学位論文要旨



No 213570
著者(漢字) 堀,信一
著者(英字)
著者(カナ) ホリ,ノブカズ
標題(和) マウス臓器由来血管内皮細胞を用いた転移形成機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 213570
報告番号 乙13570
学位授与日 1997.10.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13570号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上西,紀夫
 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 教授 幕内,雅敏
 東京大学 助教授 斎藤,英昭
 東京大学 助教授 安藤,譲二
内容要旨 第I章はじめに

 癌の転移の基本的な機構を解明し、転移抑制の可能性を検討する目的で、以下の実験的研究を行った。

 マウスの肝転移モデルを用いて、まず第II章ではマウス肝・肺より臓器血管内皮細胞を分離培養する方法を確立しその性質について検討した。第III章では転移形成を決定する因子について腫瘍細胞と同系マウスより分離培養した肝血管内皮細胞との相互関係を中心に検討した。第IV章では肝由来、肺由来血管内皮細胞と腫瘍細胞との相互関係を比較することにより、臓器特異的転移性について検討した。第V章では肝血管内皮細胞の接着因子に着目し、その発現機構について、肝細胞、Kupffer細胞との関係を中心に検討した。

 第VI章では、転移臓器における血管新生に着目した。転移標的臓器に着床した腫瘍細胞が増殖性を有する転移腫瘍を形成するためには新生血管を誘導することが必要とされていることから、腫瘍細胞が低酸素状態で血管内皮細胞増殖作用を示し、新生血管を誘導する可能性について検討した。

第II章マウス臓器由来血管内皮細胞の分離培養法の確立と培養血管内皮細胞の性質に関する研究a)研究方法

 マウス臓器より血管内皮細胞を分離培養する方法を確立した。肝血管内皮細胞はマウス門脈より酵素液を灌流の後、肝臓を摘出、細切して酵素液にて溶解し、密度勾配遠心にて分離した。肺血管内皮細胞は同様に下大静脈より酵素液を灌流ののち肺を摘出、溶解し、ナイロンメッシュを用いて分離した。

b)結果と考察

 マウス肝、肺より血管内皮細胞を分離培養し、同定した。いずれの細胞も通常のMEM培地にウシ胎児血清(FBS)10%を加えた条件で良好な増殖を示し、敷石状に増殖する単層培養を形成して、継代培養可能であった。

第III章肝由来血管内皮細胞に対する腫瘍細胞の接着性と実験的肝転移との相関に関する研究a)研究方法

 尾静脈内移植、脾臓内移植による転移実験において異なる転移性を示す2種類の腫瘍細胞(神経芽細胞腫)と同系マウス肝臓より分離培養した肝血管内皮細胞単層培養を用いて実験を行った。

 接着実験はコンフルエントな血管内皮細胞単層培養上に腫瘍細胞を撒き、一定時間回転によるshear stressを加えながら培養の後、培地を捨てて洗浄し、付着した腫瘍細胞を比較した。浸潤実験は同様に腫瘍細胞を撒いた後、腫瘍細胞が浸潤していく過程を観察し、2種類の細胞の浸潤性を比較した。

b)結果と考察

 早期継代の血管内皮細胞株を用いた接着実験で、脾臓内移植後の肝転移性と腫瘍細胞の血管内皮細胞への接着性が相関する結果であった。継代数が10継代目になると接着性が低下し、異なる腫瘍細胞間の接着性の有意差が消失した。浸潤性は2つの細胞株で有意差を認めなかった。

 早期継代血管内皮細胞は臓器内における血管内皮細胞の性質を反映していると考えられ臓器特異的転移について研究する上で重要な役割を果たすものと考えられた。腫瘍細胞の血管内皮細胞に対する接着性がin vivoでの腫瘍の転移性に関与していると考えられた。

第IV章臓器由来血管内皮細胞に対する神経芽細胞腫の接着性と臓器特異的転移性との相関に関する研究a)研究方法

 第II章と同様に、コンフルエントな肺血管内皮細胞単層培養を用いて腫瘍細胞との接着実験、浸潤実験を施行して、肝血管内皮細胞の実験結果と比較した。接着因子(VCAM-1,ICAM-1)に対する抗体を用いて、接着阻害実験を施行し、腫瘍細胞と肝血管内皮細胞の接着に関与する接着因子について検討した。

 免疫染色にて血管内皮細胞上の接着因子の発現を確認した。

b)結果と考察

 肝に臓器特異的転移性を示す腫瘍細胞と肝由来、肺由来血管内皮細胞の接着性を比較したところ、早期継代血管内皮細胞株では、肝血管内皮細胞が有意に高い接着性を示した。

 浸潤性では有意な差は認めなかった。接着性が臓器特異的転移性に関与していると考えられた。肝血管内皮細胞と腫瘍細胞の接着はVCAM-1に対する抗体で阻害され、血管内皮細胞表面のVCAM-1が腫瘍細胞との接着に関与していると考えられた。肝血管内皮細胞のVCAM-1の免疫染色では10継代目では染色性が低下し、接着実験の結果と合致する結果であった。

第V章血管内皮細胞の接着因子発現に関与するparacrine因子に関する研究a)研究方法

 マウス肝臓より肝細胞とKupffer細胞を分離培養し、培養上清を血管内皮細胞単層培養に加えて一定時間の後に接着実験を施行し、血管内皮細胞と腫瘍細胞との接着性の変化を検討した。同様に各種サイトカインを血管内皮細胞に加えて、接着性の変化を比較した。

b)結果と考察

 肝細胞、Kupffer細胞の培養上清は腫瘍細胞の肝由来血管内皮細胞に対する接着性を有意に上昇させた。この接着性の上昇は抗IL-1抗体で用量依存的に阻害され、培養上清中のIL-1が接着性上昇に関与していると考えられた。リコンビナントIL-1は肝由来血管内皮細胞の接着性を著明に上昇させたが、肺由来血管内皮細胞の接着性はわずかに上昇させただけであった。生体内において、肝血管系の接着因子の発現が周囲の肝細胞、Kupffer細胞よりのIL-1を含むparacrineな因子により上昇、維持されている可能性がある。

第VI章低酸素培養下腫瘍細胞からの血管新生因子産生に関する研究a)研究方法

 ヒト骨肉腫細胞を低酸素下と通常酸素濃度下で培養し、それぞれ培養上清を回収して、第II章で分離培養したマウス肝由来血管内皮細胞に加え、血管内皮細胞の増殖を比較した。つぎに、同様に低酸素下と通常酸素下で培養した腫瘍細胞をグアニジン溶液を用いて融解し、RNAを回収して、RT-PCR法にてmRNAレベルにおけるVEGF(Vascular Endothelial Growth Factor)の発現を比較した。

b)結果と考察

 低酸素下培養の培養上清を加えた培地は、通常酸素下培養やコントロールの培地と比較して有意に高い血管内皮細胞増殖活性を示した。RT・PCR法では、低酸素状態で培養した腫瘍細胞は通常酸素下培養と比較して、約8倍のVEGFmRNAの発現が認められた。

 低酸素状態において腫瘍細胞がVEGFを分泌し、血管内皮細胞の増殖に関与している可能性がある。

第VII章結語

 今回の実験で早期継代血管内皮細胞とマウス神経芽腫細胞との接着性が実験転移における転移性と良く相関した。早期継代血管内皮細胞は生体内の性質を維持している可能性があり、転移機構の研究に有用であると考えられる。

 10継代目の肝血管内皮細胞では腫瘍細胞との接着性が低下したが、これは肝細胞、Kupffer細胞など周囲の細胞よりのparacrineな因子が失われたことによる変化の可能性があると考えられた。臓器内において、血管内皮細胞の接着因子の発現が周囲よりのparacrineな因子(今回の実験ではIL-1)により、制御、維持されている可能性がある。肝、肺由来血管内皮細胞と腫瘍細胞の接着性は各種サイトカインにより各々異なった変化を示し、血管内皮細胞の臓器特異的な性質と関係していると考えられた。

 マウス神経芽腫細胞と肝由来血管内皮細胞の接着にはVCAM-1が関与していた。

 ヒト腫瘍細胞を低酸素状態で培養したところ、培養上清は血管内皮細胞増殖活性を示し、培養細胞はRT・PCR法にてVEGFmRNAの発現上昇が認められた。転移先臓器内で全体として低酸素状態にあると考えられる腫瘍細胞が、VEGF等の分泌により、直接、間接に新生血管を誘導し、転移腫瘍を形成する可能性があると考えられた。

審査要旨

 本研究は癌の転移の基本的な機構を解明し、転移抑制の可能性を検討するため、マウス肝、肺より臓器血管内皮細胞を分離培養し、IIIIIIV章ではマウス神経芽細胞腫との相互関係を検討し、同系マウスを用いた実験転移系と対照させることによって、転移形成を決定する因子の解析を試み、V章ではヒト骨肉腫細胞を低酸素状態で培養し、VEGFの発現について解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.マウス肝、肺より安定して血管内皮細胞を分離培養する方法を確立し、同定した。いずれの細胞も敷石状に増殖する単層培養を形成し、継代培養可能であった。肝よりMHE-1とMHE-2の2種類の血管内皮細胞株、肺よりMLEの1種類の血管内皮細胞株を得た。

 2.早期継代の肝血管内皮細胞(MHE-1)と異なる転移性を示す2種類の神経芽細胞種(C1300,N18LM5)を用いた実験で、脾臓内移植後の肝転移性と腫瘍細胞の肝血管内皮細胞(MHE-1)への接着性が相関する結果を得た。浸潤性では2つの神経芽腫細胞間で有意差を認めなかった。血管内皮細胞株の継代数が10継代目になると、接着性が低下し、腫瘍細胞間の接着性の有意差が消失した。以上の結果より、早期継代血管内皮細胞は臓器内における血管内皮細胞の性質を反映していると考えられ、腫瘍細胞の血管内皮細胞に対する接着性がin vivoでの腫瘍の転移性に関与していると考えられた。

 3.腫瘍細胞(C1300)の肝、肺血管内皮細胞単層培養に対する接着性、浸潤性を比較したところ、早期継代血管内皮細胞株で比較すると、C1300は肝血管内皮細胞(MHE-1)に対して有意に高い接着性を示した。浸潤性では肝、肺血管内皮細胞で有意な差を認めなかった。C1300はin vivoの転移実験において肝に対して臓器特異的な転移性を示し、血管内皮細胞に対する接着性が転移の臓器特異性に関与していることを示唆する結果であった。肝血管内皮細胞(MHE-1)と腫瘍細胞(C1300)の接着はVCAM-1に対する抗体で阻害され、VCAM-1が接着に関与していると考えられた。肝血管内皮細胞(MHE-1)のVCAM-1の免疫染色では,10継代目では染色性が低下し、接着実験の結果と合致した。

 4.同系マウス肝臓より肝細胞、Kupffer細胞を分離培養し、培養上清を血管内皮細胞単層培養に加えて、腫瘍細胞(C1300)の血管内皮細胞に対する接着性の変化を検討したところ、肝血管内皮細胞(MHE-1)に対する接着性が有意に上昇した。この上昇は抗IL-1抗体で用量依存的に阻害された。リコンビナントIL-1はC1300のMHE-1に対する接着性を上昇させたが、肺血管内皮細胞(MLE)に対する接着性には有意な変化はみられなかった。肝細胞、Kupffer細胞培養上清中のIL-1がMHE-1の接着性上昇に関与していると考えられ、生体内において、肝血管系の接着因子の発現が周囲の肝細胞、Kupffer細胞よりのIL-1を含むparacrineな因子により、上昇、維持されている可能性が考えられた。

 5.ヒト骨肉腫細胞(MG-63)を低酸素下と通常酸素培養下で培養し、培養上清を回収し、マウス肝血管内皮細胞増殖活性を比較したところ、低酸素培養上清は有意に高い増殖活性を示した。RT-PCR法にて腫瘍細胞におけるVEGFmRNAを比較したところ、低酸素培養細胞は通常酸素濃度培養に比較して約8倍の有意に高いVEGFの発現を示した。

 以上、本論文はマウス肝、肺血管内皮細胞と同系神経芽細胞腫の相互関係を検討し、神経芽細胞腫の早期継代肝血管内皮細胞(MHE-1)に対する接着性が、脾臓内移植による肝転移性と相関し、肝血管内皮細胞に対する高い接着性が神経芽細胞腫の肝に対する臓器特異的転移性に関与していることを示す結果を得た。又、神経芽細胞腫と肝血管内皮細胞との接着にVCAM-1が関与しており、肝血管系におけるVCAM-1の発現が、生体内において、肝細胞、Kupffer細胞等周囲よりの、IL-1を含むparacrineな因子により、上昇、維持されている可能性を示し、癌の転移機構の解明に重要な貢献をなすと考えられた。さらに、転移標的臓器における2次腫瘍形成過程において、血管新生が関与する可能性について、低酸素下における腫瘍細胞のVEGFの発現を転写レベルと血管内皮細胞増殖活性の両面において確認し、転移機構の解明ならびに将来的な転移抑制に貢献をなすと考えられた。以上の研究は学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク