ワートマンニン(1)は、1957年にペニシリウム属の産生成分より抗真菌作用を有するものとして単離され、1972年までに、構造決定がなされた化合物である。この1に、最近見いだされた細胞内情報伝達系のフォスファチジルイノシトール3-キナーゼ(PI3-kinase)阻害作用があることが報告され、1は阻害剤として広くPI3-kinaseの研究に用いられている。しかし、現在まで、1の全合成の報告はなされておらず、Brokaらのモデル合成が報告されているのみである。そこで、佐藤誠司はPI3-kinase研究、あるいはこれと関連した医薬品研究のためには、1の誘導体合成の可能性を広げる全合成研究が不可欠と考え、合成研究に着手した。本論文では、ヒドロコルチゾン(2)、およびテトラヒドロインダン誘導体3を出発原料とする1の合成研究が述べられている。 1は、高度に酸化されたステロイド骨格上に、求核剤により容易に開環し得るフラン環部分が存在する特異な構造を有する化合物である。このフラン環を含む部分は1の構造的特徴であると共に活性発現本体とも考えられており、その構築法は1の誘導体合成に不可欠と考えられる。そこで、佐藤誠司は、1のA,B,C,D環を構築した重要中間体5に特徴的なフラン環部分の構築法の検討を行い、1の初の化学合成の達成を目指すこととした。また、重要中間体5の合成原料は入手容易なステロイド、ヒドロコルチゾン(2)より容易に導きえるエポキシド体4が設定された。 上記合成計画に基づき、2の17位側鎖を除去、さらに11位を脱水して得られる9-エン体を文献既知の方法で酸化しエポキシド体4とした。次に、4を酸化しケトール体6に導いた後、A環をNalO4酸化開裂、還元しアルコール体7へ変換した。この得られた7に対しGriecoらの方法を適用することでヨードラクトン前駆体のオレフィン体8に導いた。8のヨードラクトン化反応は良好に進行し、単一成績物でヨード体9を得ることができた。しかし、9の1位の立体化学は1の合成に必要な配置とは逆のものであった。 そこで、ヨードラクトン体9をメタノリシスして得られるエポキシド体10を分子内再閉環し、SN2反転にて1位の望む立体化学を持つ化合物を得ようと種々の条件を試みた。その結果、酸処理で目的の1位の反転に成功した5環性化合物11が得られた。11は生じたピラン環部分の開裂を行えば1の合成に用いることができると考え、以下さらなる検討が行なわれた。 11のエノールエーテル部を酸化して得られるジオール体12を用いて種々の還元条件でピラン環の開裂を試みた。その結果、Evans還元条件で反応は良好に進行し目的の13を得ることに成功している。13より重要中間体への変換は、まず、DDQにて二重結合の伸張を行い、選択的に1級アルコールをメチルエーテル化、引き続き2級アルコールのメシル化を経てエポキシド体14を得た。次に、塩基処理によるエポキシドの開環、生じるアリルアルコールをアセチル化、続いて、OsO4酸化し、重要中間体15に導くことに成功した。 当初計画したように、重要中間体15より、1の合成に向け、最終段階のフラン環形成反応を検討したが、目的物を得ることはできなかった。そこで、エポキシド体14より導いたアセトナイド体16を用い、フラン環の形成を検討した結果、目的のフラン体17を得ることができた。次に、17のエポキシドの開環反応を行い目的の11位アルコール体18を満足の行く収率で得ることに成功した。18より最終物1への変換は以下のように行った。17位を脱ベンゾイル化、11位選択的なアセチル化後、最後に残った17位アルコールを酸化し、1へ変換することができた。得られた機器データは天然物と一致し、1の初の化学合成に成功することができた。 上記の様にヒドロコルチゾン(2)より1の初の化学合成に成功した。しかし、この合成ではステロイドからの化学変換であるのでより幅広い誘導体の合成には全合成研究が必要と考えられる。そこで、多様な化合物の全合成に用いられている汎用性の高いテトラヒドロインダン誘導体3から1の全合成を次のように計画した。3より導いた19の分子内Diels-Alder反応を用い得られる三環性化合物20を経て21を合成する。次に、柴崎らにより最近達成されたハレナキノールの全合成を参考にすれば、21より1の全合成を達成することができると考えた。現在、22を得てさらなる検討が行なわれている 以上、本論文は、生命科学研究上重要な位置を占めるワートマンニンの初の化学合成研究に関するものであり、博士(薬学)論文に十分値すると判断した。 |