学位論文要旨



No 213545
著者(漢字) 侘美,光彦
著者(英字)
著者(カナ) タクミ,ミツヒコ
標題(和) 世界大恐慌 : 1929年恐慌の過程と原因
標題(洋)
報告番号 213545
報告番号 乙13545
学位授与日 1997.09.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 第13545号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉浦,克己
 東京大学 教授 安保,哲夫
 東京大学 教授 橋本,壽朗
 東京大学 教授 工藤,章
 東京大学 教授 柴田,徳太郎
内容要旨

 (1)本論文は、資本主義史上最大の恐慌であった1929年の世界大恐慌を、経済過程に絞って分析したものである。とりわけこの大恐慌の発生・波及・深化の過程を、アメリカ経済を中心にその国際的関連を含めて全世界的規模で追究し、同時にその基本的原因を総括的に明らかにしようと試みた実証的・理論的研究論文である。これまで大恐慌については多数の研究が試みられてきたが、それらは分野(産業・金融・政策等)、地域、時期を限った部分的研究がほとんどであり、そのすべてを総括した研究は充分には試みられてこなかった。本論文はこれに挑戦し、それを通じて独自の原因論を主張したものである。

 このために次のような構成を採用した。まず第I篇「世界大恐慌論の課題と方法」(第1〜3章)では、29年大恐慌の主要な特徴を概観した後、大恐慌に関する従来の代表的学説を批判的に検討し、今後いっそう分析すべき問題が何であるのか、またそれらの問題や大恐慌の原因を追究するためにはどのような方法を採用すべきかを分析する。ついで第II篇「世界大恐慌の発生・波及・深化過程」(第4〜9章)では、上の方法に基づきつつ、第一次世界大戦の経済的諸結果の分析を出発点に、20年恐慌、20年代の好況、29年恐慌の発生・波及・深化、33年からの回復、37年恐慌、等の全景気動向(1919〜38年)をアメリカ経済を中心に、かつその世界的(とくにポンド・ドル体制としての国際金融的)関連に重点を置いて過程的に追究する。最後に第III篇(第10〜12章)では、以上の全過程を総括し、その因果関係を要約した後、世界大恐慌の基本的原因を追究する。

 以下では、各篇の要約を第I、II、III篇の順に(それぞれ(2)、(3)、(4)の項目で)示す。

 (2)まず第I篇第1章「大恐慌の諸特徴」では、アメリカ恐慌の特徴が概観され、それが物価・生産の下落、期間の長さ、等の点で史上最大であり、またあらゆる種類の恐慌(株式・産業・農業・銀行・本位恐慌)を含む最も総括的な恐慌であったが、第一次大戦前の循環性恐慌と比較すると、形態が大きく変化していたこと、等が指摘される。

 ついで第2章「大恐慌に関する諸学説」では、従来の主要な大恐慌研究が、複合経済循環説(シュンペーター、ハンセン)、経済構造原因説(シュタインドル、プルッキングズ研究所)、経済政策失敗説(フリードマン、サンテティエーヌ等のマネタリスト)、偶発的要因複合説(ケインジアン)、恐慌形態変化説(吉冨、大内等のマルクス経済学)、国際金融原因説(キンドルバーガー、ブラウン等)の6種類に分類され、それらの簡単な紹介と批判的検討が進められる。この結果とくに強調される点は、(i)過去の経済政策を現代的に過大評価することなく、その意義や限界を当時の経済実体や金融構造との現実的関連の中で明らかにすべきこと、(ii)経済実体や金融構造そのものについては、第一次大戦の影響だけでなく、この期特有の景気循環との関連を分析すべきこと、(iii)アメリカ経済だけでなく、それと世界経済との相互的関連等、したがって世界経済の機構全体を統括的に分析すべきこと、(iv)恐慌過程の因果関係だけでなく、歴史的恐慌との関連、すなわち恐慌形態変化論の視点からの分析も不可欠であること、の4点である。

 第3章「大恐慌分析の諸問題とその方法」では、上の検討を踏まえて、従来の研究では不充分であった具体的諸問題と、分析の前提となる方法論的諸問題とが剔出される。ここでは後者のみを示すと、以下の2点が強調される。すなわち(i)恐慌論との関連では、第一次大戦前の循環性恐慌の原因(「資本の絶対的過剰」=<賃金や原料価格の上昇による利潤率の急低下>)が大恐慌ではどのように変質したのか、またそれは当時の独占組織の発展・変質とどのように関連したのか、(ii)世界経済の動態的・有機的関連の検出については、第一大戦前の国際金本位機構に存在した中心的国際金融市場におけるバンク・レートの「国際収支に対する表層的調整力」(公定割引率の変更が国際的資本移動に対して与える迅速な影響力)が、両大戦間期にはどのように変質したのか、という点である。

 (3)第II篇は、第4章「第一次大戦の経済的諸結果」、第5章「国際的変動相場制の展開とアメリカの好況(1921〜24年)」、第6章「ポンド・ドル体制の始動とアメリカ経済の転回(1925〜27年)」、第7章「ポンド・ドル体制の動揺とアメリカ恐慌の発生(1928〜31年)」、第8章「ポンド・ドル体制の崩壊とアメリカ恐慌の深化(1931〜33年)」、第9章「アメリカの1937年恐慌」から成り、挙げて過程的分析が行なわれる。章ごとの要約は省略し、論点をアメリカ恐慌と世界恐慌との関係に限定すると、要点は3点である。

 (i)アメリカでゆるやかな景気下降(恐慌の端緒)が始まったのは、29年の半ばごろであり、またアメリカの対外長期資本発行が縮小し始めたのは、28年後期からであったが、世界経済はすでにその前から重大な困難を表し始めていた。それらは、イギリスのポンド危機(27年)、一次産品諸国の農業不況・国際収支危機(27年)、ドイツの早期的(28年前期の)景気後退であった。すなわち世界経済は、アメリカの対外投資がまだ比較的順調に拡大しつつあるときに、早くも崩壊の端緒を見せ始めていた。ただし、それをかろうじて支えていたのは、世界多角決済機構における主要連関の活動・維持であった。

 (ii)このようなときアメリカ恐慌が開始され、それがこの国固有の深化要因によって漸次深刻化すると同時に、世界各国にも急速に波及した。その波及過程において最も劇的な点は、アメリカ、フランスへの民間資本および金の逆流がなによりも一次産品諸国の国際収支危機を激化させた点(30年後期)であった。このことが世界多角決済機構を崩壊させる決定的要因となり、さらに翌年(31年)のヨーロッパ金融恐慌、イギリスの金本位制停止、等のきっかけとなった。つまり、世界恐慌の波及と世界多角決済機構(そして国際金本位制)の崩壊とが結合しつつ、世界恐慌は文字どおり大恐慌化したのである。

 (iii)このことはアメリカ恐慌に急速に反作用した。すなわち、30年後期の世界農業恐慌の激化・農産物価格の大崩落がアメリカ農業を直撃し、さらに31年後期のイギリス金本位制停止に伴うドル預金の引揚げ・金兌換が、公定割引率の引上げを介する国内信用の極端な収縮を導いた。こうして、アメリカ恐慌はそのたびごとに深刻化していった。

 以上のようにアメリカ恐慌と世界恐慌は相互に影響しあいつつ深刻化したのである。

 (4)第III篇は、第10章「大恐慌の発生・波及・深化過程の総括」、第11章「経済制度と経済政策」、第12章「原因」の3章から成る。第10章は第II篇を総括・要約したもの、第11章は(第2章で問題提起した)経済政策の意義や限界を当時の具体的な金融政策や恐慌対策に絞って確認したものである。そして第12章が、以上の考察を踏まえて、世界大恐慌の原因を総括的に追究したものである。ここではこの章の主要な主張点のみを要約する。

 まず、29年恐慌が史上最大の恐慌になった主因は、アメリカ大恐慌と世界多角決済機構の崩壊とが結合した点にあった。

 そしてアメリカ大恐慌の原因は、この恐慌が、循環性恐慌と異なってゆるやかに始まった原因と、累積的に激化した原因とに分けて考察される必要がある。まず前者の原因は、好況の形態変化([i]「資本の絶対的過剰生産」が発生しなかった、[ii]物価が上昇しなかった、[iii]全般的な金融逼迫が発生しなかったこと)の主因となった20年代半ばにおけるアメリカ独占組織の再編・強化にあった。ついで後者の原因は、[i]耐久消費財支出、農家支出の急減、[ii]大企業ないし独占企業による製品価格の下方硬直化・急激な生産削減、[iii]賃金率の下方硬直化、平均的企業および中小企業における実質賃金コストの上昇、[iv]デット・デフレーションの発生(物価・所得の減少に伴う債務支払い負担の急増=<銀行恐慌の後発性および累積性の主因>)の4点にあった。このうち[iv]は[i]〜[iii]の結果であったから、原因を[i]〜[iii]に絞ると、前者の原因と共通のものは[ii]と[iii]であった。そこで以上をさらに総括すると、価格の下方硬直化および賃金率の下方硬直化が(非循環的)アメリカ大恐慌の基本的な原因であった。

 他方、世界多角決済機構崩壊の原因は次のような点にあった。すなわち、当時の2大国際金融市場(ロンドン、ニューヨーク)の構造は、第一次大戦後大きく変質し、その弾力的調整機能、とりわけ金利変動の「国際収支に対する表層的調整力」を著しく弱化させていた。したがって、当該通貨当局が(金本位制の機能を信じて)戦前と同じ金利政策を行使しても国際民間資本移動をほとんど調整できなくなっていた。このことがポンド・ドル体制の最大の限界であり、この限界は、アメリカ恐慌発生以前から顕在化し、世界経済の早期的困難を生みだす主因となった。そればかりでなく、この困難は恐慌波及とともに一挙に拡大し、世界多角決済機構およひ国際金本位機構の不調整を決定的なものとした。かくして、総じて金融市場および経済実体における硬直的構造の拡大に対する金利操作機能の限界が、世界多角決済機構および国際金本位機構崩壊の基本的原因であった、と。

 最後に両原因をさらに総括すると、国内市場における価格機構の硬直化および国際金融市場における非弾力的な構造と、金本位制度(その金利政策)との結合、要するに、このことに代表されるような市場機能の変質こそが、世界大恐慌の基本的原因であった。

審査要旨

 [1]本論文は、資本主義史上最大の恐慌であった1929年の世界大恐慌を、経済過程に絞って分析したものである。とりわけこの大恐慌の発生・波及・深化の過程を、アメリカ経済を中心にその国際的関連を含めて全世界的規模で追究し、同時にその基本的原因を総括的に明らかにしようと試みた実証的・理論的研究論文である。これまで大恐慌については多数の研究が試みられてきたが、それらは分野(産業・金融・政策等)、地域、時期を限った部分的研究がほとんどであり、そのすべてを総括した研究は十分には試みられてこなかった。本論文は、これに挑戦し、それを通じて独自の原因論を主張したものである。

 [2]構成は、「はしがき」を除くと、3編12章から成り、1994年御茶の水書房より公刊されたものである。本文953頁、総目次、文献、索引82頁、400字詰め原稿用紙で2610枚に相当する大部のものである。要旨は次のごとくである。

 まず第I編「世界大恐慌の課題と方法」(第1〜3章)では、29年大恐慌の主要な特徴を概観した後、大恐慌に関する従来の代表的学説を批判的に検討し、今後一層分析すべき問題を確定し、それらの問題や大恐慌の原因を追究するための方法を明らかにしている。ついで第II編「世界大恐慌の発生・波及・深化過程」(第4〜9章)では、上の方法に基づきつつ、第一次世界大戦の経済的諸結果の分析を出発点に、20年恐慌、20年代の好況、29年恐慌の発生・波及・深化、33年からの回復、37年恐慌、等の全景気動向(1919〜38年)をアメリカを中心に、かつその世界的(特にポンド・ドル体制としての国際金融的)関連に重点を置いて過程を追って解明する。最後に第III編(第10〜12章)では、以上の全過程を総括し、その因果関係を要約した後、世界大恐慌の基本的原因を明らかにする。

 第I編第1章「大恐慌の諸特徴」では、アメリカ恐慌の特徴が概観され、それが物価・生産の下落、期間の長さ、等の点で史上最大であり、第一次大戦前の循環性恐慌と比較すると、形態が大きく変化していた、等が指摘される。第2章「大恐慌に関する諸学説」では、従来の主要な大恐慌研究が、複合経済循環説(シュンペーター、ハンセン)、経済構造原因説(シュタインドル、プルッキングス研究所)、経済政策失敗説(フリードマン&シュワルツ、サンテティエーヌ)、偶発的要因複合説(ケインジアン)、恐慌形態変化説(吉富、大内)、国際金融原因説(キンドルバーガー、アイケングリーン、ブラウン)の6種類に分類され、批判的に検討される。そこから、経済政策を当時の時代的制約に限定された政策として理解する必要性、経済実体や金融構造を第一次大戦前のそれからの変質という面からのみではなくこの期特有の景気循環との関連という面からも分析する必要性、アメリカ経済と世界経済全体との有機的関連の分析の必要性、恐慌過程の因果関係のみではなく歴史的諸恐慌との関連すなわち恐慌形態変化論の視点からの分析の必要性、等が提示される。それを踏まえて、第3章「大恐慌分析の諸問題とその方法」では、大恐慌分析における諸々の論点が具体的な事実分析にかかわる論点と分析の前提となる方法にかかわる論点に区分して整理され総括される。前者は、大恐慌がアメリカでなぜ、どのように発生したのかという問題と、それがどのように世界恐慌と関連していたのかという問題に分けて考察され、後者は、原論レベルの問題と段階論レベルの問題に分けて検討される。ことに後者にかかわって、「資本の絶対的過剰」を原因とする第一次大戦前の循環性恐慌の大恐慌における変質とその独占組織の発展・変質との関連、世界経済の動態的・有機的関連をもたらすものとして第一次大戦前の国際金本位機構に存在した中心国国際金融市場におけるバンク・レートの「国際収支に対する表層的調整力」(公定割引率の変更が国際的資本移動に対して与える迅速な影響力)の両大戦間期における変質、といった問題が剔出される。

 第II編では、まず第4章「第一次世界大戦の経済的諸結果」において、主要国の戦時経済とその世界的関連、戦後ブームと1920年恐慌が過程的に分析され、1920年代の世界景気循環を規定し29年世界大恐慌を導くにいたる主要な構造要因に絞って世界経済構造の変化がまとめられる。次に、第5章「国際的変動相場制の展開とアメリカの好況(1921〜24年)」、第6章「ポンド・ドル体制の始動とアメリカ経済の転回(1925〜27年)」、第7章「ポンド・ドル体制の動揺とアメリカ恐慌の発生(1928〜31年)」、第8章「ポンド・ドル体制の崩壊とアメリカ恐慌の深化(1931〜33年)」を通じた過程的分析により、次の諸点が解明される。

 (1)20年恐慌を通じて平和経済への再編を終えたアメリカは、21〜23年にいち早く固有の(前期)好況を迎えるが、これは耐久消費財需要の拡大を軸とする投資・消費の相乗的拡大過程であった。だが、24年のリセッションからの回復後26年まで続く(中期)好況においては、耐久消費財ブームの頭打ちが見られ、独占組織の再編・強化に伴う価格の下方硬直的傾向や取得利潤の過剰貨幣資本化とその株式市場での運用傾向、その反面での中小企業・農業部門の停滞等、すでに好況に限界が現れるにいたった。イギリスの金本位復帰による国際金本位制の再建があったが、ポンド・ドル体制を支える二つの国際金融中心地はいずれも構造・機能における限界をもち、その不安定性が「負の焦点」ポンドに集中して現れた。アメリカ中期好況の限界やポンド・ドル体制の不安定性等のため、世界好況は十分連動せず、ポンド・ドル体制が始動しても、ポンド危機と世界農業不況に見舞われ、さらにドイツは早くも28年前期に景気後退に陥る。アメリカは28〜29年経済実体から遊離して高揚した株式ブームを伴う(後期)好況を経験した。しかしここでも、株式恐慌の発生に先立って29年の半ば頃からゆるやかな景気下降(恐慌の端緒)に入る。またアメリカの対外長期資本発行が縮小し始めるのも28年後期からであった。世界経済はすでに恐慌前から重大な困難を表し始めていたのである。

 (2)ニューヨーク株式市場への大企業による投下資金やロンドン経由の投下資金が引き揚げられ、株式の投売りと株価の急落を含む悪循環が起こって、29年10月アメリカ恐慌が開始された。しかし、このとき株式ブローカーの大きな倒産も銀行恐慌も生じたわけではない。株式恐慌は、すでに進行しつつあった生産・需要・投資の累積的下降過程を促進させた。同時期に独占的企業は生産を調整して製品価格の下落をくい止め、反面で中小企業部門や農業部門では生産調整が困難で価格の暴落を見た。不動産担保貸付と農業貸付の返済困難を主な原因として30年末以降第一次銀行恐慌に見舞われ、アメリカ恐慌は漸次に深刻化したが、それは世界各国にも波及した。その波及過程においてもっとも劇的な点は、アメリカ、フランスへの民間資本および金の逆流が何よりも一次産品諸国の国際収支危機を激化させた点(30年後期)であった。このことが世界多角決済機構を崩壊させる決定的要因となり、さらに翌年(31年)のヨーロッパ金融恐慌、イギリスの金本位制停止、等のきっかけとなった。つまり、世界恐慌の波及と世界多角決済機構(そして国際金本位制)の崩壊とが結合しつつ、世界恐慌は文字どおり大恐慌化したのである。

 (3)このことはアメリカ恐慌に急速に反作用した。すなわち、30年後期の世界農業恐慌の激化・農産物価格の大崩落がアメリカ農業を直撃し、さらに31年後期のイギリス金本位停止に伴うドル預金の引揚げ・金兌換が、公定割引率の引上げを介する国内信用の極端な収縮を導いた。こうしてアメリカ恐慌はそのたびごとに深刻化していった。アメリカ恐慌と世界恐慌は相互に影響しあいつつ深刻化していったのである。

 さて、第9章「アメリカの1937年恐慌」においては、この恐慌の特徴や景気過程(33年4月〜38年6月)が分析されて、37年恐慌の原因が解明される。ここでは、この恐慌固有の分析とともに、20年恐慌、37年恐慌が政策がらみの政治経済恐慌であったのに対して、29年恐慌が文字どおり「経済恐慌」であったことが明らかにされている点等も注目される。

 最後に、第III編は、第10章「大恐慌の発生・波及・深化過程の総括」、第11章「経済制度と経済政策」、第12章「原因」より構成されている。第10章は第II編を総括・要約したもの、第11章は経済制度ことに政策の意義や限界を主として世界大恐慌に関して検討したものである。そして世界大恐慌の基本的原因は市場機構そのものにあるとして、第12章で世界大恐慌の原因を総括的に追究し、アメリカにおける大恐慌の発生と世界多角決済機構の崩壊とが結合したことが世界大恐慌の原因であると結論づけている。そのうち前者については、それがゆるやかに開始し、しだいに累進的に深化するうちに、循環性恐慌とは異なる形態の恐慌に変わっていったこと、後者については、すでにアメリカ恐慌発生前に早期的世界景気後退が現れ、アメリカ恐慌発生後に従来景気の循環の支えであった国際通貨制度や世界多角決済機構自体が崩壊するにいたったこと、あわせて資本主義経済の存続をも脅かしかねない世界大恐慌であったことに、論点を絞っている。

 まずアメリカ大恐慌の原因のうち、恐慌がゆるやかにはじまった原因は、好況の形態変化((1)「資本の絶対的過剰生産」が発生しなかった、(2)物価が上昇しなかった、(3)全般的な金融逼迫が発生しなかったこと)の主因となった20年代半ばにおけるアメリカ独占組織の再編・強化にあった。ついで恐慌が累積的に深化していった原因は、(1)耐久消費財支出、農家支出の急減、(2)大企業ないし独占企業による製品価格の下方硬直化・急激な生産削減、(3)賃金の下方硬直化、平均的企業および中小企業における実質賃金コストの上昇、(4)デッド・デフレーションの発生(銀行恐慌の後発性および累積性の主因となった物価・所得の減少のなかでの債務支払い負担の増加)であった。以上を総括すると、価格の下方硬直化および賃金率の下方硬直化、要するに価格機構の硬直化がアメリカ大恐慌の原因であった。

 他方、アメリカ恐慌発生前のドイツ経済の困難や世界農業不況に見る早期的世界景気後退は、(1)再建されたポンド・ドル体制のもとでアメリカ好況に先導された世界的好況が十分連動しなかったこと、(2)一次産品諸国の国際収支危機がロンドン、ニューヨーク国際金融市場の危機によって十分補整されなかったこと、による。第一次大戦前に見られた世界多角決済機構の調整機能が失われていたのであるが、それは二大国際金融市場の構造が、第一次大戦後大きく変質し、それがその弾力的調整機能、とりわけ金利変動の「国際収支に対する表層的調整力」を著しく弱化させていた点に現れていた。当該通貨当局が(金本位制の機能を信じて)戦前と同じ金利政策を行使しても国際民間資本移動をほとんど調整できなくなっていた。このことがポンド・ドル体制の最大の限界であり、この限界は、アメリカ恐慌発生以前から顕在化し、世界経済の早期的困難を生み出す主因となった。そればかりでなく、この困難は恐慌波及とともに一挙に拡大し、世界多角決済機構および国際金本位機構の不調整を決定的なものとした。かくして、総じて金融市場および経済実体における硬直的構造の拡大に対する金利操作機能の限界が、世界多角決済機構および国際金本位機構崩壊の基本的原因であった。

 本論文は、最後に両原因をさらに総括して、国内市場における価格機構の硬直化および国際金融市場における非弾力的な構造と、金本位制度(その金利政策)との結合、要するに、このことに代表されるような市場機能の変質こそが、世界大恐慌の基本的原因であったと結論づけている。

 [3]以上のように要約される本論文に対し、審査員は次のような意義が認められると考える。

 第1に、世界大恐慌に関して入手しうるほとんどあらゆる研究に目を通し、それぞれにコメントをつけ、それを自らの体系に位置づけている。きわめて丹念な作業であるのは、丁寧な注記からもうかがえる。諸々の人々の考え方が集大成されているパイオニア的な研究である。

 第2に、世界大恐慌分析として産業・金融を含む全面的な研究となっている。アメリカ恐慌の分析は詳細であり、かつ国際関係も綿密に検討されている。それが、大きな流れを構成しており、類書にない特徴となっている。

 第3に、「世界大恐慌」過程すなわち29年恐慌を中心とする戦間期の経済変動過程を恐慌論として定位するのに成功している。それは、偶発的要因複合説や経済政策失敗説の慎重な批判的検討を果たし、さらにキンドルバーガーの「国際的な最後の貸し手」機能の不充分性説やアイケングリーンの二大国金融政策責任説に対する批判と包摂を踏まえた成果であって、「世界大恐慌」過程を一つの必然的な経済過程として捉える構図を確定している。賠償問題や国際金融協力などの政治経済問題についても配慮した上で、全体を恐慌論として構成する枠組みを確立している。恐慌としては特殊な性格のものであることをおさえながら、世界大恐慌を必然の過程のうちに捉える方法を徹底して進めたことは大きな成果である。

 第4に、独占組織の再編・強化による価格・賃金の下方硬直化と世界多角決済機構および国際金本位機構の構造的硬直化とその崩壊という二つの要因の結合によって世界大恐慌を解明するという分析的理論を提示した。これは、循環性恐慌や恐慌の形態変化についての理論的・実証的研究を基礎として構築されたものであり、資本主義の動態理論との密接な関連を保持している。そして、本論文においては、明晰な理論が提示され、その理論が本論文を通じて綿密に実証されている。形態変化した恐慌の理論・実証研究として重要な成果である。

 第5に、本論文は、第一次大戦前の1907年恐慌との比較を通じて、世界大恐慌の歴史的特殊性を明らかにしている。また、1920年恐慌および1937年恐慌についても新たに詳細な分析を果たし、それらとの比較により「世界大恐慌」が恐慌論として分析しうる根拠を確認する等、戦間期における世界大恐慌の時期的特殊性を明確にしている。こうして世界大恐慌の資本主義の発展段階における意義を確認しつつ、形態変化した恐慌の必然性を解明している。

 他方、本論文に対して次のような問題点が審査委員会のなかで提示された。

 第1に、恐慌の基礎過程の把握がアメリカ中心になっているため、ドイツや後進諸国に注目した場合には第一次大戦後の経済過程が各国の政策展開をいれた政治経済的ダイナミズムになっている点が十分反映されていない。第一次世界大戦により世界経済的な構造の変質を経た資本主義を、恐慌論のみで説きうるかという問題が残る。

 第2に、本論文においては、世界大恐慌を第一次大戦前の恐慌と比較して歴史的特殊性を確定しているが、第二次大戦後の過程に対する比較が不充分であって、この分析の今日的な意義が必ずしも明らかに提示されていない。現代資本主義の基礎に戦間期を踏まえた独占組織化による価格・賃金の下方硬直化があるとみているが、組織化という点で戦間期が歴史的に特殊な時期との考え方もあり、組織化を規定した経済構造の分析が求められるところであるが、独占組織化は与件とされるにとどまっている。戦間期を第一次大戦前と第二次大戦後との時期に対して特殊な歴史時代あるいは歴史の過渡期と見る捉え方の可能性が棄却できているわけではない。

 第3に、本論文は、アメリカ大恐慌における不均衡累積的下降の原因として、社会的需要の減少とともに投資供給条件の悪化を強調している。具体的には、30、31年の商品1単位あたりの利益マージンの減少を考慮すべきであるとしている。だが、利益マージンの変動に関しては個別企業についての研究がなされているわけではなく、製造業平均値が推定されているのみであり、しかも29〜31年の変動はわずかである。利益マージンの幅は、独占組織化による数量調整によって管理しるというのが価格・賃金の硬直化論の考え方ではないかと思われるので、結果として利益マージン幅のわずかの変動があったとしても、それが投資削減の主要な原因の一つとしてあげられるという議論は、説得的ではない。

 このような問題点は残るが、本論文は前記のような成果によって、博士(経済学)の学位を授与するに十分な研究であることについて、審査員全員の評価は一致した。

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