学位論文要旨



No 213560
著者(漢字) 服部,中
著者(英字)
著者(カナ) ハットリ,ナカ
標題(和) 胎盤性ラクトジェンの分子多様性
標題(洋)
報告番号 213560
報告番号 乙13560
学位授与日 1997.10.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第13560号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小川,智也
 東京大学 教授 高橋,迪雄
 東京大学 教授 森,裕司
 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
 東京大学 助教授 塩田,邦郎
内容要旨

 胎盤性ラクトジェン(PL)はプロラクチン(PRL)/成長ホルモン(GH)ファミリー(PL/PRL/GHファミリー)に属する胎盤由来の分子である。ラットの胎盤ではこれまでに10種類(PL-Im、PL-I、PL-Iv、PL-II、PLP-A、PLP-B、PLP-C、PLP-D、dPRP、PCRP)の同ファミリーに属するメンバーのcDNAがクローニングされている。これらの妊娠特異分子の一つであるPL-IIは下垂体より分泌されるプロラクチン分子とともにアスパラギン結合型(N型)糖鎖付加部位はないが、残りのPL/PRL/GHファミリー分子は1ないし2ヶ所のN型糖鎖付加可能部位を有している。胎盤性ラクトジェンの機能は一部はPRLの作用と共通しているものの、質的に異なった作用があることや、中にはPRL受容体に結合しない分子種が存在していることが明らかにされつつある。胎盤におけるPL/PRL/GHファミリーの発現は、遺伝子進化の結果、アミノ酸配列の変化およびそれに伴う糖鎖付加を含む分子修飾の獲得と関連しているように思われる。しかし、現在までにPL/PRL/GHファミリー分子の糖鎖について、その生物学的意義や機能に関する研究はなされていない。PRLやGHが単純タンパク質で、従来のPL/PRL/GHファミリー分子の研究がこれらの作用と一致した方向に進んできてきたこと、また、糖鎖の機能解析には方法論的に煩雑さを伴うこと、などがPL/PRL/GHファミリー分子の糖鎖機能解析を遅らせているとも考えられるが、妊娠期においてはこれらの分子をPRLやGHでは代用できないことから、胎盤由来分子の機能特異性を解明するうえで糖鎖機能の解析が極めて重要であることは明らかである。

 胎仔は胎盤形成を境に著しく発育する。胎盤形成期は胎仔の中枢神経系や心臓といった重要な器官の原基が形成される器官形成期に相当する。また、母体の内分泌環境はその時期を境に、例えばラットでは下垂体からのPRL分泌が停止して胎盤由来のPL/PRL/GHファミリーメンバーに機能が置き変わり、妊娠特有の内分泌環境となる。そこで、本論文の第1章では、妊娠中期に焦点をあて、糖鎖付加と他の要因による胎盤性PL/PRL/GHファミリー分子について解析した。妊娠12日の母体血清および胎盤組織抽出物を二次元電気泳動とPL-I/PL-Im分子のアミノ末端のペプチドを認識する特異的なペプチド抗体によるウェスタンブロッティングをおこない、PL-I/PL-Im分子が血液中や胎盤組織中でどのような分子量や等電点を有するかを解析した。その結果、血清中には分子量が28-29k、等電点が3.6-5である少なくとも6つの分子が検出され(S1)、胎盤組織中には分子量32k、等電点6.2の分子が検出された(P1)。S1とP1はその分子量からこれまで報告されているPL-I/PL-Im分子であると考えられるが、互いに異なる分子量/等電点を有し、PL-I/PL-Imが組織特異的な分子性状の多様性を持つことが明らかになった。S1分子の等電点の広がりから、P1分子が糖鎖付加を含む修飾を受けているものと考えられた。興味深いことに、胎盤組織中にはP1以外に、分子量112k、等電点4.9-5.4という大分子のP2が存在することが明らかになった。

 次に、PL-I/PL-Imの胎仔への移行の可能性を考え、羊水中にPL-I/PL-Im分子が存在するかを解析するために妊娠12日目の羊水を二次元電気泳動とウェスタンブロッティングによって解析したところ、2種類のグループ、A1(分子量75k、等電点4.6)とA2(99-102k、5.3-5.4)が検出された。これらの分子は血清中、胎盤組織中のS1やP1に比べて分子量が異なる。また、A1の発現は妊娠中期から後期にかけてほぼ一定で、従来報告されているPL/PRL/GHファミリー分子とは異なる。これらを考え合わせると、新たな羊水中PL/PRL/GHファミリー分子をコードする遺伝子が存在する可能性が考えられた。

 以上、PL/PRL/GHファミリーメンバーには、血液や羊水中の分子性状から妊娠中期PLは糖鎖修飾がおきていること、また、糖鎖を含む分子修飾では説明が困難な大分子が存在することが示された。

 第2章ではPL-Im分子がN型糖鎖を有するかどうか、またもし有する場合その糖鎖がPL-Im分子の機能にどのように影響しているかを調べることを目的として、糖鎖結合部位を除去した種々の変異型組換えPL-Im分子を生産し、解析をおこなった。まず、PL-Imアミノ酸配列中に2ヶ所存在するN型糖鎖付加部位のアスパラギン(Asn79、Asn128)をグルタミン(Gln)となるよう変異させた組換えPL-Imの無変異体(Wild type)、2種類の一ヶ所変異体(N79QとN128Q)、二ヶ所変異体(N79/128Q)を得た。Wild typeの糖鎖切断酵素処理の結果から、PL-Im分子には分子量約5kのシアル酸を有するN型糖鎖が結合していることが示された。各組換えPL-Im分子の分子量はWild typeが34kであるのに対して、N79Qは32k、N128Qは31k、N79/128Qは29kであることから、PL-Imの2ヶ所のN型糖鎖付加部位のいずれにも糖鎖が付加されており、それぞれの分子量は79番目のAsnでは約2k、128番目のAsnでは約3kであることが明らかになった。

 次に糖鎖のPL-Im分子機能への影響を解析した。PL-Imに対する2種類の抗ペプチド抗体を用いたELISAによる定量の結果、二ヶ所変異体のN79/128Qは他の組換えPL-Im(Wild type,N79Q,N128Q)に比べて、培養上清中への分泌量が減少していることが確認された。したがって、N型糖鎖がPL-Im分子の合成・分泌の過程で何らかの役割を負っている可能性が示された。また、糖鎖の生物活性への寄与を解析ためにNb2細胞の増殖活性を測定したところ、すべての組換え体が濃度依存的にNb2細胞に対する増殖活性を示した。Nb2リンパ腫細胞はラットのリンパ腫細胞に由来し、PRL等のラクトジェニックホルモンに依存して増殖活性を示す。その活性は細胞表面上にあるPRL受容体を介して伝達されると考えられている。興味深いことにWild typeはヒツジPRL(oPRL)に比べて約3倍活性が大きく、oPRL活性を100%としたときのWild type、N79Q、N128Q、N79/128Qの活性はそれぞれ280%、153%、191%、113%で、糖鎖を持たないN79/128QがoPRLとほぼ同じ値であった。PRL受容体に対するラジオレセプターアッセイ(RRA)とNb2細胞内のJAK2リン酸化の解析の結果、各組換えPL-Im(Wild type、N79Q、N128Q、N79/128Q)の間でPRL受容体結合活性には違いはないこと、Nb2細胞内のJAK2のリン酸化能もoPRLに比べると大きいが各組換え体間では差がないことから、各組換え体のNb2細胞増殖活性の違いはPRL受容体に対する親和性の違いやPRL受容体からのJAK2を介したシグナル伝達経路活性化能の違いとは直接相関していないことが示された。N型糖鎖を付加したPL-Im三次元立体モデル上では、N型糖鎖は既に報告されている成長ホルモン(GH)の立体構造から推測されるPRL受容体への結合部位とは反対側に位置し、上記のRRAやJAK2活性化の結果と矛盾しない。しかしPL-Im分子への糖鎖修飾の度合が高くなるほどNb2細胞増殖活性が高くなることから、糖鎖付加による構造の差異が、JAK2の経路以外のシグナル伝達活性の増強や、未知の受容体との結合などに関っていると考えられた。

 本研究により、PL-Imは2ヶ所のN型糖鎖付加部位のいずれにも糖鎖が付加することが示された。他に糖鎖付加部位を有するPL/PRL/GHファミリー分子にPL-IとPL-Ivがあげられる。これらの分子ではAsn79(78)とAsn128にN型糖鎖の付加部位が存在する。PL-Im、PL-IおよびPL-Ivは糖鎖付加部可能位を持たないPL-IIとともにPRL受容体に対する結合能を持つという共通の特徴を持つ。一方、妊娠後期のPL関連分子として特徴的なProlactin-like protein(PLP)には、N端に近いAsnに糖鎖付加部位を有するグループと、逆にC端に近いAsnに糖鎖付加部位を有するグループに別れるが、いずれのグループもPRL受容体結合能を欠くことが知られている。つまり、PL関連分子は進化の過程でアミノ酸配列中の異なる位置に糖鎖付加部位を獲得することで、その機能に違いが生じてきた可能性が考えられる。糖鎖には分子内に複数の分岐点があるばかりでなく糖間の結合様式に立体化学的差異も存在するため、直鎖的にしか結合できないアミノ酸からできるペプチド鎖に比べて驚くほど多様な構造をとりうる。したがって、PL関連分子がアミノ酸1次情報を変化させて糖鎖付加部位や糖鎖構造を変化させることで、分子内にさらに多くの情報を持つことが可能となり、アミノ酸配列間の相異以上の機能的違いを発揮しているのかもしれない。分子系統樹から進化をたどると、糖鎖を持たないPL-IIからPL-Ivへ、さらに妊娠中期特異的なPL-Im、PL-Iへとつながる。このことは糖鎖の獲得が分泌時期の変化にも関っている可能性を示している。

審査要旨

 本論文では、妊娠中期特異的な胎盤性ラクトジェン(PL)であるPL-Imの分子多様性と糖鎖機能の解析を目的とした研究を展開し、糖鎖付加の生物学的および分子進化上の意義を考察している。

 PLはプロラクチン(PRL)/成長ホルモン(GH)ファミリー(PL/PRL/GHファミリー)に属する胎盤由来の分子である。PLの機能は一部PRLの作用と共通しているものの、妊娠期においてはPL分子の機能をPRLやGHでは代用できないことや、PRL受容体に結合しないPL分子種が存在していることから、PLとPRLは質的に作用が異なると考えられる。また、大部分のPLがPRLとは異なり糖鎖付加部位を有することから、糖鎖がPLの機能特異性にどのように関係しているかは興味深い。

 第1章では、妊娠中期のPL-I/PL-Im分子について分子性状を明らかにするため、二次元電気泳動とアミノ末端のペプチドを認識する特異的なペプチド抗体を用いた解析を行った。その結果、血清中には分子量が28-29k、等電点が3.6-5である少なくとも6つの分子(S1)が検出され、胎盤組織中には分子量32k、等電点6.2の分子(P1)が検出された。S1とP1はその分子量からこれまで報告されているPL-I/PL-Im分子であると考えられるが、互いに異なる分子量/等電点を有し、PL-I/PL-Imが組織特異的な分子性状の多様性を持つことが明らかになった。S1分子の等電点の広がりから、P1分子が糖鎖付加と考えられる修飾を受けていると考えられた。興味深いことに、胎盤組織中にはP1以外に、分子量112k、等電点4.9-5.4という大分子のP2が存在することが明らかになった。さらに羊水中では、大分子量の2種類のグループ、A1(分子量75k、等電点4.6)とA2(99-102k、5.3-5.4)が検出された。A1の発現は妊娠中期から後期にかけてほぼ一定で、従来報告されているPL/PRL/GHファミリー分子とは異なることから、羊水中に新規の大分子PL様分子が発見された。

 第2章ではPL-Im分子がN型糖鎖を有するかどうか、また有する場合その糖鎖がPL-Im分子の機能にどのように影響しているかを調べることを目的としている。PL-Imアミノ酸配列中に2ヶ所存在するN型糖鎖付加部位を変異させた2種類の1ヶ所変異体(N79QとN128Q)と2ヶ所変異体(N79/128Q)を無変異体(Wild type)とともに解析した結果、PL-Imの2ヶ所のN型糖鎖付加部位のいずれにも糖鎖が付加されており、それぞれの分子量は79番目と128番目のAsnで約2kと約3kであることが明らかになった。

 2ヶ所変異体のN79/128Qは他(Wild type、N79Q、N128Q)に比べて、培養上清中への分泌量が有意に減少していることが確認され、N型糖鎖がPL-Im分子の合成・分泌の過程で何らかの役割を負っている可能性が示された。また、Nb2細胞の増殖活性は、すべての組換え体が濃度依存的にNb2細胞に対する増殖活性を示すが、ヒツジPRL活性を100%としたときのWild type、N79Q、N128Q、N79/128Qの活性はそれぞれ280%、153%、191%、113%で、糖鎖の除去により活性が減少した。PRL受容体に対する結合活性とNb2細胞内のJAK2リン酸化能は、すべての組換えPL-Im間で差がないことから、Nb2細胞増殖活性の違いはこれらの機能とは直接相関していないことが示された。したがって、糖鎖付加による分子構造の差異でJAK2の経路以外のシグナル伝達活性の増強される可能性や、未知の受容体との結合などの可能性が示された。

 最後に胎盤性PL/PRL/GHファミリー分子の分子多様性の意義や、分子進化上の糖鎖付加部位の獲得と分子機能とのかかわりなどについて論じている。

 以上の如く、本論文は多くの生化学的な実験を積み重ねる事により、羊水中新規PLの発見をはじめ、PLの分子多様性とPLに付加されるN型糖鎖の生物活性に関して新たな知見を加えた。この成果は生化学的、生理学的に有意義な貢献であることから、審査員一同は申請者に対して博士(獣医学)の学位を授与して然るべきものと判定した。

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