学位論文要旨



No 213538
著者(漢字) 松岡,秀行
著者(英字)
著者(カナ) マツオカ,ヒデユキ
標題(和) シリコンMOS反転層における単一電子伝導に関する研究
標題(洋)
報告番号 213538
報告番号 乙13538
学位授与日 1997.09.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第13538号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 大塚,洋一
 東京大学 助教授 長谷川,修司
 東京大学 教授 寿栄松,宏仁
 東京大学 教授 塚田,捷
 東京大学 助教授 河野,公俊
内容要旨

 シリコン半導体集積回路(LSI:Large Scale Integrated circuit)の高集積化に牽引された、超微細加工技術は現在では量産レベルで0.2m、また単体では10nmレベルに達している。こうした微細加工技術を駆使し、近年、ミクロとマクロの中間領域に相当するメソスコピック領域の電気伝導特性の研究が盛んである。中でも、容量が極めて小さく、電子間クーロン反発力が支配的な系において観測される単一電子現象は、電子1個の挙動を制御する究極の電子素子につながる可能性を秘めており、その注目度は高い。

 これまで、半導体における単一電子現象の実験的研究は、1990年のMeiravらの単一電子トンネリング振動の観測に端を発し、主としてGaAs/AlGaAsの高移動度ヘテロ構造を用いて行われてきている。しかし、LSIに広く用いられる、もう1つの代表的な半導体であるシリコンMOS(Metal Oxide Semiconductor)に関しては殆ど報告が無い。GaAs系の多くにおいては、スプリットゲートと呼ばれる構造を用いて、ゲート直下の2次元電子ガスを空乏化させ、微細な量子ドットを形成することにより、単一電子現象が観測されているが、その動作温度は100mK程度の極低温に限られている。また、対象とされている系のほとんどは、基本構造である単一量子ドットであり、複数の量子ドットが直列につながったマルチドットの研究は例が少ない。しかし、こうした系は、人工的に形成された固体結晶として、今後益々重要になると考えられる。

 本論文では、シリコンMOS反転層における単一電子伝導研究を目的とした、新しいシリコン素子を提案する。本素子は、電界効果を利用して、電子を極めて微細な量子ドット内に閉じ込める。この結果、数10Kという高温において、単一電子現象の観測が可能になった。本論文では、この素子を用いて、シリコンMOS反転層に形成された量子ドットにおける単一電子伝導特性を、直列につながった量子ドットの数を構造上のパラメタとし、詳細に報告する。制御されたシリコン量子ドットにおけるこうした単一電子伝導の系統的な研究はこれまでに無く、本論文が最初である。以下に各章の結果をまとめる。

 第1章の緒言に続く第2章では、シリコンMOS反転層におけるメソスコピック系の研究を目的とした新しい素子構造の提案と、その基本特性について述べる。本素子は電子線描画リソグラフィ技術をはじめとするシリコンLSI微細加工技術を用いて形成されている。通常のMOSデバイスとの相違点は、酸化膜によって電気的に絶縁された上部、下部の2つの制御ゲートを有している点である。下部ゲート電極は幅0.1m以下の量子細線チャネルを形成し、フェルミレベルを制御する。一方、上部ゲート電極は下部ゲート電極を覆うように配置され、下部ゲート電極の周辺から回り込む電界効果により、チャネルポテンシャルを制御する。この結果、上部ゲート電極構造を工夫することにより、様々なメソスコピックスケールの反転層チャネルを実現する。本章では、幅約0.1mの上部ゲート電極を有する素子を用いて、局所的に反転層チャネルを狭め、シリコン量子細線の電気伝導を評価し、温度4.2Kにおいて1次元サブバンドの形成を確認した。サブバンド間隔は約1meVであり、上部ゲート電極電圧によりその間隔を制御可能であることを明らかにした。また、解析の結果、しきい値電圧近傍での実効的なチャネルの幅(〜0.04m)は、加工ゲート寸法(〜0.13m)よりはるかに小さくなることから、提案した素子構造が反転層内に量子ドット列を形成するのに好適であると結論した。

 第3章では、シリコンMOS反転層内単一量子ドットの電気特性について述べる。反転層量子細線チャネルを2ケ所で狭帯化することによって単一量子ドットを形成し、以下の結果を得た。

 (1)磁場の無い場合、ゲート電圧に対して周期的な単一電子トンネリング振動を観測した。温度5K以上の実験結果は、古典的なクーロン遮蔽の理論で良く説明できる。

 (2)電流-電圧特性においては、ゲート電圧に対するクーロンギャップの振動が観測され、クーロン遮蔽時のリーク電流が、温度に依らず印加電圧の3乗に比例して増大することを見い出した。これは、単一量子ドットにおける、非弾性巨視的量子トンネリングに対する摂動理論で説明できる。

 (3)400mK以下の極低温においては、単一電子トンネリング振動の温度依存性が極めて弱くなり、量子的なクーロン遮蔽の理論と合致しない。これは、量子ドット内単一電子エネルギーレベルのぼやけが、熱エネルギーよりも大きく、一電子エネルギーレベルの間隔とほぼ同程度になっている為である。

 (4)6T以上の強磁場中では、ランダウ準位の数に対応した、単一電子トンネリング振動の振幅変調を観測した。これは、電子の伝導が周期的に各ランダウレベルのエネルギー準位を介して起きているというモデルと合致する。しかし、単一電子エネルギーレベルのぼやけの為に、高移動度材料であるGaAs系に比べてその変調は弱い。

 (5)6T以上の強磁場中では、単一電子トンネリング振動の周期も磁場によって変調されることを観測した。この結果は、強磁場印加時に量子ドット内に実効的に形成される、複数の伝導帯間のクーロン相互作用を考慮にいれたセルフコンシステントなモデルで、半定量的に説明できることを示した。

 (6)電流-電圧特性より求めたトンネル抵抗が、磁場により減少することを観測した。この結果は、上部ゲート電極により形成された鞍型のバリアを活性的に越える電子の寄与があることを示す。

 第4章においては、シリコンMOS反転層において2つの量子ドットが直列につながった系の電気伝導特性について述べる。この章の目的は、量子ドット間トンネル相互作用が伝導特性に与える影響を評価することである。本論文で提案した素子では、電界効果を用いて、量子ドット間トンネル相互作用の強さを連続的に変えられる。本章では以下の結果を得た。

 (1)量子ドット間トンネル相互作用が弱い場合、周期的な単一電子トンネリング現象を観測し、また低温では、トンネリング振動の振幅が周期的に変調された。これらの結果は、サイズに僅かな違いのある2つの量子ドットを介して、ストカスティッククーロン遮蔽現象が起きていることを示す。またトンネリング振動の極小値は温度の4乗に比例して増大することを見い出した。これは、2量子ドット系における、異なる3つの電子を介した非弾性巨視的量子トンネリングの摂動理論と良く合致する。

 (2)量子ドット間トンネル相互作用の増大と共に、周期的な単一電子トンネリング振動のピークが2つに分離し、その間隔は相互作用の増大と共に拡がる現象を観測した。これは、ドット間トンネル相互作用によって、2量子ドット系におけるエネルギーレベルの縮退が解けたことを強く示唆している。

 (3)電流-電圧特性においては、量子ドット内の電子数が少ない時に、ドット間トンネル相互作用の強さに係わりなく、クーロンステアケースを観測した。これは、電子数が少ない時のトンネルバリア形成が、不純物や欠陥に強く影響され、非対称性が大きくなっていることを意味する。

 (4)また、ドット間トンネル相互作用が弱い場合には、クーロンステアケース特性において、負性微分抵抗が観測された。原因としては、不純物や欠陥等により、ドット内閉じ込めポテンシャルが不均一になったことが挙げられる。

 第5章においては、多重量子ドット系として、4つ及び8つの量子ドットが直列に並んだ系の電気伝導特性について述べる。目的はシリコンMOS反転層内人工超格子の伝導特性を評価することである。本章では以下の結果を得た。

 (1)4量子ドットにおいては、2量子ドット系と同様にストカスティッククーロン遮蔽現象を観測した。また、トンネリング振動の極大値及び極小値は温度と共に増大した。これらの結果は、ドット列内における各量子ドットのサイズ及びバックグラウンド電荷の統計的なばらつきが、多重構造である故に増大し、量子ドット間において、帯電エネルギー準位にばらつきが生じていることを示唆する。

 (2)量子ドット間トンネル相互作用の増大と共に、単一電子トンネリング振動において、幾つかのメインピークが、複数のサブピークに分離する現象を観測した。更に、温度の低下と共に、単一電子トンネリング振動によるピークが、量子ドットの数よりも少ない数のサブピークに分離する現象を観測した。これらの結果は、量子ドット間トンネル相互作用にばらつきが存在する場合の、1次元量子ドットアレーに対するハバードハミルトニアンで定性的に説明できる。

 (3)8量子ドット素子においては、量子ドット間トンネル相互作用が強い場合に、ミニギャップが形成され、相互作用の弱まりと共にミニギャップ構造が消滅することを観測した。ミニバンドの中の状態数が量子ドットの数の8よりも少ないのは、トンネル相互作用のばらつきに起因していると考えられる。

 (4)多重量子ドット構造では、電流-電圧特性において、単一量子ドットや2量子ドットよりも高次の巨視的量子トンネリング現象が観測された。特に8量子ドット素子においては、4つの異なる電子が寄与する、非弾性巨視的量子トンネリング現象を観測した。

審査要旨

 本論文は、シリコンMOS反転層に微小トンネル接合で結合した量子ドット(列)を形成し、その電気伝導が単一電子トンネルによることを明らかにしたものである。

 1m程度以下のいわゆるメゾスコピックな領域の電気伝導現象の研究は、そのような微小導体を作成する加工技術の進歩と相まって、近年盛んに研究が進められている。例えば、高移動度電子系を使った試料では試料形状で規定されるポテンシャル中の電子の波動関数を直接反映した伝導、バリスティックな伝導、が研究されている。電子の波動性は不純物を多量に含むメゾスコピック系に於いてもアハロノフーボーム振動や伝導度の揺らぎとして観測される。一方、微小なトンネル接合を含む系においては、電子のトンネルに伴う電荷変化は素電荷eを単位としてしか起こらないことを反映し、電子の波動性とは相補的な電子の粒子性が顕著となる。このような単一電子伝導ではクーロン相互作用を用いて電子一個一個の制御が可能であり、新しいデバイスへの応用も検討されている。

 従来、微小トンネル接合の研究は金属薄膜を加工したものや、化合物半導体のヘテロ接合界面の二次元電子系を用い研究がなされてきたが、本論文では、シリコンMOS反転層にトンネル接合で結合した量子ドットを作成する方法を独自に考案、作成し、その伝導を詳細に調べた。

 本論文は序論、2重ゲートMOS構造の提案、単一量子ドット系の伝導、二重量子ドット系の伝導、量子ドット列の伝導、結論の全6章からなっている。第1章では研究の背景が簡潔にまとめられ、続く第2章ではシリコンMOS構造で単一電子トンネル効果を研究するために著者が考案した2重ゲート構造とその基本特性について述べられている。表面を酸化したシリコンに幅が100nm程度の細線状の2本のゲート電極を互いに直交して取り付ける。その一方(下部ゲート電極)に正電圧を加えることによりシリコン表面に100nm以下の幅の量子細線チャネルを形成し、さらに他方(上部ゲート電極)を逆極性にバイアスすることで、量子チャネルの一部にポテンシャルバリアを付加するというのが基本となるアイデアである。上部ゲート電圧の影響は下部ゲートの直下では弱く、端で強いため、上部ゲート電極のバイアスを増すにつれ、量子細線チャネルのくびれができ、ついにはちぎれるという過程をたどる。上部ゲート電極が1カ所である試料でにおいて、くびれを透過する1次元チャネル数の離散的な減少に伴うトランスコンダクタンスの階段的特性を調べ、この構造が実際Si-MOSに量子ドットを形成する有力な方法であることを確認した。

 第3章では、2箇所に上部ゲート電極をつけることによって作った単一量子ドット系の伝導の結果が述べられている。伝導の閾値近傍で電流が下部ゲート電圧の関数としてほぼ周期的に振動することが発見され、これが単一電子トンネル現象であることがその周期性や電流電圧特性に見られるクーロンギャップの存在等によって論証されている。磁場中に於いては、振動の振幅及び周期が磁場によって変調を受けることが見いだされ、ドット中に形成されるランダウレベルとの関連が議論されている。第4章、第5章に於いては2,4,8個の量子ドットが直列結合したシステムについての結果が述べられ、観測された振動がサイズやバックグラウンド電荷に違いのある複数の量子ドットを介しての単一電子トンネル現象であることを示した。また、ドット間のトンネル結合を制御した実験によって起きる振動構造の変化についての考察が行われている。

 このように、本研究では新しいシリコンMOS反転層のメソスコピックシステムを提案・実現し、このシステムの量子ドット系における単一電子トンネルに関連した伝導特性を初めて観測した。審査委員会は以上の研究において、測定、解析、考察が適切になされていると判断した。この研究で観測された個々の現象には、金属や半導体ヘテロ構造を使った微小トンネル接合の実験において既に報告されているものもあるが、Si-MOSという応用上重要なシステムで、これまでにない手法で新しい量子ドット系を作り上げた創意は高く評価でき、今後の当該分野の研究に相当の寄与をするものである。よって、本論文は本学博士(理学)学位論文として合格に相当するものであると、審査員全員が認めた。

 なお、、本研究は吉村俊之氏らとの共同研究である部分を含むが、研究の構想、試料作成、実験、解析、考察のすべての面で著者が主導的な役割を果たしており、主体的な寄与があったものと判断できる。

 従って、博士(理学)を授与できると認める。

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