学位論文要旨



No 213566
著者(漢字) 田中,寅雄
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,トラオ
標題(和) CEAプロモーターを含むアデノウイルスベクターを用いた胃癌に対する腫瘍選択的遺伝子治療の実験的検討
標題(洋)
報告番号 213566
報告番号 乙13566
学位授与日 1997.10.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13566号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武藤,徹一郎
 東京大学 教授 町並,陸生
 東京大学 助教授 谷,憲三朗
 東京大学 助教授 三木,一正
 東京大学 講師 小池,和彦
内容要旨 [目的と背景]

 胃癌はわが国における悪性腫瘍の死因で依然上位を占め、進行した胃癌(StageIV)での5年生存率は6%と予後不良である。近年、悪性腫瘍に対する遺伝子治療が提唱され、なかでも自殺遺伝子ヘルペスウイルスチミジンキナー(HSV-tk)を腫瘍に発現し、pro-drugのガンシクロビル(GCV)を癌細胞に代謝させて抗腫瘍効果を得る方法がよく検討されている。GCVはHSV-tkにより代謝され細胞分裂期のDNA複製を阻害して殺細胞効果をもたらすが、この効果は周囲の遺伝子導入されない癌細胞にも及ぶ。in vivo遺伝子導入効率が高い点からアデノウイルスベクターが最近、注目されているが、HSV-tk遺伝子のような自殺遺伝子は癌細胞に選択的に発現される必要がある。胃癌では腫瘍マーカーとして血清CEA(carcinoembryonic antigen)が用いられ、進行胃癌(StageIV)では50%の患者で上昇し、胃癌組織ではCEA蛋白が強く発現しておりCEA遺伝子のプロモーターにより外来遺伝子の発現を制御できる可能性がある。CEA遺伝子の翻訳開始部位から上流約440bpの領域がプロモーター活性を持つことが知られている。進行胃癌に対して、腫瘍選択的にかつ高効率に遺伝子導入するために、CEAプロモーターとHSV-tkを持つアデノウイルスベクターを用いてCEA産生胃癌細胞に対する検討をおこなった。

[実験方法と結果] 1)組み換えアデノウイルスベクターの作成

 4種類のアデノウイルスベクター、AdCEAtk(CEAプロモーターとHSV-tk)、 AdPGKtk(PGKプロモーターとHSV-tk)、AdCEAlacZ(CEAプロモーターと-galactosidase遺伝子lacZ)及びAdCAlacZ(CAプロモーターとlacZ)は、発現コスミドと親ウイルス遺伝子の間の相同組み換えにより作成した。即ちCEA遺伝子のプロモーター領域(CEAの翻訳開始点の上流440bp)にlacZまたはHSVtkを接続した発現ユニットを、E1A、E1BとE3領域を欠失したアデノウイルス5型遺伝子を含むpAdex1cwコスミドにはめ込み、pAdex1CEAlacZとpAdex1CEAtkコスミドを作成した。また細胞によらず発現されるプロモーターとして、cytomegarovirus enhancerと-actinプロモーターの下流にlacZ遺伝子をつないだCA-lacZ-poly(A)及びphosphoglycerokinase遺伝子のプロモーター領域にHSVtkを接続したPGK-HSV-poly(A)発現ユニットをpAdex1cw(pAxcw)コスミドに挿入し各pAdex1CAlacZ及びpAdex1PGKtkコスミドを作成した。 以上の発現コスミドとEcoT221制限酵素で切断したアデノウイルスDNAを293細胞にcotransfectionして組み換えアデノウイルスベクターを作成した。

2)AdCEAlacZによる遺伝子導入効率の検討

 胃癌細胞(CEA高産生細胞MKN45、CEA中産生細胞MKN28及びCEA非産生細胞MKN1)及びHeLa細胞(CEA非産生)に細胞数の1-100倍(multiplicity of infection; moi1-100)のAdCAlacZを感染させ、5-bromo-4-chloro-3-indolyl-b-D-galactoside(X-gal)染色を行い、陽性細胞の比率を検討した所、moi30でほぼ100%の細胞に有効に感染した。さらにAdCEAlacZをmoi30で感染したが、陽性細胞はCEA産生細胞MKN45(42%)、MKN28(24%)に対しCEA非産生細胞ではMKN1(2%)、HeLa(0%)と極めて低く、moi100でも同様の傾向を示し、CEA選択的であった。

3)アデノウイルスベクターAdCEAtkによるCEA選択的細胞傷害効果

 上記の癌細胞にmoi1-100のAdCEAtkを感染させ、GCV添加培地(1-400M)で5日間培養後、MTT(3-[4、5-dimethylthiazol-2-yl]-2、5-diphenyltetrazolium bromide)法で生存細胞数を測定し、殺細胞効果を比較した。AdCEAtkによる殺細胞効果はCEA選択的で、GCVの50%細胞増殖抑制濃度(IC50)がmoi30ではMKN45(5.8M)、MKN28(21M)に対し、CEA非産生細胞ではMKN1、HeLaともに400M以上であった。

4)Bystander効果の検討

 MKN45及びMKN28細胞でAdCEAtk感染細胞(50moi)と非感染細胞を混合してGCV添加培地(40M)で培養し、5日後生存細胞を測定した。MKN28細胞ではAdCEAtk感染細胞を10%混合すると、非感染細胞の40%程度に抑制され、MKN45細胞ではAdCEAtk感染細胞を10%混合すると、非感染細胞の60%程度に抑制されてBystander効果が認められた。 AdCEAtk感染細胞を非感染MKN45細胞と混合したMKN45皮下腫瘍にGCVを腹腔内投与した所、AdCEAtk感染細胞を50%以上含む腫瘍は増殖が著しく抑制され、移植後30日目で長径2-3mmに、AdCEAtk感染細胞を20%含む腫瘍では体積が60%程度に抑制された。

5)動物モデル

 一群6匹のヌードマウスの側腹部にMKN45細胞を移植して3及び4日目に直接アデノウイルスベクターを接種後、GCVを腹腔に連続7日間投与した。A)腫瘍にPBSを接種した群、B)AdCEAlacZ接種し、GCV投与群、C)AdCEAtkのみ接種群,D)AdCEAtk接種し、GCV投与群、E)AdPGKtk接種し、GCV投与群を作成した。移植後35日目にはA,B,C群では腫瘍体積が400mm3以上に増大したが、D群では150mm3程度に有意に抑制され,E群(140mm3程度)とほぼ同等であった。

6)AdCEAtkによるHSVtkの発現

 MKN45細胞の皮下腫瘍にAdCEAtkを注入し、7日後に腫瘍を切除してCEA及びHSVtkの発現を免疫組織学的に観察した。MKN45皮下腫瘍は著しい核分裂を伴う低分化型腺癌の像を示し、ほぼすべての細胞で強いCEA蛋白の発現がみられた。一方、HSVtk蛋白の発現は、皮下腫瘍のおよそ30-40%の細胞で強いHSVtkの発現が認められたが、腫瘍以外の細胞では発現されなかった。HSVtkとGCVによる殺細胞効果により腫瘍組織は広範な壊死に陥っていた。

[考察]

 アデノウイルスベクターはさまざまな細胞や組織に高率に遺伝子導入でき、これまで非選択的なプロモーターの下流にHSVtk遺伝子を組み込んだアデノウイルスベクターにより、HSVtkとGCVの殺細胞効果が示されている。アデノウイルスベクターは高い遺伝子導入効率をもつため、HSVtkのような細胞障害性の遺伝子を導入する場合、標的とする癌細胞に限局することが望ましい。今回、腫瘍選択的な発現を目的にCEAプロモーターの下流にlacZ及びHSVtk遺伝子を組み込んだアデノウイルスベクターを作成した。AdCEAlacZによる遺伝子導入では、CEA産生胃癌細胞(MKN45とMKN28)ではlacZの発現が多く、CEA非産生細胞(MKN1とHeLa)ではlacZの発現は極めて少なく、lacZの発現がCEAプロモーターにより制御されていた。CEA非産生胃癌細胞MKN1ではAdCEAlacZにより1-2%の細胞がX-gal染色陽性であったが、少量のCEAmRNAや蛋白が正常の胃粘膜上皮に発現されることから、MKN1細胞でもごく少量のGEAを産生され、CEAプロモーターにより少量のlacZを発現している可能性がある。またAdCEAtk感染によるGCV感受性の増強はCEA産生細胞でのみ認められ、MKN1細胞やHeLa細胞ではGCV感受性の変化がみられなかった。一方非選択的プロモーターを持つAdPGKtk感染の場合、CEA非産生細胞はCEA産生細胞と同様にGCV感受性の増強を認めた。AdCEAtk感染MKN45細胞のBystander効果はこれまでの報告に比べて弱い。理由としてBystander効果には細胞同士の密接な接触が必要だが、MKN45細胞は細胞間の接触が緩いこと、CEAプロモーターを用いたための比較的低い遺伝子発現効率があげられる。次にAdCEAtk感染とGCVによる殺細胞効果を皮下腫瘍モデルで検討したが、AdCEAtk注入によって約30-40%の腫瘍細胞に強くHSVtkの発現を認め、AdCEAtkとGCVとの組み合わせにより腫瘍増殖が有意に抑制され、組織学的に強い壊死が見られた。今回、実験的GEA産生胃癌において、アデノウイルスベクターによりHSVtk遺伝子が導入され、CEAプロモーターにより選択的に発現制御されたが、実際の遺伝子治療に向けて投与法、副作用などまだ解決すべき問題点が多く、一層の研究開発が必要と考えられる。

[結論]

 CEA promoterを含むAdenovirus vectorを用いてCEA産生胃癌細胞に選択的にlacZ遺伝子及びHSVtk遺伝子を発現することが可能であった。CEA産生胃癌細胞に対してHSVtk遺伝子導入とGanciclovirにより十分な殺細胞効果とBystander効果がin vitro,in vivoで認められた。

審査要旨

 本研究は生体への遺伝子導入効率の高い組み換えアデノウイルスベクターを用いて、癌遺伝子治療に用いられる自殺遺伝子(HSV-tk)をCEA産生胃癌細胞に選択的に発現させ、HSV-tkによって活性化されるガンシクロビル(以下GCV)との組み合わせにより、癌選択的に殺細胞効果を得ることを目的として検討されたものであり、下記の結果を得ている。

 1)CEA遺伝子の転写開始地点より約420塩基上流までの塩基配列はCEAプロモーター活性を持つことが知られている。CEAプロモーター活性の下流にレポーター遺伝子(lacZ)を含む組み換えアデノウイルスベクターを作成し、CEA産生及びCEA非産生の胃癌細胞を対象にlacZ遺伝子の導入実験を行った。lacZ遺伝子の発現はCEA産生胃癌に選択的に、かつCEA産生量に比例して高い効率で認められた。

 2)HSV-tk導入癌細胞は低濃度のGCVで殺細胞されることから、CEAプロモーターの下流に自殺遺伝子(HSV-tk)を含む組み換えアデノウイルスベクターを作成し、胃癌細胞のGCV感受性をHSV-tk遺伝子導入前後で比較した。CEA産生胃癌細胞では50%細胞増殖抑制GCV濃度(IC50)がHSV-tk遺伝子遺伝子導入前のIC50>400Mから導入後のIC50=5〜21Mに約20倍感受性が上昇したが、CEA非産生癌細胞では遺伝子導入前後で変化しなかった。

 上記の結果からアデノウイルスベクターとCEAプロモーターによって高い効率で癌選択的な遺伝子導入が可能であり、さらにHSV-tkとGCVの組み合わせにより、in vitroで癌選択的殺細胞効果を得ることができた。

 3)CEAプロモーターとHSV-tk遺伝子を含むアデノウイルスベクターとGCVによる殺細胞効果が遺伝子導入されない細胞にも波及するか検討するため、HSV-tk遺伝子導入したCEA産生胃癌と非導入細胞を混合しin vitro,in vivoでGCV存在下に増殖を観察した。細胞増殖はHSV-tk導入細胞を各20%、50%混合した場合、非導入細胞の細胞増殖に比べ、各40%、10%に抑制され、明らかなbystander効果が認められた。

 4)ヌードマウス皮下に移植したCEA産生胃癌腫瘍にアデノウイルスベクター直接注入して、HSVtk発現を免疫組織染色で検討したが、およそ30-40%腫瘍細胞に強いHSVtk発現を認め、腫瘍細胞以外では発現されなかった。

 またこの皮下腫瘍体積は移植後35日目には、無治療群で400mm3以上に増大するのに対し、アデノウイルスベクター直接注入とGCV投与による治療群では腫瘍体積は150mm3程度と約1/3に抑制され、腫瘍組織は広範な壊死に陥っていた。

 以上、本論文はCEAプロモーターを含むアデノウイルスベクターを用いて胃癌選択的に自殺遺伝子を導入が可能であり、自殺遺伝子導入とガンシクロビルと組み合わせることでCEA産生胃癌細胞に十分な殺細胞効果をもたらすことを明らかにした。本研究は、アデノウイルスベクターで導入された遺伝子を癌特異的に発現することを可能にしたことから、胃癌をはじめCEA産生癌に対する遺伝子治療の研究開発上、重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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