学位論文要旨



No 213472
著者(漢字) 笠原,敏子
著者(英字)
著者(カナ) カサハラ,トシコ
標題(和) 新しい異種発現系によるラットGlut1、Glut4グルコース輸送体の解析
標題(洋) Characterization of rat Glut1 and Glut4 glucose transporters by the use of a new heterologous expression system
報告番号 213472
報告番号 乙13472
学位授与日 1997.07.23
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13472号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 脊山,洋右
 東京大学 助教授 北,潔
 東京大学 助教授 金井,克光
 東京大学 助教授 竹島,浩
 東京大学 講師 門脇,孝
内容要旨

 動物細胞におけるグルコース輸送の機構には、(1)グルコースの濃度勾配に従って輸送する促進拡散系糖輸送、(2)エネルギーを使ってグルコースの濃度勾配に逆らって輸送する能動輸送、の2種類が存在する。前者の機構による糖の取り込みは種々の組織で一般的にみられるが、後者の機構による糖の取り込みは腎臓や小腸等非常に限られた組織でのみ行われている。また、前者はGLUT familyに属す促進拡散系糖輸送体が、後者はSGLT familyに属すナトリウムイオン依存性糖輸送体が、その機能を担っている。

 動物細胞における促進拡散系糖輸送体には現在までに6種知られており、発見された順にGlut1、Glut2、Glut3、Glut4、Glut5、Glut7と名付けられている。各Glutはそれぞれ特異的な組織分布を示し、それぞれが特有の機能を有していると考えられている。しかし、唯一の例外である赤血球を除いて、ひとつの組織において複数種のGlutが発現しており、個々のGlutの性質を調べることは容易ではない。そこで異種発現系、アフリカツメガエルの卵母細胞や各種の培養細胞、に各Glutを発現し、その性質を調べる試みがなされ、各Glutの性質が少しずつわかってきた。しかし、これらの異種発現系では、(1)発現系自体に糖輸送体が存在すること、(2)発現量が少ないためや発現系の細胞の取り扱い上の制約から糖輸送活性の測定に時間がかかること(輸送の初速度が測定できない)、(3)発現したGlutのなかで活性をもつものの割合が少ないこと、などの短所がある。特に、Glut4は細胞内で発現してそのまま細胞内に留まる傾向をもつので、その性質の解明はより困難であった。Glut4は生体において、インスリン感受性組織にのみ発現しており、インスリン刺激により細胞内から細胞膜表面にトランスロケーションし、急激な糖輸送の増加に寄与していると考えられており、その生化学的性質の解明は肥満や糖尿病の治療とも関連して重要である。また、インスリン感受性組織には、Glut1も存在し、インスリン刺激により細胞内から細胞膜に同じようにトランスロケーションするので、急激な糖輸送の増加へのなんらかの寄与が考えられている。これらGlut4とGlut1の性質の違いを明確にするため、従来の異種発現系の短所を克服する新たな発現系の開発を行った。異種発現系として、遺伝学の研究で長い歴史があり遺伝的な操作が確立されており、しかも大量生産が容易である酵母Saccharomyces cerevisiaeを用いた。この酵母の株のうち、糖輸送に関する主な遺伝子を破壊してある変異株LBY416(Mat hxt2::LEU2snf3::HIS3 gal2 lys2 ade2 trp1 his3 leu2 ura3)を用い異種発現を行った。動物細胞の6種のGlutのうち唯一、タンパクとして精製され、その性質に関する知見の豊富なGlut1の発現をまず試みた。ついで、Glut4の発現を行い、両者の比較をした。

(1)Glut1の発現

 ラットGLUT1をラット腎臓cDNA libraryからクローニングした。マルチコピー型のプラスミドpTV3(YEp TRP1 bla)に強力なガラクトース・プロモーターを持つガラクトース輸送体Gal2の遺伝子GAL2を組み込み、そのORF部をEcoRIとClaIの2種の制限酵素でカセットとし、GLUT1のORF部と入れ換え、LBY416に導入した。

 GLUT1を導入したLBY416は、Immunoblotting法でGlut1の発現が抗Glut1抗体で確認された。酵母の主要プロテアーゼ欠損株BJ3505で発現したGlut1も同じ分子量を示し、また、酵母で発現したGlut1をN-グリコシダーゼ処理するとN-グリコシダーゼ処理したヒト赤血球Glut1と同じ分子量を示すことから、完全長のGlut1の発現と考えられる。しかし、Glut1を発現した酵母細胞での糖輸送の増加はみられなかった。蛍光抗体を用いて共焦点顕微鏡で観察したところ、Glut1は細胞膜上に発現していなくて細胞内オルガネラに留まっていたので、この細胞から粗膜画分を調製してリポソームに再構成した。Dグルコース特異的で、Glut1の強力な阻害剤であるサイトカラシンBで阻害される糖輸送が観察された。基質特異性、各種阻害剤への感受性、Dグルコースを用いて糖輸送のKm、Vmaxを調べた。また、ヒト赤血球から精製したGlut1をリポソームに再構成し性質を比較した。両者の間に顕著な差はなく、ほぼ同一の結果が得られた。また、定量的Immunoblotting法でGlut1を発現したLBY416粗膜分画中のタンパク当たりのGlut1量を測定し、Glut1当たりの糖輸送活性を求めたところ、ヒト赤血球のGlut1の糖輸送活性の110%であった。これはLBY416で発現しているGlut1がほぼ全て活性をもっていることを示唆しており、従来の異種発現系ではなし得なかったことである。

(2)Glut4の発現とGlut1との比較

 次に、ラットGLUT4をラット脂肪細胞のcDNA libraryよりクローニングし、新しく開発したこの酵母の発現系で発現させた。Glut4の発現は抗Glut4抗体を用いたImmunoblotting法で確認できたが、蛍光抗体法でGlut1と同じくGlut4も細胞膜上でなく細胞内に局在することが観察された。Glut1の場合と同様に、Glut4を発現したLBY416の粗膜分画を調製しリポソームに再構成した。Dグルコース特異的でサイトカラシンB感受性の糖輸送が観察された。この糖輸送の性質は基質特異性とサイトカラシンBやフロレチンやフロリヂン等の既知の動物細胞の糖輸送の阻害剤への感受性ではGlut1と大差はなかった。しかし、SH阻害剤への感受性では顕著な違いがみられた。Glut1はSH阻害剤であるp-クロロメルクリ安息香酸(pCMB)やp-メルクリベンゼンスルフォン酸(pCMBS)で糖輸送が阻害され、HgCl2のIC50は3.5Mであった。一方、Glut4はpCMBやpCMBSでは阻害されずHgCl2へのIC50はGlut1の約100倍、370Mであった。Glut1及びGlut4のトポロジーの推定からGlut1には細胞膜の外側に1個システインがありGlut4にはない。Glut1の外側のシステインに対応するGlut4のメチオニンをシステインに置換すると、pCMBやpCMBSで阻害されHgCl2のIC50は約10分の1になった。その他の生化学的性質は変わらなかった。また、糖輸送のキネティックスのパラメーター(Km、Vmax)を2つの代表的な状態(zero-transとequilibrium exchange)で求め比較した。Glut4は2つの状態でのパラメーターの間に顕著な差はみられなかったが、Glut1では顕著な差がみられた。Km、Vmaxともequilibrium exchangeの状態では10倍近く大きくなった。即ち、Glut1ではtrans accelerationが観察された。

 以上の結果から、Glut4とGlut1のインスリン感受性組織での役割を考察する。生体内における細胞でのグルコースの取り込みの状態は通常の状態では取り込まれたグルコースは直ちにヘキソキナーゼによって代謝されるのでzero-transの状態であると考えられる。ヒトを含む多くの哺乳動物の通常の血糖値は約5mMであることが知られている。zero-transでのGlut1のKmが3.5mM、Glut4のKmが12mMであるから、通常の状態ではGlut1が効率よく機能しており、血糖値が上昇するとGlut4が効率よく機能してくると考えられる。ラット脂肪細胞においては、通常、全Glut4の約5%と全Glut1の約50%が細胞膜上にあり、インスリン刺激により細胞膜上のGlut4は約10倍にGlut1は2倍近く増加することが知られている。また、この細胞で全Glut4量は全Glut1量の約10倍あるという報告もあり、量的にも、また、今回明らかになったGlut4のKm値からも、Glut4がインスリンによる糖輸送の増加の主たる役割を担っていると考えられる。また、予備実験の段階であるが、インスリン刺激をうけたラット脂肪細胞の細胞膜を調製しリポソームに再構成したところ、その糖輸送活性のSH感受性はGlut4と等しかったことも、これを支持する。Glut1は、広範な組織での発現が知られていることからも、通常の細胞での糖の取り込みをhousekeeping的に担う糖輸送体であると考えられる。そして細胞内外の環境の変化によって細胞内のグルコースが直ちに代謝できない状態になると、equilibrium exchangeの状態に近くなり、Glut1のVmaxが増加し糖の取り込みを促進すると考えられる。

 このような糖輸送体の分業体制が実際に成立しているかどうかは今後の研究によらなければならないが、本研究によってそれぞれの糖輸送体の機能分担を明らかにする手がかりが得られたといえるだろう。また、Glut1とGlut4のキネティクスの違いは、両者の糖輸送の分子機構が、同じファミリーに属す相同な輸送体でありながら異なっていることを示しており、大量生産と結晶化による3次元構造の解析への具体的なアプローチになることを期待している。

審査要旨

 本研究は動物細胞における主たるエネルギー源であるグルコースを細胞内に輸送するグルコース輸送体の各種のアイソフォームの機能を明らかにする目的で酵母Saccharomyces cerevisiaeを使っての異種発現系を新たに開発し、開発した系を用いて代表的なアイソフォームGlut1とGlut4のグルコース輸送の機能を比較、解析したものであり、下記の結果を得ている。

 1.酵母Saccharomyces cerevisiaeの主要なグルコース輸送体を破壊した変異体を用いることにより内在性のグルコース輸送活性を無視できる値に抑えた。酵母での発現系を評価する目的で、動物細胞でこれまで知られている6種のアイソフォームのうち、唯一、グルコース輸送体として精製されているGlut1の発現をまず行った。酵母で発現したGlut1の活性と、ヒト赤血球の精製Glut1の活性を比較した。酵母で発現したGlut1はヒト赤血球Glut1と同じ比活性を持ち、種々の生化学的性質も両者で有意な差は認められなかった。

 2.次に6種のアイソフォームのうち、細胞内の小胞に留まる性質を有するため、これまでの異種発現系ではその活性の詳細が調べられなかったGlut4を酵母の発現系で発現した。基質特異性、種々の阻害剤に対する感受性、2つの代表的な条件(zero-trans influx,equilibrium exchange)でのキネティクスを調べた。

 3.Glut1とGlut4のグルコース輸送の様々の性質を比較したところ、SH阻害剤に対する感受性(Glut1は感受性、Glut4は非感受性)、キネティクス(Glut1ではtrans accelerationがみられるがGlut4ではみられない)に大きな相違が認められた。基質特異性、phloretin,phloridzin,cytochalasinBなどの阻害剤に対する感受性に有意な差はみられなかった。

 4.Glut1、Glut4のアミノ酸配列から推定される立体構造を比較すると、Glut1は1個のexofacial Cys残基(Cys-429)を有するがGlut4にはない。Glut1のCys-429と対応する位置にあるGlut4のMet-455をCysに置換すると、他の糖輸送の性質は変わらないでSH感受性のみが増した。

 5.Glut1とGlut4は同じGLUT familyに属しアミノ酸のレベルで65%の同一性を持ちながら、キネティクスの相違から両者の糖輸送の分子機序の詳細が異なることが明らかとなった。このことは、Glut1とGlut4はインスリン感受性組織で共に存在しても、その役割が異なることを示唆する。

 以上本論文は酵母を使った発現系を開発することからラットGlut1とGlut4の糖輸送活性の相違点を明らかにし、インスリン感受性組織に分布し、共にインスリン刺激で細胞内から細胞膜へとトランスロケーションすることが知られている両者の生体内での役割分担の解明へ重要な貢献をした。また、本研究は、動物細胞のグルコース輸送体を活性のある形で大量生産の可能な酵母で発現できたことから、グルコース輸送体の精製、結晶化そして輸送機構の分子機序の解明へ極めて重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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