学位論文要旨



No 213489
著者(漢字) 木立,孝
著者(英字)
著者(カナ) キダチ,タカシ
標題(和) 黒潮とその隣接海域におけるマクロ動物プランクトンの分布生態
標題(洋)
報告番号 213489
報告番号 乙13489
学位授与日 1997.09.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第13489号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川口,弘一
 東京大学 教授 寺崎,誠
 東京大学 助教授 青木,一郎
 東京大学 助教授 中田,英昭
 東京大学 助教授 渡邊,良朗
内容要旨

 マクロ動物プランクトンの黒潮とその隣接海域における研究は分類学的研究、分布・生態学的研究、生産生態学的研究、長期に及ぶ現存量の変化の把握など多岐に亘り展開されてきた。しかしながら、これらの諸研究では種を対象とした時系列変化について検討した例は少なく、更に、黒潮流軸の変動に伴うマクロ動物プランクトンの空間的分布配置を含めた群集構造の変化が充分把握されてきたとは言い難い。

 これらの観点から本研究は主として潮岬〜銚子沖における黒潮流軸とその内側沿岸水域におけるマクロ動物プランクトンの水平分布からそれらの群集構造を解明するとともに、黒潮前線周辺域における微細な水平分布の実態、東シナ海における内部潮汐波による季節躍層の変化とマクロ動物プランクトンの関係、黒潮流路の短期変動とマクロ動物プランクトンの分布変化などの諸課題を解明するために行った。

1黒潮及び沿岸水域におけるマクロ動物プランクトンの水平分布と群集構造

 黒潮の流軸パターンがC型(1971年)、N型(1972年)、A型(1977年)の3流型について、潮岬〜犬吠埼の沿岸域から黒潮外側域にかけて大規模なマクロ動物プランクトンの採集調査に基づくケーススタディを行い、マクロ動物プランクトンの主要構成動物群の割合の変化、湿重量と個体数の水平分布様式、種組成の変化のパターンを解析した。得られた知見の要点を黒潮流軸のパターン別に示すと以下の通りである。

〈全湿重量の特徴〉

 全湿重量の濃密分布は伊勢、東京湾口域、遠州灘沖の冷水塊周辺や犬吠埼沖合の黒潮と親潮影響海域の前線域に認められ、逆にその稀薄域は沿岸域、冷水塊の中心域、黒潮外側域に認められた。また、黒潮の直進するN型流路の場合より黒潮の蛇行する場合の方がパッチ状の分布を形成することが明かとなった。

〈カイアシ類の分布の特徴〉

 黒潮性種のカイアシ類はC,A型時に比べN型時の方が黒潮海域と沿岸水域の両水系に多く出現し、また、沿岸性種のParacalanus parvusは沿岸水域において分布密度を増加する傾向がある。一方、黒潮流路がC,A型時(蛇行期)はN型時に比べCalanus sinicusの分布量は増加する可能性が高く、また、A型時の場合、沿岸性種のCentro-pages abdominalis,Acartia omoriiは伊豆海嶺以東の沿岸水域に多く出現する。鹿島灘が分布の最南端域である親潮性カイアシ類はC型流路の場合、犬吠埼以南の沿岸水域に出現する頻度が高い。

〈オキアミ類の分布の特徴〉

 小型ネットによる採集方法のためオキアミ類の多くは幼生期が多く、黒潮流路による分布の特徴は充分に把握できなかった。しかし、沿岸性のEuphausia nanaが黒潮がA,C型の蛇行年にはより沖合に分布し、また、各黒潮流型においてEuphausia similisは沿岸水域〜黒潮海域に広く分布することが明かとなった。

〈ヤムシ類の分布の特徴〉

 N型流路時には黒潮の蛇行期に比べ沿岸性種であるSagitta nagaeが沿岸水域において分布密度を増加するとともに、黒潮性種のSagitta lyra,Sagitta enflata,Sagitta hexaptera,Sagitta pacifica,Pterosagitta dracoも黒潮海域において分布密度が増加した。

〈サルパ類の分布の特徴〉

 本調査においてはC型時においてのみ冷水塊の中心、黒潮前線域に多く分布した。

 本調査海域のマクロ動物プランクトンの群集構造を解明するため、その動物群別及び種別の個体数、ヤムシ類、オキアミ類、カイアシ類の湿重量、水温、時刻等90項目について各定点で得られたデータを対応値として相互間の相関係数を計算し、相関マトリックスを作成した。この結果から、A1群集:黒潮を中心に150m以浅で昼夜の別なく認められる群集。A2群集:A1群集とは相関のみられるものも多いが分布傾向が明瞭でなく、出現が稀な群集。B1群集:黒潮海域を中心に夜間には150m以浅に多くなる群集。B2群集:出現が稀で分布傾向は明瞭でないが、夜間に150m以浅に多く、A1,A2群集との相関は殆ど認められない群集。C群集:沿岸水域を中心に150m以浅で昼夜の別なく認められる群集。D群集:親潮性種の6群集を類別し、各群集の構成種、現存量、多様性、分布域、群集相互の関連、食性の特徴について検討した。

2黒潮域表層におけるマクロ動物プランクトンの微細分布

 沿岸水域から黒潮前線域、黒潮強流域、最高水温域、黒潮外側域におけるマクロ動物プランクトンの水平分布構造を明かにする目的で、潮岬沖合における黒潮流路がN,B型時に、採集定点間隔を365〜2,318mとして、黒潮を横断する調査を行った。

〈黒潮流路N型の場合〉

 上記5水系のマクロ動物プランクトンの現存量は、沿岸水域〜黒潮最強流域にかけてほぼ均一に分布し、最高水温域で減少した。カイアシ類を沿岸性種、移行域種、黒潮性種に区分して各水系の分布状況をみると治岸水域では沿岸、移行域種が多く、黒潮前線域では3グループが等量出現し、黒潮最強流域では黒潮、移行域種ともにピークを形成し、沿岸性種は最強流域及びその沖合では殆ど分布しなかった。また、カイアシ類の種別出現傾向を類似性による群分析により、最沿岸域の1定点と他の定点に区分し、沿岸水域が極めて狭められていることを明かにした。マクロ動物プランクトンを植食性・雑食性と動物食性に区分し、水系別出現傾向をみると植食・雑食性プランクトンは沿岸水域が、動物食マクロ動物プランクトンは黒潮最強流域がそれぞれ最も多かった。また、動物食マクロ動物プランクトン数/全稚仔魚数では最高水温域が最も低く、最強流域で最も高いことが認められた。この他、マクロ動物プランクトンと稚仔魚の出現傾向の関連について検討し、カタクチイワシ稚仔数とカイアシ類個体数に相関を認めた。

〈黒潮流路がB型の場合〉

 N型時と同じ5水系に従ってマクロ動物プランクトンの分布構造について検討した。マクロ動物プランクトンの現存量は黒潮前線域が他の3水系の3〜10倍を示し、黒潮前線域を中心に単峯型のピーク示した。この集中分布は主としてカイアシ類で構成されており、その代表種は沿岸性のCalanus sinicus,Paracalanus parvus,Acartia omorii,Corycaeus affinis,移行域種のClausocalanus arcuicornisであった。Acartia omoriiの沖合分布については、調査時の海洋構造から本種が沿岸域から沖合に輸送される機構を明らかにした。また、沿岸水域〜黒潮強流域をさらに沿岸水域、黒潮系暖水域、内側低温低塩分域、黒潮前線域、黒潮海域の5水系に細区分し、主要カイアシ類の分布を検討すると、沿岸水域にはC.sinicus,Cl.arcuicornisは殆ど分布しなかったが、内側低温低塩分域と黒潮前線域には上記のC.sinicus,P.parvus,Cl.arcuicornis,A.omorii,Corycaeus affinisの大量分布が認められた。この現象について、この海域に前線渦が形成され、沿岸性カイアシ類が前線域に収束分布し、渦の形成により下層水が湧昇し栄養塩の補給がなされ、植物プランクトンが増殖し、沿岸性カイアシ類の大量分布を支えるという生物生産過程について論じた。

3黒潮縁辺域における内部潮汐波とマクロ動物プランクトン

 東支那海の大陸棚縁辺の1定点で3日間に亘る2時間間隔のマクロ動物プランクトンの採集と水温・塩分及び中・底層の潮流観測を行った。水温・塩分の観測結果から、100〜150mに顕著な季節躍層が見られ、その深度には約12時間を周期とする水温変化が認められ、その周期は潮汐と同期した現象であることがわかった。この表層混合層の厚さとマクロ動物プランクトン全沈澱量、全湿重量、60項目のマクロ動物プランクトン個体数の相関係数では、5%の危険率で有意なものは中層性の11種のカイアシ類とSagitta lyraであり、いずれも負の相関を示した。このことは11種の中層性カイアシ類とSagitta lyraは昼夜に関係なく、内部潮汐波の影響による季節躍層の深度変化により100m以深から表層に出現することが明かとなった。

4黒潮流軸の短期変動に伴うマクロ動物プランクトンの分布変化

 外房海域において2隻の調査船による5日間で3次に及ぶ反復同時定点観測を行い、黒潮流路の短期変動に伴うマクロ動物プランクトンの現存量、種組成の変化について検討した。

 黒潮は1次調査から2次調査にかけて約5〜10浬東方(離岸)に移動し、2次調査から3次調査にかけて更に約10浬東方に移動したことが明かとなった。

 黒潮の離岸に伴ってカイアシ類と尾虫類の個体数の増加が沿岸水域でみられ、逆に、ヤムシ類は1次から3次と調査を追うにしたがって減少する傾向が認められた。沿岸性のカイアシ類Paracalanus parvusは1次〜3次にかけて2.7倍、Acartia omoriiは2.9倍と分布密度の増加を示したのに対し、Calanus sinicusは変化がなく、沿岸性種でも黒潮の離岸に伴う、個体数増減の対応が異なった。また、ヤムシ類では沿岸性種であるSagitta nagaeは黒潮の離岸にともない1次から3次にかけて5倍の分布量を示したのに対し、逆に、黒潮性種は黒潮の離岸に伴って減少し、1次から3次にかけてSagitta enflata,S.pacificaはともに25%、Pterosagitta dracoは17%にまで減少した。これら黒潮の離岸に伴う沿岸性種の増加については分布域の拡大と相模湾からの移流による効果であることを考察した。また、サルパ類のSalpa fusiformis、渦鞭毛虫類のNoctiluca miliarisの2種については、各調査次の表面水温20℃の動きに対応した分布量のピークの変化が認められ、そのピークは順次沖合に移行した。両種が黒潮の沖合移動に追随する分布を示すメカニズムとして、両種が黒潮により吸引され収束分布したものと推論した。

審査要旨

 本論文は、黒潮及びその隣接海域において有用魚類の主要餌料生物であるマクロ動物プランクトンの組成とその生物量の分布パターンを黒潮の流軸変動など海洋物理学的変動と対応させて研究したものである。

 第1章の緒論では、黒潮海域を中心とするプランクトンの分布及び生物量に関するこれまでの研究の総説を行い、マクロ動物プランクトンについて、黒潮の流軸変動に対する種組成、分布様式及び現存量がどのような変化をするか、また、黒潮前線域におけるプランクトンの微細分布構造が黒潮流軸の短期変動に対応してどのように変化するかなど水産上重要な知見がないことを指摘し、それらを明らかにすることを本論文の目的としている。

 第2章では、黒潮の流軸パターンがC型(蛇行・違州灘沖冷水型)であった1971年、N型(直進型)であった1972年、A型(大蛇行・熊野灘沖冷水塊型)の1977年に大規模なプランクトン採集調査に基づくケーススタディを行い、マクロ動物プランクトンの主要構成群であるカイアシ類、オキアミ類、ヤムシ類、サルパ類の割合の変化、湿重量と個体数の水平分布様式、種組成の変化のパターンを分析している。得られた知見の要点を各動物群及び黒潮流軸の変動パターン別に示すと以下のようになる。

 <カイアシ類>

 N型時(直進期):カイアシ類の黒潮性種はC、A型時に比べ黒潮海域だけでなく沿岸水域にも出現する。沿岸性種のParacalanus parvusは拡散せず沿岸水域において個体数密度を増加する。

 A型時(大蛇行期):Calanus sinicusの分布量は増加する可能性が高く、A型時の場合Centropages abdominalis、Acartia omoriiの接沿岸性種は伊豆海嶺以北の沿岸水域に多く出現する。

 C型時(蛇行期):A型期同様、黒潮内側縁辺域でCalanus sinicusはパッチ状の分布を形成し、分布量はN型時に比べ多くなる。また、親潮性カイアシ類はC型流路の場合、その他の流型に比べ犬吠埼以南の海域に出現する可能性が高い。

 <オキアミ類>

 採集方法によるためオキアミ類の多くは幼生期が多く、黒潮流路による分布の特徴は充分に把握できなかった。しかし、沿岸性のEuphausia nanaが沿岸水域に分布し黒潮の蛇行期には、より沖合に分布すること、Euphausia similisが沿岸水域〜黒潮海域に広く分布すること、Thysanoessa物プランクトンの出現様式を検討し、内部波周期により中・深層性のプランクトンが0〜150m層に補給されることを明らかにしている。その結果をまとめれば、東支那海の大陸棚縁辺域の1定点で36時間における2時間間隔のSTD、係留系による潮流計の測定から、12時間を周期とする内部潮汐波が認められ、黒潮とは異なる南〜南西の10cm/secの中層流が認められた。マクロ動物プランクトンの全沈澱量、湿重量は中層流が西向流時に増加、南流時に減少することが認められ、また、中層性11種のカイアシ類とSagitta lyraの出現量は表層混合層の厚さと同周期で変化した。

 第5章では、黒潮流の日レベルでの短期変動とマクロ動物プランクトン生物量とその種組成の変化との関係を1980年4月の2隻の調査船による同時採集による房総沖でのケーススタディにより明らかにしている。調査の行われた6日間において黒潮流路は約20浬離岸した。黒潮の離岸にともないカイアシ類、尾虫類は個体数密度の増加するのに対し、ヤムシ類は減少することが認められた。主要沿岸性カイアシ類のParacalanus parvus、Acartia omorii、ヤムシ類のSagitta nagaeは黒潮の離岸にともない増加傾向を、黒潮性種のSagitta enflata、S.pacifica、Pterosagitta dracoは減少傾向を認めた。これらの減少は黒潮の離岸に伴う沿岸水域の拡大により、それら沿岸性種が移流した結果であることを推定した。また、Noctiluca miliaris、Salpa fusiformisは黒潮の離岸に伴う表面水温20℃の海域に出現量のピークが認められ、黒潮の沖合移動に対応した分布量の変化を示した。この現象は黒潮による収束作用であることを推論した。表面水温別個体数密度では沿岸性種は14〜17℃でピークを示し、それ以下でも以上でも減少し、黒潮性種は19℃で分布量は急激に増加し、20〜21℃においてピークを示した。

 以上要するに、本研究は、黒潮海域という広大なフィールドにおいて有用魚の主要餌料動物プランクトン及び仔魚を捕食する動物プランクトンの分布様式、分布密度の変動を黒潮流軸の変動など海洋物理変動と関連づけて解析したもので、黒潮域における漁業資源の管理・予測の応用面で多大な貢献をなしたものと判断される。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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