学位論文要旨



No 213485
著者(漢字) 室城,秀之
著者(英字)
著者(カナ) ムロキ,ヒデユキ
標題(和) うつほ物語の表現と論理
標題(洋)
報告番号 213485
報告番号 乙13485
学位授与日 1997.09.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第13485号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,日出男
 東京大学 教授 白藤,禮幸
 東京大学 教授 多田,一臣
 東京大学 教授 佐藤,信
 東京大学 教授 川原,秀城
内容要旨

 『うつほ物語』は、平安時代の中ごろ、一〇世紀の末近くに『源氏物語』に先立って成立した二〇巻の物語で、わが国初の長編物語として、『源氏物語』以後の物語文学の成立をうながした重要な作品だが、証本とすべき伝本に恵まれずに、研究が遅れている。現在、最善本といわれる尊経閣文庫蔵前田家十三行本においても、錯簡・重複・欠文、あるいは、誤字・脱字などの多くの欠陥が存在している。また、この物語には、どのような本文上の処理をおこなっても校訂することのできない数多くの矛盾があり、読解を困難にしている。

 現代の『うつほ物語』の研究は、物語のもつ矛盾をその複雑な成立過程によってもたらされたものだと考ることによって進められてきた。そうした研究が、矛盾を合理的に改めて新しい本文を立ててきた近世国学者たちの研究に対して、研究の〈現代〉を主張する立場であった。わが国の物語文学史上初めての長編物語であるこの物語が、短期間で、たった一人の作者によってまったくの無のなかから生まれたものではなく、さまざまな試行錯誤の繰り返しのうえで成立したものであろうことは異論がない。したがって、この物語の研究が成立過程を明らめる方向に進んでいったことは当然だともいえる。そうした成立過程研究によって、昭和三〇年代以後、この物語の研究は精力的に進められて、おびただしい数の論文を生み出した。この物語の複雑な成立過程については、いくつかの定説と呼び得るものもできている。しかし、その成果を改めて検証すると、多くの疑問を感じざるをえない。たとえば、物語の前半のほとんどすべての巻にわたって、の巻が想定され、さらにその後の増補あるいは破棄までが、幻の〈読者〉の存在とともに説明される。平安時代の物語の研究のうえで、読者・享受の問題は重要な問題をもっているのだが、もともと実証することが不可能な仮説的成立過程研究において、さらに論者の都合のいい読者の存在を想定することは、方法的に問題がある。近世の恣意的な本文改変を否定するところから出発したはずの現代の研究は、もちろん近世のそれとは違った意味でではあるが、物語の原初形態という幻の新しい本文を求めてきたように思う。そして、近年、成立過程研究の行き詰まりとともに、この物語の研究は下火になってしまった。今後、この物語の研究は、幻の本文を求めるのではなく、作品を作品としてあるがままに読むことによって、その表現構造や物語の論理を見定めるといった、あたりまえの出発点に立ち返らなければならない。

 成立過程研究で常に問題になってきたのは、この物語が、冒頭の二つの巻で、「昔、式部大輔、左大弁かけて、清原の大君、皇女腹に男子一人持たり」(「俊蔭」の巻)と、「昔、藤原の君と聞こゆる、一世の源氏おはしましけり」(「藤原の君」の巻)という、二つの冒頭表現をもつことであった。この問題については、成立過程研究の立場からは、「藤原の君」の巻がまず成立し、ついで物語の構想の発展・拡大の結果として「俊蔭」の巻が首巻として後から書き添えられたものであるという結論が出されて、通説となっている。しかし、この通説も、幻の読者論にささえられたものであり、方法的に破綻していると思われる。この二つの巻の冒頭表現は、ともに冒頭表現として読みの対象にしなければならない。すなわち、「俊蔭」の巻は、清原俊蔭→俊蔭の娘→藤原仲忠→いぬ宮と続く俊蔭一族の琴(きん)の家の物語の冒頭であり、「藤原の君」の巻は、あて宮への求婚をめぐる正頼家の物語の冒頭なのである。琴(きん)の秘伝伝承の物語は、俊蔭一族の王権獲得の物語として一方の軸となっており、また、あて宮への求婚をめぐる物語は、正頼家の王権獲得の物語として、前半の求婚譚のみならず、後半の立坊争いまで、一貫していま一方の軸となっている。『うつほ物語』は、王権獲得を目指す二つの〈家〉の物語であり、そうであり続けることによって長編化した。それが、「俊蔭」の巻と「藤原の君」の巻の二つの冒頭表現によって表されている。二つの〈家〉の物語は、たがいに一方を相対化しながら、また、されながら、その主題を紡ぎ出してゆく。二つの冒頭表現の問題は、成立過程研究を成り立たせる根拠であるよりも、むしろ、作品を作品として統一してゆく契機を見つけ出す手がかりとして読むべきものである。

 『うつほ物語』の研究は、この物語がいかにして成立したのかという問題を常に視野に置いた成立論でなければならない。わが国の物語文学史上初めての長編物語成立の秘密を、今後も問い続けなければならない。しかし、それは、従来のように作品を成立過程の次元に解体して幻の原初形態を求めるといった方法ではなく、作品を作品として読み解いてゆく方法によらなければならない。

 以下、本論文の要旨を、それぞれの章に分けてまとめる。

 第一章「うつほ物語の表現と論理」では、二つの冒頭表現の一方の「藤原の君」の巻の冒頭表現にささえられて始発する、物語の前半のあて宮求婚譚のもつさまざまな問題と、物語の後半の立坊争いの問題を中心に論じた。俊蔭一族の秘琴伝授の物語の考察をあえてさけたのは、秘琴伝授の物語に対するもう一つの軸である正頼一族の物語の問題を考えることで、秘琴伝授の物語を相対化して論じることができると考えたからである。あて宮求婚譚を、この物語の原初形態として、『竹取物語』に似たありふれた求婚譚へと遡ってゆくのではなく、冒頭表現の分析からその政治的な側面を読みとる一方で、それを表現としてささえる祝祭論的な側面、物語空間の問題を論じた。また、「国譲」の巻の立坊争いの問題を、あて宮求婚譚の延長・発展としてとらえることで、物語を一貫する論理を読み取った。さらに、これまで、物語のなかの傍流として等閑視されてきた求婚者やエピソードを物語のなかに取り込むことで長編化してゆく方法を、祝祭論を手がかりにして考察した。ほかには、前半の物語と後半の物語の転換点としての「内侍のかみ」の巻の問題や、会話表現の問題などについて、ほぼ物語の展開に沿ったかたちで論じた。

 第二章「うつほ物語の和歌」では、この物語の前半のあて宮求婚譚における和歌の特質を論じた。この物語は、『源氏物語』よりも短い分量でありながら、『源氏物語』以上よりも多い、千首近い和歌を含んでいる。ただ、その和歌の評価は一般に低く、個々の歌の評価はもちろん、物語が何のために和歌を取り込むのかといった方法的な自覚がないかのように評されてきた。本章では、求婚歌群の問題、和歌序の問題、歌語の問題、地名が読み込まれた歌の問題など、いくつかの側面について、物語の和歌の方法を論じた。

 第三章「うつほ物語の本文」では、誤写の可能性の大きい「左大将/右大将」「左少将/右少将」の問題と、「内侍のかみ」の巻の錯簡の問題について考察した。「左」「右」の問題は、誤写の多いこの物語の伝本本文の中で、これまで誤写として片づけられてきた「左」「右」を、物語の内容に即して検討した結果、いくつかの巻で、登場人物の「左」「右」の官職名が逆転している現象が見られ、それが物語の成立時点からの問題で、安易に校訂してはならないことを考証した。「内侍のかみ」の巻の錯簡の問題に関しては、すでにいくつかの錯簡復元案が出されている。それを比較検討するとともに、確かに錯簡は認められるが、それが偶然に物理的に生じたものではないことを論じた。

 第四章「絵解論」では、この物語に見られる、「絵詞」「絵解」などと呼ばれている特異な本文について考察した。それらは、近世の研究者たちが発見したもので、多く、物語本文と別人が、物語本文成立の時期よりもかなり後に、物語を絵画化するために出した指示や注文が本文に混入したものなどと解されてきたが、現在の伝本からその部分を客観的に弁別することはできず、その範囲についても、研究者によってさまざまで、説の一致を見なかった。また、従来の「絵詞」「絵解」論は、その部分を物語本文から追放することによって、より純粋な物語本文を残すという発想があったと思われる。本章では、「絵詞」「絵解」を、それらもまた物語本文の一部と認め、積極的に読みの対象とすべきことを主張し、その特徴や物語の読みを具体的に提示した。「絵詞」「絵解」といわれる部分は、できごとを時の経過にしたがって連続的に書くことによって成立した長編物語が、時の流れによって経過してゆく物語に、いったんその時間の流れを断ち切って、複眼的な別の視点からの物語をぶつけることによって物語の世界を重層化してゆくために、物語の文体そのものが要請した方法と考えるべきものである。

 以上の論文と平行して、この物語の注釈を進め、『うつほ物語全』(おうふう平成7年10月刊)という形で出版し、また、別に、特にこの物語の語彙的な側面については、「『うつほ物語』語彙雑考(一)〜(五)」によって考証している。常に、作品のことばや表現に正面から向き合う姿勢をもちながら、この物語を一つの作品として読みによってどのように回復させるかを一貫して問い続けたつもりである。

審査要旨

 本論文は、十世紀末に成立した長編物語『うつほ物語』の作品構造を中心とする論考である。従来の研究史をたどると、この物語が矛盾や欠陥とみられる点を数多く内包するところから、その由因を複雑な成立過程に求めようとする、いわゆる成立論が主流を占めてきた。たとえば、冒頭表現をもつ二つの巻について、女主人公あて宮の結婚の経緯を語る「藤原の君」の巻がまず成立し、ついで物語の構想の発展・拡大の結果として琴の家系を語る「俊蔭」の巻が首巻として後から書き添えられたらしい、とする成立推定説がほぼ定説化しかけてきた。

 しかし本論文では、従来の成立推定説を批判的に受けとめ、一見するところ矛盾や欠陥とみられる箇所もむしろこの物語の構造上の徴証と考えられるとする。そのようにこの作品の長編物語としての構造的な特性を、多角的に究明しようとする点に、本論文の最大の特色がみられる。

 如上の二つの巻の関連でいえば、一方の「俊蔭」の巻が俊蔭からいぬ宮にいたる一族の琴の家の物語の冒頭であるのに対して、「藤原の君」の巻があて宮への求婚をめぐる正頼家の物語の冒頭であるとする。そして、この物語がこうした二つの冒頭表現をもつところに長編物語としての契機が内在すると指摘する。すなわち、二つの〈家〉の物語がたがいに相対化しあいながら、王権に関わろうとする二つの〈家〉の物語としての主題をつむぎ出そうとするものであり、そこに物語が長編化する契機もあったと論ずる。また物語後半の「国譲」の巻などをもとりあげ、そこでの立坊争いの物語もあて宮求婚譚の延長とみるべきことを論じて、長編物語として一貫する論理を捉えている。

 また、物語の構造に関連して、ここに貫かれている政治的な脈絡の一面に注目するところから、儀礼にまつわる祝祭性が、物語の表現として方法化されていることを指摘している。物語の傍流でしかない大勢の求婚者たちの逸話をとりこんで長編化がなされているのも、その祝祭的な方法と関わっているとする。また饗宴の場などで詠まれる多量の和歌の挿入についても、その祝祭的な方法と関連づけようとする点に斬新さがある。

 また、これまで誤写や錯簡とされてきた本文箇所についても、必ずしも本文流伝中に生じたものとは限らないとし、さらにこの作品に固有の「絵詞」「絵解」の特異な本文についても、後世の補入とする説を否定して、成立時の本文としての意義を探っている。なお、この論者には本文研究と注釈の書『うつほ物語全』(おうふう・平成7年刊)があり、本論文を支える基盤となっている。

 以上、本論文は、祝祭的方法の概念規定などに一考の余地も残されているが、全体として説得力のある新見に富んでいる。よって、審査委員会は本論文が博士(文学)の学位に値するとの結論に達した。

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