学位論文要旨



No 213484
著者(漢字) 佐伯,真一
著者(英字)
著者(カナ) サエキ,シンイチ
標題(和) 平家物語遡源
標題(洋)
報告番号 213484
報告番号 乙13484
学位授与日 1997.09.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第13484号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小島,孝之
 東京大学 教授 多田,一臣
 東京大学 教授 白藤,禮幸
 東京大学 教授 五味,文彦
 東京大学 助教授 大木,康
内容要旨

 『平家物語』の研究が、現存本文の背後に、何らかの「原型」ないし「古態」を想定しつつ進められることは、周知の通りである。だが、『平家物語』の源に遡るとは、「原作者」の唯一のオリジナルにのみ価値を認め、その本文を復元してゆこうとすることではない。『平家物語』の現存諸本群は、一つの源流から分かれた本文という側面と、それぞれが独立した作品という側面とを合わせ持っている。諸本は『平家物語』の一つの本文として読まれねばならないと同時に、各々なりに作られた作品として、各々なりの読解を要求している。逆に言えば、現存諸本本文を「原型」の崩れたものとしてのみ読むことも、各々の本文を各々の作者が一から作ったオリジナルとして読むことも、どちらも誤りである。現存本文の理解は、物語の源流に遡る思考を伴ないつつなされねばならず、一方、『平家物語』の原型を想定する議論は、絶えず現存本文に立ち戻りつつ立てられねばならない。そうした往復運動の繰り返しによってこそ、私達は、この物語の理解を深めてゆくことができるはずである。そのような前提に基づいて、本論文では、四つの道筋から『平家物語』の源流に遡ることを試みた。

 第一部では、現存諸本の本文を比較して、そこから遡り得る古態を探りだそうとする古態論を、方法的問題に留意しつつ試みた。第一章では、従来ともすれば議論のすれ違いに陥りやすかった古態論の方法について、写本の系譜を建設する、いわゆる「系譜法」との相違、あるいは演繹的・仮説的な「原作論」との区別と連関に注意しつつ述べた。これは、本書前半の方法的前提でもある。第二〜四章は、第一章で述べた方法の具体的な適用である。第二章では『愚管抄』に依拠した部分について考え、従来提出されていた四部合戦状本(四部本)古態説を批判し、延慶本の形態の本来性を論じた。第三章では『方丈記』に依拠した部分について考察を加え、複雑な諸本関係を整理しつつ、四部本の特殊な引用方法を後次的なものと考えた。第四章では、延慶本に存在する〈編集錯誤〉と呼ぶべき現象が、物語の成立当初の姿を伝えている可能性について、巻一の三院崩御記事の問題を中心として論じた。

 第二部は、古態論の変種とも言えるが、一異本に即してその源流を遡る形で、四部本の成立過程を考えたものである。かつて古態説の当否が激しく議論された四部本について、本文の中に異質な要素が混在することを手がかりとして、その成立過程を明らかにした。即ち、第一章に総括的に述べたように、読み本系共通祖本(現存本の中では、おそらく延慶本に最も近いと思われる)から、一分枝としての四部本・盛衰記共通祖本が成立し、その本文を土台として、真名本『曽我』『神道集』及び『平家打聞』『平家族伝抄』等と共通の圏内において最終的改作を加えてできたのが、四部本であると考える。そのような展望に基づき、まず、四部本本文の中で、いわば最も表面の地層である最終的改作の層を摘出するよう努めた。第二〜五章では、最終的改作記事のうち主要なものである、巻五「法滅先蹤」「都遷先蹤」、巻七『新楽府』「西涼伎」依拠部分、灌頂巻を各々とりあげて、考証した。第六章では、その他の記事をとりあげつつ、最終的改作の全体像について考えた。第七章では、『平家打聞』と古今集注釈の関係を考えることにより、四部本というテキストの成立意義について補足的に考察した。一方、そうした最終的改作の層の下に隠れていると思われる、四部本の祖本の層、即ち「四部本・盛衰記共通祖本」について、頼朝挙兵譚の分析や、『保暦間記』との比較などを通じて考えるのが、第八・九章である。

 第三部では、『平家物語』を構成する説話的部分について、個別説話としての遡源を試み、また物語と説話の関わりを考えた。即ち、説話単位で考えれば、『平家物語』を構成する多くの部分が、「物語作者」を通り越して、個別説話としての原型に遡ってゆくのであり、物語はその編集、或いは結集として捉えられる。第一章では、有王説話の原型を冥界訪問譚の話型に求め、同時に、鎮魂と密接な関係にあるこの種の説話の土台の上に、『平家物語』全体の性格をも捉え得ると考えた。第二章では、河野氏合戦譚の源流が河野氏自身の家伝と考えられることを論じ、合わせて『予章記』と『平家物語』の文献的関係について考察した。第三章では、「いくさがたり」と称される諸伝承について、その実在を想定する立場から、多元的な伝承の発生・展開が考えられることを論じた。第四章では、「足摺」の伝承について、「足摺」の語誌に即した考察を通じて、伝承の基盤・構造を考えた。第五章では、『平家物語』は説話・伝承を集めた作品として捉え得るが、しかし同時に、説話を無制限に採り入れたのではなく、説話の採取を制禦する「立場」とでも言うべきものがあることを、重衡の造型を通じて考えた。

 第四部では、『平家物語』ないし軍記物語が歴史を語る視点の在り方について、物語の時代背景まで遡って考えようとした。いずれも、武士或いは武家社会の秩序というものを、物語がどのように見ているかという点を中心としている。第一章では、軍記物語の重要なキー・ワードでありながら、従来、十分な考察が加えられてこなかった「朝敵」の語が、平安末期頃に登場した和製漢語であることを論じ、朝廷と将軍の相即による国家秩序の安定という、中世的な国家観・歴史観が託された表現として定着してゆく様相を考察した。第二章では、「夷狄」を扱った中国説話の受容の問題を中心として、中世日本人の「夷狄」の観念について考え、「えぞ」や「えびす」が「もののふ」とどのように重なる観念であったか、考察した。第三章では、源頼朝の時代を現在につながる体制の起源とする意識が、中世から近世にわたって広く存在することを指摘し、そうした意識が軍記物語の基盤を形成していることを論じた。

 以上が、本論文の要旨である。

審査要旨

 『平家物語』の現存本文は極めて多様な姿を呈しているが、それは本文の流伝のなかでさまざまなテキストが生み出されたためであり、したがって、それをそのまま遡らせてオリジナルな原型本文とみなすことは出来ない。そこで『平家物語』の研究においては、常に、原型をさぐる古態論の視点が重視されるのであるが、本論文は、『平家物語』の源流に遡る方法を理論的に構築するとともに、具体的に実践したものである。

 本論文は四部から構成されている。第一部「『平家物語』古態論」は「第一章『平家物語』古態論の方法」、「第二章『平家物語』の『愚管抄』依拠」、「第三章『平家物語』の『方丈記』依拠」、「第四章延慶本『平家物語』の〈編集錯誤〉について」の四章から成る。第一章では理論的な検討を行い、所謂〈古態〉論の対象が、〈異本〉から〈原態〉を探る作業であることを明確にする。従来、研究者間に古態論の観念にずれがあり、古態論に混乱をもたらしていることを踏まえて、一般的な本文批判の方法である系譜法によって系統図を描く伝本論は、『平家物語』の場合はそのままでは適用できないことを明らかにする。第二章・第三章では、『平家物語』に先行する典拠とされる『愚管抄』と『方丈記』を例にとり、従来の古態説を批判して、四部本の特殊な引用方法を後次的なものとする。第四章では記事の構成を分析することによって、〈編集錯誤〉と呼ぶべき現象が、物語成立当初の姿を伝えている可能性を論じている。

 第二部「四部合戦状本『平家物語』論」及び、第三部「『平家物語』と説話・伝承」においては、四部合戦状本というテキスト及び、『平家物語』を構成する説話・伝承の分析を通して、具体的に源流へ遡る試みを実践している。

 まず第二部は、「第一章 四部本研究の見取り図」において、真名表記の問題と最終的改作の具体的解明が重要な論点であることが示され、「第二章 「法滅先蹤」と最終的改作」以下、「第九章 『保暦間記』と四部本・盛衰記共通祖本の想定」までの各章で、四部本の古態論の具体的検討が行われている。かつて、四部合戦状本は『平家物語』の諸異本の中で古態性をもつテキストであるとみなされたが、延慶本古態論が盛んに論じられるようになってから、四部本は等閑に付されてしまった感がある。本論文は、四部本の重要性は失われたわけではないとして、読み本系共通祖本から分岐した四部本・源平盛衰記共通祖本から、さらに最終的改作を経て、現存四部本が成立したものであることを明らかにした。これは、『平家物語』古態論の一つの局面を大きく進展させたものとして、高く評価できる。また、四部本を成り立たせている言語圏が、真名本『曽我物語』や『神道集』『平家物語族伝抄』『平家打聞』と共通することを明らかにし、『平家打聞』と古今集注釈に係わる人々とに接点が予想されることなどを指摘した点は、今後の研究に大きな示唆を与えると思われる。

 第三部は、「第一章 有王説話と冥界訪問譚」「第二章 『平家物語』と『予章記』」「第三章 「いくさがたり」をめぐって」「第四章 『足摺』考」「第五章 重衡造形と『平家物語』の立場」の五章から成る。『平家物語』を構成する説話的部分は個別説話としての原型をもつとする想定に基づいて、個別の説話として遡源を試みている。伊予の河野家の記録として作られた『予章記』の分析から、読み本系『平家物語』と『予章記』との共通祖本を想定し、また、有王説話と冥界訪問譚や、橋合戦などの「いくさがたり」の分析から、物語を生み出す人々の欲求や志向を析出するなど、源流の個別説話・伝承が物語に取り入れられてゆく時の問題点を論じている。

 第四部「『平家物語』の視点とその時代」においては、三つの章で、『平家物語』が歴史を語る視点の在り方を時代背景に遡って明らかにしようと試みている。「朝敵」という言葉が平安末ごろに新たに作られた和製漢語であることを指摘して、「将軍による朝敵の追討」という構図が軍記物語の重要な枠組となっていることを明らかにし、「夷狄」という言葉が主として「もののふ」の如きものとして観念されていたことを明らかにする。そして、頼朝または頼朝の時代が現在の秩序の創始であるという観念が中世の人々の基底にあって、物語を深いところで支えていると論じている。第四部で論じられた事柄は、単に『平家物語』や軍記物語のジャンルにとどまらず、中世のあらゆる事象の根底に存在する問題として、今後さまざまに展開する可能性を豊かに孕んでいる。

 本論文の論述に従えば、古態論は結局〈原作〉には辿り着かない。とすると、遡源の射程には大きな限界があることが前提されていることになり、古態論は何を目指すのかが、もっと明瞭に示される必要があるであろう。しかしながら、間然するところのない明晰な論述で、本論文が挙げた成果は上記の諸点を中心に極めて多く、今後の研究の進展に対しても極めて重要な示唆をもたらしていると言える。

 よって、審査委員会は本論文が博士(文学)の学位に値するとの結論に達した。

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