マイコプラズマ菌種の分離から菌種同定に至る一連の過程には長時間を要し、マイコプラズマ感染症診断の大きな問題となっている。さらにMycoides clusterと呼ばれるマイコプラズマ6菌種7タイプは血清学的に交差するため、従来法によるMycoides clusterの菌種分類は限界に達していると考えられ、未だに菌種分類が明確にされていない部分がある。この様な背景から、マイコプラズマの菌種同定は血清学的比較に基づき実施することと定義されているものの、分子生物学的同定法もまた不可欠な手法となって来ている。そこで本研究ではPCRによる家畜由来マイコプラズマの迅速検出および同定法の開発とマイコプラズマの分類に焦点を当て、PCR用プライマー作製のための分子生物学的検討および開発したPCR法による臨床診断を実施するとともに、分類学的位置付けの難しいマイコプラズマや新菌種マイコプラズマの提唱を行った。本論文は4章からなり、概要は以下のように要約される。 第1章では、分子生物学的研究に先立ち、病性鑑定に供試した子豚におけるマイコプラズマ感染状況およびそれらの性状について調べた。その結果、PRRS罹患子豚の肺にはM.hyorhinisが高頻度に重厚感染していることを見出した。さらに、PRRSウイルスとM.hyorhinisのHPCD豚への混合感染試験から、M.hyorhinisは子豚PRRSの重篤化因子であることが証明された。また、薬剤感受性試験において、近年豚から分離されるM.hyorhinisおよびM.hyosynoviaeはテトラサイクリン系(OTCおよびCTC)の薬剤に対し耐性傾向にあり、マイコプラズマの特効薬である16員環マクロライド系の抗生物質に対しても耐性を示す株が存在することが判明した。マクロライド系薬剤に対し耐性を示した株は誘導型耐性であった。 第2章では第1章での子豚肺炎病巣におけるマイコプラズマ感染状況を踏まえ、マイコプラズマ迅速検出のためのPCR法の開発を実施した。プライマーはPCR法として未だ報告のないM.hyorhinisおよびM.hyosynoviaeについて作成した。試作したプライマーを用いたPCRはその特異性を検討するため、検出対象のマイコプラズマおよび豚の肺炎病巣から高頻度で分離される細菌DNAを供試して実施した。本PCR法がそれぞれのマイコプラズマを特異的に検出することを確認した後、第1章でM.hyorhinisの感染菌量が確認された子豚肺材料を供試し、PCRによる本菌の直接検出を実施したところ、肺1グラムあたり105CFU以上の感染のある検体は確実に検出可能であった。 第3章では、わが国のヤギ由来マイコプラズマの中に、一般的な生化学的性状試験や血清学的試験では菌種の同定が困難なMycoides clusterが存在することを明らかにした。伝染性関節炎により斃死した子ヤギの肺および関節液から分離された2株を試験に供試した。これらの分離株は、いずれも同一生化学的性状、血清学的性状であり、染色体DNAの相同性率は95%であったことから同一菌種であることが判明した。さらにコレステロール要求性をはじめとする生化学的性状や既知Mycoides cluster菌種との血清学的交差性、菌体構成蛋白質および遺伝学的相同性から、野外分離株はM.mycoides subsp.mycoides SC型、LC型、M.mycoides subsp.capriあるいはM.sp.bovine group7のいずれかである可能性が示唆された。さらに、分子生物学的研究の知見から得られた診断技術のひとつであるPCR-RFLP解析法にこれらの株を供試したところ、M.mycoides subsp.mycoides SC型とM.sp.bovine group7のいずれも否定された。以上のことからこれらの分離株はM.mycoides subsp.mycoides LC型あるいはM.mycoides subsp.capriと同定された。 第4章では実験動物化の段階にあるアフガンナキウサギの生殖器より分離したマイコプラズマについて各種性状検査を実施し、その分類学的位置付けを行った。分離されたマイコプラズマは球形から紡錘形の多形性を呈し、単位膜のみによって外界との境界を形成していた。寒天培地上で典型的な目玉焼き状コロニーを形成し、ペニシリン耐性であった。発育条件としてコレステロールを要求し、発育至適温度は37℃で通性嫌気性を示した。血清学的特性として、既報の全てのマイコプラズマに対する抗血清と血清学的交差を認めなかった。遺伝学的性状として染色体DNAのGC含量は24±1.0mol%であり、げっ歯類の既知マイコプラズマ9菌種とのDNA相同性は何れに対しても20%以下であった。これらの性状からアフガンナキウサギ由来マイコプラズマは新菌種であることが明らかとなったのでMycoplasma lagogenitaliumと命名することを提案した。 以上本論文はPCR法による家畜のマイコプラズマの迅速検出および同定法を開発し、菌種の同定が困難なマイコプラズマの菌種分類に分子生物学的手法を応用したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |