学位論文要旨



No 213492
著者(漢字) 藤田,夕子
著者(英字)
著者(カナ) フジタ,ユウコ
標題(和) 製紙工程におれる樹脂障害と酵素処理によるその防止
標題(洋)
報告番号 213492
報告番号 乙13492
学位授与日 1997.09.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第13492号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 飯塚,堯介
 東京大学 教授 佐分,義正
 東京大学 教授 尾鍋,史彦
 東京大学 助教授 飯山,賢治
 東京大学 助教授 松本,雄二
内容要旨

 紙の原料となるパルプには、主要なクラフトパルプ(Kraft pulp,KP)の他に、古紙パルプ、サーモメカニカルパルプ(Thermomechanical pulp,TMP)や砕木パルプ(Groundwood pulp,GP)などの機械パルプがある。機械パルプは国内で年間150万トン程度の生産量であるが、紙に良好な印刷適性や高不透明度を付与するなどの特徴を持ち、新聞用紙や印刷用紙の製造には欠かせないパルプである。しかし、KPのような化学的な処理により繊維のみを得るパルプとは異なり、木材を機械的な力で繊維化するので、木材に含まれる成分をそのままパルプ原料に持ち込むことになり、抽出成分を多く含む材を使用すると、抽出成分が原因となるトラブル、すなわちピッチトラブルが起こるため、紙生産の操業を著しく妨げる。ピッチトラブルを防止するために、分散剤や吸着剤などの添加が行われており、ピッチトラブルは以前に比べれば軽減されてはいるものの、白水のクローズド化、紙の軽量化および、高品質化が進む中で、樹脂成分の存在は以前にも増して大きな問題になっている。

 我が国においてアカマツ(Pinus densiflora)はGPの重要な原木であるが、樹脂成分の多い木としても知られている。そこで、本研究では、アカマツGP中の樹脂成分に対する新しいピッチコントロール法の開発を目的とした。

 まず、アカマツ材の樹脂成分の年間を通した季節変動やGPのピッチコントロールに効果のあるシーズニング中の樹脂成分の挙動について明らかにした。その際に、樹脂成分の分別法として、煩雑で時間がかかる溶媒分画法に代わる、吸着樹脂を用いた分別法を確立し、アカマツ材の抽出成分を極性成分と非極性成分に分画した。また、アカマツ材の抽出成分の主成分と推定される樹脂酸、脂肪酸、トリグリセリドの定性・定量をガスクロマトグラフィーを用いて行った。その結果、Fig.1およびFig.2に示すように、アカマツ材には年間を通して非極性部の主成分であるトリグリセリドが多く含まれていること、また非極性成分すなわちトリグリセリドはシーズニング中に著しく減少することを明らかにした。

Fig.1 Changes of MeOH extractives yields from red pine pine MeOH extractivesFig.2 Effect of seasoning on amounts of polar and nonpolar fractions from red pine MeOH extractives

 次に、アカマツGP製造工程中とGPを使用する抄紙工程内における、白水や繊維間での分布をはじめとする樹脂成分の挙動について検討した。パルプ製造工程および抄紙工程内で樹脂成分は、繊維内または表面に吸着されているものと白水中に遊離しているものとがあり、白水中に遊離している成分は、一部は可溶化しているものの、酸性条件ではコロイド粒子として多く存在していると考えられる。白水中のコロイド状樹脂成分(ピッチ粒子)はL.H.Allenの方法を用いて計測し、白水中に遊離している樹脂成分と繊維に吸着している樹脂成分は、ろ過により分別してそれぞれ抽出した。得られた樹脂成分濃度とGPのフロー及び各原料の流量フローから樹脂成分のマスバランスを明らかにし、抄紙工程内での樹脂成分の延べ通過量を算出した。また、アカマツGPを使用する抄紙工程内の堆積物の分析を行った結果、Fig.3に示す如く堆積物中の抽出成分にはトリグリセリドが多く含まれていることが明らかになり、トリグリセリドが、主なピッチ堆積原因物質であると考えられた。

Fig.3 Gas chromatogram of nonpolar fraction from deposits on the center roll

 そこで、トリグリセリドを特異的に分解するリパーゼを積極的に利用することにより、抄紙工程の樹脂障害を軽減させることを考えた。この方法を実験室で検討するために、はじめに、微生物起源のリパーゼからアカマツ材のトリグリセリドを分解し、非極性成分量としても減少できるものを選択した。選択したリパーゼは、GP製造工程内の滞留時間、温度、pH等の条件でアカマツGP中のトリグリセリドを分解できることを明らかにした。

 次に、Fig.4に示すようにポリエチレン製の被付着物質への樹脂分の付着量を測定し、リパーゼ処理により樹脂成分の付着性が低下することを明らかにした。リパーゼはトリグリセリドを脂肪酸に変換させるため、抽出される樹脂分量はほとんど減少させないが、トリグリセリドの加水分解反応により樹脂分の付着性すなわち、抄紙用具表面への親和力が減少できることが判明した。

Fig.4 Effect of lipase treatment on amount of deposits(Resinous materials:Polar/nonpolar fraction,5/5)

 また、リパーゼ処理後にパルプ懸濁液中のコロイド粒子数を測定した結果をFig.5に示したが、硫酸アルミニウム存在下で、パルプ懸濁液中のコロイド粒子数は減少した。酸性抄紙条件では、硫酸アルミニウムを添加し樹脂分の繊維への定着を促進させるが、トリグリセリドに比較して分解生成物である脂肪酸の方がアルミニウムイオンとの親和性が大きいため、定着効果が上昇すると考えられた。

Fig.5 Changes of number of pitch particles by lipase treatment and aluminum sulfate addition

 実験室における以上の結果から、リパーゼによってトリグリセリドを分解すれば、アカマツGPに起因するピッチトラブルを軽減できる可能性があることを見い出した。

 そこで、二カ所の工場の実機工程において、数年にわたりリパーゼを用いたピッチコントロール効果を検討した。それぞれの工場や工程によりpHや保持時間、白水温度などが異なり、ピッチコントロールの制御方法も違っているため、はじめに、それぞれの工程に適したリパーゼの添加場所とリパーゼの選定を行った。

 リパーゼの添加は、GP製造の未晒および晒の両工程で行った。また、実験的に開発された耐熱性酵素を使用し、丸太を摩砕するグラインダー部での添加も行った。

 長期間の添加実験の結果、原料ストック用のチェストの汚れが軽減でき、抄紙工程のピッチ堆積量の減少(Fig.6)および製品の欠陥数の減少(Fig.7)などのピッチトラブル軽減効果が認められた。その結果、タルクの添加量を削減でき、未シーズニング材の増配も可能になった。

Fig.6 Amount of depodits on the No.3 press suction boxFig.7 Number of defects on paper by spot detector with or without lipase addition

 さらに、リパーゼ添加によって紙の動摩擦係数が上昇するという紙質の変化を見い出した。オフセット印刷では、紙の動摩擦係数が低下すると、印刷時に紙が蛇行したり皺が入るなど、印刷時の操業性が悪化する傾向が見られる。この動摩擦係数の上昇は、リパーゼのトリグリセリドの加水分解反応によることを明らかにした。

 以上の一連の研究の結果、リパーゼによるピッチコントロール法を確立し、実用化に至った。現在では、国内外の数社の製紙会社でリパーゼが使用されており、日本では国内総GP生産量の20%にあたるGP生産にリパーゼが利用されている。

審査要旨

 紙の原料となるパルプには、主要なクラフトパルプの他に、古紙パルプ、サーモメカニカルパルプや砕木パルプなどの機械パルプがある。機械パルプは国内で年間150万トン程度の生産量であるが、紙に良好な印刷適性や高不透明度を付与するなどの特徴を持ち、新聞用紙や印刷用紙の製造に欠かせないパルプである。しかし、クラフトパルプのような化学的処理により繊維のみを得るパルプとは異なり、木材を機械的な力で繊維化するので、木材中に含まれる各種の成分をそのままパルプ製品に持ち込むことになり、抽出成分の多く含まれる材を使用すると、それが原因となるトラブル、すなわちピッチトラブルが起こりやすく、紙生産の操業の著しい妨げになる。ピッチトラブルを防止するために、分散剤や吸着剤などの添加が行われており、ピッチトラブルは以前に比べれば軽減されてはいるものの、白水のクローズド化、紙の軽量化および高品質化が進む中で、樹脂成分の存在は以前にも増して大きな問題になっている。

 我が国においてアカマツ(Pinus densiflora)は砕木パルプの重要な原料であるが、樹脂成分の多い樹木としても知られている。そこで、本研究では、アカマツ砕木パルプ中の樹脂成分に対する新しいピッチコントロール法の開発を目的とした。

 第一編において、上記の研究の背景、目的を記述したのち、第二編においてはアカマツ材抽出成分の特徴について論じている。アカマツ材の樹脂成分の年間を通じた季節変動や、砕木パルプのピッチコントロールに効果があることが知られているシーズニング中の樹脂成分の挙動について検討した。その際に、樹脂成分の分別法として、煩雑で時間のかかる溶媒分画法に代わる、吸着樹脂を用いた分別法について検討し、これによって、アカマツ材の抽出成分の極性成分と非極性成分が分画できることを見出した。極性成分の主成分が樹脂酸、脂肪酸であるのに対し、非極性成分の主成分はトリグリセリドであり、年間を通じて多量に含まれているが、特に冬期にその量が増大することが明らかとなった。また、従来から行われている木材のシーズニングに関しては、その期間中にトリグリセリドの減少が著しいことが明らかとなった。

 第三編においては、製紙工程における抽出成分の挙動について論じている。アカマツ砕木パルプ製造工程中、および得られたパルプを使用した抄紙工程における樹脂成分の挙動を詳細に検討した結果、樹脂成分には繊維内部に保持されているものと、表面に吸着されているもの、白水中に遊離しているものがあり、遊離しているものは一部は可溶化しているものの、酸性条件では多くはコロイド粒子として存在していると考えられること、抄紙工程内の堆積物中の抽出成分にはトリグリセリドが多く含まれ、主要なピッチ堆積原因物質であると考えられることが明らかとなった。

 第四編ではリパーゼを利用した砕木パルプ中のトリグリセリドの分解と、トリグリセリドを特異的に分解するリパーゼによる樹脂の堆積防止に関するモデル実験結果について述べている。各種の市販のリパーゼのトリグリセリドに対する分解活性が、処理温度、pH、時間等の条件によって大きく異なること、リパーゼ処理によってポリエチレン表面への堆積が著しく減少することが明らかとなった。この現象は、トリグリセリドのリパーゼによる加水分解によって樹脂分のポリエチレン表面への親和力が減少したことを示している。また、リパーゼ処理後のパルプ懸濁液中の樹脂コロイド数が硫酸アルミニウム存在下に著しく減少したが、これはトリグリセリドに比較して、加水分解生成物である脂肪酸の方がアルミニウムイオンとの親和性が大きいために、繊維表面への定着効果が上昇したことを示している。

 第五編では実際の抄紙工程へのリパーゼの応用について検討している。国内二工場において、それぞれの工場の特徴を考慮して最適なリパーゼの添加場所、添加方法等を検討するとともに、長期間の添加実験を行った結果、原料ストック用チェストの汚れの軽減、抄紙工程におけるピッチ堆積量の減少、および製品の欠陥数の減少等のピッチトラブル軽減効果が明瞭に認められた。また、この結果、ピッチトラブル軽減を目的として使用されてきたタルクの添加量を削減でき、未シーズニング材の利用を増大させることも可能となった。

 第六編では砕木パルプのリパーゼ処理による紙の動摩擦係数上昇効果について検討している。オフセット印刷では、紙の動摩擦係数の低下は紙の蛇行、皺入りなどの原因となり、印刷時の操業性悪化の原因となる。リパーゼ処理によって紙の動摩擦係数が上昇することが認められたが、これはリパーゼによるトリグリセリドの加水分解に起因するもので、印刷時の操業性の改善に有効であるといえる。

 これらの検討の結果、リパーゼ処理による砕木パルプ製造におけるピッチコントロール法が確立され、実用化されるに至った。現在、国内外の数社の製紙会社において用いられており、日本では国内総生産量の20%にあたる砕木パルプの生産に使用されている。

 以上要するに、本研究は典型的な大量生産工程である紙製造工程への酵素利用の可能性を検討し、実用化に至ったもので、この成果は世界的にも高く評価されている。また、関連する学問分野の今後の研究の進展に寄与するところが、極めて大であることは言うまでもない。よって、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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