本論文は、中国の思想文化の一環としての道教思想について、六朝時代を中心に、一部、その源流としての後漢末をも含む時代を対象として、考察したものである。この後漢末から六朝時代の終わりまでの数百年間は、さまざまな点で道教の基礎が築かれた時期であり、道教史としてはもちろんのこと、中国の宗教思想史・思想文化史の上で、この時期の道教思想の研究はきわめて重要な意味を持っている。中国固有の宗教的諸観念を土台としてどのように道教という宗教が形成されていくのか、あるいは、異文化である仏教の思想や観念が中国の伝統的な思想の中にどのように融合して道教の教理・思想が形成されていくのかといった重要な問題を、後漢末-六朝時代の道教思想研究は含んでいる。 本論文は、後漢末-六朝時代の道教思想のうち、次の三点を中心とする研究である。第一に、六朝時代の道教の諸流派の中でも注目すべき特色を持つ上清派についての研究、第二に、太平道にゆかりがあるとされている道教文献『太平経』の思想と六朝道教思想との関連についての研究、第三に、六朝時代の道教信仰の具体的な様相と、そこにうかがわれる当時の人々の宗教意識についての研究である。論文の題を「上清派を中心とする六朝道教思想の研究」としたのは、上清派についての研究が量的に多くを占めていることによるが、上清派以外の道教の流れとその思想をもさまざまな形で取り上げている。つまり、全体を通じて、上清派の問題を一応、中心とはするものの、六朝時代の道教思想の全般に目を配り、その思想的源流にも遡りつつ、多面的に考察することを試みたのが、本論文である。 上清派については、近年、急速に研究が進んだが、まだまだ解明すべき問題は多く残されている。また、『太平経』の思想内容についての個別研究はあるが、六朝道教の思想との関わりに目を向けた宗教思想史的研究はまだ不十分であり、また、六朝時代の人々の道教信仰の具体的な事例からその宗教意識を考察するという研究もほとんどなされていない。そのような研究状況の中で、本論文は、上記の三点に関するいくつかの重要な問題を取り上げ、それぞれ、資料の綿密な読解に基づいてその具体的内容を明らかにするとともに、そこに見られる重要な思想・観念が中国宗教思想史の中でどのように位置づけられるのかを考察し、後漢末-六朝時代の道教思想・道教信仰の中に現れた、中国の宗教思想・宗教意識の特質を究明することを課題とする。そして、そのための方法として、幅広く中国の思想文化全般を視野に入れた宗教思想史的な視点から分析を試みる。分析にあたっては、いわゆる道教文献資料や歴史・思想関係の文献資料だけではなく、志怪小説などの文学関係資料も用い、また、道教像の造像銘のような文物資料を宗教思想史研究の対象として取り上げるなど、いくつかの新しい試みも行う。 本論文は、第一篇「六朝時代の上清派道教の思想」、第二篇「『太平経』と六朝道教思想」、第三篇「六朝時代の道教信仰」の三つの篇に大きく分かれる。 第一篇は、五つの章から成る。 まず、第一章「『真誥』について」においては、上清派の形成期の具体的な状況とその思想を知る上で最も基本的な資料となる『真誥』の内容を多角的な視点から検討した。東晋の興寧年間に行われた茅山の神降ろしの当事者たちが置かれていた歴史的な状況を具体的に考察し、その生活と信仰の姿を明らかにするとともに、彼らによって構想された仙・人・鬼の三部構造から成る宗教的世界観とその救済理論の具体的内容とその特質について考察した。 第二章「方諸青童君をめぐって」においては、上清派道教の宗教的世界観の中で重要な位置づけがなされている方諸青童君という神格をめぐる宗教思想史的な問題を考察した。この神格が成立した背景に存在する中国古来の宗教的諸観念を指摘するとともに、この神格の形成過程の中に、上清派の宗教思想上の主張が反映されていることを明らかにした。 第三章「上清経の形成とその文体」においては、上清経の作成の過程を、『真誥』と「内伝」類を主な資料として明らかにするとともに、上清経の文体の特徴を具体的に考察した。文体の問題を取り上げたのは、上清経は、その独自の宗教的世界観と、存思と呼ばれる瞑想法を重視する修道理論とに関連して、この時代の他の道経に比べ、文学性が強いという特徴を持つからである。 第四章「魔の観念と消魔の思想」においては、もともと仏教の観念であり、六朝道教の中に吸収された「魔」という観念について、二つの面から考察した。すなわち、第一節では、中国の鬼の観念と仏教の魔の観念を比較検討するとともに、『神呪経』や『度人経』などの六朝道教経典の中で、魔王という存在がどのように性格づけられているか、また、そこに、中国宗教思想のどのような特質が見られるかを明らかにした。ついで第二節では、六朝末に成立したと考えられる上清経『洞真太上説智慧消魔真経』の内容を分析し、魔の観念が初期の外在的なものから内在的なものへと変化していることを指摘し、そこに、道教における仏教的観念の受容の進展と、上清派の修道理論の変容が見られることを明らかにした。 第五章「上清経と霊宝経」においては、上清派と並んで六朝道教のもう一つの重要な流れである霊宝派の経典群(霊宝経)と上清経との比較検討を行うとともに、陶弘景とその周辺を中心とする五-六世紀の上清派の状況を概観した。上清経と霊宝経の間には密接な相互交渉とともに思想的相違点も顕著に見られることを指摘し、異なる方向性を持つ両者の相互関係が六朝道教思想の展開の重要な基軸となっていることを明らかにした。 次に、第二篇は、三つの章と一つの付章とから成る。 第一章「『太平経』の承負と太平の理論について」においては、『太平経』の理想とする「太平の世」の実現ということに関する理論の構造を明らかにし、その思想史的位置づけを試みた。『太平経』の中には、理想を古に設定する歴史観、「承負」と呼ばれる罪の継承の観念、天文暦法ともつながる自然法則としての気の循環の思想が見られるが、それらが「太平の世」の実現のための理論構造の枠組みとなっていることを明らかにした。 第二章「『太平経』における「心」の概念」においては、『太平経』の中で身体論・養生論・社会政治思想論の各方面にわたって重要な位置を占める「心」の概念について、漢代の一般の思想との関わりに注目しながら、その内容を明らかにした。「心」の概念を取り上げたのは、六朝時代の上清派の修道理論で重視されるようになる「心」というものが、『太平経』ではどのように捉えられているのかという問題関心からである。 第三章「開劫度人説の形成」においては、『隋書』経籍志の道経の部の文の冒頭に記され、六朝道教の教理の最も重要なものの一つと考えられていた「開劫度人」の説について考察した。「開劫」の説は<天地の循環的再生説>、「度人」の説は<天書出現による救済説>と呼ぶことができるが、それぞれの説が中国思想史の流れの中でどのように形成され展開したのか、また、両者の結合がどのようになされて「開劫度人」の説の成立に至ったのかを検討した。検討の対象は、緯書をはじめとする多くの文献に及ぶが、中でも『太平経』の思想と「開劫度人」の説との間に深いつながりが見られることを明らかにした。 付章「空海の文字観-六朝宗教思想との関わりにおいて-」は、弘法大師空海の文字認識について、六朝時代の仏教・道教の文字論と比較しながら検討したものであり、文字を宇宙の真理と直結させて捉える空海の文字観は、六朝時代の宗教思想、とりわけ道教の文字観ときわめて類似することを明らかにした。空海のことをテーマとしているので、一応、付章という形にしたが、内容的には、「開劫度人」の説など六朝道教の主要な思想に直接関わるものである。 最後の第三篇は、二つの章から成る。 第一章「六朝道教における祭祀・祈祷」においては、儒教の祭祀・祈祷観、および神仙思想と祭祀・祈祷との関係を概観したあと、六朝道教の祭祀儀礼として代表的な斎について、その祈願文の内容を検討した。自己の昇仙と祖先の済度、および国家の安泰への祈りを記す斎の祈願文は、五-六世紀の霊宝派を中心とする道教の思想を反映しており、仏教思想の中国的変容の上に成り立っていることを明らかにした。 第二章「六朝時代の道教造像-宗教思想史的考察を中心に-」においては、六朝時代の道教像四十九例を調査し、その造形と銘文について検討した。六朝時代の道教像は造形の上でも銘文の上でも仏像の影響がきわめて濃厚であるが、銘文の中には当時の道教思想が反映されているものも見い出せること、銘文によれば六朝時代の道教像を造った人々の祈願の中心は七世父母の済度にあるが、それは祖先祭祀を重視する中国の文化風土と仏教思想の融合の結果生まれたものであることなどを明らかにした。 |