学位論文要旨



No 213498
著者(漢字) 小林,秀樹
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,ヒデキ
標題(和) 家畜由来マイコプラズマの分子生物学的研究
標題(洋)
報告番号 213498
報告番号 乙13498
学位授与日 1997.09.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第13498号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 長谷川,篤彦
 東京大学 教授 見上,彪
 東京大学 助教授 伊藤,喜久治
 東京大学 助教授 原澤,亮
内容要旨

 マイコプラズマ菌種の同定は発育性状、コロニー形態およびいくつかの生化学的性状試験の結果に基づき、その群内に属する既知マイコプラズマ菌種に対する抗血清を用いて血清学的に実施する。これは分離から菌種同定に至る一連の過程に長時間を要し、マイコプラズマ感染症診断の大きな問題となっている。さらにMycoides clusterと呼ばれるマイコプラズマ6菌種7タイプは血清学的に交差するため、従来法によるMycoides clusterの菌種分類は限界に達していると考えられ、未だに菌種分類が明確にされていない部分がある。この様な背景から、マイコプラズマの菌種同定は血清学的比較に基づき実施することと定義されているものの、分子生物学的同定法もまた不可欠な手法となって来ている。すなわちM.capricolum subsp.capripneumoniaeのように分子生物学的な相違のみによって定義されたものも報告されている。以上のように従来法における家畜マイコプラズマの診断の問題点は費やす時間と同定の限界の2つの点に集約されると考えられる。そこで本研究ではPCRによる家畜由来マイコプラズマの迅速検出および同定法の開発とマイコプラズマの分類に焦点を当て、PCR用プライマー作製のための分子生物学的検討および開発したPCR法による臨床診断を実施するとともに、分類学的位置付けの難しいマイコプラズマや新菌種マイコプラズマの提唱を行った。

 第1章では、分子生物学的研究に先立ち、病性鑑定に供試した子豚におけるマイコプラズマ感染状況およびそれらの性状について詳しく調べた。PRRS罹患子豚および出荷豚からのM.hyopneumoniaeを除くマイコプラズマの分離状況は、M.hyosynoviaeについては84日以下齢のPRRS罹患子豚からは分離されず、出荷豚からのみ分離された。分離率は肺で27.9%(12/43)、関節液で30.0%(15/50)であった。感染菌数はいずれの検体も105CFU/g未満であった。M.hyorhinisはPRRS罹患子豚45頭中40頭(88.9%)の肺から105CFU/g以上の割合で分離された。肺以外にも、腎臓、心臓、肝臓あるいは大脳からも有意に本菌が分離された。また、出荷豚からの分離率は、肺から48.8%(21/43)、関節液から6.0%(3/50)であったが、感染菌数はいずれの検体も105CFU/g未満であった。以上のように、PRRS罹患子豚からのM.hyorhinisの感染率および感染菌数は極めて高く、また出荷豚における肺からの分離率は、1982年のそれの2倍近いことから子豚におけるPRRSウイルス感染はM.hyorhinisの感染を助長しているものと考察された。さらに、PRRSウイルスとM.hyorhinisのHPCD豚への感染試験から、M.hyorhinisは子豚PRRSの重篤化因子であることが証明された。薬剤感受性試験において、近年分離されるM.hyorhinisおよびM.hyosynoviaeはテトラサイクリン系(OTCおよびCTC)の薬剤に対し耐性傾向にあること、マイコプラズマの特効薬である16員環マクロライド系の抗生物質に耐性を示す株が出現していることをはじめて明らかにした。さらに両菌種のマクロライド系薬剤に対する耐性は誘導型耐性であることを明らかにしたが、耐性機構については不明であった。

 第2章では第1章での子豚肺炎病巣におけるマイコプラズマ感染状況を踏まえ、マイコプラズマ迅速検出のためのPCRの開発を実施した。はじめに、PCR法として未だ報告のないM.hyorhinisおよびM.hyosynoviaeとM.hyopneumoniaeの3菌種のプライマー作成を実施した。プライマーDNAは各菌種の16S rDNAオペロン遺伝子の中から菌種特異領域(高頻度可変領域)を数ヶ所づつ選出し、他菌種のそれとのコンピューターによる相同性アライメントを実施して最も特異性の高いと考えられた2ヶ所宛を選択した。これらのプライマーと検出対象のマイコプラズマ基準株DNA、および豚の肺炎病巣から高頻度で分離される細菌DNAを供試したPCRを実施し、供試プライマーがそれぞれのマイコプラズマを特異的に検出することを確認した。さらに、株による検出の可否について調べるため、野外分離したM.hyorhinis107株およびM.hyosynoviae54株によるPCRを実施し、いずれの菌株も検出可能であることを確認した。つぎに、PCRに供試するマイコプラズマDNAテンペレート迅速作製法について検討した。純培養したM.mycoides subsp.capri PG3株を供試し、その細胞膜を溶解し、かつPCR反応に影響の少ない界面活性剤の選択を試みた。PCRはBascunana(1994)の報告した全てのMycoides cluster菌種を検出するプライマーDNAを供試して実施した。マイコプラズマ細胞膜を溶解し、かつPCR反応に最も影響の少ない界面活性剤はCHAPSとCHAPSOであることが判明し、本実験ではCHAPSを供試した。これらの結果から、界面活性剤のCHAPSと蛋白分解酵素であるプロテアーゼKを成分とした細胞溶解液をPG3株を添加した模擬臓器材料(ヤギ肺乳剤)に供試し、PCR用テンペレートDNAを作製した。このテンペレートDNAをPCRに供試したところ、肺乳剤1グラムあたりPG3株を104CFU添加した検体まで検出可能であった。また、本実験系の対照として、PG3株添加模擬臓器材料の処理を煮沸、プロテアーゼKのみ、CHAPSのみ、および無処理で実施したところ、それぞれ肺乳剤1グラムあたり少なくとも>108CFU、105CFU、106CFUおよび>108CFUの菌数が必要であった。一方、市販のPCR用DNAテンペレート簡易作製キット(Sepa Gene、三光純薬)による処理ではPG3株検出のためには上記条件において少なくとも107CFUを必要とした。これらの成績から、複雑な処理行程の不要なマイコプラズマDNA抽出溶液(lysis buffer)を作製し、第1章でM.hyorhinisの感染菌量が確認された子豚肺材料を供試し、PCRによる本菌の直接検出を実施したところ、lysis buffer処理した肺1グラムあたり105CFU以上の感染のある検体は確実に検出可能であった。

 第3章では、わが国のヤギ由来マイコプラズマの中に、一般的な生化学的性状試験や血清学的試験では菌種の同定が困難なMycoides clusterが存在することを明らかにした。試験に供試した子ヤギ由来野外株は2株で、伝染性関節炎により斃死した個体の肺および関節液から分離された。肺由来株LG1、関節液由来株SF1株は、いずれも同一生化学的性状、血清学的性状であり、染色体DNAの相同性率は95%であったことから同一菌種であることが判明した。さらにコレステロール要求性をはじめとする生化学的性状や既知Mycoides cluster菌種との血清学的交差性、菌体構成蛋白質および遺伝学的相同性から、野外分離株はM.mycoides subsp.mycoides SC型、LC型、M.mycoides subsp.capriあるいはMycoplasmasp.bovine group7のいずれかである可能性が示唆された。さらに、分子生物学的研究の知見から得られた診断技術のひとつであるPCR-RFLP解析法にこれらの株を供試したところ、M.mycoides subsp.mycoides SC型とMycoplasma sp.bovine group7のいずれも否定された。以上のことからこれらの分離株はM.mycoides subsp.mycoides LC型あるいはM.mycoides subsp.capriと同定された。

 第4章では実験動物化の段階にあるアフガンナキウサギの生殖器より分離したマイコプラズマについて各種性状検査を実施し、その分類学的位置付けを行った。分離されたマイコプラズマは次のような性状を示した。固有宿主と部位はアフガンナキウサギ(Ochotona rufescens rufescens)の生殖器であり、生物学的性状は球形から紡錘形の多形性を呈し、単位膜のみによって外界との境界を形成していた。寒天培地上で典型的な目玉焼き状コロニーを形成し、ペニシリン耐性であった。小型の生物単位は450nmのメンブランフィルターを通過可能であった。発育条件としてコレステロールを要求し、発育至適温度は37℃で通性嫌気性を示した。代謝活性については、グルコースを分解し、アルギニンおよび尿素の加水分解性は陰性であった。テトラゾリウム塩を還元しフォスファターゼの産生性を有したが、フィルム・スポットの産生は認められなかった。ゲラチンおよびカゼインは非分解性であった。血清学的特性として、既報の全てのマイコプラズマに対する抗血清と血清学的交差を認めなかった。遺伝学的性状として染色体DNAのGC含量は24±1.0mol%であり、げっ歯類の既知マイコプラズマ9菌種とのDNA相同性は何れに対しても20%以下であった。これらの性状からアフガンナキウサギ由来マイコプラズマは新菌種であることが明らかとなったのでMycoplasma lago-genitaliumと命名することを提案した。

審査要旨

 マイコプラズマ菌種の分離から菌種同定に至る一連の過程には長時間を要し、マイコプラズマ感染症診断の大きな問題となっている。さらにMycoides clusterと呼ばれるマイコプラズマ6菌種7タイプは血清学的に交差するため、従来法によるMycoides clusterの菌種分類は限界に達していると考えられ、未だに菌種分類が明確にされていない部分がある。この様な背景から、マイコプラズマの菌種同定は血清学的比較に基づき実施することと定義されているものの、分子生物学的同定法もまた不可欠な手法となって来ている。そこで本研究ではPCRによる家畜由来マイコプラズマの迅速検出および同定法の開発とマイコプラズマの分類に焦点を当て、PCR用プライマー作製のための分子生物学的検討および開発したPCR法による臨床診断を実施するとともに、分類学的位置付けの難しいマイコプラズマや新菌種マイコプラズマの提唱を行った。本論文は4章からなり、概要は以下のように要約される。

 第1章では、分子生物学的研究に先立ち、病性鑑定に供試した子豚におけるマイコプラズマ感染状況およびそれらの性状について調べた。その結果、PRRS罹患子豚の肺にはM.hyorhinisが高頻度に重厚感染していることを見出した。さらに、PRRSウイルスとM.hyorhinisのHPCD豚への混合感染試験から、M.hyorhinisは子豚PRRSの重篤化因子であることが証明された。また、薬剤感受性試験において、近年豚から分離されるM.hyorhinisおよびM.hyosynoviaeはテトラサイクリン系(OTCおよびCTC)の薬剤に対し耐性傾向にあり、マイコプラズマの特効薬である16員環マクロライド系の抗生物質に対しても耐性を示す株が存在することが判明した。マクロライド系薬剤に対し耐性を示した株は誘導型耐性であった。

 第2章では第1章での子豚肺炎病巣におけるマイコプラズマ感染状況を踏まえ、マイコプラズマ迅速検出のためのPCR法の開発を実施した。プライマーはPCR法として未だ報告のないM.hyorhinisおよびM.hyosynoviaeについて作成した。試作したプライマーを用いたPCRはその特異性を検討するため、検出対象のマイコプラズマおよび豚の肺炎病巣から高頻度で分離される細菌DNAを供試して実施した。本PCR法がそれぞれのマイコプラズマを特異的に検出することを確認した後、第1章でM.hyorhinisの感染菌量が確認された子豚肺材料を供試し、PCRによる本菌の直接検出を実施したところ、肺1グラムあたり105CFU以上の感染のある検体は確実に検出可能であった。

 第3章では、わが国のヤギ由来マイコプラズマの中に、一般的な生化学的性状試験や血清学的試験では菌種の同定が困難なMycoides clusterが存在することを明らかにした。伝染性関節炎により斃死した子ヤギの肺および関節液から分離された2株を試験に供試した。これらの分離株は、いずれも同一生化学的性状、血清学的性状であり、染色体DNAの相同性率は95%であったことから同一菌種であることが判明した。さらにコレステロール要求性をはじめとする生化学的性状や既知Mycoides cluster菌種との血清学的交差性、菌体構成蛋白質および遺伝学的相同性から、野外分離株はM.mycoides subsp.mycoides SC型、LC型、M.mycoides subsp.capriあるいはM.sp.bovine group7のいずれかである可能性が示唆された。さらに、分子生物学的研究の知見から得られた診断技術のひとつであるPCR-RFLP解析法にこれらの株を供試したところ、M.mycoides subsp.mycoides SC型とM.sp.bovine group7のいずれも否定された。以上のことからこれらの分離株はM.mycoides subsp.mycoides LC型あるいはM.mycoides subsp.capriと同定された。

 第4章では実験動物化の段階にあるアフガンナキウサギの生殖器より分離したマイコプラズマについて各種性状検査を実施し、その分類学的位置付けを行った。分離されたマイコプラズマは球形から紡錘形の多形性を呈し、単位膜のみによって外界との境界を形成していた。寒天培地上で典型的な目玉焼き状コロニーを形成し、ペニシリン耐性であった。発育条件としてコレステロールを要求し、発育至適温度は37℃で通性嫌気性を示した。血清学的特性として、既報の全てのマイコプラズマに対する抗血清と血清学的交差を認めなかった。遺伝学的性状として染色体DNAのGC含量は24±1.0mol%であり、げっ歯類の既知マイコプラズマ9菌種とのDNA相同性は何れに対しても20%以下であった。これらの性状からアフガンナキウサギ由来マイコプラズマは新菌種であることが明らかとなったのでMycoplasma lagogenitaliumと命名することを提案した。

 以上本論文はPCR法による家畜のマイコプラズマの迅速検出および同定法を開発し、菌種の同定が困難なマイコプラズマの菌種分類に分子生物学的手法を応用したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク