学位論文要旨



No 213474
著者(漢字) 奥田,理
著者(英字)
著者(カナ) オクダ,オサム
標題(和) 外用軟膏による口腔粘膜痛の鎮痛試験法および鎮痛療法に関する研究 : アスピリン軟膏を中心として
標題(洋)
報告番号 213474
報告番号 乙13474
学位授与日 1997.07.23
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13474号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 花岡,一雄
 東京大学 教授 山本,一彦
 東京大学 助教授 市村,忠一
 東京大学 助教授 中塚,貴志
 東京大学 助教授 久保田,潔
内容要旨

 多くの口腔粘膜疾患は、いまだ原因不明であり、その症状も一般に多彩で患者に与える苦痛も少なくない。このため臨床では、二次感染予防と疼痛緩和を目的とした対症療法が行われることが多い。口腔粘膜の疼痛に対しては、従来より局所麻酔薬の使用や消炎鎮痛剤の溶液による含嗽などが報告されているが、いずれも持続的な効果が得られず、疼痛による口腔機能障害の改善には至っていない。また、口腔粘膜疾患にはステロイド製剤がしばしば使用されるが、同様に疼痛に対する効果は十分ではない。

 近年、帯状庖疹後神経痛や慢性関節リウマチの疼痛に対してアスピリンを含有する軟膏を使用することにより、良好な鎮痛効果が得られていることから、口腔用基剤とアスピリンを調合し、口腔用アスピリン軟膏を調製した。

 一方、動物炎症モデルを用いた鎮痛試験では、種々の鎮痛薬の効果が客観的に判定されるが、口腔粘膜の疼痛に対する薬剤の鎮痛効果は、これまで臨床での判定が主であり、基礎的な研究はなされていなかった。このため、ラットを用いた口腔粘膜用の外用薬の効果判定に使用できる鎮痛試験の方法を検討し、本軟膏の痛覚受容体の応答に対する効果を客観的に評価することを試みた。さらに、臨床においては有痛性口腔粘膜疾患に対する、本薬剤を含めた非ステロイド性消炎鎮痛剤(non-steroidal anti-inflammatory drugs,以下NSAIDs)の外用薬による新しい鎮痛療法を行い、本薬剤の臨床効果とその特徴、また除痛から得られる患者の日常生活の障害改善度に関する検討を行った。

 研究方法

1基礎的研究

 ラットの開口反射(the Jaw-Opening Reflex,以下JOR)を用いて鎮痛効果を測定した。JORは三叉神経第2、3枝支配領域の組織に対する知覚、圧覚、痛覚の刺激により生じる反射である。われわれは、ラットの舌に電気刺激を加えることによってJORを導出し、オトガイ部にIsometric transducerを設置し、下顎の下方への動きを振幅として記録した。ウレタン(0.7g/kg,i.p.)、クロラロース(17.5mg/kg,i.p.)麻酔下にてラットの舌に鋸歯付鉗子(15×5mm)を用いたピンチによる侵害的機械刺激を10秒間加えると、試験電気刺激(5V,2Hz,0.2ms,5sec間隔)にて導出されるJORの振幅に著明な増大反応が認められた。ゾンデの尖端による舌の鎚打や圧迫などの刺激や、同全身麻酔薬を増量投与(1.0g/kg,i.p.、25.0mg/kg,i.p.)した動物では、同様の増大反応がみられず、JORの増大は明らかに舌粘膜の痛覚の応答によって生じた反応と考えられ、これを疼痛の指標とした。

 試験薬としてアスピリン軟膏(1,2,5%)、塩酸リドカイン軟膏(1,2%)、基剤と粘着剤のみのプラセボと外用薬の2%塩酸リドカインゼリー(キシロカインゼリー,藤沢)を用意し、舌粘膜に局所塗布を行い、電気刺激によるJORおよび舌のピンチ刺激により生じたJORの増大に対する効果を検討した。

2臨床的検討1)二重盲検試験による鎮痛効果の判定

 口腔用アスピリン軟膏の鎮痛効果を評価する目的で、プラセボを対照とした二重盲検試験を行った。口腔用軟膏としては、基礎的研究の結果有効であった2%濃度のものを使用した。

 本試験に同意の得られた有痛性口腔粘膜疾患患者を本軟膏群、プラセボ群に無作為に分類し、口腔内の罹患部位や軟膏の使用法を説明し、疼痛のあるときに自由に塗布させた。鎮痛効果の評価法については、鎮痛剤の効果判定基準に基づいて行った。

2)除痛により得られる日常生活の障害改善度に関する問診調査

 口腔粘膜疾患の疼痛により生じる日常生活への障害を摂食、会話、睡眠に着目し、その障害の程度を重度、中等度、軽度の3段階に分類し、これらに関する問診調査を初診時およびその3日後に行い、比較検討した。

結果ならびに考察1基礎的研究

 塩酸リドカインを含む外用薬は、電気刺激のみによるJORおよびピンチによる侵害的機械刺激によって生じたJORの増大を同程度に抑制した。これに対し、アスピリン軟膏ではJORに有意な変化がみられず、侵害的機械刺激によるJORの増大のみが有意に抑制された。

 リドカイン製剤がJORやJORの増大を同程度に抑制したことは、リドカインの神経遮断作用が塗布された部位に発現し、知覚、圧覚、痛覚の受容体すべての応答を非特異的に阻害したことによると考えられる。このため、味覚受容体の応答にも影響することが示唆され、ヒトの口腔で使用した場合では、鎮痛効果以外の副作用として味覚異常などが誘発される可能性が考えられた。

 これに対し、アスピリン軟膏が侵害的機械刺激によるJORの増大部分のみを有意に抑制したことより、本剤がリドカイン製剤とは異なり、神経伝達を阻害することなく痛覚の応答による反応のみを選択的に抑制し得ると思われた。

 また、アスピリンの局所投与によりJORの増大が有意に抑制されたことは、この増大がNSAIDsに抑制されうるプロスタグランジンなどの物質の働きによる痛覚の増感である可能性が示唆され、このことからも本法が1つの鎮痛試験として有用であると思われた。

 局所麻酔薬や消炎鎮痛剤の外用薬の使用濃度については、0.5〜5%濃度の使用によって抗炎症・鎮痛効果がみられると報告されている。また、5%以上のサリチル酸をヒトの正常皮膚に用いた場合、角化作用や表皮剥脱作用があるとの報告もあり、アスピリン軟膏では5%未満の濃度が適当と思われた。基礎的研究の結果では、2%濃度のアスピリン軟膏によって5%濃度のものと有意差のない鎮痛効果が得られたため、口腔粘膜に使用する場合にはその濃度を2%とした。

2臨床的検討

 アスピリンは、解熱・鎮痛薬として1日1〜3gが内服投与されるが、消化性潰瘍の誘発などの副作用があり、全身的大量投与が困難となることも従来より指摘されている。これに対して外用薬としてのアスピリン軟膏は、帯状疱疹後神経痛や慢性リウマチの疼痛に対して十分な鎮痛効果を示しており、アスピリンの局所投与は副作用防止の観点からも意義のあるものと思われる。

 臨床では、難治性の口腔粘膜疾患などから疼痛が長期にわたる症例では、その疾患に対する不安感から癌恐怖症に至る場合も少なくない。

 二重盲検試験の結果では、アスピリン軟膏の使用により塗布後20分以内に良好な鎮痛効果が得られ、効果の持続はおよそ3〜5時間であった。また、総合的な効果判定でも、ほぼ全例に有効以上の効果が認められた。このように、比較的早期に確実な鎮痛効果が得られたことは、患者の日常生活に対する影響のみならず、精神的負担の軽減という意味からも効果は大きいと考えられる。

 初診時では、口腔粘膜疾患の疼痛による摂食障害(93.3%)、会話障害(56.6%)、睡眠障害(36.7%)を訴える患者が多くみられた。これに対して軟膏の使用から3日後の調査結果では、摂食障害(30.0%)、会話障害(10.0%)が軽度〜中等度にみられた者が存在したものの、全例において障害は明らかに改善されていた。

 臨床では疼痛による摂食障害に対しては、各種の塩酸リドカイン製剤が使用されてきた。しかし、これらの鎮痛効果は持続性に乏しく、われわれの基礎的研究の結果においても、2%アスピリン軟膏の方が塩酸リドカイン製剤に比べて痛覚の応答を持続的に抑制し得た。また局所麻酔薬では、神経遮断作用による味覚異常などの副作用が生じる可能性も考えられる。

 しかし、持続性の自発痛が著しく、数cmにおよぶ潰瘍を呈する症例では、初診時の軟膏塗布のみでは効果発現時間、効果持続時間ともに他の症例に比較して効果がやや劣っていた。このような比較的病巣の範囲が広い症例では、軟膏を患者自身に塗布させているため、病巣部を完全に被覆することができなかった可能性も考えられる。

 本調査結果では、1日に使用するアスピリンの量は30mg程度と少量であり、本試験時においても、軟膏塗布後に口腔粘膜に異常を認めた症例、味覚異常やその他の不快症状を訴えた症例はみられず、また疾患の治癒日数に関しても、アスピリン軟膏群とプラセボ群との間に有意な差はみられなかった。

 本軟膏の作用機序としては、基礎的研究の結果から、末梢の神経終末に存在する受容体のうち痛覚受容体の応答を選択的に抑制することによって鎮痛効果を現していると考えられる。しかし、比較的大きい潰瘍を呈し、著明な自発痛をともなう症例では良好な鎮痛効果がすぐには得られないこと、あるいは口腔粘膜付着時間の延長等の問題は今後の検討課題と思われる。

 アスピリン軟膏による鎮痛療法は、有痛性の口腔粘膜疾患に対する対症療法である。このため副作用が少なく、より強い鎮痛効果が必要とされる。本軟膏は、従来報告されてきた外用薬と比較して、より即効的かつ持続的な鎮痛効果を示した。また、疼痛により生じる摂食障害、会話障害、睡眠障害などの各障害に対しても比較的早期にその改善が認められたことより、臨床において有用であると思われる。

審査要旨

 本研究は、口腔粘膜痛に対する外用薬の鎮痛効果の判定に使用できる鎮痛試験の方法を検討し、痛覚の応答に対する薬剤の効果を客観的に評価することを試みたものである。また臨床においては、有痛性口腔粘膜疾患に対する非ステロイド性消炎鎮痛剤の外用薬であるアスピリン軟膏を用いた新しい鎮痛療法を行い、下記の結果を得ている。

 1.口腔粘膜に対する鎮痛試験は、刺激に対して生じる開口反射を利用することにより効果の判定が可能であった。

 2.アスピリン軟膏は、ラットの舌粘膜にピンチによる侵害的機械刺激を加えることにより生じた開口反射の増大を抑制し、このことから本軟膏が痛覚の応答に対して特異的な抑制効果を現すことが示唆された。

 3.局所麻酔薬の塩酸リドカインを含む外用薬では、ラット舌粘膜に電気刺激を加えることにより生じる開口反射に対して抑制効果がみられた。

 4.臨床において、口腔粘膜疾患の疼痛にアスピリン軟膏を使用したところ、20分以内に十分な鎮痛効果が得られた症例が多く、また効果持続時間は3〜5時間であった。

 5.二重盲検試験にて検討した結果、本軟膏の鎮痛効果の判定結果は、ほぼ全例において著効または有効であった。

 6.疼痛による摂食障害、会話障害、睡眠障害などの日常生活における障害は、本軟膏の使用により比較的早期に改善された。

 以上、本研究はこれまで報告のなかった動物の口腔組織を用いた新しい鎮痛試験法を考案し、鎮痛剤の効果を客観的に評価し得た。また、有痛性口腔粘膜疾患に対するアスピリン軟膏を用いた新しい鎮痛療法を確立し、臨床効果とその特徴ならびに除痛から得られる患者の日常生活の障害改善度に関する新知見を得た。これらのことは、今後の薬理学的基礎研究ならびに口腔外科臨床に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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