学位論文要旨



No 213499
著者(漢字) 梁,栄治
著者(英字)
著者(カナ) リョウ,エイジ
標題(和) 母体の体位と母児の循環 : 特に下大静脈圧迫と子宮、臍帯動脈の血流動態との関連
標題(洋)
報告番号 213499
報告番号 乙13499
学位授与日 1997.09.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13499号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川名,尚
 東京大学 教授 橋都,浩平
 東京大学 助教授 馬場,一憲
 東京大学 講師 賀藤,均
 東京大学 講師 竹中,克
内容要旨 <はじめに>

 妊婦が仰臥位になると、増大した妊娠子宮が下大静脈を圧迫し静脈還流を減少させるため、しばしば低血圧を主とする循環動態の変動が起こる。この変動は胎児へも影響する事が考えられるが、母体の仰臥位における子宮及び胎児の循環変動に関しての臨床研究の結果は種々で、未だ一致した見解にない。特に妊娠のsecond trimesterに関しては臨床研究がなく、仰臥位における下大静脈の圧迫の程度や頻度そのものが不明である。一方、超音波パルスドプラー法が開発され、子宮及び胎児の循環動態について検査されるようになってきたが、特に臍帯動脈の血流波形の計測は、妊娠のthird trimesterを中心として、産科異常の管理をする上で既に広く普及した検査法となっている。パルスドプラー法による血流計測は、通常、仰臥位または半側臥位で施行されているが、この体位での臍帯動脈血流波形の計測は、下大静脈の圧迫による影響を受けている可能性がある。この影響を考える上で、最も下大静脈の圧迫が少ない完全な左側臥位(以下左側臥位)での臍帯動脈血流波形計測法を検討する事は有用と思われる。

 本研究ではsecond trimesterにおいて仰臥位における下大静脈の圧迫の程度と母児循環の関連を検索し、さらに一般に児のscreening法の一つとして臍帯動脈血流波形計測が行われているthird trimesterを中心として、児の異常を検出する精度を、左側臥位における計測法と仰臥位における計測法とで比較検討した。

<研究方法>[1]母体仰臥位及び左側臥位における下大静脈の圧迫の程度、子宮動脈血流波形の変化、及び臍帯動脈血流波形の変化の関連性に関する検討

 対象は1995年1月より6月に東京大学付属病院産婦人科を受診した妊娠24週から27週の妊婦90例である。母体を仰臥位において母体下大静脈の短径、母体右子宮動脈のドプラー血流波形、胎児臍帯動脈のドプラー血流波形を計測した。その後完全な左側臥位として同様の3つの計測を行った。下大静脈の短径は超音波断層法を用い、母体腹部横断面において、静脈の内径を脊椎に対して垂直な方向で計測した。子宮動脈、臍帯動脈の血流波形はResistance Index((収縮期周波数偏移-拡張末期周波数偏移)/収縮期周波数偏移、以下RI)で産出した。データはmedian[95%・confident bar]で表現し、統計学的な比較はWilcoxon’s signed rank sum testおよびx2testで行い、p<0.05を統計的有意差とした。

[2]仰臥位と左側臥位における臍帯動脈血流波形計測の、胎児スクリーニング検査としての診断精度の比較

 対象は、左側臥位群として東京厚生年金病院において1994年に妊娠および分娩の管理を行った140例と、仰臥位群として1993年に同病院で管理した100例である。超音波パルスドプラー法による臍帯動脈血流波形計測を妊娠27-29週、および妊娠35-37週に1回ずつ計2回施行した。左側臥位群は母体を完全な左側臥位として臍帯動脈血流波形計測を施行し、仰臥位群は母体を仰臥位として臍帯動脈血流波形計測を行い、RIを算出した。産科異常としてsmall for gestational age(SGA),large for gestational age(LGA),pregnancy-induced hypertension(PIH),胎児仮死を選び、その出現頻度と臍帯動脈RI値との関係を左側臥位群と仰臥位群に分けて比較した。各週数において、臍帯動脈RI値のmean±standard deviation(SD)を計算し、それぞれの週数、体位においてのmean+1.5SDを越えるものを異常値とした。統計学的検討はStudent’s t testおよびx2testを用いて行い、p<0.05を統計学的有意差とした。

<研究結果>

 [1]90例中、82例において全ての計測が可能であり、以下82例の結果を示す。(1)下大静脈の短径は左側臥位で8mm[8.0-9.1mm]、仰臥位で4mm[3.4-4.7mm]で有意差を認めた(P<0.001)。82例中78例(95%)において仰臥位における下大静脈の短径が左側臥位に比べて小さかった。(2)子宮動脈RIは左側臥位で0.49[0.468-0.504]、仰臥位で0.51[0.506-0.543]で有意差を認めた。(P<0.01)。(3)各症例における下大静脈短径の比(仰臥位/左側臥位)は0-1.2の範囲にあり、中央値は0.43であった。仰臥位の子宮動脈RIが左側臥位時より高かった症例は、下大静脈短径の比が0-0.43の場合、41例中34例(83%)であったのに対し、下大静脈短径の比が0.44-1.2の場合には、41例中24例(59%)で両者間に有意差を認めた。(p<0.05)。(4)臍帯動脈RIは左側臥位で0.68[0.672-0.697]、仰臥位で0.68[0.672-0.698]となり有意差はなかった。(5)左側臥位に比べ仰臥位時に子宮動脈RI、臍帯動脈RI共に高値を示したのは28例であったが、仰臥位時に子宮動脈RIが高値でありながら、臍帯動脈RIが高くなかった症例は30例存在し、両者の変化の間に関連はなかった。(6)仰臥位の臍帯動脈RIが左側臥位時より高かった症例は、下大静脈短径の比が0-0.43の場合、22例(54%)であり、下大静脈短径の比が0.44-1.2の場合には、19例(46%)で両者間に有意差はなかった。

 [2]妊娠27-29週の臍帯動脈RI値(mean±SD)は左側臥位群で0.68±0.062(n=140)、仰臥位群で0.70±0.068(n=100)となり両群間に有意な差を認めなかった。妊娠35-37週の臍帯動脈RI値は左側臥位群で0.62±0.063、仰臥位群で0.64±0.073であり仰臥位群で有意に高値となった(p<0.05)。妊娠27-29週において左側臥位群ではSGA、LGA、PIH、胎児仮死それぞれの産科異常に対するsensitivity、positive predictive valueは0-8%、0-10%、いずれか1つ以上の産科異常に対してのsensitivity、positive predictive valueは4%、10%であった。仰臥位群ではそれぞれの産科異常に対するsensitivity、positive predictive valueは10-25%、10-20%で、いずれか1つ以上の産科異常に対するsensitivity、positive predictive valueは19%、50%であった。同様に妊娠35-37週において左側臥位群においては、それぞれの産科異常、いずれか1つ以上の産科異常に対するsensitivity、positive predictive valueは全て0%であった。これに対して仰臥位群においてはそれぞれの産科異常に対するsensitivity、positive predictive valueは10-75%、14-43%で、いずれか1つ以上の産科異常に対するsensitivity、positive predictive valueは15%、57%であった。

<考察>

 研究[1]で下大静脈の短径は母体仰臥位において左側臥位に比べて小さい値を示し、既に妊娠24-27週で9割以上の妊婦において、仰臥位による下大静脈の圧迫が見られる事が明らかとなった。子宮動脈のRIは仰臥位で高値であり、下大静脈短径の比が小さい場合、即ち仰臥位において圧迫の程度が強い場合に、子宮動脈RIの値が上昇する症例が多かった。仰臥位による下大静脈の圧迫が子宮動脈の血流量を減少させている事を示唆している。胎児循環の指標として臍帯動脈のRIは、母体の仰臥位と左側臥位で有意差を示さなかった。また子宮動脈と臍帯動脈のRIの体位変換による変動についても、仰臥位での下大静脈の圧迫の程度と臍帯動脈の血流波形の変動についても相関を認めなかった。妊娠24-27週においては仰臥位による5分間程度の子宮動脈血流の減少では、通常の胎児の循環動態の変化は顕在化しない事が推測される。

 研究[2]で妊娠27-29週の臍帯動脈RIは研究[1]と同様に左側臥位と仰臥位で有意差を認めなかったが、妊娠35-37週における臍帯動脈RIは左側臥位と比較し仰臥位で高値を示した。従って、仰臥位での測定は下大静脈圧迫という影響が及んでいる検査である。一方、スクリーニング検査としての精度は仰臥位でむしろ高い事が判明した。この結果より、仰臥位における検査は一種の負荷テストになっているのではないかと考えられる。すなわち、母体の仰臥位は子宮動脈の血流を低下させ、子宮動脈血流の低下は胎児にとっては負荷となる。この負荷に対し予備力の乏しい症例が母体仰臥位による子宮動脈血流の低下という負荷に反応し、臍帯動脈の血流波形の変化を示すと考えられる。

<まとめ>

 (1)仰臥位における妊娠子宮による下大静脈圧迫は、妊娠24-27週の妊婦でも9割以上の例に生じており、これに伴って子宮動脈血流は減少している事が推測される。しかし短時間の圧迫であれば正常胎児の循環動態には大きな影響を及ぼさない。

 (2)妊娠のthird trimesterでの仰臥位による臍帯動脈血流計測は一種のstress testとして胎児の潜在的異常を検出する手段となり得る。

審査要旨

 本研究は妊婦の仰臥位が胎児の循環に及ぼす影響を明らかにするため、超音波断層法および超音波パルスドプラー法を用いて、妊娠24-27週の90例の妊婦に対し、妊婦の下大静脈の短径、子宮動脈の血流波形、胎児の臍帯動脈血流波形を、仰臥位および左側臥位で比較し、さらに240例の妊婦に対して、妊娠27-29週および35-37週における胎児の臍帯動脈血流波形計測が産科異常を予測する精度を、仰臥位と左側臥位で比較したものであり、下記の結果を得ている。

 1.妊娠24-27週における妊婦の下大静脈の短径は有意に仰臥位で小さく、また95%の例において仰臥位における下大静脈の短径が左側臥位に比べて小さかった。従って仰臥位における妊娠子宮による下大静脈圧迫は、仰臥位低血圧症候群が発症しない時期である妊娠24-27週の妊婦でも、ほとんどの例に生じている事が明らかとなった。

 2.妊娠24-27週の子宮動脈のResistance Index((収縮期周波数偏移-拡張末期周波数偏移)/収縮期周波数偏移、以下RI)は左側臥位に比べ仰臥位で高い値であった。また、各症例における下大静脈短径の比(仰臥位/左側臥位)が小さい場合、即ち仰臥位での下大静脈の圧迫が強い場合に、仰臥位でのRIが左側臥位に比べ上昇する例が多かった。この結果から、仰臥位においては子宮動脈のRIが上昇する事、またそれが下大静脈の圧迫と直接的に関連を持っている事が明らかとなった。これは仰臥位における妊娠子宮による下大静脈圧迫が子宮動脈の血流量を減少させている事を強く示唆している。

 3.妊娠24-27週の臍帯動脈RIは左側臥位と仰臥位で有意差を示さなかった。また子宮動脈RIの体位による変化と臍帯動脈RIの体位による変化に関連を認めなかった。さらに各症例での仰臥下大静脈短径の比と臍帯動脈RIの体位による変化との間の関連も認めなかった。従って、この時期における短時間の仰臥位は正常の胎児の循環動態に大きな影響を及ぼさない事が示された。

 5.妊娠27-29週および35-37週の臍帯動脈RI値のmean±standard deviation(SD)を計算し、それぞれの週数、体位においてのmean+1.5SDを越えるものを異常値とした場合、産科異常としてsmall for gestational age、large for gestational age、pregnancy-induced hypertension、胎児仮死を予測するスクリーニング検査としての精度は左側臥位と比べ、仰臥位で高い事が判明した。この結果は以下のように解釈された。母体の仰臥位は子宮動脈の血流を低下させるなどの負荷を胎児に与える。この負荷に対し予備力の乏しい症例が反応し、臍帯動脈の血流波形の変化を示すとの解釈である。従って、仰臥位における検査は一種の負荷テストになり、胎児の潜在的異常を検出する手段となり得ると結論された。

 以上、本論文は、これまで母体側からみた研究がほとんどであった妊婦の体位と循環動態の関連を、胎児側から論じた研究である。特に、これまで妊婦の自覚症状がないために見落されていた早い妊娠週数における下大静脈の圧迫と、子宮動脈血流、臍帯動脈血流への影響を明らかとし、さらに実際に臍帯動脈血流波形計測の行われている週数での、検査精度に与える母体の体位の影響を明らかとした臨床研究で、周産期管理に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51056