学位論文要旨



No 213510
著者(漢字) 松本,光之
著者(英字)
著者(カナ) マツモト,ミツユキ
標題(和) ドーパミンD4レセプターの分子生物学的手法を用いた研究
標題(洋) Molecular Characterization of Dopamine D4 Receptor
報告番号 213510
報告番号 乙13510
学位授与日 1997.09.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第13510号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 池田,日出男
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 助教授 岩坪,威
内容要旨

 ドーパミンは様々な疾患に関与する神経伝達物質であり、特に精神分裂病との関連について盛んに研究が行われてきた。現在までに5つのドーパミンレセプター(D1,D2,D3,D4,D5)がクローニングされ、すべてG-proteinと共役する7回膜貫通型レセプターファミリーに属することが明らかとなった。これらは薬理学的に、また、遺伝子の構造などから大きくD1-likeレセプター(D1,D5)とD2-likeレセプター(D2,D3,D4)に分けられている。既存の精神分裂病治療薬は全てD2-likeレセプターの遮断活性があるため、少なくとも精神分裂病の陽性症状は大脳辺縁系のD2-likeレセプターの過活動によるものと考えられている。一方、精神分裂病治療薬はその殆どが運動系の副作用を引き起こすが、この副作用は線条体に多く存在するD2レセプターを薬剤が遮断することにより引き起こされていると考えられている。このため、D2-likeレセプターの中で最近になってクローニングされたD3、D4レセプターは精神疾患の新たなターゲットとして注目されてきた。

 1991年にVan TolらによってクローニングされたD4レセプターは、運動系の副作用を発現せずに精神分裂病症状を改善するクロザピン(clozapine)という薬剤に親和性が高かった。さらに、ラットやサルの脳内でmRNAが線条体に比べ辺縁系と大脳皮質に多く存在したため、精神分裂病治療のターゲットとなる可能性が示唆されてきた。また、ヒトのD4レセプターは細胞内第三ループ部分に48塩基(16アミノ酸)を単位とする反復配列(tandem repeats)が存在し、その単位数が広範な多型を示すことが明らかとなったため現在も精神疾患との関連について研究が進行中である。しかし、D4レセプターに関して多くの研究が行われてきたにもかかわらず、遺伝子レベルの取り扱いが困難だったためにfull-length cDNAが取得できず、ヒト脳内のmRNA分布が確認されていないといった重要な問題が未解決のまま残されていた。また、多型を示す反復配列がヒト特有なのかどうかも不明であった。私は、分子生物学的手法を用い、これらの問題に対して一連の研究を行った。

 初めに、D4 full-length cDNAのクローニングを試みた。D4 cDNAのクローニングが今まで成功しなかったのはmRNAの発現量が非常に少ないことと、GC含量が非常に高いことが原因であると考え、これら2点についての検討を行った。まずヒト臓器におけるmRNAの発現量を確認したところ、D4 mRNAは網膜で発現が高く、次いで脳、胎盤、腎臓で発現していた。続いてPCRの条件を改良し、formamide存在下でPfu DNA polymeraseを用いdenature温度を98℃まで上げることによりGC含量が非常に高い遺伝子でも増幅が可能なことを発見した。そこでヒト網膜RNAより改良したRT-PCR法を用い、初めてD4 full-length cDNAのクローニングに成功した。得られたcDNAの中には反復配列が2回型、4回型のものが含まれており、多型を示す反復配列が実際mRNAに転写されていることが確認された。また、RT-PCRによる分布の検討からヒトにおいてもD4 mRNAは線条体に少ないことが判明したが、大脳皮質での存在については検討できなかった。(第一章)

 ヒトのD4レセプター細胞内第三ループに存在する反復配列は齧歯類のD4レセプターには存在しない。そこで私はヒト以外の霊長類にこの反復配列が存在するかどうかを検討した。改良したPCR法を用いてチンパンジー、ゴリラ、オラウータン、カニクイザル、マーモセットからD4レセプター細胞内第三ループ部分をクローニングし解析した。それぞれの配列比較の結果、反復配列はマーモセットを含んだすべての霊長類に存在し、マーモセット、カニクイザルでは反復配列直前に、チンパンジー、ゴリラでは直後にヒトの配列に対してin frameな欠失が存在することが明らかとなった。これらは反復配列がヒト特有ではなくマーモセットら新世界猿と旧世界猿が分岐した数千万年以前の霊長類の共通祖先から存在していたことを示唆する。反復配列がレセプター機能と関係しているとすると齧歯類と霊長類でD4レセプター機能が異なる可能性が示唆される。(第二章)

 ヒト大脳皮質にD4レセプターが多く存在するかどうかは精神分裂病との関係を考える上で重要である。そこで大脳皮質を含むヒト脳部位でのD4 mRNAの分布をNorthern解析を用いて検討した。D4はGC含量が高いため他のmRNAとcross-hybridizationしやすく、またシグナルが非常に弱かったので、2つのプローブを作製し、Northern解析も独立して2回行った。その結果、ヒトのD4mRNAは1.5kbであり、前頭葉を含むヒト大脳皮質には殆ど存在しないことが判明した。RT-PCRによる結果と同様にD4 mRNAは線条体でも非常に少なかった。逆にD4 mRNAは神経の細胞体が少なくグリア細胞が多い白質から構成される脳梁で比較的多く検出され、脊髄、延髄など脳梁と同様に白質を多く含む部位で検出された(FIG.1)。対照として行ったD1、D2 mRNAのシグナルは以前の報告と一致し、両者とも線条体で最も多くD1 mRNAは大脳皮質でも多く検出された。また、competitive RT-PCR法を用い解析したところ線条体でのD4 mRNA量はD2 mRNAの1/1000以下であり、D2 mRNAに比べても非常に少ないことが判明した。Northern解析の結果から大脳皮質でもD4 mRNAはD2 mRNAに比して非常に少ないことが示唆される。この結果はラット、サルの実験報告からヒトでもD4 mRNAが大脳皮質に多く存在するだろうという推測が誤っていることを示している。(第三章)

FIG.1.Northern blot analysis of dopamine D4,D1,and D2 receptor and -actin mRNA in human brain regions.Each northern blot analysis was performed as described in Materials and Methods using the same membrane by hybridizing and removing the probe in the order of D4,D1,D2,and -actin.The molecular size markers in kllobases are shown.

 このD4 mRNA解析の過程で、ヒト脳内においてD4プローブとcross-hybridizationするmRNAを複数見出した。その中に、D4 mRNAとヒト脳内分布が一致し、脳梁、脊髄に多く大脳皮質、線条体に少ない未知のmRNAが存在した。このことはD4 mRNAの分布が特異なものではなく一部の遺伝子に共通な分布であることを示唆したため、ヒト脊髄cDNAライブラリーからD4プローブとcross-hybridizationするcDNAのクローニングを試みた。その結果、D4とヒト脳内分布が一致していたmRNAはAPJと命名された内在性リガンドが不明の7回膜貫通型レセプターをコードしていることが判明した。APJレセプターはそのホモロジーからペプチドを内在性リガンドとするレセプターであると考えられている。APJ mRNAのヒト脳内分布がD4と一致し白質部に多く観察されることは、D4やAPJレセプターを含む一部の7回膜貫通型レセプターが神経よりも寧ろグリア細胞で発現していることを示唆する。精神分裂病が神経活動の障害に起因するものと仮定すると、mRNAの分布からD4レセプターがその障害に直接関与する可能性は低いと考えられる。(第四章)

 D4結合部位に関する研究はD4レセプターに対する特異的なリガンドが存在しなかったためネモナプリド(nemonapride;D2,D3,D4と結合)とラクロプリド(raclopride;D2,D3のみに結合)の結合部位の差により間接的に検討されてきた。Lahtiらはヒト大脳皮質、海馬にD4結合部位が多く存在すると報告しているが、私が示したD4 mRNAがヒト大脳皮質に非常に少ないという観察結果と矛盾する。これはD4結合部位の検出法が間接的だったためにネモナプリドに親和性を有しラクロプリドに親和性のないD4とは異なるレセプターを検出していた可能性を示唆する。そこで私はサルの前頭葉を用いてネモナプリド結合部位の検討を行った。ネモナプリドに結合しラクロプリドに結合しないドーパミンレセプターがサル前頭葉に存在したが、その大部分は山之内製薬によって開発された選択的D4阻害剤であるYM-43611に親和性を示さなかった。これはD4 mRNAが相対的に多いとされてきたサルの前頭葉にすらD4レセプターそのものは非常に少なくD4とは異なる新しいドーパミンレセプターが存在している可能性を示唆する。このことからヒト大脳皮質、海馬に存在が報告されているネモナプリド結合部位もD4レセプターとは異なる新しいドーパミンレセプターである可能性が示唆される。(第五章)

 D4レセプターは発見された当初から精神分裂病治療のターゲット候補として注目を集めてきたが、遺伝子レベルで取り扱い辛くmolecular characterizationが進展しなかった。本研究で私は初めてD4レセプターのfull-length cDNAをクローニングし、D4 mRNAのヒト脳内分布を明らかにした。その結果、D4レセプター発見当初に注目されたラット、サルの大脳皮質でmRNAが多く存在するというデータはヒトには当てはまらず、D4 mRNAはヒト大脳皮質で非常に少ないことが示された。また、D4レセプターそのものはサルの前頭葉でも非常に少なかった。ヒト脳内でD4 mRNAは発現量が少なく、分布からは神経よりも寧ろグリア細胞で発現していると示唆されたことから、D4レセプターがヒトの精神、感情制御あるいは運動系の制御に深く関わっているとは推察し難く、精神分裂病治療のターゲットとなる可能性は低いと考えられる。一方、ネモナプリドとラクロプリドを用いたD4結合部位の研究からネモナプリド結合部位がヒトの大脳皮質、海馬に多く存在することが示されてきたが、本研究は、それがD4レセプターとは異なる新しいドーパミンレセプターである可能性を強く示唆した。大脳皮質、海馬は精神分裂病ともっとも関わりの深い脳の部位であり、このネモナプリド結合部位は精神分裂病とドーパミンの繋がりを研究する上で重要な手がかりになると考えられる。

 本研究は、D4レセプターのmRNAがヒトの大脳皮質で非常に少ないことを示し、今までD4レセプターだと考えられてきたヒト大脳皮質のネモナプリド結合部位がD4レセプターとは異なる新たなドーパミンレセプターである可能性を示唆した。これは精神疾患の治療ターゲットの発見につながる重要な知見だと考えられる。

審査要旨

 ドーパミンは様々な疾患に関与する神経伝達物質であり、特に精神分裂病との関連について盛んに研究が行われてきた。現在までに5種類のドーパミンレセプターがクローニングされ、全て7回膜貫通型レセプターであることが明らかになっている。中でも、D4レセプターは抗精神病薬クロザピンに親和性が高く、ラット、サルの脳内で分裂病と関連が示唆される大脳皮質にmRNAが多く観察されたため、精神分裂病治療のターゲットである可能性が示唆されてきた。また、ヒトのD4レセプターの細胞内第三ループ部分に反復配列が存在し、その単位数が広範な多型を示すことから精神疾患との関連が注目されてきた。しかし、D4レセプターは遺伝子レベルの取り扱いが困難だったためにfull-length cDNAが取得できず、ヒト脳内のmRNA分布が確認されていないといった重要な問題が未解決のまま残されていた。また、多型を示す反復配列がヒト特有かどうかも不明であった。

 この論文は、ドーパミンD4レセプターを分子生物学的手法を用いて解析したものである。論文は序論、5章からなる本論、結論より構成される。

 第1章では、ヒトD4レセプターのfull-length cDNAのクローニングについて報告している。ヒト臓器におけるmRNAの発現量を確認したところ、D4mRNAは網膜で最も発現が高く、次いで脳、胎盤、腎臓で発現していた。ヒト網膜RNAを用いてPCRの条件を改良することにより、初めてヒトD4full-length cDNAのクローニングに成功した。得られたcDNAの中には反復配列が2回型と4回型のものが含まれており、これらの反復配列がmRNAに転写され、活性を有するレセプターをコードしていることが確認された。

 第2章では、ヒトD4レセプター細胞内第三ループに存在する反復配列が霊長類全般に存在することを報告している。改良したPCR法を用いてチンパンジー、ゴリラ、オランウータン、カニクイザル、マーモセットからD4レセプター細胞内第三ループ部分をクローニングし解析した結果、反復配列はマーモセットを含んだすべての霊長類に存在していた。これは、反復配列がヒト特有ではなく新世界猿と旧世界猿が分岐した数千万年以前の霊長類の共通祖先から存在していたことを示唆している。

 第3章では、Northern解析、competitive RT-PCR法を用いたD4mRNAのヒト脳内分布について報告している。ヒトのD4 mRNAは1.5kbであり、前頭葉を含むヒト大脳皮質には殆ど存在しないことが判明した。逆に、D4 mRNAは白質から構成される脳梁、白質を多く含む脊髄、延髄などの部位で検出された。またヒト脳内におけるD4 mRNA量は非常に少ないことが明らかになった。これらの結果は、D4レセプターが抗精神病薬のターゲットとなる可能性が低いことを示唆した。

 第4章では、ヒト脳内においてD4プローブとクロスハイブリダイズし、かつ分布が一致する遺伝子のクローニングについて報告している。D4とヒト脳内分布が一致するmRNAはAPJと命名された7回膜貫通型レセプターをコードしていることが判明した。APJ mRNAのヒト脳内分布がD4と一致し白質部に多く観察されることは、D4やAPJレセプターを含む一部の7回膜貫通型レセプターが神経よりも寧ろグリア細胞で発現していることを示唆した。

 第5章では、サルの前頭葉を用いたネモナプリド結合部位の検討について報告している。ネモナプリドに結合しラクロプリドに結合しないD4-likeなドーパミンレセプターがサル前頭葉に存在したが、その大部分は選択的D4阻害剤であるYM-43611に親和性を示さなかった。これは精神分裂病と最も関わりが深いと考えられている大脳皮質前頭葉にD4レセプターとは異なる新しいドーパミンレセプターが存在している可能性を示唆し、新たな精神疾患の治療ターゲットの発見につながる重要な知見だと考えられる。

 以上、この研究は、ドーパミンD4レセプターとその関連受容体の脳における存在状態を明らかにしたもので、神経生理学、分子生物学の進展に寄与するものであり、博士(薬学)の学位に相当すると判断する。

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