,プロテイナーゼ抵抗性のコアとなるPrP27-30のC末側エピトープの反応性が増強することが明らかとなった。しかし,N末側のエピトープに反応性の変化は認められなかった。オートクレーブ処理は,Ab.Mo-VIを用いたWBの検出感度を高め,本法のプリオン病の診断への有用性が示された。

第4章:Gfap遺伝子欠損マウスでのプリオンの増殖と病変形成

 ジーンターゲッティングによりGfap遺伝子欠損マウスを作出した。変異型マウスにGFAPの発現は認められなかったが,これらのマウスは正常に発育し,アストロサイトを含む中枢神経系の発達に異常は認められなかった。このマウスを用いてin vivoにおけるプリオンの増殖,病変形成に及ぼすGFAPの影響について検討した。変異型マウスと野生型マウスにおけるプリオンの増殖,潜伏期,病変およびPrPScの蓄積に差は認められず,プリオン病の発病にGFAPは必須でないことが明らかとなった。

 以上の研究成績から,マウスPrPの領域I,V(アミノ酸配列100-115,199-208)およびハムスターPrPの領域I(アミノ酸配列101-116)はPrPの種特異性に関与することが示された。これらのペプチドに対する抗体を用いて,マウスPrPScおよびハムスターPrPScを免疫学的に識別することが可能となった。一方,マウスPrPの領域VI(アミノ酸配列213-226)のペプチドに対する抗体は各動物種のPrPSc(PrPBSE)と交差反応し,家畜のプリオン病の診断に有用であることが示された。また,PrP27-30のC末側エピトープの反応性はオートクレーブ処理により増強し,本法の診断への有用性が示された。ジーンターゲッティングにより作出したGfap遺伝子欠損マウスは正常に発育し,中枢神経系の発達に異常は認められなかった。さらに,プリオンの増殖および病変形成にGFAPは必須でないことが明らかとなった。

審査要旨

 羊、山羊のスクレイピー、牛海綿状脳症(BSE)は中枢神経系の退行変性を主徴とする伝達性疾病でプリオン病と呼ばれている。発症動物には宿主由来の正常プリオン蛋白質(PrPc)が転写後の修飾をうけて形成される異常プリオン蛋白質(PrPSc)が認められ、これが病原体の主要な構成成分と考えられている。プリオン蛋白質(PrP)の構造解析はプリオン病の発病機序解明の上で重要である。また、プリオン病では中枢神経系の海綿状変性に加えてアストロサイトの活性化が認められ、アストロサイトのマーカーであるグリア線維性酸性蛋白質(GFAP)はPrPと特異的な結合能を有し、プリオン病の病変形性への関与が疑われていた。

 申請者は、抗PrPペプチド抗体を作製し、それを用いたプリオン病の診断およびPrPScの構造解析を行った。さらに、グリア線維性酸性蛋白質(Gfap)遺伝子欠損マウスを用いてプリオン病の発病におけるGFAPの意義について検討した。本研究は4部より構成され、得られた成果は以下のように要約される。

 1.プリオン蛋白質(PrP)に対する抗ペプチド抗体の作製と反応性:マウス、ハムスターPrPのアミノ酸配列で合成した5領域7種類のペプチドで抗体を作製した。マウスPrPの領域I、V(アミノ酸配列100-115、199-208)に対する抗体(Ab.Mo-I、Ab.Mo-V)はマウスPrPScのみと特異的に反応した。マウスPrPの領域IV、VI(アミノ酸配列165-174、213-226)に対する抗体(Ab.Mo-IV、Ab.Mo-VI)およびハムスターPrPの領域Iに対する抗体(Ab.Ha-I)はマウス、ハムスターPrPScどちらとも反応した。マウスPrPの領域III(アミノ酸配列150-159)に対する抗体(Ab.Mo-III)およびハムスターPrPの領城Vに対する抗体(Ab.Ha-V)はマウス、ハムスターPrPScと反応しなかった。

 2.マウス、ハムスター異常プリオン蛋白質(PrPSc)の種特異性に関するエピトープの解析:マウス、ハムスターPrPScに対する反応性に差が認められた領域IおよびVについて、アミノ酸の置換と種特異牲との関係について検討した。これらの領域では一次構造の違いがPrPScの種特異性を規定することが明らかとなった。作製した抗体を用いて、プリオンを異種動物に伝達したときに蓄積するPrPScの抗原性が宿主プリオン(Pm)遺伝子に規定されることを免疫学的に証明した。

 3.抗ペプチド抗体のプリオン病の診断への有用性:Ab.Mo-VIは免疫組織学的検査でマウス、ハムスター、羊由来のPrPScおよび牛由来の異常プリオン蛋白質(PrPBSE)と反応し、広く家畜のプリオン病の診断に有用であることが示された。一方、PrPScをオートクレープ処理するとPrPScの一部のエピトープの反応性が増加することが明らかとなり、本処理のプリオン病の診断への有用性が示された。

 4.Gfap遺伝子欠損マウスでのプリオンの増殖と病変形成:ジーンターゲッティングによりグリア線維性酸性蛋白質(Gfap)遺伝子欠損マウスを作出し、このマウスを用いてin vivoにおいてGFAPがプリオンの感染に及ぼす影響について検討した。変異マウスには野性型マウスとの間に感染性プリオンの増殖、潜伏期、病変およびPrPScの蓄積に差は認められず、感染性プリオンの増殖、病変形成にGFAPが必須ではないことが明らかとなった。

 以上の研究より、マウスPrPの領域I、V(アミノ酸配列100-115、199-208)およびハムスターPrPの領域I(アミノ酸配列101-116)はPrPの種特異性に関与することが示され、これらのペプチドに対する抗体により、マウスおよびハムスターPrPScを免疫学的に識別することができた。一方、マウスPrPの領域VI(アミノ酸配列213-226)のペプチドに対する抗体は各動物種のPrPSc(PrPBSE)に交差反応し、家畜のプリオン病の診断に広く有用であることが示された。また、PrPScの一部のエピトープはオートクレープ処理により反応性が増強することが明らかとなった。感染性プリオンの増殖および病変形成にGFAPは必須でないことが明らかとなった。よって、審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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