学位論文要旨



No 213571
著者(漢字) 福田,正人
著者(英字) Fukuda,Masato
著者(カナ) フクダ,マサト
標題(和) フィードバック訓練を用いた精神分裂病における行動障害・事象関連電位P3成分振幅減衰の改善の試み
標題(洋) Enhancement of Behavior and P3 Amplitude of Event-Related Potentials in Schizophrenia Following Feedback Training
報告番号 213571
報告番号 乙13571
学位授与日 1997.10.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13571号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加我,君孝
 東京大学 教授 栗田,廣
 東京大学 教授 宮下,保司
 東京大学 助教授 貫名,信行
 東京大学 講師 鈴木,一郎
内容要旨

 精神分裂病は一般人口の約1%という高頻度に認められる重要な精神疾患である。患者は様々な精神症状のために苦痛を味わうだけでなく、家庭生活や社会生活における障害を呈する。精神分裂病の治療は薬物療法を基本として行なわれており、抗精神病薬は幻覚・妄想などの自覚的に体験される陽性症状には著効を示す。しかし、家庭生活や社会生活における障害において大きな役割を演じていると考えられる意欲減退・感情鈍麻・思考障害などの症状にたいしては抗精神病薬の効果は乏しい。これら陰性症状の治療として臨床的に行なわれているのは、精神療法・行動療法・認知療法などの薬物療法以外の治療である。抗精神病薬の作用機序はドーパミンD2受容体を中心とする種々の受容体遮断であることが明かにされてきているが、精神療法・行動療法・認知療法などの薬物療法以外の治療がどのような脳機能の変化を通じて改善効果を示すのかは明らかではない。この点を明らかにすることは、精神療法・行動療法・認知療法などをより科学的なものへと洗練していくうえで重要であり、本研究において解明しようと試みた点である。

 本研究で脳機能の指標として用いたのは、事象関連電位である。誘発電位・事象関連電位は感覚刺激に応じて出現する脳波成分である。刺激出現後約100ミリ秒以内に出現するのが誘発電位で主に直接的な感覚情報処理を反映し、刺激出現後約100ミリ秒以降に出現するのが事象関連電位で注意・認知・予期などの高次脳機能を反映する。事象関連電位のP3成分は刺激出現後約300ミリ秒に認められる陽性の電位で、「認知文脈の更新」を反映する成分であるとされている。このP3成分の異常、特にその振幅減衰は精神分裂病患者において一貫して認められる。精神分裂病患者におけるP3成分振幅減衰は検査時点での精神症状や服薬の有無に関係せず、患者親族などでも認められることから、精神分裂病に対する脆弱性を示す指標であるとされており、精神分裂病において最も安定して認められる生物学的な所見の一つである。このP3成分振幅の減衰を、検査場面において何らかの働きかけを行なうことによって改善することができないかを検討した。この検討は、精神療法・行動療法・認知療法などに伴う脳機能の変化を検査場面においてモデル化したものである。

 事象関連電位の記録に用いたのは三音弁別課題である。950,1000,1053Hzの3種類の音刺激が1:4:1で出現する課題で、低頻度刺激のいずれかを目標刺激として反応を求めた。目標刺激に対する事象関連電位をFz,Cz,Pzの3部位より記録し、P3成分を検討した。P3振幅減衰の改善を目指して行なったのは、「聴覚コーチング」と「視覚コーチング」の2つの方法である。「聴覚コーチング」とは、目標刺激の出現後(で次の刺激が出現する前)にブザー音を鳴らすことによって、目標刺激出現を事後的に聴覚的に確認できるようにしたものである。施行した6セッションのうち第3・4セッションを聴覚コーチング・セッションとして、聴覚コーチング前の第1・2セッションと聴覚コーチング後の第5・6セッションで行動指標(正反応率・誤反応数・反応時間)とP3成分指標(振幅・潜時・面積)の変化を検討した。「視覚コーチング」とは、音刺激の出現後(で次の刺激が出現する前)にCRT画面上に刺激の種類に対応する図形(低音に▽、中音に□、高音に△)を呈示して、刺激の種類を事後的に視覚的に確認できるようにしたものである。施行した5セッションのうち第2・4セッションを視覚コーチング・セッションとして、第1・3・5セッションと視覚コーチングを2回経るにつれての行動指標とP3成分指標の変化を検討した。聴覚コーチング・視覚コーチングともに、精神分裂病の認知行動療法において有効であるとされるプロンプティングの手法を模して、刺激弁別の困難な本課題の遂行を容易にすることを試みたものであった。

 聴覚コーチングの前後を比較すると、精神分裂病患者の群全体においては行動指標・P3指標ともに変化を認めなかった。しかし、聴覚コーチングによる行動指標・P3指標の変化の間の関係を検討すると、有意な相関が認められた。すなわち、聴覚コーチングによる正反応率の変化はP3振幅の変化と正の相関を、反応時間の変化はP3振幅の変化と負の相関を示した。これらの相関は、聴覚コーチングにより正反応率の上昇や反応時間の短縮など行動上の改善が認められた患者ではP3振幅が増大を示し、正反応率の低下や反応時間の延長など行動上の悪化が認められた患者ではP3振幅が減衰することを示していた。さらに、こうした聴覚コーチングによるP3振幅の変化は聴覚コーチング前のP3振幅と負の相関を示し、聴覚コーチング前のP3振幅が小さい患者では増大の方向、聴覚コーチング前のP3振幅が大きい患者では減衰の方向であった。健常者においても群全体では行動指標・P3指標に変化を認めないことは精神分裂病群と共通していたが、聴覚コーチングによる行動指標の変化とP3指標の変化との間に相関を認めない点では精神分裂病群と異なっていた。また、精神分裂病群で認められた聴覚コーチング前のP3振幅と聴覚コーチングによるP3振幅変化との間の相関も認められなかった。以上の結果から、聴覚コーチングにより精神分裂病患者の一部で行動の改善が認められること、行動の改善にはP3振幅の増大が伴うこと、こうした改善は元来のP3振幅が小さい患者で認められやすいことが示された。

 視覚コーチングについて群としての検討を行なうと、セッションが進むにつれてP3振幅の増大が認められ、この増大は精神分裂病群では統計学的有意には達しなかったが、健常群では有意であった。視覚コーチングに伴う行動指標の変化を検討すると、正反応率には両群とも変化を認めず、反応時間は精神分裂病群では延長を、健常群では短縮を示した。行動指標の変化とP3成分指標の変化とを合せて考えると、視覚コーチングによって健常群では認知の改善が生じたのに対して、精神分裂病群ではむしろ反応の慎重化が生じたと解釈することが可能であった。視覚コーチングによる変化を被検者個人ごとに解析すると、行動指標の変化とP3指標の変化の間には相関を認めず、聴覚コーチングの場合とは異なっていた。また、P3振輻の変化と視覚コーチング前のP3振幅の間にも相関を認めなかった。以上の視覚コーチングの結果から、視覚コーチングにより健常者では反応時間の短縮とP3振幅の増大が、精神分裂病患者において有意には至らないもののP3振幅の増大が生じることが示された。

 以上の視覚コーチング、聴覚コーチングを用いた今回の研究結果は、精神分裂病におけるP3振幅減衰という所見が必ずしも固定的なものではないことを示している。すなわち、少なくとも一部の患者では、働きかけの方法を工夫することによってP3振幅減衰が一定程度改善可能であり、このP3成分の変化に行動上の改善が伴いうるという結果である。聴覚コーチングの結果と視覚コーチングの結果が一致しなかったのは、コーチングのモダリティの違い、コーチング・セッションの順序の違い、コーチングの対象とした刺激の種類の違いによるものと考えられた。

 従来、精神分裂病で認められる生物学的な所見の改善可能性についてはthe Wisconsin Card Sorting Testにおける成績低下や追跡眼球運動における衝動性成分混入について検討が行なわれてきており、いずれも方法を工夫することにより一定程度改善が可能であることが示されている。今回の研究結果は、脳機能の指標として事象関連電位をとりあげることによって同様な結果を示したものである。こうした、精神分裂病における生物学的所見の改善可能性の検討は、薬物療法以外の方法によっても精神分裂病の脳機能を改善しうることを示すものであり、臨床的に行なわれている精神療法・行動療法・認知療法などの薬物療法以外の治療法が有効性を発揮する脳機構を解明し、これらの治療法をより科学的に洗練していくうえで有用となると考えられる。

審査要旨

 本研究は、精神分裂病における陰性症状の治療として臨床的に行なわれている精神療法・行動療法・認知療法などの薬物療法以外の治療法について、その背景をなす脳機能の変化を明らかにすることを目的としたものである。脳機能の指標としてとりあげたのは、精神分裂病についての素因を反映するとされている事象関連電位のP3成分である。対象は、外来通院中の精神分裂病患者と対照群としての健常者であり、事象関連電位の記録に三音弁別課題を用い、行動指標とP3成分振幅の変化を検討した。P3振幅減衰の改善を目指して、目標刺激の同定を援助する「聴覚コーチング」「視覚コーチング」という2つのフィードバック類似の方法を行ない、以下の結論を得た。

 1.聴覚コーチングにおいては、精神分裂病患者で行動指標・P3指標の変化の間に有意な相関を認め、聴覚コーチングによる正反応率の変化はP3振幅の変化と正の相関を、反応時間の変化はP3振幅の変化と負の相関を示した。また、聴覚コーチングによるP3振幅の変化は、聴覚コーチング前のP3振幅と負の相関を示した。

 2.聴覚コーチングを受けた健常者においては、行動指標の変化とP3指標の変化との間には相関を認めず、また聴覚コーチング前のP3振幅と聴覚コーチングによるP3振幅変化との間の相関も認めなかった。

 3.視覚コーチングにおいては、セッションが進むにつれてP3振幅の増大を認め、特に健常者で明らかであり、正反応率には両群とも変化を認めず、反応時間は精神分裂病群では延長を、健常群では短縮を示した。被検者個人ごとの解析では、行動指標の変化とP3指標の変化の間には相関を認めなかった。

 以上の結果は、(1)聴覚コーチングにおいては精神分裂病患者の一部で行動の改善が認められ、行動の改善にはP3振幅の増大が伴い、こうした改善は元来のP3振幅が小さい患者で認められやすいこと、(2)視覚コーチングにおいては健常者では反応時間の短縮とP3振幅の増大が、精神分裂病患者においてはP3振幅の増大が生じる、とまとめることができる。

 こうした結果は、精神分裂病における生物学的所見が固定的なものではなく、薬物療法以外の方法によっても改善可能であることを、事象関連電位を指標とすることによって示したものである。精神分裂病における治療可能性と脳機能の可塑性の関連は、従来の諸研究では十分に検討されていなかった点であり、今後の治療法の発展にも資する所見と考えられる。以上より、本研究は精神分裂病の病態解明・治療発展に重要な貢献をなすと判断され、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50693