学位論文要旨



No 213519
著者(漢字) 山口,功
著者(英字)
著者(カナ) ヤマグチ,イサオ
標題(和) 大型宇宙構造物の軌道上システム同定に関する研究
標題(洋)
報告番号 213519
報告番号 乙13519
学位授与日 1997.09.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13519号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 中須賀,真一
 東京大学 教授 小野田,淳次郎
 東京大学 教授 鈴木,真二
 東京大学 教授 松尾,弘毅
 東京大学 助教授 青木,隆平
内容要旨

 宇宙構造物や人工衛星はそのミッションの複雑化,多様化,高性能化に伴い,構造も大型化,柔軟化するに傾向にある.このようなシステムに対して,いわゆるロバスト制御理論に基ずく制御系設計法が適用され,優れた制御性能を与えることが可能となってきている.しかしロバスト制御といえども,制御対象の数学モデルを用いて設計される.そのため,求められた制御系の保守性を低減し,優れた制御性能を達成するためには,可能な限り正確な同定を行うことが不可欠である.ところが,軌道上で展開・組立される宇宙構造物の場合では,地上での振動試験は容易ではなく,軌道上同定によるより精密なモデルの同定が必要となってきている.しかしながら,従来法による同定理論を軌道上同定に適用すると宇宙実験という特殊性から生じる様々な制約のため,いくつかの問題点があることを指摘した.

 そこで,本論文では,これらの問題点を克服するために従来の時間領域でのハンケル行列による同定理論に以下のような項目について理論的拡張を行った.

(i)矩形波入力への拡張

 軌道上でのガスジェットスラスタによる加振を想定して,理想的なインパルス入力ではなく,矩形波入力に対しても解析できるようにハンケル行列の特異値分解による固有システム実現化法を拡張した.

(ii)加速度出力への拡張

 状態空間表現では処理しにくい加速度情報についても対応できるように考察を行い,宇宙構造物に搭載された加速度計データの解析を可能とする同定法を提案した.加速度計データには高次モードの情報も豊富に含まれるため,この理論的拡張により高次モードの同定も可能となった.

(iii)回帰法を適用した入出力行列の同定精度の改良

 振動モード方程式が本来,有している方程式の構造を取り込むことによって,(i)あるいは(ii)によって同定された振動モードの振動数と減衰比からシステム行列を構成して,それを用いて時間領域での出力誤差に関する最小2乗法による入出力行列の同定を行い,矩形波加振時刻と観測データ取り込み開始時刻との時間差を正確に反映させることにより,その同定精度を向上させるアルゴリズムを提案した.さらに,この時の繰り返し計算の収束性から,システム行列の次数の決定について,その規範を与えることを示した.

(iv)2次振動系からの剛体モードの同定精度の改良

 対象物に剛体モード存在していることが事前にわかっている場合,原波形から直接,最小2乗法により剛体モードのみを同定する手法を提案した.

(v)閉ループ系での加振による開ループ系の同定への拡張

 衛星の姿勢制御系を稼働させた状態で加振を行い,その取得データから制御系の動特性を取り除いた,衛星の開ループのシステム同定を行う手法を提案した.この手法により軌道上実験の安全性を向上させることが可能となった.

 本論文で提案された軌道上同定のためのアルゴリズムは地上実験や実衛星による軌道上実験により実験的にその理論的妥当性や有用性が確認された.

(1)1軸エアテーブル試験装置による地上実験

 本試験装置は図1に示すように,圧縮空気によって浮上するアルミ製の円板を模擬衛星本体とし,それにCFRPで作成されたアイソグリッドパネルが搭載された構成になっている.このシステムに対してトルカから矩形波を入力してテーブル本体を加振して,その際に測定された姿勢角や加速度計データに対して提案されたアルゴリズムを適用して解析を行った.

図1 1軸エアテーブル試験装置の概観

 その結果,得られた成果は以下の通りである.

(i)第3章において提案されたアルゴリズムの実験的検証

 第3章において提案された,矩形波加振による時間領域でのシステム同定論とその理論的拡張の妥当性について地上の実験装置を用いて検証した.

(ii)同アルゴリズムの軌道上同定実験への適用可能性の検証

 加速度計による同定実験の例では1加速度計当たりデータ点数44点,測定時間にして約2秒足らずであり,実験時間に制約のある宇宙実験には非常に有効であることも確認された.

(2)技術試験衛星VI型を用いた軌道上同定実験

 本論文で提案されたアルゴリズムは最終的には1994年に打ち上げられた技術試験衛星VI型(図2)による軌道上同定実験でその有効性が検証された.

図2 技術試験衛星VI型

 その結果,得られた成果は以下の通りである.

(i)本論文で提案された本アルゴリズムの妥当性

 理論的な正当性については既に地上実験において検証されていたが,軌道上加振データによる振動データに対しても正しく同定された.これは打上げ前のFEM解析結果,矩形波加振データに対する他の手法(自由減衰法,FFTなど)による解析結果及びランダム加振という全く異なる加振法による解析結果との比較からも確認された.表1に最終的な同定結果の比較の一例を示す.

表1 軌道上加振実験での振動モードの振動数[Hz]と減衰比[%]の同定結果の比較(270度再構築:270度形態での同定結果からの180度モデルの再構築,本手法:本論文で提案された手法)振動モードについては本文を参照のこと.
(ii)宇宙実験に対する本アルゴリズムの有用性

 ハンケル行列の特異値分解によりシステム行列を同定する本アルゴリズムは,入力として矩形波のみが必要であり,その波形そのものは観測する必要がないこと,また,その後のシステムの自由減衰波形の測定時間も注目している振動モードの10倍程度を目安として取得すればよいことなどの特徴は宇宙実験にとっては非常に有効であると考えられる.

(iii)閉ループ系からの開ループ系の同定に関する理論的考察の妥当性と有用性

 姿勢制御系を遮断せずに制御系を含めた閉ループでの加振実験から衛星単体のシステム同定を行うアルゴリズムの妥当性および軌道上同定への有用性を検証した.閉ループ系全体の同定は本論文で提案された手法を用いているため,外生信号はインパルス入力のみが必要であり,閉ループ系中の制御器から出力される制御信号は測定する必要がなく,衛星の制御系も通常通り運用されていて実験に対する安全性も向上するといった利点が確認された.

審査要旨

 工学修士山口功提出の論文は「大型宇宙構造物の軌道上システム同定に関する研究」と題し、7章及び付録からなる。宇宙構造物や人工衛星はそのミッションの複雑化、多様化、高性能化に伴い、構造も大型化、柔軟化するに傾向にある。このようなシステムに対して、いわゆるロバスト制御理論に基ずく制御系設計法が適用され、優れた制御性能を与えることが可能となってきている。ところが、ロバスト制御といえども、制御対象の数学モデルを用いて設計される。そのため、求められた制御系の保守性を低減し、優れた制御性能を達成するためには、可能な限り正確なモデルの同定を行うことが不可欠であるが、軌道上で展開・組立される宇宙構造物の場合では、地上での振動試験は容易ではなく、軌道上同定による、より精密なモデルの同定が必要となってきている。しかしながら、従来法による時間領域での同定理論を軌道上同定に適用すると、宇宙実験という特殊性から生じる様々な制約のため、いくつかの問題点があることが指摘されている。そこで、本論文では、これらの問題点を克服するために、従来の時間領域でのハンケル行列による同定理論に対して様々な理論的拡張を行い、その理論的妥当性や有用性について、地上実験や実衛星による軌道上実験を通して実験的に検証している。

 第1章「序論」では、最近の大型宇宙構造物の動向と軌道上同定の必要性、システム同定に関する従来の研究やそれらを軌道上同定に適用する際の問題点について述べ、これらの問題点を克服するための理論的拡張の必要性について論じている。

 第2章「時間領域におけるシステム同定理論」では、時間領域でのシステム同定法のひとつとしてハンケル行列を用いた状態実現法や固有システム実現化法(ERA)、イブラヒムの時間領域法について説明し、これらの手法を軌道上同定に適用した場合の問題点を指摘している。

 第3章「軌道上同定のための理論的拡張」では、前章で指摘された問題点を克服すべく、時間領域の同定法であるERAに対して施した理論的拡張について述べている。まず、軌道上でのガスジェットスラスタによる加振を想定して、矩形波入力に対しても解析可能なように理論的拡張を行い、またセンサとして加速度計の利用も可能なように理論的拡張を行っている。さらに、回帰法を適用した入出力行列の同定精度の向上について議論している。また、この時の繰り返し計算の収束性から、システム行列の次数の決定の規範を与える方法も示している。最後に、2次振動系からの剛体モードの同定精度の改良について議論し、対象物に剛体モードが存在していることが事前にわかっている場合に、時系列データから直接、最小2乗法により剛体モードのみを同定する手法を提案している。

 第4章「1軸エアテーブル試験装置による地上実験」では、第3章において理論的拡張を行った同定法を実際の軌道上実験に適用する前に、地上の実験装置を用いて同定実験を行い、その妥当性を検証している。テーブル角測定装置からの姿勢角測定データによる本装置のモデルの同定、加速度計データによる柔構造パネルの振動モード形状の同定などを通して、本論文で提案された理論的拡張が従来法と比較して優位であることや、軌道上実験へ適用可能であることなどが示されている。

 第5章「技術試験衛星VI型による軌道上同定実験」では、まず、衛星の動力学モデルを構築し、軌道上同定実験の概要について述べ、特定の太陽電池パドル角形態での加振実験での同定結果やその結果からの拘束モードモデルの導出、非拘束モードモデルの導出等の同定結果について論じている。そして、矩形波加振データに対する他の同定法による解析結果やランダム加振実験の解析結果との比較検討を行うことにより、本論文で提案した理論的拡張の妥当性や軌道上同定に利用する際の有用性について明らかにしている。

 第6章「閉ループ系の矩形波加振による開ループ系の同定」では、衛星がバス制御系によって制御され、定常状態となっている状況において、矩形波入力によって衛星を加振し、その際観測される時系列データから衛星単体の固有振動モードの同定を行うアルゴリズムについて提案している。本手法では外生信号として矩形波加振入力のみが必要でおり、閉ループ系中の制御器から出力される制御信号は測定する必要がなく、衛星の安定性も十分確保されるなどのメリットが述べられている。

 第7章「結論」では、全体を総括し、本論文で提案された手法の特徴や限界についてまとめ、さらに今後の研究課題について述べている。

 付録では、最小実現システムから力学系の標準形式への変換、1入力多出力系での伝達関数表現、質量行列と剛性行列の同時対角化、そして軌道上実験で用いられた衛星の物理パラメータについてまとめている。

 以上を要するに、本論文は大型宇宙構造物の軌道上システム同定のために、時間領域でのハンケル行列を用いた同定法を理論的に拡張し、その妥当性や有用性、従来法と比較した優位性を、地上実験や実衛星を用いた軌道上実験を通して実験的に証明したものであり、宇宙工学・制御学上、寄与するところが大きい。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51058