学位論文要旨



No 213514
著者(漢字) 塩谷,清人
著者(英字)
著者(カナ) シオヤ,キヨト
標題(和) 2次元水平振動の知覚閾に関する研究
標題(洋)
報告番号 213514
報告番号 乙13514
学位授与日 1997.09.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13514号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神田,順
 東京大学 教授 秋山,宏
 東京大学 教授 村上,周三
 東京大学 助教授 加藤,信介
 東京大学 助教授 平手,小太郎
内容要旨

 本研究は、長周期水平振動に対する振動知覚について今一度詳細に検討し、振動知覚閾を定量的に把握することにより、将来、超高層建物の使用限界状態設計にまで適用する事のできるように振動知覚のばらつきを確率論的に評価することを目的とするものである。

 既往の研究を検討した結果、長周期振動を対象とした振動知覚閾の研究に関しては、研究者により提案にかなり幅があり、必ずしも定量的に明確には把握されていないことが明らかとなった。各国で提案されている振動評価基準の定義も様々であり、検討の余地が残されている。長周期振動を対象とした振動知覚に関する実験的研究の手法としては、仮想居室を用いた被験者試験による方法と、実在の高層建物における強風時の応答観測とアンケート調査による方法があるが、本研究では、対象とする振動数範囲において系統的に検討するという主旨から、前者の方法を採用した。また、超高層建物の振動に対する居住性能評価のための基本として、振動の体感による知覚に注目し、加速度で表現される振動知覚閾について検討することとした。

 本研究では正弦振動に対する振動知覚閾を振動知覚評価の基準と考え、一軸・楕円・円の軌跡を描く正弦波に対する被験者試験を行うことにより、2次元的な振動に対する振動知覚の基本特性を把握した。

 さらに、実際の超高層建物の応答に近い条件における振動知覚を検討するために、超高層建物の応答を模擬した狭帯域ランダム振動に対する被験者試験を実施し、ランダム振動の知覚が正弦振動の知覚に対してどう位置づけられるか比較検討した。

 最後に、正弦振動と狭帯域ランダム振動に対する知覚試験の結果得られた知覚の確率モデルをもとに、超高層建物の居住性能評価のための評価曲線を2次モーメント法に適用可能な形で提案した。実在の超高層建物を対象として、振動知覚指標による居住性能評価を試み、本研究で得られた知見が今後実用化されると思われる設計手法にも適用可能であることを検証した。

 本論文は、以下に示す各章より構成されている。

 第1章 序論

 第2章 振動知覚試験装置の製作

 第3章 正弦振動に対する知覚

 第4章 ランダム振動に対する知覚

 第5章 超高層建物の居住性能評価

 第6章 結論

 第1章では、本研究で検討すべき課題を明確にするために、1秒以上の周期範囲を対象として、現在までに提案されている長周期水平振動に対する振動知覚閾および振動許容値に関する研究や規・基準ついて概観し、その特徴について比較検討した。

 その結果、長周期振動を対象とした振動知覚閾の研究に関しては、研究者により提案にかなり幅があり、必ずしも定量的に明確には把握されていないことが明らかとなった。各国で提案されている振動評価基準の定義も様々であり、検討の余地が残されている。

 これら既往の研究に対して、本研究の目的を「長周期振動に対する振動知覚閾を定量的に把握する」、「振動知覚のばらつきを確率論的に評価する」の2点とすることとした。

 第2章は、本研究を遂行するための試験装置の設計、製作について述べている。仮想居室としての振動知覚試験室は、駆動装置として大型3次元振動台を使用したため、油圧アクチュエータから発生する高調波の振動と騒音の影響を如何に除去するかが大きな課題である。

 振動対策として、試験室を多段積層ゴムによる除振装置で支持し、試験室の系の固有振動数を低くすることにより、振動台からの高調波を除去した。騒音対策としては、振動台から直接伝搬する音を遮断するために床を鉄筋コンクリート製の重量スラブとし、空気伝搬音に対しては、天井と壁にグラスウールを充填した遮音壁、防音仕様の2重扉、2重ガラスの防音窓を採用した。こうした振動対策と騒音対策について、性能確認のための振動測定と騒音測定を行い、十分な振動特性と遮音特性を有していることを確認した。

 第3章は、本研究で基本と考える正弦振動に対する振動知覚について検討したものである。

 超高層建物の応答は2次元的なものであることから、一軸方向の正弦振動に加え、楕円と円の軌跡を描く正弦振動に対する被験者試験を同時に行ない、2次元的な振動に対する振動知覚の基本的な特性を把握した。さらに、1次元的な振動と2次元的な振動をどの程度識別できるか、被験者試験を行った際に被験者に対しアンケート調査を行い検討した。

 その結果、以下に示す事項が明かとなった。

 ・正弦振動に対する振動知覚加速度は振動数のべき乗で近似することができ、知覚加速度をA(cm/s2)振動数をf(Hz)とすると、A=afbなる回帰式で表現できる。

 ・一軸振動、楕円振動、円振動の何れの場合も、振動数が高くなるに従い、知覚加速度は低くなる傾向となっており、明瞭閾は、知覚閾に対して約30%大きい。

 ・一軸振動、楕円振動の何れの場合も、加振方向に対して振動知覚は順方向よりも直角方向の方がやや敏感であり、円振動では、楕円振動の直角方向の知覚にほぼ等しい。

 ・試験時のアンケート結果と知覚加速度の分析結果から、楕円や円を描くような2次元振動に対する振動感覚は、1次元振動に対する振動感覚と概ね同程度であるといえる。

 ・振動知覚のばらつきを表す確率モデルとして、振動知対数正規分布が適している。

 ・本研究結果の知覚閾の50パーセンタイル値と明瞭閾の10パーセンタイル値は、何れの振動パターンでも、日本建築学会の居住性能評価基準H3曲線の0.2Hzより高い振動数範囲については良く対応しており、ISOの知覚閾平均値とほぼ一致している。

 第4章は、実際の超高層建物の応答に近いランダム振動に対する振動知覚について検討したものである。ここでは、狭帯域ランダム波を合成し、ランダム振動に対する振動知覚加速度を被験者試験により求め、ランダム振動の知覚が正弦振動の知覚に対してどのように位置づけられるかを比較検討した。その結果、以下に示す事項が明かとなった。

 ・ランダム振動に対する振動知覚加速度と振動数の関係は正弦振動と同様、振動数のべき乗で近似できるが、正弦振動に対する振動知覚加速度と振動数の関係は、両対数軸上で負の勾配を持つ直線となるのに対し、ランダム振動に対する知覚加速度は、知覚閾については振動数に関係なくほぼ一定値であり、明瞭閾については、やや正の勾配を持つ傾向がある。

 ・明瞭閾の絶対値は知覚閾に対しおよそ倍程度であり、正弦波の場合と同様に、加振方向に対して直角方向の振動知覚の方が順方向よりもやや敏感である。

 ・振動知覚のばらつきを表す確率分布としては、正弦波と同様対数正規分布が適しており、感覚のばらつきの程度は正弦波と同等である。

 ・正弦振動とランダム振動の知覚加速度の傾向に差異があるのは、振動を知覚したと認識するまでの反応の遅れが原因の1つと考えられる。

 ・正弦振動とランダム振動に対する振動知覚の重要な相違点は、正弦振動に対する知覚加速度は、振動数に対して負の勾配をもつのに対し、ランダム振動では、振動数に関係なくほぼ一定値か、やや正の勾配を持つ傾向があることである。既往の研究においても本研究と同様の傾向が認められるものもあり、ランダム振動に対する知覚が、正弦振動とは異なった傾向にあるものと考えられる。

 第5章は、正弦振動とランダム振動に対する知覚の検討結果をもとに、2次モーメント法にも適用可能な超高層建物の居住性評価曲線を提案し、実在の超高層建物の居住性能評価を行うことにより、提案の妥当性を検討したものである。

 居住性能評価曲線として、振動数に依存する振動知覚加速度の期待値を与える式と変動係数を定義し、これを年最大風速に対する建物の応答を評価するものとして定義した。

 振動知覚加速度Pa(cm/s2)は対数正規分布するとし、応答の卓越振動数をf(Hz)として振動知覚加速度の期待値と変動係数(COV)を以下のように定義した。

 

 提案した居住性能評価曲線の検証をするために、実在の超高層建物25棟を対象として、その実測結果から得られている構造特性を用い、神田らにより提案されている使用限界状態設計における振動知覚指標により居住性能評価を行った。

 得られた結果を現行の建築学会の居住性能指針と比較し、ここで検討した評価手法は現行の評価基準との連続性も保つことができることを確認した。

審査要旨

 近年、超高層住宅の普及に伴い、強風時の風揺れ居住性能としての振動知覚閾の評価は重要な課題の一つである。特に超高層建築に生ずる長周期水平振動に対する振動知覚に関する研究は、実験や実測を基に振動知覚閾の提案があるものの、その値に幅があり、多くの検討の余地を残している。

 本論文は、実在の高層建物の揺れを模擬する形で、振動知覚試験装置を製作し、多数の系統的な実験結果をとりまとめ、振動知覚のばらつきを定量的に把握した上で、さらに構造設計における応用への提案にまで言及しているもので、全6章よりなる。

 第1章は、1秒以上の周期範囲を対象とした、振動知覚閾および許容値に関する既往の研究や規・基準について概括し、本研究のねらいと確率論的評価の意味を明らかにしている。

 第2章は、試験装置の設計および製作について述べている。通常の構造実験(加速度として例えば100Gal〜3000Gal)に比べて小さな加速度(例えば1Gal〜10Gal)を制御するため、本研究のための特別な装置が必要である。人間の振動知覚が振動周期に依存していることから、高周波振動の除去は、実験精度を確保する上で、極めて重要であり、その点について、多くの工夫が加えられている。また、聴覚、視覚の影響も取り除いた試験装置として、従来のものに比較して、高性能な装置の製作に成功している。

 第3章は、2次元水平振動として、一軸、楕円、円の軸跡を描く正弦振動に対する振動知覚試験をとりまとめたものである。結果は、「やっと感じ始める」知覚閾と「はっきり感じる」明瞭知覚閾の判定の統計的評価をもとに整理して、次のような結論を導いている。1)振動知覚加速度は、振動数のべき乗に比例する形で、定式化でき、両対数軸上負の勾配をもつ直線で表現できる。2)明瞭知覚閾の加速度は知覚閾に対し30%程度大きい。3)振動知覚は順方向(前後方向)より、直角方向(左右方向)の方が敏感である。4)楕円や円を描く2次元振動知覚も一軸の振動知覚とほぼ同等である。5)振動知覚閾の個人差によるばらつきの確率モデルとしては、対数正規分布でモデル化できる。6)知覚閾の50パーセンタイル値、明瞭知覚閾の10パーセンタイル値は、ISO基準の値に概ね一致している。また、日本建築学会の居住性能指針との対応についても考察している。

 第4章は、超高層建築の強風時応答をランダム振動として解析的にシミュレーションしたものに対し、正弦振動に対する知覚閾と比較する形でとりまとめている。結論としては、前章の2)明瞭知覚閾と知覚閾の関係、3)順方向と直角方向の関係、5)対数正規分布によるモデル化については同様と認められるが、振動数に対する傾向が知覚閾については、ほぼ一定であり、明瞭知覚閾については、両対数軸上でやや正の勾配を持つ直線の表現となり、異なっている。これは、人間の知覚認識までの反応の遅れが原因の1つと推定している。

 第5章は、3章、4章の結果をもとに、振動知覚のばらつきの定量化を前提として、2次モーメント法による信頼性評価を可能とする超高層建築の居住性評価曲線を提案した上で、具体的な実建物の居住性能評価に適用し、評価手法の妥当性を検証している。本論で示された手法は、現行の日本建築学会の指針との連続性を有する一方、性能評価を振動知覚の確率を通して、より客観的な振動知覚指標の形で一般化しているところに特徴を有している。

 第6章は、全体を総括した上で、問題点の整理を行って、結論としている。

 以上のように本論文は、精度の高い振動知覚試験装置による2次元水平振動の知覚閾を、統計的評価により定量化することで、新しい知見として整理し、それをさらに実建物の評価、構造設計への応用の形で成果の位置付けを明らかにしており、その建築工学的な意義は高い。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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