学位論文要旨



No 213507
著者(漢字) 阿部,和也
著者(英字)
著者(カナ) アベ,カズヤ
標題(和) 下咽頭扁平上皮癌のレクチン組織化学的研究
標題(洋)
報告番号 213507
報告番号 乙13507
学位授与日 1997.09.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13507号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 町並,陸生
 東京大学 教授 石川,隆俊
 東京大学 教授 渋谷,正史
 東京大学 教授 高戸,毅
 東京大学 講師 大越,基弘
内容要旨

 頭頸部領域では、悪性腫瘍の大部分を扁平上皮癌が占め、下咽頭では約95%が扁平上皮癌である。下咽頭癌は頭頸部癌のうちでは比較的低頻度(約8%)であるが、予後は今なお最も不良で、5年生存率は高々30%である。本研究では、下咽頭癌の複合糖質に注目し、HRP標識レクチン法を用い、光顕および電顕レベルで検索した。細胞や組織を構成する複合糖質は生体内で重要な機能を担い、その果たす役割が注目されている。これら複合糖質は、細胞間認識や接着等をはじめ、分化、増殖、悪性化、腫瘍の転移等に関わっているとされるが、構造を遺伝子から直接規定されず、構造の制御は専ら糖転移酵素を介する間接的なレベルである。従って、in situでの複合糖質の局在やその動的変化を組織細胞化学的に検索することは、複合糖質が関与する様々な現象を理解する上で、大きな意義を持つと考えられる。

 光顕観察には下咽頭扁平上皮癌36症例(男:女=28:8、平均年齢60.2歳)の病理組織標本を用いた。対象症例の分化度は高分化型23例、中分化型12例、UICCのTNM分類ではT分類はT1からT4がそれぞれ6例、13例、14例、1例(不明2例)、N分類はN0からN3がそれぞれ17例、4例、10例、3例(不明2例)、M分類はM0 33例、M11例、不明2例であった。ビオチン化レクチン(ConA、WGA、PNA、UEA-1、SBA、DBA、SJA、GS-1、およびVVA、各25mg/ml)と反応、ABC法にて可視化して観察した。

 電顕観察には下咽頭扁平上皮癌6例(男:女=5:1、平均年齢63.1歳)から得られた切除組織を用いた。HRP標識レクチン(WGA、PNA、およびSBA、各100mg/ml)による包埋前染色法を用いた。

 正常下咽頭の重層扁平上皮では、各層構造に対応したレクチン染色性の変化が観察されたが、レクチンの各層に対する反応性の差異は、この上皮の分化の過程で、細胞膜の糖鎖に分化度に対応した変化が起こることを表わす。このような層構造に対応したレクチン染色性の変化は、他の重層扁平上皮でも知られている。電顕観察でも、WGA、PNA、SBAの各レクチンで、光顕所見に対応した結果が認められた。また、正常組織と腫瘍組織とでは異なるレクチン染色性が認められたが、とりわけ、PNA、VVAおよびSBAの結合パターンが際立った特徴を示した。電顕的には、正常組織・癌組織を問わず、陽性反応は主として細胞膜とゴルジ膜に見られた。ゴルジ膜の所見に注目すると、WGA反応は両組織でゴルジ層板の全層に亙って認められ、PNA反応は正常組織でtrans側のゴルジ層板に、腫瘍組織でゴルジ層板全層に亙って認められ、SBA反応はゴルジ領域には見られなかった。PNA反応が細胞質にも見られるとする一部の記載は、本研究が明らかにしたゴルジ装置や細胞膜の反応が拡散したものであろう。

 PNAはガラクトース乃至N-アセチルガラクトサミンを認識するレクチンである。癌組織で観察されたPNA反応の亢進はガラクトース結合の増加によると考えられた。さらに、電顕的に、PNA反応が正常組織ではtrans側のゴルジ層板に観察されたのに対し、腫瘍組織では反応がゴルジ層板の全層に亙って認められたことからも、癌化に伴うガラクトース転移酵素の活性の変化、乃至サブオルガネラ・レベルでの分布の変化が示唆され、結果として、ガラクトース残基の増加を招来した可能性が考えられる。下咽頭においては癌化によってガラクトース転移酵素とりわけO-グリコシド型糖鎖の合成に関わるガラクトース転移酵素の発現が変化することが示唆される。血液型、原発巣のTNM分類、患者の予後とレクチン結合性とには相関が認められなかった。扁平上皮癌の分化度とレクチン結合性とでは、癌組織の分化度が高いほどPNA結合性の強度、頻度のいずれもが高くなることが認められ、反応頻度・反応強度を数値化して分散分析により評価した結果、有意な差が認められた。PNA反応が腫瘍分化度の指標として有用であると考えられた。

審査要旨

 本研究は、下咽頭癌の複合糖質に注目し、HRP標識レクチン法を用い、光顕および電顕レベルで検索したものである。

 細胞や組織を構成する複合糖質は生体内で重要な機能を担い、細胞間認識や接着等をはじめ、分化、増殖、悪性化、腫瘍の転移等に関わっているとされるが、構造を遺伝子から直接規定されず、構造の制御は専ら糖転移酵素を介する間接的なレベルであるため、in situでの複合糖質の局在やその動的変化を組織細胞化学的に検索することは、複合糖質が関与する様々な現象を理解する上で、大きな意義を持つと考えられる。現在までに発表されている頭頸部の他の領域の扁平上皮癌を対象とする組織化学的研究結果を検討すると、データが断片的で全体として所見が整合性を欠くものが多く、さらに光顕所見のみを挙げ、裏付けとなる電顕所見を記載していない文献がほとんどである。扁平上皮癌組織でのレクチン反応の変化を記載する論文でも、その変化の程度、内容に関する記述は実に様々であった。本研究では多数の下咽頭扁平上皮癌組織を系統的に検討し、統一的な解釈を可能にする、信頼性の高い結果を得た。

 本研究は、下咽頭扁平上皮癌36症例の病理組織標本を用い、ビオチン化レクチン(ConA、WGA、PNA、UEA-1、SBA、DBA、SJA、GS-1、およびVVA)と反応させ、ABC法にて可視化して光顕観察した結果と、下咽頭扁平上皮癌6例から得られた切除組織を用い、HRP標識レクチン(WGA、PNA、およびSBA)による包埋前染色法を用いて電顕観察した結果から構成される。以下、本研究で得られた結果を挙げる。

 1.正常下咽頭の重層扁平上皮では、各層構造に対応したレクチン染色性の変化が観察された。電顕的には、陽性反応は主として細胞膜とゴルジ膜に見らた。ゴルジ膜の所見に注目すると、WGA反応はゴルジ層板の全層に亙って認められ、PNA反応はtran側のゴルジ層板に認められたが、SBA反応はゴルジ領域には見られなかった。

 2.腫瘍組織では正常組織とは異なり組織内に巣状をなすレクチン染色性が認められたが、とりわけ、PNA、VVAおよびSBAの結合パターンが際立った特徴を示した。電顕的には、正常組織同様、陽性反応は主として細胞膜とゴルジ膜に見られたが、正常組織でtrans側のゴルジ層板に認められたPNA反応は、腫瘍組織ではゴルジ層板全層に亙って認められた。

 3.扁平上皮癌組織の分化度が高いほどPNA結合性の強度、頻度のいずれもが高くなることが認められ、反応頻度・反応強度を数値化して分散分析により評価した結果、有意な差が認められた。血液型、原発巣のTNM分類、患者の予後とレクチン結合性とには相関が認められなかった。

 これらの新知見により、レクチン反応の細胞内での局在が明かにされ、さらに、癌化に伴うガラクトース転移酵素の活性の変化、乃至サブオルガネラ・レベルでの分布の変化が示唆された。下咽頭においては癌化によってガラクトース転移酵素とりわけO-グリコシド型糖鎖の合成に関わるガラクトース転移酵素の発現が変化すると考えられる。また、PNA反応の腫瘍分化度の指標としての有用性が示唆された。

 以上、本研究は下咽頭扁平上皮癌組織をレクチン組織化学的手法を用いて光顕的並びに電顕的に検討し、反応の局在、腫瘍の臨床的特徴との相関について明かにした。本研究は腫瘍の組織化学的研究に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考える。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51057