学位論文要旨



No 213493
著者(漢字) シズオ ジョージ カミタ
著者(英字) Shizuo George Kamita
著者(カナ) シズオ ジョージ カミタ
標題(和) バキュロウイルスの宿主特異性決定因子に関する分子生物学的研究
標題(洋) Molecular Biological and Cellular Analyses of Baculovirus Host Range Determinants
報告番号 213493
報告番号 乙13493
学位授与日 1997.09.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第13493号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,正彦
 東京大学 教授 見上,彪
 東京大学 教授 白子,幸夫
 東京大学 助教授 永田,昌男
 東京大学 助教授 嶋田,透
内容要旨

 核多角体病ウイルス(NPV)はバキュロウイルス科に属し、2本鎖DNAをゲノムとする代表的な昆虫ウイルスであり、100種以上の遺伝子を含んでいるものと推定されている。現在までに20以上の遺伝子の機能が明らかにされてきたが、宿主域の決定や感染・増殖に関する遺伝子については研究手法が確立していないため未解明の部分が多い。そこで、本研究ではNPVの宿主域の決定に関与する遺伝子や感染・増殖の過程で宿主細胞に作用する遺伝子を検索・同定し、その分子レベルでの機構を解明することを目的とした。

1.宿主域決定遺伝子の解析

 ウイルスの宿主域の決定に関してはウイルス種により異なった機構が推定されており、現在でも未知の点が多い。本研究では、宿主特異性は全く異なるがゲノムのホモロジーが非常に高い、カイコNPV(BmNPV)とハスモンヨトウNPV分離株(AcNPV)について、AcNPVのみが増殖するヨトウガ由来のSf細胞とBmNPVのみが増殖するカイコガ由来のBmN細胞を用いて以下の解析を行った。まず、BmNPVとAcNPVをSf細胞に混合接種して数日培養した後、上清を採取してBmN細胞に感染させ、プラーク法でウイルスを純化した。純化した株の感染性を調べた結果、一つのウイルス株(S2-2)はどちらの培養細胞でも増殖し、宿主域が拡大していた。S2-2株のゲノムDNAを抽出し、制限酵素を用いて分析したところ、BmNPVとAcNPVとのハイブリッドウイルスであることが示された。すなわち、ゲノムDNA断片を親株のものと比較すると、全体の約65%はAcNPV由来であることが推定され、両ウイルスのゲノムの組み替えにより宿主域の拡大が生じたものと推察された。

 上記のことはSf細胞への混合接種によりウイルス間での交雑、すなわちゲノムの組み換えが起こり、S2-2株は両細胞の増殖に必須な遺伝子を有するに至ったことを示唆している。そこで、S2-2株をAcNPVへのもどし交雑を繰返すことにより、BmN細胞での増殖に必須なBmNPV由来の遺伝子のみが導入されたAcNPVの変異株が得られるものと考え、Sf細胞とBmN細胞を用い、AcNPVと合計8回にわたり混合感染を行い、目的とするAcNPVの変異株の分離を試みた。分離された株(eh-AcNPV)のDNAの電気泳動パターンはAcNPVのものとほとんど同じであり、BmNPVのゲノムのごく一部の導入により、宿主特異性が変化することが確認さた。

 次に、eh-AcNPVより抽出したゲノムDNAを制限酵素、HindIIIまたはPstIで消化後、AcNPVゲノムとSf細胞にコトランスフェクションしたところ、BmN細胞で増殖する、宿主域の広がったウイルスが得られた。制限酵素断片をプラスミドにクローニングして検討したところ、eh-AcNPVのHindIIIの10.5kbの断片のみが宿主域の拡大に関与しており、これを更にサブクローニングした572bpのDNA断片(ScH)を含むウイルスeh2-AcNPVにおいて宿主域の拡大が起こること、すなわち、ごく一部のDNAの組み替えで宿主域が拡大することが示された。

 ScH断片の塩基配列を決定してホモロジー検索を行ったところ、AcNPVのp143遺伝子に相同する遺伝子の翻訳領域中にあり、推定されたアミノ酸配列にはAcNPVのものと比較すると14箇所の違いが認められた。さらに、ScH断片のサブクローンや特定のアミノ酸置換を導入した合成DNA断片などによるスクリーニングの結果、セリンからアスパラギンへの1箇所のアミノ酸変異で宿主域が拡大することが推定できた。BmNPVゲノムのこの宿主域決定領域の塩基配列を調べたところ、1221塩基対の翻訳推定領域が認められ、DNAヘリカーゼの7カ所のアミノ酸配列の保持領域が認められ、この遺伝子はDNAヘリカーゼと推定された。すなわち、DNAヘリカーゼによって2種NPVの宿主域の決定がなされていることが明らかになった

2.宿主域変異ウイルスのDNAヘリカーゼの機能の解析

 宿主域の決定におけるDNAヘリカーゼの機能を解明するためeh2-AcNPVとAcNPV野性株をBmN細胞に接種して生化学的、分子生物学的解析を行った。まず、親株のAcNPVをBmN細胞に感染したところウイルスの増殖は全く認められなかったが、接種後数時間で細胞が偏平になり、底に貼りついたような特異的な細胞病変像が観察された。一方、eh2-AcNPVの感染ではこのような特異的な現象は認められず、BmNPVの感染と同様に20時間後から典型的なウイルス感染の病変像が現れ、やがて多角体が核内に形成された。また、AcNPVとBmNPVを混合接種した場合には、AcNPV接種と同様の特異な細胞病変像が認められ、さらにBmNPVの増殖をも完全に阻止した。しかし、混合接種においてAcNPVの接種を2-5時間遅らせた場合には、BmNPVの増殖はそれほど阻止されなかった。従って、AcNPVの感染の直後に発現したDNAヘリカーゼがBmN細胞に何らかの働きをするものと思われた。この点について、種々の生化学的な実験により検討したところ、AcNPVを接種したBmN細胞ではタンパク質合成はすみやかに停止するが、ウイルス遺伝子の転写は初期、後期のものを含めて正常であることが明らかになった。これらの結果より、AcNPVをBmN細胞に接種すると、蛋白質合成が速やかに停止することにより、ウイルスの増殖も停止してしまうことが明らかになった。これは、宿主細胞の原始的な免疫反応の一種であり、アポトーシス様の現象が引き起こされたものと考察された。

3.宿主域変異ウイルスの親株宿主細胞における増殖過程の解析

 eh2-AcNPVに導入された変異が本来の宿主でどのように影響するかを検討した。eh2-AcNPVは親株の宿主細胞であるSf細胞で増殖したが、増殖効率が低下していた。細胞当り1感染粒子で接種すると、ウイルスの増殖はBmN細胞の場合と比較して数百分の1に下がっていた。この現象はいわゆる不稔感染(abortive infection)であると推察された。この点に関し、感染からウイルスの放出に至るまでの各段階を調べたところ、ウイルス粒子の細胞への吸着効率、ウイルス初期遺伝子の発現には変化が認められなかったが、ウイルスDNAの合成、ウイルス後期遺伝子の発現はほとんど阻止されていた。これは、BmNPV由来のDNA断片を導入したDNAヘリカーゼの場合には、量的に少ないとSf細胞では十分なDNA合成ができず、連続的なウイルスゲノムの合成とそれ以後の粒子の形成が停止するためであると推察された。一方、Sf細胞が由来したSpodoptera frugiperdaの幼虫を用いて検討したところ、AcNPVに比べてeh2-AcNPVではLD50の2倍程度の上昇、すなわち病原性の低下は認められたが、顕著な不稔感染の現象は認められなかった。

4.アポトーシスに関与する遺伝子の解析

 BmNPVのゲノムの塩基配列の解析により、すでにAcNPVで報告されているp35と呼ばれる遺伝子の相同遺伝子と思われるものが推定できた。そこで、この遺伝子領域の塩基配列を決定して調べたところ、AcNPVのp35遺伝子と約90%のアミノ酸配列の相同性を保持していた。AcNPVのp35はアポトーシスを阻止することが示されているので、BmNPVのp35遺伝子の欠損ウイルスを作成し、その機能の解析を行った。まず、p35遺伝子の領域を含むDNA断片をクローン化したプラスミドよってp35遺伝子の翻訳領域にガラクトシダーゼの遺伝子を挿入した。得られたプラスミドをBmNPVのDNAとコトランスフェクションして、p35遺伝子の機能が欠損したウイルスの分離を試みたところ、ガラクトシダーゼ遺伝子を含む機能欠損ウイルスが分離された。このウイルスをBmN細胞に感染して観察したところ、AcNPVのp35欠損ウイルスの場合とは異なり、ウイルスの増殖は正常であった。しかし、細胞の断片化などの典型的なアポトーシスは認められ、多角体形成もかなり低下した。この結果、BmNPVのp35遺伝子もAcNPVと同じようにアポトーシスを阻止する能力はあるものの、AcNPVのp35の場合とは機能的に差があることが示唆された。また、この遺伝子の前後の塩基配列の解析を行ったところ、上流にあるAcNPVのp94の遺伝子領域は、BmNPVではほとんど欠損しており、p94の翻訳領域の一部のみが認められた。

 以上要するに、本研究は、核多角体病ウイルスにおいて、DNAヘリカーゼやアポトーシス抑制遺伝子であるp35遺伝子を同定し、これらの遺伝子の構造と機能、ウイルスの増殖における発現機構を分子生物学的、生化学的に解明し、DNAヘリカーゼが宿主域の決定に強く関与することを明らかにしたものである。

審査要旨

 核多角体病ウイルス(NPV)はバキュロウイルス科に属する代表的な昆虫ウイルスであり、現在までに20以上の遺伝子の機能が明らかにされているが、宿主域の決定や感染・増殖に関する遺伝子については未解明の部分が多い。本論文は宿主域の異なるカイコNPV(BmNPV)とハスモンヨトウNPV(AcNPV)について、宿主域の決定に関与する遺伝子を検索・同定し、その遺伝子の感染・増殖過程における分子レベルの機構について解明を図ったものである。

1.宿主域決定遺伝子の解析

 宿主特異性は異なるがゲノムDNAのホモロジーが高いBmNPVとAcNPVについて、AcNPVが増殖するヨトウガ由来のSf細胞とBmNPVが増殖するカイコガ由来のBmN細胞を用いて解析した。まず、両ウイルスをSf細胞に混合接種し、増殖したウイルスを次にBmN細胞に感染させることにより、両細胞で増殖するウイルス株(S2-2)を得た。ゲノムDNAを分析したところ、S2-2株は両ウイルスでゲノムの組換えが生じた、ハイブリッドウイルスであることが示された。次に、S2-2株をAcNPVにもどし交雑することにより、BmN細胞での増殖に必須な遺伝子が導入されたAcNPV変異株の分離を試みた。分離株(eh-AcNPV)のDNAの電気泳動パターンはAcNPVとほとんど同じであり、BmNPVゲノムの一部の導入により、宿主域が拡大していることが示された。

 eh-AcNPVのゲノムDNAを制限酵素で消化後、AcNPVゲノムとSf細胞にコトランスフェクションし、BmN細胞で増殖するウイルスを得た。制限酵素断片をクローニングして検討したところ、10.5kbpのHindIII断片のみが宿主域の変異に関与しており、さらにサブクローニングした572bpのDNA断片(ScH)によって宿主域が変化することが示された。ScH断片の塩基配列はAcNPVのp143遺伝子に相同する遺伝子の翻訳推定領域に含まれ、これはDNAヘリカーゼと同定された。ScH断片のサブクローニングやアミノ酸置換を導入したDNA断片などによる検討の結果、ScH領域の1箇所のアミノ酸変異で宿主域が変化することが明らかになった。

2.宿主域変異におけるウイルスDNAヘリカーゼの機能解析

 宿主域決定におけるDNAヘリカーゼの機能を解明するため、eh2-AcNPVとAcNPV野性株のBmN細胞における増殖について解析した。まず、親株のAcNPVを接種したところ、ウイルスの増殖は認められなかったが、特異的な細胞変性像が観察された。一方、eh2-AcNPVの感染ではこのような現象はなく、BmNPVと同様の病変像が観察された。AcNPVとBmNPVを混合接種した場合には、AcNPV接種に特異な細胞病変像が認められ、さらにBmNPVの増殖も阻止された。しかし、AcNPVの接種を遅らせると、BmNPVの増殖の著しい阻害はみられなかった。従って、感染直後に発現したAcNPVのDNAヘリカーゼがBmN細胞に作用すると考えられた。さらに検討した結果、AcNPVを接種したBmN細胞ではウイルス遺伝子の転写は正常であるが、タンパク質合成が停止することでウイルスの増殖も阻止されることが示された。

3.宿主域変異ウイルスの親株宿主細胞における増殖過程の解析

 eh2-AcNPVに導入された変異が本来の宿主での増殖にどのように影響するかを検討した。eh2-AcNPVは親株の宿主細胞であるSf細胞で増殖したが、増殖効率が低下していた。感染・増殖の各段階を調べたところ、ウイルス粒子の細胞への吸着効率、ウイルス初期遺伝子の発現には変化が認められなかったが、ウイルスDNAの合成、ウイルス後期遺伝子の発現が阻止されていた。すなわち、BmNPV由来のDNA断片を導入したDNAヘリカーゼでは、量的に少ないと、ウイルス複製の際の十分なDNA合成ができないために増殖効率が低下すると推察された。

4.アポトーシスに関与する遺伝子の解析

 BmNPVのゲノム解析により、宿主細胞のアポトーシスを抑制するAcNPVのp35遺伝子と相同の遺伝子領域が推定でき、これはAcNPVと約90%のアミノ酸配列の相同性を保持していた。BmNPVのこの遺伝子の欠損ウイルスを作成し、機能の解析を行った結果、欠損ウイルスではアポトーシスは認められたが、AcNPVの場合とは異なり、ウイルスの増殖は正常であった。この結果、BmNPVのp35遺伝子もアポトーシスを阻止する能力はあるものの、AcNPVとは機能的に差があり、宿主域の決定に関与していることが示唆された。

 以上、本研究は、異なる宿主域をもつバキュロウイルスにおいて、ウイルスのDNAヘリカーゼ遺伝子が宿主域の決定因子であることを明らかにし、さらにウイルス増殖過程における同遺伝子の発現機構を分子生物学的に解明したものであり、学術上寄与するところが少なくない。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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