学位論文要旨



No 213477
著者(漢字) 館,正弘
著者(英字)
著者(カナ) タチ,マサヒロ
標題(和) ヒト表皮脂質の胎生期における分析ならびに肥厚性瘢痕表皮の組織構造と脂質に関する研究
標題(洋)
報告番号 213477
報告番号 乙13477
学位授与日 1997.07.23
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13477号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 玉置,邦彦
 東京大学 教授 脊山,洋右
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 高戸,毅
 東京大学 助教授 古江,増隆
内容要旨

 本研究は表皮分化のin vivoモデルとして胎児期の表皮と肥厚性瘢痕表皮を対象とし、表皮細胞の分化にともなう脂質の変化を検討することを目的とした。

 表皮細胞は基底層から表層に向かって分化しながら移動し、最終的に脱核した細胞が角質層を形成する。角質層においては細胞間の脂質が重要なバリアー機能を担っている。皮膚表面の脱脂を行いバリアー機能に傷害を与えると表皮細胞のDNA合成が活発になることなどから、脂質は表皮細胞の分化に直接的な影響を持っていることが予想される。さらに角質層の脂質が特殊な形態を持っていることが構成脂質の解析や微細構造の観察などにより明らかになってきた。すなわちセラミド、コレステロール、遊離脂肪酸が秩序だって配列することによって脂質のバリアーを形成していると考えられている。またセラミドの分子種のうちリノール酸とエステル結合する長鎖ハイドロキシ酸を持つアシルセラミドが角質層に特有の構造であることが知られている。しかし角質層での脂質構造の解析の成果に比較して、上皮の生細胞における分化と脂質変化の関係は不明な点が多い。

 一方培養表皮細胞はAir-Liquid Interface法で培養することによって角質層を形成するところまで分化させることが出来る。ここでもアシルセラミドやグルコシルセラミドが分化に伴って発現することが明らかになっているが、セラミドの分子種や構成脂肪酸組成はin vivoの表皮細胞とは大きく異なっている。そこで細胞の分化増殖が盛んな胎児期の表皮細胞に着目し、脂質変化から角化以前の表皮細胞の動態を調べることによって、表皮細胞の分化と脂質代謝の関係を明らかにできるのではないかと考え本研究に着手した。

 ヒト胎児期の表皮は24週以降になって基底層、有棘層、顆粒層、角質層が認められるとされ、胎生24週前後に大きな脂質成分の変動が起きると予想されるため、胎生14週から28週までのヒト胎児を対象とした。妊娠中期以降の胎児の組織は得られないため、新生児期と成人の脂質構成と比較した。表皮から脂質を抽出し薄層クロマトグラフィーによって脂質組成を分析し、あわせて各脂質の構成脂肪酸を分析した。その結果follicular keratinizationの後期に相当する胎生20週を境に表皮脂質の構成は大きく変化することが明らかになった。セラミドは極性の高い分子種が現れ、セラミドモノヘキソシド、コレステロール硫酸、ステロールエステルが出現していた。コレステロール硫酸がヒト胎生期で確認されたのは初めてのことである。また脂肪酸組成の検討では胎生10週代から胎生20週代にかけて長鎖化が行われることが明らかになったが、これも新しい知見である。さらに胎生20週以降に現れるセラミドの構造を解析したところ、フィトスフィンゴシンの長鎖塩基に炭素数27の長鎖脂肪酸を含むことが明らかになった。分子内にヒドロキシル基が3基あるこの構造は細胞膜上でスフィンゴ脂質同士あるいは他の膜タンパク質と水素結合を介して集合体を作りやすくしていると考えられる。なお、このセラミド分子は培養細胞では認められない物質である。

 ステロールエステルは妊娠中期以降にのみ非常に高濃度で認められるが、構成脂肪酸は成人の構成と大きく異なっていた。現在ステロールエステルは表皮細胞の分化とは直接関係がないとされており、その生物学的意義は不明である。

 これらのことから明らかになったことは胎生期の表皮の構造変化に伴ってアシルセラミドとセラミドモノヘキソシドが発現していることと、脂肪酸の長鎖化が胎児期中期以降に起こっていることである。また培養細胞には認められないセラミドの分子種が認められることから、胎児期の表皮細胞は分化を研究する上で格好の材料であることが示唆された。

 次に創傷治癒過程における表皮細胞の分化に着目した。創傷治癒過程において再生した表皮は肥厚し、hyperproliferation状態になることが知られている。肥厚した表皮は創傷治癒が完成するにつれて薄くなるが、これらを調節する仕組みは解明されていない。今回創傷治癒過程の表皮の活発な分化が継続していることが予想された肥厚性瘢痕表皮の分析をおこなった。まず過去の標本を検討し、肥厚性瘢痕の表皮が正常部分と比較して肥厚していることを統計的に確認した。次に構成する表皮細胞の分化度をサイトケラチンの免疫染色によって検討した。サイトケラチンは上皮細胞の分化マーカーとして知られており、suprabasal layerに特有のサイトケラチン10、さらにhyperproliferationに特有のサイトケラチン16の発現を蛍光抗体法によって検討した。同一の個体から得られた検体について染色したところ、12組中3組しかサイトケラチン16の発現が認められず、肥厚性瘢痕表皮の肥厚は表皮細胞の分化異常によるものではないことが推測された。

 つぎに肥厚性瘢痕表皮から抽出した脂質を薄層クロマトグラフィーによって分析した。その結果肥厚性瘢痕表皮では皮脂腺由来の脂質が正常部分と比較して有意に減少していたが、胎児期に認められたような表皮細胞の分化に関連したセラミド、グルコシルセラミドなどの生理活性脂質の変化は認められなかった。すなわち肥厚性瘢痕がhyperproliferativeな状態ではないことが脂質分析の結果から裏付けできたものと解釈できる。

 本研究により、胎児皮膚が表皮の分化と脂質代謝の関係を解明する上で非常に良い対象であることが明かとなった。さらに創傷治癒過程における表皮細胞の動態と脂質代謝との関連を探るきっかけとなるものと思われる。

審査要旨

 本研究は、表皮分化のin vivoモデルとして胎児期の表皮と肥厚性瘢痕表皮を対象とし、表皮細胞の分化にともなう脂質の変化を検討することを目的としたものであり、以下の結果を得ている。

 1、毛包内角化期の後期に相当する胎生20週を境に表皮脂質の構成は大きく変化した。この時期にセラミドは極性の高い分子種が現れ、セラミドモノヘキソシド、コレステロール硫酸、ステロールエステルが出現した。

 2、コレステロール硫酸は胎生20週以降に認められたが、ヒト胎生期で確認されたのは初めてのことである。

 3、胎生20週以降で認められるセラミドは炭素数27の長鎖脂肪酸を含むフィトスフィンゴシンであった。これは培養細胞には認められないセラミドの分子種である。

 4、胎生10週代から胎生20週代にかけて脂肪酸組成の長鎖化が生じた。また出生時に不飽和度がピークになるような変化が生じていた。

 5、ステロールエステルは妊娠中期の発生段階に特有の脂質であり、構成脂肪酸はヘキサデセン酸が46%近くを占めており、成人のステロールエステルの脂肪酸構成と大きく異なっていた。

 6、肥厚性瘢痕表皮が正常部分と比較して肥厚していることを統計的に確認した。

 7、サイトケラチンの免疫染色によって肥厚性瘢痕表皮の肥厚は表皮細胞の異常増殖などの分化異常によるものではないことが推測された。

 8、肥厚性瘢痕表皮の脂質分析では皮脂腺由来の脂質が正常部分と比較して有意に減少していたが、胎児期に認められた表皮細胞の分化に関連した生理活性脂質の変化は認められなかった。

 9、肥厚性瘢痕表皮の脂質の脂肪酸構成は不飽和度が増加し、炭素数は減少していた。

 以上、本論文は胎生期の表皮の構造変化に伴ってアシルセラミドとセラミドモノヘキソシドが発現していることと、脂肪酸の長鎖化が胎児期中期以降に起こっていることを明らかにした。さらに肥厚性瘢痕表皮の分化と脂質成分変化との相関を明らかにした。本研究は脂質代謝と創傷治癒過程の関係の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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