学位論文要旨



No 213488
著者(漢字) 宮元,啓一
著者(英字) Miyamoto,Keiichi
著者(カナ) ミヤモト,ケイイチ
標題(和) 初期ヴァイシェーシカ学派の形而上学と認識論 : 付録 : 慧月造『勝宗十句義論』の英訳、還梵、註、漢訳本批判校訂
標題(洋) The Metaphysics and Epistemology of the Vaisesikas with an Appendix : Dasapadarthi of Candramati ( A Translation with a Reconstructed Sanskrit Text,Notes,and a Critical Edition of the Chinese Version)
報告番号 213488
報告番号 乙13488
学位授与日 1997.09.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第13488号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 江島,惠教
 東京大学 教授 上村,勝彦
 東京大学 助教授 丸井,浩
 東京大学 教授 天野,正幸
 東京大学 教授 関根,清三
内容要旨

 西暦紀元前後の数世紀のあいだに、インドには6つのバラモン教哲学が出現した。ヴァイシェーシカ哲学は、そのなかでもっとも古いものの一つである。

 この哲学の紀源については、これまで多くの研究者によって論ぜられてきたが、いまだにはっきりとしないところがある。しかし、その徹底して実在論的で分析的なカテゴリー(句義)体系は、文法学派、とくに『マハーバーシヤ』の著者パタンジャリに、そしてまた『チャラカサンヒター』を代表作とする医学の領域に影響を及ぼした。さらに、ヴァイシェーシカ哲学(原子論を含む)は、仏教徒にも影響を及ぼし、説一切有部の哲学の確立を促したようである。そればかりでなく、ニヤーヤ哲学がヴァイシェーシカ哲学を基礎にして確立されたというのは周知のことである。これらの事実は、ヴァイシェーシカ哲学が、当時のインド哲学の発展にたいしてもっとも重要な役割をはたしたということを強力に指し示す。

 やがて時が経ち、二元論のサーンキヤ哲学と一元論のヴェーダーンタ哲学が隆盛に向かうにつれ、ヴァイシェーシカ哲学じたいは衰退へと向かい、ついにはニヤーヤ学派に吸収されることとなった。したがって、初期ヴァイシェーシカ哲学を専攻するインド古典哲学の研究者が、これまで数えるばかりしかいなかったというのも当然の成り行きであった。しかし、ごく近年になって、初期ヴァイシェーシカ哲学に大いに関心を抱く研究者が急増しつつある。研究者ごとにその動機はまちまちであるが、ヴァイシェーシカ哲学が、主要なインド諸哲学の形成期において大いに重要視されるべきだという点では、認識が一致しているとみてよい。

 本論文は、こうした初期ヴァイシェーシカ哲学の研究になんらかの貢献をせんとするものである。

 筆者がいう「初期」とは、『ヴァイシェーシカ・スートラ』『勝宗十句義論』『プラシャスタパーダ・バーシヤ』(『パダールタダルマ・サングラハ』)という、現在手にしうる3つのヴァイシェーシカ学派の文献をカバーする時代のことである。

 ところで、『ヴァイシェーシカ・スートラ』を十全に理解するのは困難である。これは、その編纂が長期にわたっており、そのあいだに、ほかのさまざまな哲学が勃興したり、既成の諸哲学がその洗練の度を増したりした。『ヴァイシェーシカ・スートラ』の編纂者は、他派からの批判に直面し、それまで意味論的な連続性を保っていた元のスートラの順序を無視して多くの新しいスートラを挿入した。その結果、元のスートラのつながりが、随所で分断されることになった。スートラのつながりに生じた混乱は、内容をめぐる混乱をもたらした。その結果、スートラの文言と解釈におびただしいヴァリエーションが生じた。筆者は、主としてチャンドラーナンダの『ヴリッティ』が提供するスートラの文言を用い、必要に応じて他のヴァリエーションを示した。これは、『ヴリッティ』が、明らかに、現在手にしうる最古の註釈書であり、そこに見られるスートラの文言と解釈が、他に比してはるかに首尾一貫していて説得性をもつことによる。にもかかわらず、多くのスートラの本来の意図を理解するのはやはり困難である。

 多くの場合、『プラシャスタパーダ・バーシヤ』は、『ヴァイシェーシカ・スートラ』の研究に大いに役立つ。『プラシャスタパーダ・バーシヤ』は、ふつうの意味での註釈書ではない。しかし、『プラシャスタパーダ・バーシヤ』を注意深く読んでみれば、それが『ヴァイシェーシカ・スートラ』に驚くほど忠実であることに気づかざるをえない。伝統的に『バーシヤ』(註釈書)と呼ばれてきたのはそのためである。

 その説明がスートラの内容と合致するかぎり、それは、現存最古の註釈書として利用しうる。しかし、『プラシャスタパーダ・バーシヤ』が、『ヴァイシェーシカ・スートラ』に由来しない説明をたくさん含んでいることも真実である。『勝宗十句義論』は、『ヴァイシェーシカ・スートラ』と『プラシャスタパーダ・バーシヤ』とを渡す架け橋を提供してくれる。筆者は、多くの理由から、『勝宗十句義論』(漢訳のみ現存)は、『プラシャスタパーダ・バーシヤ』のはるか以前に書かれたと推理する。この点については、今後の研究で詳しく明らかにするつもりである。

 本論文は、3つの部と付録とより成る。

 第I部では、霊魂(アートマン)の形而上学的な様相を探った。初期ヴァイシェーシカ学派の霊魂観について、従来は、その存在証明の問題に多くの研究者が努力を集中してきた。この問題じたいはまことに重要である。しかし、最初期には、ヴァイシェーシカ学派は、霊魂とは何か、霊魂の根本的な様相とは何かについて、より大きな関心を払ってきたにちがいない。筆者は、こうした問題にかかわる3つの論点を選んで検討を加えた。それは、霊魂の数、大きさ、運動の問題であり、順に3つの章に分けて論じた。実際には、これらの問題は互いに深く関連し合っており、ヴァイシェーシカ哲学の論理的構造を非常によく示している。周知のように、ヴァイシェーシカ学派の霊魂論は、時の経過のなかで劇的な変化をこうむっている。筆者は、ヴァイシェーシカ学派と他派とのあいだの論争を考慮に入れつつその変化を跡づけた。結論的にいえば、霊魂論における劇的な変化にもかかわらず、ヴァイシェーシカ哲学の根本的な論理構造はまったく変化しなかったのである。

 第II部では、認識にかかわるいくつかの問題を扱った。しかし、筆者が検討したのは、かならずしも認識論そのものではなく、その認識論がよりどころとしている形而上学的な構造である。筆者は、「純粋な」認識論は形而上学(存在論)と無関係であると考えるが、実際には、世界にこれまで現れたほとんどの認識論は、形而上学と入り混じっている。ヴァイシェーシカ学派の認識論もその例外ではない。結果として、筆者が行った検討は、限定者(visesana)、限定されるもの(visesya)、限定されたもの(visista)、そして直接知の問題に集中した。この問題について、『プラシャスタパーダ・バーシヤ』は、『ヴァイシェーシカ・スートラ』に非常に忠実である。筆者は、『プラシャスタパーダ・バーシヤ』の「数の節」の重要性を強調した。というのも、認識をめぐる因果論がもっとも詳細に説かれているのはこの節であるにもかかわらず、ほとんどの研究者は、これに注意を払ってこなかった。この節の主要テーマは、認識の構造の問題にほかならない。この節を検討することなしに、「直接知の節」や、直接知を説くいくつかのスートラを理解することは不可能である。

 第III部では、ヴァイシェーシカ学派の因果論の基本構造と若干の問題点とを明らかにした。ヴァイシェーシカ学派の因果論は、因中無果論あるいは新造説と呼ばれ、主としてサーンキヤ学派が主張する因中有果論あるいは流出説と対照をなす。因中無果、因中有果という語が、原因と結果の関係を示すのに対し、新造、流出という語は、結果が原因から造られる方途を示しているが、もちろん、因中無果、因中有果というのと異なるわけではない。ところが、ほとんどの研究者は、新造説を、原子論の別名と解釈してきた。ヴァイシェーシカ学派の原子論が新造説で説明されるのはそのとおりであるが、新造説を原子論に限定するのは正しくない。さらに、筆者は、「熱に由来する性質の発生」の理論と身体を構成する要素についての理論とを分析し、これらの理論の底に横たわる論理構造を明らかにした。というのも、こうした理論に習熟しなければ、ヴァイシェーシカ学派の因果論を十分に理解することは不可能だからである。

 付録では、漢訳のみが現存する『勝宗十句義論』を英訳した。筆者は、漢訳から直接英訳したのではない。これは、約70年前に、漢訳文献解読のエキスパートである宇井伯寿博士が英訳したやりかたとはちがう。漢訳じたい問題だらけであるため、宇井方式ではほとんど無理なのである。実際、宇井博士の英訳は、こうした問題の多くをそのまま反映しているため、随所に間違いがあり、『勝宗十句義論』の理解をきわめて困難にしている。そこで筆者は、漢訳を批判的に校訂しながらサンスクリット語テクストを再構成し、その上でそれを英訳した。こうした手法を可能にしたのは、漢訳者がとった驚くほど徹底した(ただし問題だらけの)逐語訳というスタイルである。はっきりしない点はいくつかあり、また、これはオーソドックスな手法ではないとする研究者もいるであろう。しかし筆者には、再構成されたサンスクリット語テクストが、漢訳のすべての語句とばかりでなく、ヴァイシェーシカ的な表現や内容ともきわめてよく符合するという自負がある。『勝宗十句義論』は、必要な実例や背景をなす議論を示していないため、簡潔すぎて完全に理解するのは難しい。しかし、それでもなお、おそらく『ヴァイシェーシカ・スートラ』以降の現存最古の文献である『勝宗十句義論』は、『ヴァイシェーシカ・スートラ』と『プラシャスタパーダ・バーシャ』を結びつけるばかりでなく、古代インド哲学の歴史的展開について多大の情報を提供する非常に重要な文献である。

審査要旨

 インドの自然哲学とも評されるヴァイシェーシカ哲学は,西暦紀元前に成立したと推定されるが,その合理主義的な精神と緻密なカテゴリー論は以後のインド思想に大きな影響を及ぼしたにもかかわらず,初期の資料が乏しく,研究者の数も非常に少なかった.そうした中で宮元氏は,ほぼ一貫して初期ヴァイシェーシカ哲学の研究に従事してきた,世界的に見ても貴重な研究者の一人である.

 本研究は,(1)氏のヴァイシェーシカ関係の既発表の論文10点を,内容的に「アートマン(霊我)について」「認識について」「因果性について」という三部に分け有機的に集成し,かつそれぞれ若干の加筆等を施し英訳した部分と,(2)サンスクリット原典が散逸し漢訳(648年玄奘訳)のみ現存する『勝宗十句義論』(ヴァイシェーシカ学派の10カテゴリー論)全体に対する,英訳・訳注作業と,漢訳テキストの校訂ならびにサンスクリット語還元の試みを行った「付録」の部分の,二部構成であり,すでに1996年にインドから出版されたものである.

 ヴァイシェーシカ哲学は,ウパニシャッド以来の一元論の系譜とは異なり,六つ(ないし七つ)の存在要素(実体,属性,普遍など)の離合集散によって森羅万象を説明する,インドを代表する多元論であるが,現存する初期資料は後代のテキスト変更・加筆や解釈変更等による混乱が著しかったり,貴重な資料となるべき『勝宗十句義論』が誤読されてきたことなどにより,初期の思想体系は必ずしも正確に理解されていなかった.

 こうした状況を踏まえ,宮元氏はヴァイシェーシカ思想を特徴付ける重要な概念・議論を慎重に選び取り(数概念の成立の問題,熱変の理論,因中無果の因果論など),考察対象を絞り込んだ上で,関連する原典資料を精密に解析することで,一見煩瑣ないし奇異とも見える議論を非常に明晰,明快に説明することに成功した.これに付随して,因果論関係の術語に対する従来の呼称に変更を迫っているが(「積集説」は「新造説」とすべき),きわめて妥当な指摘といえよう.

 また,アートマンに関する考察は,時に大胆な仮説を立てつつ,一我説・多我説の両面を孕んだ初期ヴァイシェーシカのアートマン観を,論旨明快に描出しようと試みているが,従来の研究にはなかった,重要な視点が新たに提供された点は特筆すべきである.

 宮元氏の関心は,文献研究よりも思想研究にあると言えよう.客観的事実の積み上げによる慎重な文献研究の方法は,研究者をしばしば判断保留へと導く傾向があるが,氏はこれを最も嫌い,常に一定の結論へと向かう努力を惜しんでいない.

 ただし,ここには自ずと独断的姿勢に陥る危険性が潜んでいることも確かである.特に本研究の付録である『勝宗十句義論』の訳注研究は,宇井伯寿氏をはじめとする先行研究に多くの点で重要な訂正を迫る,非常に注目すべき成果を含んでいるが,その一方で,玄奘訳とされる漢訳テキストを,かなり大胆に改変している点などは,今後さらに慎重な再検討が必要であるように思われる.

 しかし,こうした問題点を勘案しつつも,本論文はヴァイシェーシカ研究に対して,幾多の点で重要な貢献を果たした優れた業績であると認められ,博士(文学)の学位を授与するにふさわしい研究であると判断するものである.

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