学位論文要旨



No 213475
著者(漢字) 仁科,秀則
著者(英字)
著者(カナ) ニシナ,ヒデノリ
標題(和) 妊娠ラットの睡眠に関する研究
標題(洋)
報告番号 213475
報告番号 乙13475
学位授与日 1997.07.23
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13475号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川名,尚
 東京大学 教授 久保木,富房
 東京大学 教授 宮下,保司
 東京大学 助教授 馬場,一憲
 東京大学 助教授 関根,義夫
内容要旨 [目的]

 日常の臨床で遭遇する妊婦の不定愁訴の一つに睡眠に関するものがあり、妊娠初期には過度の眠気が、後期には不眠がよくみられる症状とみなされている。睡眠は生活の中で最も基本的な行動のひとつであり、その障害は身体的・精神的に大きな影響を与える可能性があるため、適切に対応・指導することが臨床的に重要である。しかしながら、睡眠障害に関しては不明な部分が多く、その中でも妊娠中の睡眠障害に関する研究は極めて遅れている。

 本研究は、妊娠ラットの各種生理学的指標を妊娠全期間におよび連続記録し、その結果を妊娠日数別に比較検討することにより、妊娠に伴う睡眠の変化を詳細に解析することを目的としておこなった。

[対象と方法]

 実験には、明期12時間(08:00〜20:00)、暗期12時間(20:00〜08:00)、温度25±1℃、湿度60±6%の人工気象室内で飼育繁殖したSprague-Dawley系の雌ラット8匹を用いた。日齢60〜70、体重200〜250gのラットに、ペントバルビタール麻酔下で、脳波記録用の金メッキスクリュウ電極3本を先端が大脳皮質上になるように頭蓋骨に固定し、筋電図記録用のステンレス製フック電極2本を後頚筋に固定した。脳温測定のためのサーミスタを頭蓋骨から5mmの深さの脳内に留置した。脳波用電極とサーミスタは歯科用アクリルレジンで頭蓋骨に固定した。術後、防音・防磁され、温度、湿度、明暗リズムを術前と同一にした生物環境調節装置内の実験ケージに入れ、行動を制限せず水・餌も自由に摂取できるように電極とサーミスタのリード線をケージ上に固定したスリップリングを介してポリグラフに接続した。睡眠一覚醒の概日リズムが回復し、腟スメアで連続3回のEstrous cycleを確認したのちに雄ラットを同居させ、腟スメア内に精子の存在を確認した日を妊娠0日として雄ラットを取り出した。脳波、筋電図、脳温は、分娩後2日目まで連続的に記録した。睡眠覚醒のstateは、ポリグラフの記録から、脳波が高振幅徐波で筋電活動を認めないノンレム睡眠、脳波が低振幅速波で筋電活動を認めないレム睡眠、脳波が低振幅速波で筋電活動を認める覚醒に視察的に分類した。ノンレム睡眠、レム睡眠、覚醒は、1日毎の各stateの合計時間、1日に認める各stateの発現回数と各stateの平均持続時間を計算し、妊娠日数別に比較検討した。脳温は3分毎にサンプリングし、データを直接コンピュータに取り込み統計的に解析した。睡眠の各パラメータと脳温の解析にはANOVAとBonferroniのpost hoc testを用いた。

[結果]

 皮質脳波、後頚筋筋電図、脳温を5例のラットで妊娠0日から分娩後2日目までの24日間連続して記録することができた。3例は電極のトラブルにより連続記録が中断したため今回の解析から除外した。また、連続記録がおこなえた5例のラットは全経過中脳温は38.5℃未満で正常範囲であり、妊娠期間(21日)および新生仔数(9〜11匹)にも異常を認めなかった。5例のラットの妊娠時期は各々異なり、最大13日間のずれがあった。

 ノンレム睡眠のエピソードの平均持続時間は、妊娠5〜7日に有意に短縮し、一旦回復傾向を示したが再び妊娠13日、妊娠15〜17日の値には有意な短縮を認めた。最も短縮した妊娠15日には、妊娠0日の58.1%の持続時間になった。その後は急激に持続時間の延長がおこり、妊娠19日には最も延長し妊娠0日の200.0%に達した。妊娠21日(分娩日)には妊娠0日の水準に回復した。産褥早期のエピソードの持続時間は分娩2日後に再び有意に短縮した。ノンレム睡眠のエピソードの発現回数は、妊娠5〜8日に有意に増加し、一旦回復傾向を示すが、妊娠13日から17日まで再び有意差をもって増加した。最も増加した妊娠15日には妊娠0日の163.8%に達した。その後、急速に減少し、妊娠19日には最小値(妊娠0日の58.2%)を示し、続いて妊娠0日の水準に回復した。産褥早期のエピソードの発現回数は分娩2日後に再び有意に増加した。ノンレム睡眠の1日の合計時間は、妊娠経過中に変動は認めたものの妊娠0日と比べて有意差を認める日はなかった。一方、レム睡眠のエピソードの平均持続時間は、妊娠17日、18日に有意に短縮した。レム睡眠のエピソードの発現回数は,妊娠17日まではほぼ一定に保たれていたが、妊娠18日から21日まで有意に減少し、最も減少した妊娠20日には妊娠0日の53.4%になった。分娩後には発現回数は速やかに妊娠0日の水準に回復した。レム睡眠の1日の合計時間は、妊娠16日までは有意な変化は示さず、妊娠17日より有意に減少し、分娩日に最も低値(妊娠0日の57.2%)を示した。分娩後は速やかに妊娠0日の水準に回復した。覚醒のエピソードの平均持続時間は、妊娠5〜7日に有意に短縮し、一旦回復傾向を示したが再び妊娠15〜17日の値には有意な短縮を認めた。最も短縮した妊娠16日には、妊娠0日の58.7%の持続時間になった。その後は急激に持続時間の延長がおこり、妊娠19日には最も延長し妊娠0日の180.4%に達した。その後短縮し妊娠21日(分娩日)には妊娠0日の水準に回復した。産褥早期のエピソードの持続時間は分娩2日後に再び有意に短縮した。覚醒のエピソードの発現回数は、妊娠5〜8日に有意に増加し、一旦有意差はなくなるが、妊娠15日から17日まで再び有意差をもって増加した。最も増加した妊娠16日には妊娠0日の169.8%に達した。その後、急速に減少し、妊娠19日に最小値(妊娠0日の52.2%)を示したのち、続いて妊娠0日の水準に回復した。産褥早期のエピソードの発現回数は分娩2日後に再び有意に増加した。このように覚醒のエピソードの持続時間と発現回数は、妊娠経過中は逆の変化を示し、これらの変化は、ノンレム睡眠のエピソードの変化と同様だった。覚醒の1日の合計時間には、妊娠経過中に有意な変動を認めなかった。(表1,2)

 脳温は、明期と暗期で0.77±0.14℃の温度差を認め、ラットの活動期である暗期の方が有意に高値を示した。また、明期、暗期ともに妊娠経過に伴い有意な変動を認め、妊娠中期までは変化がなかったがその後漸減し、分娩直前の明期に最も低値を示した。分娩後には速やかに初期のレベルに回復した。

[考察]

 ラットの妊娠全経過にわたる連続的な睡眠ポリグラフの記録を初めておこない、これまでの不連続な観察では知ることのできなかったいくつかの特徴的な変化を知ることができた。すなわち、ノンレム睡眠は妊娠5日から17日までの間と妊娠19日、20日に、またレム睡眠は妊娠17日から21日の間にそれぞれ特徴的な変化を示し、その変化の内容もノンレム睡眠とレム睡眠とでは異なることが明らかとなった。このことから妊娠中の睡眠はノンレム睡眠とレム睡眠とで異なる機序で制御されていることが示唆された。一方、覚醒が変化する時期はノンレム睡眠が変化する時期と一致しており、覚醒回数が増加している時期にはノンレム睡眠の持続時間が短縮し、また覚醒回数が減少している時期にはノンレム睡眠の持続時間が延長していることからノンレム睡眠の変化は覚醒の変化と関連していることが考えられた。今回の研究では、妊娠中の脳温の測定も妊娠全経過にわたって初めておこない、睡眠の変化との関連を調べた。睡眠に伴う脳温の変化は、体温の変化とは別に、睡眠に伴う中枢神経系の活動自体を反映していると考えられている。今回の研究により、妊娠中の脳温がレム睡眠量の変化と一致して分娩前に低下していることが明らかとなった。

 妊娠中の睡眠の変化は妊娠の進行に伴う一定方向の単純な変化ではなく、妊娠中期と分娩前にそれぞれ異なった特徴的変化を示すことが明らかとなった。妊娠中には妊娠に伴う身体的変化によって睡眠に不利な状況が招来されると考えられるが、分娩前にレム睡眠量が減少し、ノンレム睡眠の持続時間が延長することは、一般にいわれる睡眠の質としてはより良質になったことを示しており、分娩前には睡眠様式はむしろ母体各機能の安定化につながるような変化をみると解釈された。今回の解析結果は、妊娠中の睡眠パターンの理解と妊娠中の睡眠調節機構の解明に有益な情報を提供するものと思われる。

表1.ラットの妊娠中および産褥早期の睡眠の変化(mean±SEM,n=5)表2.ラットの妊娠中および産褥早期の覚醒の変化(mean±SEM,n=5)
審査要旨

 本研究は妊娠に伴う睡眠の変化を明らかにすることを目的として、妊娠ラットの脳波、筋電および脳温を妊娠全期間を通じて連続的に記録しその結果を妊娠日数別に比較検討したものであり、下記の結果を得ている。

 1.ノンレム睡眠は、妊娠中エピソードの持続時間と発現回数とが相反して変化し、合計時間としては妊娠期間を通じて一定に維持されていることが示された。

 2.レム睡眠は、妊娠17日以降分娩までエピソードの持続時間と発現回数とがいずれも減少し、合計時間が減少することが示された。

 3.ノンレム睡眠の変化は妊娠中期と後期に、レム睡眠の変化は妊娠後期にのみにみられることが示され、変化の内容のみでなく変化を認める時期もノンレム睡眠とレム睡眠とで異なることから、ノンレム睡眠とレム睡眠は、妊娠中それぞれ異なる機序で制御されていると考えられた。

 4.覚醒が変化する時期はノンレム睡眠が変化する時期と一致し、覚醒回数が増加する時期にはノンレム睡眠の持続時間が短縮することおよび覚醒回数が減少する時期にはノンレム睡眠の持続時間が延長することが示された。このことからノンレム睡眠の変化は覚醒の変化と関連していると考えられた。

 5.脳温は、妊娠中レム睡眠の変動とほぼ一致して変動し分娩前に低下することが示された。脳温は中枢神経系の活動を反映していると考えられていることから、分娩に向けて中枢神経系の安定化がおきているものと考えられた。

 6.妊娠中は妊娠に伴う身体的変化によって睡眠に不利な状況が招来されると考えられるが、分娩前にレム睡眠量の減少、ノンレム睡眠の持続時間が延長および脳温の低下を認めることが示され、分娩前には睡眠様式はむしろ母体各機能の安定化につながるような変化をみると考えられた。

 以上、本論文は妊娠ラットの脳波、筋電および脳温を妊娠全期間を通じて連続的に記録しその結果の解析から、ラットの妊娠中の睡眠の変化を明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった妊娠中の睡眠の制御機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54035