流体中において、層流境界層が物体表面から剥離し、乱流に遷移した後、再び物体表面に付着することがある。この剥離-再付着流れと物体表面の間の領域は、層流剥離泡(laminar separation bubble)と呼ばれる。その内部は逆流や乱流遷移を含む複雑な流れであるためにそれらが形成されるメカニズムには未知の部分が残されており、単純な形状を持つ物体表面における剥離泡の形成を予測することすら現状では難しい。中でも翼型上に生ずる層流剥離泡は、その挙動が翼の失速特性を決定づける要因となるため、その性質の解明は工学的にも重要な問題である。 翼型上に生ずる層流剥離泡は、迎角を増すに従って長さが縮むshort bubbleと、長さが伸びるlong bubbleの2種類に分けられる。翼型上にshort bubbleが存在しているとき、迎角を増すと再付着点は前進していくが、ある迎角に達するとshort bubbleは突然バースト(burst)する。そのとき剥離流が翼面に再付着できなければ翼の揚力は急減する(前縁失速)。これに対し、いったんshort bubbleがburstした後も剥離流が翼後半で翼面に再付着できた場合はlong bubbleを形成し、少ないながら揚力は保たれる(薄翼失速)。このburst前後の姿であるshort bubbleとlong bubbleの内部構造を解明し、その相違点を調べることによりburstの機構を探る研究が多くなされてきた。これらの研究から、剥離泡後半よりも剥離直後の領域に2種の層流剥離泡を区別する原因があることが示唆された。また、long bubbleの剥離点付近にはshort bubbleに比べ速度変動に低周波成分が顕著に現れることが知られているが、剥離点付近の剪断層は非常に薄く測定が難しいこともあり、この剥離泡前半から存在する低周波速度変動と2種の剥離泡の関係は解明されていない。 本研究の目的は、short bubble burst前後の姿であるshort bubbleとlong bubble内の流れ構造の違いを明確にすることである。そこでこの両方の剥離泡が迎角の変更によって観察できる翼型として薄翼失速の特性を示す翼型を選び、burst前後の剥離泡内部の流れ場に音波によって低周波成分を加振することにより低周波変動の剥離泡に及ぼす影響を能動的に調べ、2種の剥離泡の違いを明らかにすることを試みた。 薄翼失速の特性を示すNACA63-009翼型模型に風洞測定部下方に取り付けたスピーカーからの音波による低周波加振を試みたところ、適当な周波数の音波を与えたとき加振しない時に比べてshort bubble burstが低迎角で起こることを見出した。すなわち、burst直前のshort bubbleに低周波擾乱を人為的に与えることで剥離泡はその長さを伸ばし、long bubbleになることが示された。 このburst直前の迎角において翼型上に存在するshort bubbleと、これに低周波を加えたとき生ずるlong bubble内の平均流速や乱れ応力、パワースペクトルをレーザー・ドップラー流速計(LDV)を使用して詳細に測定し、両者の比較を行った。速度変動のパワースペクトル解析から、剥離直後から成長する速度変動は低周波が支配的で流線方向にのみ存在し、低周波加振によりこの低周波速度変動が大きく増加することを見出した。また、速度変動に含まれる高周波成分は剥離泡中央から成長し、非対称自由剪断流中の擾乱の線形安定理論から導かれる値に一致する。2種の剥離泡の間で高周波成分には大きな違いはみられなかった。 本研究では2台のLDVを用いて空間的に異なる2点の速度相互相関解析を行い、流れ場の組織的な運動を捉えた。低周波加振したときの流速変動相互相関による解析結果から、剥離直後から分離流線に沿って遅い周期の渦が放出され、さらに剥離泡前半から剥離泡内部の剪断層が上下運動(flapping motion)していることを見出した。この渦放出およびflapping motionの周期は加振周波数に同期しており、剥離泡内の逆流によるフィードバックによって維持されることがわかった。 これらの低周波変動が剥離泡に及ぼす影響を調べるため、剥離泡内部の二次元流速測定データを用いて、空間平均圧力分布、乱れエネルギーおよび剪断応力の収支を算出し、2種の剥離泡の値を比較した。空間平均圧力分布で分離流線に沿って圧力の低い領域が見られたが、この領域は剥離点付近から放出される渦の中心に一致するものと思われ、この放出渦中央の低圧部が通過するために平均圧力の低い領域が生ずると考えられる。これは過去に測定した平板翼上に生ずるlong bubbleにも見られたもので、long bubbleでは剥離泡直後から遅い周期の渦が放出されることを確認した。乱れエネルギー及び剪断応力は、低周波加振により剥離泡内の成長開始がわずかに早まるが、同時に剪断層厚みが増したことによって成長率が抑えられるため、両者の影響を受けるそのピーク値にはあまり変化がみられない。また、乱れエネルギーの上下方向への拡散が増加し、剥離泡後半の圧力回復領域における乱れ応力は弱まり、その結果再付着点は後方へ移動することがわかった。これらの現象はflapping motionから以下のように説明される。 剪断層内で流れの方向に垂直な速度変動やレイノルズ剪断応力はflapping motionによって直接は生み出されないが、高周波擾乱の成長によって生じた乱れ成分はflapping motionによって剪断層の上下方向への拡散を促進される。これにより、剥離泡中央での乱れ応力は剪断層の上下で増加するため剪断層厚みは低周波加振しない場合より増加する。しかし、その後の圧力回復領域では剪断層厚みが増加したことにより反対に乱れ応力を弱めることになり、特に再付着点付近の翼面上の逆流を妨げる方向に働く乱れ応力が減少することにより再付着点は後退する。すなわち、flapping motionは再付着点を後退させる効果を生むことが示された。 翼型の迎角を上げていくと、suction peakの上昇及び剪断層の厚みの減少によって自由剪断層不安定により発生する高周波擾乱の成長が早まる。それが流れ場の乱流遷移を促進し、圧力回復勾配を増加させるため再付着点を前進させようとする効果が生ずる。これが迎角を上げるにつれてshort bubbleの長さが縮む機構であるが、一方では剥離点が前縁に近づくことで剥離後の流線の曲率や速度変化が増加することによって組織的な低周波変動が増大し、上述した再付着点を後退させる効果も増加する。後者の効果が前者の効果を上回った時に、short bubble burstが生ずるものと考えられる。 |