学位論文要旨



No 213574
著者(漢字) 門脇,孝
著者(英字)
著者(カナ) カドワキ,タカシ
標題(和) ミトコンドリア遺伝子異常による糖尿病 : 新しい糖尿病亜型の同定
標題(洋)
報告番号 213574
報告番号 乙13574
学位授与日 1997.10.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13574号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 脊山,洋右
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 助教授 鳥羽,研二
 東京大学 講師 山下,英俊
内容要旨

 糖尿病、とりわけ我が国の糖尿病の大部分を占めるインスリン非依存型糖尿病(以下NIDDM)は、遺伝的要因が強く関与し、これに肥満・過食・ストレス・運動不足・加齢などの環境要因が加わって発症する。膵細胞では、グルコースの代謝がインスリン分泌のシグナルとなる。NIDDMにおけるインスリン分泌低下はグルコースに対して比較的特異的であり、スルホニルウレア(SU剤)受容体に結合し直接ATP感受性Kチャネルを閉じるSU剤や、直接膜の脱分極を引き起すアルギニンに対するインスリン分泌反応は比較的保たれている。従って、NIDDMにおけるインスリン分泌異常はグルコキナーゼからミトコンドリアに至るグルコース代謝の経路に存在する可能性が高い。しかし、日本人で検討したところグルコキナーゼ遺伝子異常による糖尿病の頻度は非常に低い。そこで日本人糖尿病におけるミトコンドリア遺伝子異常の役割を検討する目的で、種々の特徴を持った糖尿病患者でミトコンドリア遺伝子の3243変異の有無、頻度、臨床的・病態生理学的特徴につき検討した。

 対象:以下の5群の患者群を対象にした。グループ1:臨床的にIDDMと診断されている患者で、第一度近親に糖尿病の家族歴がある55名、グループ2:臨床的にIDDMと診断されている患者で、第一度近親に糖尿病の家族歴がない85名、グループ3:臨床的にNIDDMと診断されている患者で、第一度近親に糖尿病の家族歴がある100名、グループ4:糖尿病と難聴を有する患者5名(うち3名は糖尿病と難聴の家族歴を有する)、グループ5:ミトコンドリア脳筋症の一種であるMELAS患者39名とその家族127名。グループ1から5の対象者のスクリーニングの結果、総計16名の患者で3243変異を同定した。3243変異の頻度はグループ1 55名中3名(6%)、グループ2 85名中0名(0%)、グループ3 100名中2名(2%)、グループ4 5名中3名(60%)、グループ5では39名の発端者中8名(21%)であった。この他、グループ1、2、3、4の家系42名の検索により16名の3243変異保有者を、また、グループ5の家系127名の検索により、20名の3243変異保有者を同定することができた。一方本変異は正常型耐糖能を示し、糖尿病の家族歴を有さない200名の健常対照では一例も認められなかった。次に、3243変異を有する糖尿病の臨床的特徴を検討した。3243変異を有する糖尿病患者(IDDM+NIDDM)44名、糖尿病家族歴を有するIDDM患者で3243変異を持たない52名、家族歴を有するNIDDM患者で3243変異を持たない98名の比較を行った。3243変異糖尿病はIDDMに比べて、母親にDMを認める率が高く(55%vs.34%、P<0.05)、難聴も高率に合併していた(61%vs.4%、P<0.05)。また3243変異糖尿病をNIDDMと比較すると、やはり母親にDMを認める率が高く(55%vs.27%、P<0.01)、難聴も高率(61%vs.3%、P<0.01)であるほか、発症年令はより若く(32.2歳vs.45.6歳、P<0.01)、既往に肥満を認める割合が低く(11%vs.56%、P<0.01)、インスリン治療を受けている割合も高い(55%vs.18%、P<0.01)。これらの患者でのインスリン分泌能は平均24±15g/日(正常値:60〜120g/日)と低値であった。臨床分類としては、3243変異を有する患者は、IDDM、slowly progressive IDDM(SPIDDM)、NIDDMのいずれの病型もとりうるが、尿中CPRで検討すると、NIDDMでも内因性インスリン分泌の低下した例が多く、一方IDDMでも自己免疫的機序による典型的なIDDMは異なり尿中CPR5g/day以下までインスリン分泌が涸渇した例は認めなかった。3243変異を有するIDDM症例1例と3243変異を有するNIDDM症例1例で正常血糖クランプ試験にて末梢での糖取り込みや肝臓での糖取り込みが検討されたが、両者ともほぼ正常範囲内であった。以上より、3243変異を伴う糖尿病では主に、インスリン分泌低下が認められ、インスリン抵抗性の関与は少ないものと考えられた。

 このインスリン分泌低下の原因として、3243変異がミトコンドリア遺伝子の蛋白合成を低下させ、その結果ミトコンドリアでの酸化的リン酸化が障害され、グルコースによるインスリン分泌低下の起こることが想像される。このことを実験的に検証するために、インスリノーマ細胞株(HC9)でエチジウム・ブロマイドを用いてミトコンドリア遺伝子転写を特異的に阻害した時のグルコース依存性インスリン分泌を検討した。このHC9細胞はグルコース(20mM)に対して15倍、1Mグリベンクラミドに対して28倍と極めて良好な反応を示し、細胞の機能を検討する上でより生理的に近い適切な系である。HC9細胞を4日間、種々の濃度のエチジウム・ブロマイドとともに培養し、その際のmRNAの発現レベルをノザン法により評価すると、エチジウム・ブロマイドは濃度依存性にミトコンドリア遺伝子の発現を低下させ、0.4g/ml存在下では、エチジウム・ブロマイドが培養液中に存在しない場合の10〜20%のレベルにまで低下した。対照的に、エチジウム・ブロマイドにより核遺伝子、例えばインスリン遺伝子の発現レベルには明らかな変化は見られなかった。エチジウム・ブロマイド処理6〜7日目においで、高濃度(〜20mM)グルコースによるインスリン分泌は全く消失したが、対照的に、グリベンクラミド(1M)によるインスリン分泌はこの状態でも変化しなかった。fura-2により観察した細カルシウム濃度は対照の細胞では、刺激前、20mMグルコース刺激、1Mグリベンクラミド刺激でそれぞれ81nM、150nM、170nMとグルコース、グリベンクラミドで良好なカルシウム上昇反応を示した。一方、エチジウム・ブロマイド処理細胞では刺激前、20mMグルコース刺激、1Mグリベンクラミド刺激でそれぞれ64nM、72nM、179nMとグリベンクラミドに対する反応は完全に保たれていたが、グルコースに対する反応はほぼ完全に消失していた。エチジウム・ブロマイド処理3日の時点で、培養液をエチジウム・ブロマイドを含まない通常の培養液に置換すると、ミトコンドリアDNAの転写は2日で回復し、インスリン分泌のプロフィールは除去5日後までに完全に元の状態に復帰した。

 このように、3243変異が存在すると、膵細胞の酸化的リン酸化の障害により細胞内ATPレベルが減少し、したがって、3243ATP産生が減少すると、グルコースによるインスリン分泌低下をきたすと考えられる。しかし、3243変異糖尿病では、ATP産生を介さずにインスリン分泌を刺激するSU剤も効かなくなってゆく二次無効や、IDDMと臨床的に区別できないほど高度のインスリン分泌不全もしばしばみられる。これらは、膵細胞のグルコースによるシグナル伝達障害という機能異常だけでは説明が困難である。そこで、膵細胞のmassが減少している可能性が高いと考えられ、このことは3243変異を有する糖尿病の剖検例で予備的に確認された。しかし、3243変異を伴う糖尿病では、膵島細胞抗体(ICA)やグルタミン酸脱水系酵素(GAD)抗体は全て陰性であり、また、HLA DR locusの検討では、何れも日本人の健常対照と有意差を認めず、膵細胞の減少に自己免疫機序の関与は少ないと考えられた。以上をまとめると、3243変異は、(1)膵細胞のシグナル伝達障害、(2)膵細胞の減少、という2つの異常を引き起こしうるが、この2つの異常の程度や組み合わせによりNIDDM、SPIDDM、IDDMという多彩な臨床病型を取るものと思われる。

 3243変異を有する糖尿病の特徴は1.母系遺伝、2.比較的若年発症で肥満を認めない場合が多い、3.インスリン分泌の低下を主徴とし糖尿病が進行する場合が多い、4.感音性難聴を認める場合が多い、5.日本人糖尿病の約1%に認められる、とまとめられる。この特徴・頻度は他人種でもほぼ再現されており、単一遺伝子異常による糖尿病としては現時点で最も高頻度にみられるサブタイプといえる。われわれは3243変異による糖尿病亜型をMIDD(maternally inherited diabetes and deafness)と命名し、WHO分類および日本糖尿病学会分類で糖尿病の一亜型として分類することを提唱する。

審査要旨

 本研究は、日本人糖尿病におけるミトコンドリア遺伝子異常の役割を検討する目的で、種々の特徴を持った糖尿病患者でミトコンドリア遺伝子の3243変異の有無、頻度、臨床的・病態生理学的特徴につき検討したものである。さらに、ミトコンドリア遺伝子異常とインスリン分泌低下との関連について検討する目的で、ミトコンドリア遺伝子異常を有する患者のインスリン分泌低下のメカニズムについての臨床的・病理学的検討、インスリノーマ細胞株においてミトコンドリア遺伝子の転写を特異的に阻害した際のインスリン分泌の検討を行ったものであり、下記の結果を得ている。

 1.3243変異による糖尿病は、家族歴を有し臨床的にはIDDMと診断されていた55例中3例6%に、家族歴を有し臨床的にはNIDDMと診断されていた患者の中に、100例中2例2%と比較的高頻度に存在していた。また、病型、家族歴、治療法など一切の臨床情報にかかわりなくランダムに選択した糖尿病患者550名のうち5名(0.9%)にこの変異が認められ、我が国糖尿病の約1%に3243変異が存在すると考えられた。

 2.3243変異を有する糖尿病の臨床特徴は、(1)母親に糖尿病を認める頻度が高率であること、(2)しばしば感音性難聴を有すること、(3)比較的若年発症であること、(4)既応に肥満を認める頻度の低いこと、(5)インスリン治療を要する頻度の高いこと、などであった。

 3.ミトコンドリア遺伝子3243変異を有するものではほぼ全例でインスリン分泌低下が認められた。またクランプ法にて検討を行い得た患者では筋/肝のインスリン抵抗性は認められなかった。

 4.膵細胞株、HC9細胞の実験から、膵細胞におけるグルコース反応性インスリン分泌の上で、ミトコンドリアにおける酸化的リン酸化の重要性が示された。したがって、3243変異によりATP産生が減少すると、グルコースによるインスリン分泌低下をきたすと考えられる。

 5.3243変異による糖尿病では、ATP産生を介さずにインスリン分泌を刺激するSU剤も効かなくなってゆく二次無効や、IDDMと臨床的に区別できないほど高度のインスリン分泌不全もしばしばみられた。これらは、膵細胞のグルコースによるシグナル伝達障害という機能異常だけでは説明が困難であり、実際、剖検例での検討でも、膵細胞のmassの減少が認められた。しかし、リンパ球の浸潤は認められず、臨床的にも膵ラ氏島抗体や抗GAD抗体の陰性例がほとんどであり、IDDMに特徴的なHLAとの関連もみられないことから、自己免疫機序と異なるメカニズムで膵細胞数の減少が起こることが想像される。

 以上3243変異を有する糖尿病の特徴は、(1)NIDDM、slowly progressive IDDM、IDDMと多彩な臨床病型をとりうる、(2)母系遺伝、(3)比較的若年発症、(4)インスリン分泌の低下と糖尿病が進行する場合が多い、(5)膵細胞のグルコースのシグナル伝達障害とmassの減少とが認められる、(6)感音性難聴を認める場合が多い、(7)日本人糖尿病の約1%に認められる、のようにまとめられる。この特徴・頻度は他人種でもほぼ再現されており、単一遺伝子異常による糖尿病としては現時点で最も高頻度に見られるサブタイプといえる。われわれは3243変異による糖尿病亜型をMIDD(maternally inherited diabetes and deafness)と命名し、WHO分類および日本糖尿病学会分類で糖尿病の一亜型として分類することを提唱した。

 以上、本研究はミトコンドリア遺伝子3243変異による新しい糖尿病亜型を提唱することができたことから、糖尿病の原因遺伝子や分子機序の解明へ極めて重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値すると考えられる。

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