紙の原料となるパルプには、主要なクラフトパルプ(Kraft pulp,KP)の他に、古紙パルプ、サーモメカニカルパルプ(Thermomechanical pulp,TMP)や砕木パルプ(Groundwood pulp,GP)などの機械パルプがある。機械パルプは国内で年間150万トン程度の生産量であるが、紙に良好な印刷適性や高不透明度を付与するなどの特徴を持ち、新聞用紙や印刷用紙の製造には欠かせないパルプである。しかし、KPのような化学的な処理により繊維のみを得るパルプとは異なり、木材を機械的な力で繊維化するので、木材に含まれる成分をそのままパルプ原料に持ち込むことになり、抽出成分を多く含む材を使用すると、抽出成分が原因となるトラブル、すなわちピッチトラブルが起こるため、紙生産の操業を著しく妨げる。ピッチトラブルを防止するために、分散剤や吸着剤などの添加が行われており、ピッチトラブルは以前に比べれば軽減されてはいるものの、白水のクローズド化、紙の軽量化および、高品質化が進む中で、樹脂成分の存在は以前にも増して大きな問題になっている。 我が国においてアカマツ(Pinus densiflora)はGPの重要な原木であるが、樹脂成分の多い木としても知られている。そこで、本研究では、アカマツGP中の樹脂成分に対する新しいピッチコントロール法の開発を目的とした。 まず、アカマツ材の樹脂成分の年間を通した季節変動やGPのピッチコントロールに効果のあるシーズニング中の樹脂成分の挙動について明らかにした。その際に、樹脂成分の分別法として、煩雑で時間がかかる溶媒分画法に代わる、吸着樹脂を用いた分別法を確立し、アカマツ材の抽出成分を極性成分と非極性成分に分画した。また、アカマツ材の抽出成分の主成分と推定される樹脂酸、脂肪酸、トリグリセリドの定性・定量をガスクロマトグラフィーを用いて行った。その結果、Fig.1およびFig.2に示すように、アカマツ材には年間を通して非極性部の主成分であるトリグリセリドが多く含まれていること、また非極性成分すなわちトリグリセリドはシーズニング中に著しく減少することを明らかにした。 Fig.1 Changes of MeOH extractives yields from red pine pine MeOH extractivesFig.2 Effect of seasoning on amounts of polar and nonpolar fractions from red pine MeOH extractives 次に、アカマツGP製造工程中とGPを使用する抄紙工程内における、白水や繊維間での分布をはじめとする樹脂成分の挙動について検討した。パルプ製造工程および抄紙工程内で樹脂成分は、繊維内または表面に吸着されているものと白水中に遊離しているものとがあり、白水中に遊離している成分は、一部は可溶化しているものの、酸性条件ではコロイド粒子として多く存在していると考えられる。白水中のコロイド状樹脂成分(ピッチ粒子)はL.H.Allenの方法を用いて計測し、白水中に遊離している樹脂成分と繊維に吸着している樹脂成分は、ろ過により分別してそれぞれ抽出した。得られた樹脂成分濃度とGPのフロー及び各原料の流量フローから樹脂成分のマスバランスを明らかにし、抄紙工程内での樹脂成分の延べ通過量を算出した。また、アカマツGPを使用する抄紙工程内の堆積物の分析を行った結果、Fig.3に示す如く堆積物中の抽出成分にはトリグリセリドが多く含まれていることが明らかになり、トリグリセリドが、主なピッチ堆積原因物質であると考えられた。 Fig.3 Gas chromatogram of nonpolar fraction from deposits on the center roll そこで、トリグリセリドを特異的に分解するリパーゼを積極的に利用することにより、抄紙工程の樹脂障害を軽減させることを考えた。この方法を実験室で検討するために、はじめに、微生物起源のリパーゼからアカマツ材のトリグリセリドを分解し、非極性成分量としても減少できるものを選択した。選択したリパーゼは、GP製造工程内の滞留時間、温度、pH等の条件でアカマツGP中のトリグリセリドを分解できることを明らかにした。 次に、Fig.4に示すようにポリエチレン製の被付着物質への樹脂分の付着量を測定し、リパーゼ処理により樹脂成分の付着性が低下することを明らかにした。リパーゼはトリグリセリドを脂肪酸に変換させるため、抽出される樹脂分量はほとんど減少させないが、トリグリセリドの加水分解反応により樹脂分の付着性すなわち、抄紙用具表面への親和力が減少できることが判明した。 Fig.4 Effect of lipase treatment on amount of deposits(Resinous materials:Polar/nonpolar fraction,5/5) また、リパーゼ処理後にパルプ懸濁液中のコロイド粒子数を測定した結果をFig.5に示したが、硫酸アルミニウム存在下で、パルプ懸濁液中のコロイド粒子数は減少した。酸性抄紙条件では、硫酸アルミニウムを添加し樹脂分の繊維への定着を促進させるが、トリグリセリドに比較して分解生成物である脂肪酸の方がアルミニウムイオンとの親和性が大きいため、定着効果が上昇すると考えられた。 Fig.5 Changes of number of pitch particles by lipase treatment and aluminum sulfate addition 実験室における以上の結果から、リパーゼによってトリグリセリドを分解すれば、アカマツGPに起因するピッチトラブルを軽減できる可能性があることを見い出した。 そこで、二カ所の工場の実機工程において、数年にわたりリパーゼを用いたピッチコントロール効果を検討した。それぞれの工場や工程によりpHや保持時間、白水温度などが異なり、ピッチコントロールの制御方法も違っているため、はじめに、それぞれの工程に適したリパーゼの添加場所とリパーゼの選定を行った。 リパーゼの添加は、GP製造の未晒および晒の両工程で行った。また、実験的に開発された耐熱性酵素を使用し、丸太を摩砕するグラインダー部での添加も行った。 長期間の添加実験の結果、原料ストック用のチェストの汚れが軽減でき、抄紙工程のピッチ堆積量の減少(Fig.6)および製品の欠陥数の減少(Fig.7)などのピッチトラブル軽減効果が認められた。その結果、タルクの添加量を削減でき、未シーズニング材の増配も可能になった。 Fig.6 Amount of depodits on the No.3 press suction boxFig.7 Number of defects on paper by spot detector with or without lipase addition さらに、リパーゼ添加によって紙の動摩擦係数が上昇するという紙質の変化を見い出した。オフセット印刷では、紙の動摩擦係数が低下すると、印刷時に紙が蛇行したり皺が入るなど、印刷時の操業性が悪化する傾向が見られる。この動摩擦係数の上昇は、リパーゼのトリグリセリドの加水分解反応によることを明らかにした。 以上の一連の研究の結果、リパーゼによるピッチコントロール法を確立し、実用化に至った。現在では、国内外の数社の製紙会社でリパーゼが使用されており、日本では国内総GP生産量の20%にあたるGP生産にリパーゼが利用されている。 |