学位論文要旨



No 213497
著者(漢字) 黒木,雅彦
著者(英字)
著者(カナ) クロキ,マサヒコ
標題(和) 鶏卵黄由来ウシロタウイルス特異免疫グロブリン製剤による受動免疫に関する研究
標題(洋)
報告番号 213497
報告番号 乙13497
学位授与日 1997.09.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第13497号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 長谷川,篤彦
 東京大学 教授 見上,彪
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 吉川,やす弘
内容要旨

 ロタウイルス感染による下痢に対する発症防御は、多種の動物にとって重要な課題である。A群ウシロタウイルス(BRV)は新生子牛下痢症の重要な病原ウイルスで、日本および諸外国では血清型G6およびG10が主に流行している。BRVの増殖部位は小腸であり、その腸管内での自動免疫誘導には、経口弱毒生ワクチンが有効と言われている。しかし、新生子牛においては初乳中に高率に含有されるBRV中和抗体によりBRV生ワクチンは不活化されやすく実用化されていない。一方、妊娠牛にBRVをワクチン接種して免疫初乳を子牛に連続投与する方法も試みられているが、初乳中の中和抗体価は分娩後数日以内に急激に低下してしまうので、免疫動物としては実用上問題がある。そこで本研究は、産卵鶏の血清抗体が卵黄に効率良く長期間移行することに注目し、鶏卵黄由来BRV特異免疫グロブリン(yIg)による受動免疫効果を検討した。論文は3章からなり、概要は以下のように要約される。

第1章BRVのマウス感染モデルにおける抗BRV yIgの受動免疫効果の検討

 第1章では、BRVの島根株(G6)およびKK-3株(G10)のマウス感染モデルを確立し、そして抗島根yIgまたは抗KK-3yIgを乳のみマウスに経口投与し、その後同型または異型株で攻撃することにより抗BRV yIgの受動免疫効果を検討した。BRV抗原に対するyIgの調製は以下の方法で行った。不活化前感染価が109(50%組織培養感染量[TCID50])の島根株およびKK-3株の各不活化抗原を2群の5カ月齢の白色レグホン鶏の胸筋に免疫し、それぞれの抗体含有卵を回収した。これらの卵黄からクロロホルム抽出、硫安塩析によりyIgを精製し抗島根yIgおよび抗KK-3yIgを得た。両yIgの免疫抗原に対する中和抗体価は、ともに81,920倍と高く両株は産卵鶏での免疫原性が高いためyIgの調製に有効な抗原であることが明らかとなった。

 受動免疫試験は以下の方法で行った。7日齢のCD-1乳のみマウスに連続希釈した抗島根yIgまたは抗KK-3yIgを25l経口投与し、その3時間後にマウス当たり、107.5TCID50の島根株または107.0TCID50のKK-3株で経口攻撃した。その結果、抗島根yIgを投与して同型株の島根株で攻撃したマウスにおいては中和抗体価160倍以上で下痢は防御できた(P<0.01)が、異型株であるKK-3株での攻撃では中和抗体価10,240倍で下痢を防御した(P<0.01)。逆に抗KK-3yIgを投与して同型株のKK-3株で攻撃すると中和抗体価160倍以上で下痢は防御できた(P<0.05)が、異型株である島根株による攻撃では中和抗体価10,240倍で下痢を防御した(P<0.01)。一方、島根株攻撃群で中和抗体価640倍の抗島根yIg投与群においては、小腸乳剤からのBRV分離は陰性であったが、中和抗体価160倍投与群では攻撃後8および14時間目の材料のみからBRVが分離された。これに対し、対照群では島根株攻撃後8から72時間のいずれの材料からもBRVが分離された。KK-3株攻撃群では、中和抗体価2,560倍の抗KK-3yIg投与群においては、小腸乳剤からのBRV分離は陰性であったが、中和抗体価640倍投与群では、攻撃後8から24時間目の材料のみからBRVが分離された。これに対し、対照群ではKK-3株攻撃後8から72時間目のいずれの材料からもBRVが分離された。また、攻撃後3週と6週目のマウス血清中の中和抗体の応答を調べたところ、島根株攻撃群では中和抗体価640倍の抗島根yIg投与群では抗体応答が認められなかったが、中和抗体価160倍の投与群では対照群と同様に中和抗体の産生が確認された。KK-3攻撃群でも同様な傾向が観察され、yIgの投与によってBRVの増殖が抑制された試験群では中和抗体の産生が抑制されたことが認められた。受動免疫能の検討から、同型株による攻撃で発症(下痢)ならびにBRV分離の抑制効果は、投与yIgの攻撃株に対する中和抗体価に依存していることが明らかとなった。しかしながら、異型株攻撃による交差受動免疫能は低く、同型株攻撃と比較し64倍高い中和抗体価が必要で、BRVの感染防御には血清型特異yIgが重要であることが示唆された。以上のことから、製剤設計としては血清型G6およびG10に対する2価抗体を含有するyIg製剤が重要と考えられた。

第2章BRVの新生子牛感染モデルにおける抗BRV yIgの受動免疫効果の検討

 ロタウイルスは宿主特異性が高く、自然宿主における病原性は高いことが知られている。BRVの自然宿主である子牛において、yIgの効果については報告されていない。第2章では、野外農場の子牛の飼養状況に合わせるために初乳摂取新生子牛を使用したBRV感染モデルを確立し、yIgの受動免疫効果を検討した。yIg製剤の大量調製のために、抗島根または抗KK-3免疫抗体含有卵黄水溶液にヒドロキシプロピルメチルセルロースフタレートを添加することによりリポ蛋白質を沈澱除去させ、水溶性蛋白質を含有している上清を噴霧乾燥することによりyIg含有粉末を得た。攻撃量の設定のために、感染試験を実施した。生後24時間目の初乳摂取新生子牛の血清中和抗体価が40倍以下の場合、1010TCID50/頭の島根株の経口感染により顕著な下痢を呈することが明らかとなり同感染量を攻撃量と設定した。KK-3株の攻撃量も、初乳摂取子牛の感染試験から、5x109TCID50/頭と設定した。これらの攻撃モデルを使用して、抗島根yIgおよび抗KK-3yIgの効果試験を実施した。供試牛は各群4頭とし、島根株の攻撃試験には中和抗体価6,400倍と3,200倍の抗島根yIgの2群および対照群の計3群、KK-3株の攻撃試験には中和抗体価12,800倍と6,400倍の抗KK-3yIgの2群および対照群の計3群を設定した。初回のyIg投与は攻撃2時間前に行い、攻撃後も毎日3回、9日間連続投与した。その結果、島根およびKK-3株の両攻撃群ともに、中和抗体価6,400倍以上のyIg投与群の累積糞便スコアは各々の対照群に比較して有意に軽減された(P<0.05)。BRV検出日数においても、島根株攻撃群およびKK-3株攻撃群では、中和抗体価3,200倍以上(P<0.05)および12,800倍(P<0.01)で各々有意に抑制された。一方、増体重に関しては、yIg投与群と対照群の差はより顕著となり、両攻撃群ともに、中和抗体価6,400倍以上のyIg投与群で有意な体重減少の抑制が認められた(P<0.01)。以上の試験成績から、第1章のマウスモデルと同様に、対象動物においても抗BRV yIgの効力が確認され、両yIgの最小有効量を中和抗体価6,400倍と算定し、野外応用試験用の用法および用量としては、1ドーズ当たりの中和抗体価は12,800倍とし、1日3回の連続経口投与と設定した。

第3章BRV汚染農場における抗BRV yIgの受動免疫効果の検討

 第3章では、北海道、宮城県および兵庫県のBRV汚染3農場で、中和抗体価が12,800倍のyIg製剤を2週間連用することによりyIg製剤の野外応用試験を実施し、その製剤の有効性および安全性を検討した。その結果、北海道での試験では、総体湿度が有意に高く重篤な子牛下痢症が発生した第1クールで、yIg製剤を投与した試験群において有意な増体効果が認められ(P<0.01)、高感染価のBRVを排泄した試験群の子牛の数は有意に減少した(P<0.01)。第1クールと比べ、第2および第3クールでは、対照群で顕著なBRVによる下痢の発生が認められず有意なyIg製剤の効果について評価できなかった。これは、第1クールに供試した新生子牛には血清総蛋白質濃度が低い栄養不良状態の子牛が多く含まれていたことに加え、第2および第3クールの両期間では降水量の減少を伴う相対湿度の低下およびyIg製剤の連続投与による環境のBRV汚染の低下等の理由が考えられた。第1クールのようにBRV汚染が高い場合、このyIg製剤の有意な野外での効果が確認された。宮城県の農場では、虚弱牛でyIg製剤の下痢症状の改善効果が認められ(増体重、増体率、累積糞便スコアおよび下痢陽性日数、いずれもP<0.05)、体力および栄養面で劣っている虚弱牛にも有効であることが明らかとなった。兵庫県の農場では、子牛下痢症の発生の多かった第1クールのyIg試験群において、累積糞便スコアが有意に減少したことが認められた(P<0.05)。また下痢陽性日数の短縮傾向がみられた。以上の結果から3農場ともにyIg製剤の有効性と安全性が確認できた。

 本研究によって得られた知見は、yIg製剤による受動免疫療法への新しいアプローチを提供するものである。今後、動物や人間の種々の腸管感染ウイルスに対応するyIg製剤を作製することによって、yIgの広範な利用が期待される。近い将来、yIg製剤の実用化によって抗生物質の使用頻度が軽減され、特に家畜の増体効果を目的として使用されている生菌剤やビタミン剤などと併用することによって畜産物の安全性確保に大きく寄与すると考えられる。

審査要旨

 A群ウシロタウイルス(BRV)は新生子牛下痢症の重要な病原ウイルスで、血清型G6およびG10が主に流行している。BRVの増殖部位は小腸であり、そこでの能動免疫誘導には、経口弱毒生ワクチンが有効と言われている。しかし、新生子牛においては初乳中に高率に含有されるBRV中和抗体によりBRV生ワクチンは不活化されやすく実用化されていない。BRV抗原を免疫して得た初乳を子牛に投与する方法も試みられているが、初乳中の中和抗体価(以下、抗体価と略す。)は分娩後数日以内に低下してしまうので、実用上問題がある。そこで本研究は、鶏の血清抗体が卵黄に効率良く長期間移行することに注目し、鶏卵黄由来BRV特異免疫グロブリン(yIg)による受動免疫能を検討した。本論文は3章からなり、概要は以下のように要約される。

第1章BRVのマウス感染モデルにおける抗BRV yIgの受動免疫能の検討

 第1章では、BRVの島根株(G6)およびKK-3株(G10)のマウス感染モデルを確立し、抗島根yIgまたはKK-3yIgの受動免疫能を検討した。109(50%組織培養感染量[TCID50])の島根株およびKK-3株の各不活化抗原を産卵鶏に免疫し、抗島根yIgおよび抗KK-3yIgを得た。マウスに抗島根yIgまたは抗KK-3yIgを経口投与し、107.5TCID50/匹の島根株または107.0TCID50/匹のKK-3株で経口攻撃した。その結果、抗島根yIgを投与して同型の島根株で攻撃した場合は抗体価160倍以上で下痢は防御できた(P<0.01)が、異型のKK-3株の攻撃では抗体価10,240倍で下痢を防御した(P<0.01)。逆に抗KK-3yIgを投与して同型のKK-3株で攻撃すると抗体価160倍以上で下痢は防御できた(P<0.05)が、異型の島根株の攻撃では抗体価10,240倍で下痢を防御した(P<0.01)。また、投与yIgの抗体価に応じてBRV増殖は減弱され、同時に血清中の免疫応答が減弱されたことが認められた。受動免疫能の検討から、投与yIgの攻撃株に対する抗体価に依存していることが明らかとなったが、異型株攻撃による交差受動免疫能は低く、BRVの感染防御には血清型特異yIgが重要であることが示唆された。

第2章BRVの新生子牛感染モデルにおける抗BRV yIgの受動免疫能の検討

 第2章では、対象動物である新生子牛のBRV感染モデルを確立し、抗島根および抗KK-3yIgの受動免疫能を検討した。yIg投与は毎日3回、9日間連続投与した。その結果、島根株(1010TCID50/頭)およびKK-3株(5x109TCID50/頭)の両攻撃群ともに、抗体価6,400倍以上のyIg投与群の累積糞便スコアは有意に軽減された(P<0.05)。BRV検出日数においても、島根株攻撃群およびKK-3株攻撃群では、抗体価3,200倍以上(P<0.05)および12,800倍(P<0.01)で各々有意に抑制された。一方、両攻撃群ともに抗体価6,400倍以上のyIg投与群で有意な体重減少の抑制が認められた(P<0.01)。以上の結果から、対象動物においても抗BRV yIgの効力が確認され、両yIgの最小有効量を抗体価6,400倍と算定した。

第3章BRV汚染農場における抗BRV yIgの受動免疫効果の検討

 第3章では、北海道、宮城県および兵庫県のBRV汚染3農場で、抗体価が12,800倍のyIg製剤を2週間連用することによりyIg製剤の野外応用試験を実施し、有効性および安全性を検討した。その結果、北海道での試験では、重篤な子牛下痢症が発生した第1クールで、yIg製剤の有意な増体効果が認められ(P<0.01)、高感染価のBRVを排泄した子牛の頭数は有意に減少した(P<0.01)。宮城県の農場では、虚弱牛で臨床症状の改善効果が認められた(P<0.05)。兵庫県の農場では、子牛下痢症の発生の多かった第1クールで累積糞便スコアが有意に減少したことが認められた(P<0.05)。また下痢陽性日数の短縮傾向もみられた。

 以上の結果から3農場ともにyIg製剤の有効性と安全性が確認できた。

 以上本論文はyIg製剤による受動免疫療法への新しいアプローチを提供したもので、学術上、応用上貢献することが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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