学位論文要旨



No 213473
著者(漢字) 久保田,潔
著者(英字) Kubota,Kiyoshi
著者(カナ) クボタ,キヨシ
標題(和) 処方-イベントモニタリングのための同一薬剤使用者群内の比較
標題(洋) Within-drug comparison for Prescription-Event Monitoring(PEM)
報告番号 213473
報告番号 乙13473
学位授与日 1997.07.23
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13473号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊賀,立二
 東京大学 教授 大江,和彦
 東京大学 教授 郡司,篤晃
 東京大学 助教授 真鍋,重夫
 東京大学 助教授 荒川,義弘
内容要旨

 1980年から英国のDrug Safety Research Unit(DSRU)によって試みられてきた処方-イベントモニタリング(Prescription-Event Monitoring、PEM)は、1970年代初頭に失明・死亡を含む数千人の被害をだしたプラクトロール事件の反省から生まれた。プラクトロールによる副作用は殆どの医師によって副作用として認識されず、英国の自発報告制度はこの副作用を早期に発見しえなかった。PEMは医師が副作用として認識しなくても未知の副作用を発見することを可能とする新たなシステムとしてデザインされた。

 PEMは自発報告制度で生成された「仮説」を検証するためにも度々用いられたが、特に仮説を反駁する場合は、問題となった薬のイベントの頻度をバックグラウンドの頻度や同一クラスの他の薬物における頻度と比較し、大差を認めないことがその有力な根拠となった。これに対し、仮説生成の方法としては、観察的方法一般に共通するいくつかの問題点に加え、同時期のコントロール群をとりにくいというPEM特有の問題のために薬物相互比較は必ずしも有効ではない。PEMでは試行錯誤ののち、多数のイベントをスクリーニングして、副作用の可能性のあるイベントを取り出す手段として、処方開始後第一ヶ月における発生率(T1)をその後の一ヶ月あたりの発生率(T2)と比較する’within-drug comparison’が用いられてきた。この方法は副作用の多くが早期(特に使用開始後一ヶ月以内)に発生するという観察を基にしている。DSRUから発表された論文ではしばしば「T1とT2の比較により主要な副作用を全て拾い上げ得る」ことが強調されているが、これまでこの論述を支持する詳細な検討は行われていない。本論文では「T1とT2の比較により主要な副作用を全て拾い上げ得る」との命題を検証する。

方法

 英国では一般医(GP)が発行する処方箋は調剤薬局を通じて単一の支払い機関(Prescription Pricing Authority、PPA)に集中する。PEMではまず、特定の薬の処方されている処方箋がPPAによって選び出され、そのコピーがDSRUに送られる。DSRUは個々の患者に対し処方箋が発行されてから6ないし12ヶ月後に’green form’とよばれる質問用紙を処方箋を発行した医師に郵送し、性・年齢、薬の適応症、効果の有無に関する主観的評価に加え、イベントとその発生日の報告を求める。イベントとは「新しい診断、他の病院または専門家に紹介した場合その理由、合併症の予期せぬ悪化(改善)、副作用と疑われた事柄、その他患者カルテに記載するに足る患者の訴え」と定義される。表1-3(p13-15)には、本論文でとりあげた41の薬とモニタリング実施期間、発送された質問用紙の数、回答数、有効回答数が示されている。有効回答率は平均52%である。

 イベントはPEMの中で次第に形作られていった’event dictionary’(Appnedix8)の用語を使って記録される。データの解析ではDSRUで現在主流となっているT1とT2の比較を本論文でも行う。経験則として「T1が一ヶ月1000人あたり1以上でかつT1とT2の比が2.5以上であればそのイベントが副作用である可能性がある」との基準がとられてきたが、本論文では、T1とT2の統計学的な比較についても検討する。’Event dictionary’にはGPから報告されたイベントを記録する際に使われる’low-level term’とそれを更に組み合わせて新たに作る’high-level term’が含まれるが、本論文では1076の’low-level term’を検討する。副作用の情報としては、英国で広く使われている英国処方集(British National Formulary、BNF)を標準とした。最新のBNF No31(March1996)に記載されている副作用を’known ADRs’とし、このうち、それぞれのPEMの研究がほぼ終了する頃に発行されていたBNFに既に記載されていたものを’Previously known ADRs’(Category A)と定義し、それ以外のものを’Previously unknown ADRs’(Category B)と定義する。他に因果関係の確定していない’Questionable ADRs’(Categoty C)と英国の一般診療では発見が難しいと考えられる’Hard-to-detect ADRs’(Category D)を区別した。以上の4種類に分けた副作用に’event dictionary’の用語を対応させた。本論文では1990年またはそれ以後に発売された薬に関しては副作用情報が出尽くしていない可能性を考え、解析の対象からはずした。また、サンプルサイズが6000人未満の場合も解析の対象からはずし、24のPEMスタディに関してだけT1とT2の比較結果を検討した。

結果

 初めにT1/T2の比と有意差検定の結果が比較され、有意差検定の方法としてはlikelihood ratio testを用いることとし、「T1/T2≧2.5」に対応する基準としてp<0.001を採用した。

 24のPEMスタディについて、それぞれ1076イベント、累計約26,000のイベントを検討した結果、389イベント(1.5%)がT1/T2≧2.5か、likelihood ratio testの有意差p<0.001の基準で「シグナル」として認識された。これら389のうち255(66%)は両方法によって得られたシグナルであり、残りの134(34%)はいずれか一方で得られた。389の「シグナル」のうち、Category A146、Category B46、Category C1を含む193(50%)は最新のBNFに副作用として記載されていた。BNFに記載されている副作用の頻度とT1とT2の比較の結果とを比べてみると、T1が一ヶ月1000人あたり4以上の既知のCategory AとCategory Bの副作用は全て「シグナル」として認識された。また、処方開始後6ヶ月の頻度が1.8%以上の既知のCategory AとCategory Bの副作用は全て「シグナル」として認識された。

 BNFに記載されていない196の「シグナル」をさらに検討した結果、57はBNF以外の文献等から副作用と判断されたが、少なくとも72(全シグナル389の19%)は薬の適応症に直接関係した交絡による’false positive’の「シグナル」と判断された。

 副作用として知られているイベントのうち「シグナル」として認識されなかったもの(’false negative’)についても検討した。当然のことながら稀なイベントのほとんどは「シグナル」としては認識されないが頻度の上昇とともに「シグナル」として認識される割合も上昇する。頻度が低いこと以外の’false negative’の結果をもたらすメカニズムとしては、「バックグラウンド」の非特異的なイベントの中に副作用が埋もれてしまっている場合、副作用が遅発性である場合などが上げられる。

考察

 検討した24の薬について頻度の比較的高い既知の副作用が例外なく「シグナル」として認識されたことは「T1とT2の比較により主要な副作用を全て拾い上げ得る」ことを証明するものである。特に46(13%)はCategory B、即ち個々のPEMスタディ施行中には広く副作用と認識されていなかったと考えられるものであり、PEMで医師が副作用として認識していない未知の副作用を検出する事は可能と判断された。

 今後改良すべき点としては交絡に基づく’false positive’のシグナルの識別をより容易にするため合併症や適応症の重症度に関する情報をより系統的に収集すること、用量-反応関係を検討するため用量に関する情報をより活用または収集すること、T1とT2の比較に加え薬使用中のイベント発生率と使用中止後のイベント発生率の比較を併用すること、薬中止後消失したイベントを系統的に記録すること、遅発性の副作用の「シグナル」の方法を確立すること、PEMで得られた「シグナル」を他のデータベースにより検証すること、同時期のコントロール群をとること等があげられる。

 我が国において可能と考えられる英国PEM類似システムで患者を薬処方後に特定する手段としては、レセプトを利用する方法と保険薬局を通じて院外処方箋を利用する方法が考えられる。また、英国の一般診療と異なり臨床検査がより頻繁に行われる我が国では検査値のデータが全イベントデータに占める割合がより大きくなると考えられる。これらの問題に加え、我が国では多剤投与が多く、薬物相互作用がより大きな問題となっていること、患者が不特定の医療機関を自由に受診し得るため患者の追跡調査が困難である点などをどのように克服するかなどを含めて、関連する問題について現在東海大学黒川清医学部長を班長とする「厚生科学研究我が国における英国PEM類似のイベントモニタリングを実施するための条件に関する研究」班が研究を進めており、研究結果の詳細は平成10年3月頃に明らかになる見通しである。

審査要旨

 本研究は英国における処方-イベントモニタリング(Prescription-Event Monitoring,PEM)の主催者であるDrug Safety Research Unit(DSRU)によってイベントデータの解析方法として経験的に用いられてきた同一薬剤使用者群内の比較によって副作用の可能性のあるイベントを見出す解析方法の有用性を検証し、さらにPEMを日本に導入するにあたっての問題点を検討したものであり、下記の結果を得ている。

 1.DSRUでは、ほとんどの副作用が薬の使用開始後1ヵ月内に集中して発生するという観察に基づき、処方開始後1ヵ月におけるイベント発生率(T1)とその後の1ヵ月あたりの発生率(T2)の比(T1/T2)についてT1/T2≧2.5を基準として、経験的にこの基準を満たすイベントを副作用の可能性のあるイベントとして選び出してきた。T1とT2の比較をlikelihood ratio testを用いて統計学的に行うと、発生率の比に関するT1/T2≧2.5に対応する基準としてp<0.001が採用されるべき事が示された。

 2.十年以上にわたって蓄積されてきたイベントデータのうち、PEM開始後新規に市販された24の医薬品についてT1/T2≧2.5またはlikelihood ratio testでp<0.001の基準を用いて検討すると、累計約26,000イベントの1.5%にあたる389イベントが副作用の可能性があるイベントとして選び出された。このうち64%の250イベントはいずれかの文献で実際に副作用として記載されている事が確認された。また副作用として知られているイベントのうち、処方開始後1ヵ月の頻度が0.4%以上の比較的頻度の高いものは全てDSRUで経験的に用いられてきたT1/T2≧2.5またはlikelihood ratio testでp<0.001の基準で副作用の可能性のあるイベントとして選び出され、これら二つの基準を組み合わせた同一薬剤使用者群内における比較方法は多数のイベントから副作用の可能性のあるイベントを選択するための初期スクリーニングの方法として有用であることが示された。

 3.但し、上記の方法で選び出されたイベントには、薬でなく適応症に直接関係したイベントが少なくとも二割程度含まれており、この「偽陽性」のイベントを識別する能力を高める事が必要である。今後の改良点としては特に合併症や適応症の重症度に関する情報をより系統的に収集することが重要と考えられた。

 4.我が国にPEMを導入する際にはレセプトまたは院外処方箋を利用して患者、薬、処方医を特定する方法を用いる事が可能と考えられる。その他我が国における患者の追跡調査の困難性や薬物相互作用に関するデータの収集など今後解決すべき問題が指摘されている。

 以上、本論文は、これまで十分検証されてこなかったPEMで得られるイベントデータの初期スクリーニングに同一薬剤使用者群内の比較方法を用いることの有用性を詳細な検討によって明らかにした。本研究は今後我が国においても期待される市販後調査や薬剤疫学の発展に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50690