人間は視覚優位の動物であると言われるように、環境から受容する情報の80〜90%は視覚的なものであり、他の感覚情報はこれに従属的に機能している場合が多い。空間プレゼンテーションでは、視覚的イメージをダイレクトに伝える映像がその中心的な役割を演じている。映像はスクリーンあるいはディスプレイ上に写し出され、時間経過とともに変化する視覚情報の時間的、空間的な形態であると言うことができる。このように情報の時間的変化に重要な意味を持つ対象を自己申告による数値や言語を介することなく時系列に評価できる可能性を有するのが、生理学的手法である。 本研究は空間プレゼンテーション技術(要素技術)による効果を、換言すればリアリティ高揚効果を主観から遠ざかって評価することを目的としている。リアリティは環境情報の知覚や認識に関わる概念であり、情報の伝達と密接に関連したものである。映像情報を受容して我々の精神状態は刻々と変化する。生理学的手法を用いれば、意識されにくい閾値以下の刺激に対してもその挙動変化を検出できる、挙動を実時間で記録し時系列に分析できる等の利点があり、空間プレゼンテーションと観視者の関わりの状態をオンラインで直接的に評価できると考えられる。しかし、生理状態と精神状態との対応関係が明らかにされているわけではない現状を考えれば、情報伝達をサポートする要素技術によって観視者(情報受容者)の生理状態が変化したとしても、その要因が何であるのかを具体的に論じることは不可能である。このため本研究では、精神活動の高まりを示唆する脳波及び心拍の挙動が空間プレゼンテーションのリアリティ高揚による影響であると定義した上で、視覚情報(映像)提示に関連の深い5要素技術についての分析及び評価を試みた。またこの結果を基に、空間プレゼンテーション技術の研究開発に関する知見をまとめた。 以下、各章の概要を述べる。 第1章では、本研究の背景と目的を明らかにした。最近の計算機技術を用いれば、動画映像や音声をはじめ各種の感覚情報をかなりの自由度で扱ったリアリティの高い空間プレゼンテーションを実現できる。本研究では、生理学的手法を用いて空間プレゼンテーション技術による効果を主観から遠ざかって評価することを主たる目的としている。さらにこの結果を基に、空間プレゼンテーション技術の研究開発に関する知見をまとめる。 第2章では、生理学的手法を空間プレゼンテーション技術の分析、評価に用いる可能性について検討した。また既往の関連する研究についてサーベイし、本研究の特徴及び立場を明らかにした。空間プレゼンテーション(映像)は、現実の空間の一断片あるいは架空の世界を表現したものであり編集されていることからすれば、あくまでも現実と異なる対象を表現したメディアであると言うことができる。しかし、空間プレゼンテーションを観視することにより、映像空間(仮想環境)と観視者との間には精神状態が刻々と変化するような現実世界と類似した対応関係が生まれる。これに随伴して生理的挙動も刻々と変化する。この挙動変化を捉えれば、空間プレゼンテーション技術の効果を極めて客観的に評価できる可能性がある。 第3章では、感性情報処理について概説するとともにその分析手法である内観手法と生理学的手法を整理した。続いて、評価方法と評価項目、評価に用いる生理情報と印象評価の手法について検討した。本研究では、空間プレゼンテーション観視時における脳波及び心拍の挙動変化を捉えることにより、対話性付加による効果、映像の情動効果、映像と音像の相乗効果、立体映像による効果、大型映像による効果の5項目を評価する。しかし、生理的挙動データからダイレクトに精神状態を読み取ることはできない。このため、精神活動の高まりを示唆する生理的挙動が空間プレゼンテーションのリアリティ高揚による影響であると定義した上で議論を進める。また、これらの挙動パターンや特徴を説明するために印象(心理)評価の結果を併用する。 第4章では、実験及び解析環境について概説するとともに空間プレゼンテーション(映像)に対する慣れの影響、データ解析等の生理学的手法を用いる場合に付きまとう主な問題点について検討した。実験では空間プレゼンテーション観視時における脳波及び心拍(心電図)を計測する。計測データの分析には、脳波については帯域含有率変化曲線と波ゆらぎ特性を、またこれを補完する形でパワースペクトルとトポグラフィーを適宜用いる。心拍についてはR-R間隔の平均時間を用いる。なお、各要素技術のリアリティ評価には波ゆらぎ特性及びR-R間隔の平均変化率の2指標を用いる。 第5章では、対話性付加による効果について評価した。具体的には、シミュレーション系とアミューズメント系のソフトウェアを用い、空間プレゼンテーション観視時(対話性が付加されない状態)及び体験時(対話性が付加された状態)における生理的挙動を比較分析した。その結果、空間プレゼンテーションに対話性を付加することによってその挙動が大きく変化する、すなわち我々がそこから受ける感覚や印象が変容することが示唆された。さらに、映像の情動価(演出効果)、映像ソフトウェアの特徴、映像に対する慣れについても生理学的手法によって評価できる可能性を示した。 第6章では、映像の情動効果を評価した。具体的には、動画(実写)映像観視時における生理的挙動と印象評定の結果に着目し、これらを対応させた形で比較分析することにより評価を試みた。その結果、映像の情動価の高まりに伴って、精神活動の高まりを示す脳波の挙動パターンが現れるとともに心拍数が増加した。この印象評定と生理的挙動変化との間の対応関係は、映像の情動効果(演出効果)を生理学的手法によって評価できうることを示唆するものと言うことができる。 第7章では、臨場感提示に関する3要素技術(映像と音像の相乗効果、立体映像による効果、大型映像による効果)について評価した。映像と音像の相乗効果の評価に用いた映像は、シミュレーション系映像及びアミューズメント系映像の2種類である。これら2映像観視時における被験者の生理的挙動を分析した結果、前者に付加されたBGMが映像に対する精神活動の低下を抑制することを、後者においては映像に同期した効果音が精神活動を急激に高めることを確認した。この結果は、空間プレゼンテーションにおける映像と音像の組み合わせの適否や効果等について、生理学的手法によって評価できうることを示唆するものと言える。一方、立体映像及び大型映像による効果については認められなかった。つまり、指標として用いた脳波及び心拍の挙動から見る限り、これらの効果は、対話性付加による効果や映像と音像の相乗効果に比べれば顕著ではないことを示唆するものと解釈できる。 第8章では、身体的負荷に加えて精神的・物理的要因の複合する現実場面における体験と精神的要因優位の映像による体験時との生理的挙動を比較評価した。その結果、我々は映像に対しても受動的な反応をしているばかりではなく現実場面と類似した情報受容の行動を取っており、両者に対応あるいは相関があることが推察できた。 第9章では、前章までの評価結果をまとめた。その結果は、以下のように要約できる。 1)空間プレゼンテーション技術の効果及び映像が我々に与える感覚や印象の客観的評価に関して、脳波及び心拍の挙動解析(生理学的手法)が有効な手法となりうる可能性を示した。 2)空間プレゼンテーションの要素技術によって映像世界(仮想環境)と観視者の関わりの形態が変わる、言い換えれば要素技術の組み合わせによってリアリティが変容する。これによりプレゼンテーションの効果を飛躍的に高められる可能性がある。 3)空間プレゼンテーションのリアリティを高めるには、映像世界とのインタラクションによる観視者の効率的な知覚サイクルと感覚情報の組み合わせによるマルチ・チャネルの情報環境を構築する必要がある。 さらに空間プレゼンテーション関連の技術を中心に生理学的手法の応用可能性、今後の課題等を展望した。 |