学位論文要旨



No 213517
著者(漢字) 辰己,薫
著者(英字)
著者(カナ) タツミ,カオル
標題(和) 翼型上に生ずる層流剥離泡のバーストに関する実験的研究
標題(洋)
報告番号 213517
報告番号 乙13517
学位授与日 1997.09.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13517号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,淳造
 東京大学 教授 久保田,弘敏
 東京大学 教授 森下,悦生
 東京大学 助教授 李家,賢一
 東京大学 助教授 鈴木,宏二郎
内容要旨

 流体中において、層流境界層が物体表面から剥離し、乱流に遷移した後、再び物体表面に付着することがある。この剥離-再付着流れと物体表面の間の領域は、層流剥離泡(laminar separation bubble)と呼ばれる。その内部は逆流や乱流遷移を含む複雑な流れであるためにそれらが形成されるメカニズムには未知の部分が残されており、単純な形状を持つ物体表面における剥離泡の形成を予測することすら現状では難しい。中でも翼型上に生ずる層流剥離泡は、その挙動が翼の失速特性を決定づける要因となるため、その性質の解明は工学的にも重要な問題である。

 翼型上に生ずる層流剥離泡は、迎角を増すに従って長さが縮むshort bubbleと、長さが伸びるlong bubbleの2種類に分けられる。翼型上にshort bubbleが存在しているとき、迎角を増すと再付着点は前進していくが、ある迎角に達するとshort bubbleは突然バースト(burst)する。そのとき剥離流が翼面に再付着できなければ翼の揚力は急減する(前縁失速)。これに対し、いったんshort bubbleがburstした後も剥離流が翼後半で翼面に再付着できた場合はlong bubbleを形成し、少ないながら揚力は保たれる(薄翼失速)。このburst前後の姿であるshort bubbleとlong bubbleの内部構造を解明し、その相違点を調べることによりburstの機構を探る研究が多くなされてきた。これらの研究から、剥離泡後半よりも剥離直後の領域に2種の層流剥離泡を区別する原因があることが示唆された。また、long bubbleの剥離点付近にはshort bubbleに比べ速度変動に低周波成分が顕著に現れることが知られているが、剥離点付近の剪断層は非常に薄く測定が難しいこともあり、この剥離泡前半から存在する低周波速度変動と2種の剥離泡の関係は解明されていない。

 本研究の目的は、short bubble burst前後の姿であるshort bubbleとlong bubble内の流れ構造の違いを明確にすることである。そこでこの両方の剥離泡が迎角の変更によって観察できる翼型として薄翼失速の特性を示す翼型を選び、burst前後の剥離泡内部の流れ場に音波によって低周波成分を加振することにより低周波変動の剥離泡に及ぼす影響を能動的に調べ、2種の剥離泡の違いを明らかにすることを試みた。

 薄翼失速の特性を示すNACA63-009翼型模型に風洞測定部下方に取り付けたスピーカーからの音波による低周波加振を試みたところ、適当な周波数の音波を与えたとき加振しない時に比べてshort bubble burstが低迎角で起こることを見出した。すなわち、burst直前のshort bubbleに低周波擾乱を人為的に与えることで剥離泡はその長さを伸ばし、long bubbleになることが示された。

 このburst直前の迎角において翼型上に存在するshort bubbleと、これに低周波を加えたとき生ずるlong bubble内の平均流速や乱れ応力、パワースペクトルをレーザー・ドップラー流速計(LDV)を使用して詳細に測定し、両者の比較を行った。速度変動のパワースペクトル解析から、剥離直後から成長する速度変動は低周波が支配的で流線方向にのみ存在し、低周波加振によりこの低周波速度変動が大きく増加することを見出した。また、速度変動に含まれる高周波成分は剥離泡中央から成長し、非対称自由剪断流中の擾乱の線形安定理論から導かれる値に一致する。2種の剥離泡の間で高周波成分には大きな違いはみられなかった。

 本研究では2台のLDVを用いて空間的に異なる2点の速度相互相関解析を行い、流れ場の組織的な運動を捉えた。低周波加振したときの流速変動相互相関による解析結果から、剥離直後から分離流線に沿って遅い周期の渦が放出され、さらに剥離泡前半から剥離泡内部の剪断層が上下運動(flapping motion)していることを見出した。この渦放出およびflapping motionの周期は加振周波数に同期しており、剥離泡内の逆流によるフィードバックによって維持されることがわかった。

 これらの低周波変動が剥離泡に及ぼす影響を調べるため、剥離泡内部の二次元流速測定データを用いて、空間平均圧力分布、乱れエネルギーおよび剪断応力の収支を算出し、2種の剥離泡の値を比較した。空間平均圧力分布で分離流線に沿って圧力の低い領域が見られたが、この領域は剥離点付近から放出される渦の中心に一致するものと思われ、この放出渦中央の低圧部が通過するために平均圧力の低い領域が生ずると考えられる。これは過去に測定した平板翼上に生ずるlong bubbleにも見られたもので、long bubbleでは剥離泡直後から遅い周期の渦が放出されることを確認した。乱れエネルギー及び剪断応力は、低周波加振により剥離泡内の成長開始がわずかに早まるが、同時に剪断層厚みが増したことによって成長率が抑えられるため、両者の影響を受けるそのピーク値にはあまり変化がみられない。また、乱れエネルギーの上下方向への拡散が増加し、剥離泡後半の圧力回復領域における乱れ応力は弱まり、その結果再付着点は後方へ移動することがわかった。これらの現象はflapping motionから以下のように説明される。

 剪断層内で流れの方向に垂直な速度変動やレイノルズ剪断応力はflapping motionによって直接は生み出されないが、高周波擾乱の成長によって生じた乱れ成分はflapping motionによって剪断層の上下方向への拡散を促進される。これにより、剥離泡中央での乱れ応力は剪断層の上下で増加するため剪断層厚みは低周波加振しない場合より増加する。しかし、その後の圧力回復領域では剪断層厚みが増加したことにより反対に乱れ応力を弱めることになり、特に再付着点付近の翼面上の逆流を妨げる方向に働く乱れ応力が減少することにより再付着点は後退する。すなわち、flapping motionは再付着点を後退させる効果を生むことが示された。

 翼型の迎角を上げていくと、suction peakの上昇及び剪断層の厚みの減少によって自由剪断層不安定により発生する高周波擾乱の成長が早まる。それが流れ場の乱流遷移を促進し、圧力回復勾配を増加させるため再付着点を前進させようとする効果が生ずる。これが迎角を上げるにつれてshort bubbleの長さが縮む機構であるが、一方では剥離点が前縁に近づくことで剥離後の流線の曲率や速度変化が増加することによって組織的な低周波変動が増大し、上述した再付着点を後退させる効果も増加する。後者の効果が前者の効果を上回った時に、short bubble burstが生ずるものと考えられる。

審査要旨

 工学修士 辰己薫提出の論文は、「翼型上に生ずる層流剥離泡のバーストに関する実験的研究」と題し、本文5章付録5章より成っている。

 古くより航空機主翼表面に発生する層流剥離泡には、二種類のshort bubble及びlong bubbleと呼ばれる性質の異なるものが知られてきた。それぞれの剥離泡の外形的な特色や、翼型特性に及ぼす影響については、これまでに充分な知識が集積されてきたにもかかわらず、その両者を分ける流体力学的な原因・詳細構造については、剥離泡が常に非常に小さいこともあって、未だ十分な解明がなされていない。特に翼迎え角の増加に伴ってshort bubbleがlong bubbleに突然移り変わる崩壊現象は、急激な揚力の減少を伴う失速を引き起こす故に、航空機設計者の注目するところであり、航空安全上から、その発生時期の正確な予測手法の開発が望まれてきた。

 著者は、流体中の局所の流速を光学的に測定する事によって、測定プローブによって流れ場を乱すこと無く正確な測定が可能な道具として開発されたレーザ・ドップラー流速計を使用することにより、翼型模型上に生じた層流剥離泡の内部を詳細に観察し、二種類の層流剥離泡の流体力学的な差異を明らかにすることを試みた。

 第1章は序論で、層流剥離泡の研究を歴史的に概観し、二種類の剥離泡のいずれにおいても、剥離剪断層の乱流への最終的な遷移は物理的には同じ自由剪断層の不安定現象によって生じていること、更にはlong bubbleには特に低周波の変動成分が顕著に観察されるが、その剥離泡に対する影響はこれまで明らかにされていないことなどを述べ、この研究では特にこの低周波変動の影響について考察するとしている。

 第2章では、実験装置及び実験方法について述べており、二台のレーザ・ドップラー流速計を使用して、二次元翼模型上に出来る層流剥離泡を測定し、これに本研究の主要目的である低周波の擾乱を音響的に加えることにより、その影響を調べる方策を説明している。

 第3章は、実験の結果について詳しく述べており、崩壊直前のshort bubbleに特定の低周波擾乱を与えることにより、迎え角を一定に保ったままでもこれをlong bubbleに変えることが出来ることを実験的に示し、この二つの状態における翼型周りの流れ場を測定し、これを基に、平均流速、乱れ応力、乱れ成分パワースペクトル密度等の分布を調べ、更に二台の測定器を同時に使用して空間的に異なる二点の速度相互相関を求め、これらによって流れ場の組織的運動を把握している。この結果によると、低周波加振によるshort bubbleの崩壊に伴い、層流剥離点の直後から分離流線に沿って遅い周期の孤立渦が顕著に放出されはじめ、これにより剥離泡の前半から剪断層の周期的な上下運動(flapping motion)が生ずる。これらの現象は低周波加振周波数に容易に同期して活動を強め、剥離泡内部の逆流によるフィードバックによって運動が維持されている。

 第4章は考察で、測定データを基に、空間平均圧力分布、乱れエネルギー及び剪断応力等の収支を算出して低周波加振の効果を考察すると、剥離自由剪断層不安定に基づく高周波変動が作り出す乱れエネルギーは、低周波加振によって強められるflapping motionによって剪断層上下方向への拡散を促進され、これが乱れ応力のその後の増大を鈍らせるために、剥離剪断流の再付着が遅れてlong bubbleを形造ると説明される。

 第5章は結論で、以上の結果をまとめて成果としている。

 付録には、データの処理に使用した諸関係式について詳述している。

 以上を要するに、著者の論文は翼型上に生じる層流剥離泡の流体力学的詳細構造を調べ、二種類の異なる剥離泡の物理的な相違点を明らかにし、剥離泡の崩壊現象に新たな知見を付け加えたもので、航空宇宙工学上貢献するところが大きい。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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