本研究は、日本人糖尿病におけるミトコンドリア遺伝子異常の役割を検討する目的で、種々の特徴を持った糖尿病患者でミトコンドリア遺伝子の3243変異の有無、頻度、臨床的・病態生理学的特徴につき検討したものである。さらに、ミトコンドリア遺伝子異常とインスリン分泌低下との関連について検討する目的で、ミトコンドリア遺伝子異常を有する患者のインスリン分泌低下のメカニズムについての臨床的・病理学的検討、インスリノーマ細胞株においてミトコンドリア遺伝子の転写を特異的に阻害した際のインスリン分泌の検討を行ったものであり、下記の結果を得ている。 1.3243変異による糖尿病は、家族歴を有し臨床的にはIDDMと診断されていた55例中3例6%に、家族歴を有し臨床的にはNIDDMと診断されていた患者の中に、100例中2例2%と比較的高頻度に存在していた。また、病型、家族歴、治療法など一切の臨床情報にかかわりなくランダムに選択した糖尿病患者550名のうち5名(0.9%)にこの変異が認められ、我が国糖尿病の約1%に3243変異が存在すると考えられた。 2.3243変異を有する糖尿病の臨床特徴は、(1)母親に糖尿病を認める頻度が高率であること、(2)しばしば感音性難聴を有すること、(3)比較的若年発症であること、(4)既応に肥満を認める頻度の低いこと、(5)インスリン治療を要する頻度の高いこと、などであった。 3.ミトコンドリア遺伝子3243変異を有するものではほぼ全例でインスリン分泌低下が認められた。またクランプ法にて検討を行い得た患者では筋/肝のインスリン抵抗性は認められなかった。 4.膵 細胞株、 HC9細胞の実験から、膵 細胞におけるグルコース反応性インスリン分泌の上で、ミトコンドリアにおける酸化的リン酸化の重要性が示された。したがって、3243変異によりATP産生が減少すると、グルコースによるインスリン分泌低下をきたすと考えられる。 5.3243変異による糖尿病では、ATP産生を介さずにインスリン分泌を刺激するSU剤も効かなくなってゆく二次無効や、IDDMと臨床的に区別できないほど高度のインスリン分泌不全もしばしばみられた。これらは、膵 細胞のグルコースによるシグナル伝達障害という機能異常だけでは説明が困難であり、実際、剖検例での検討でも、膵 細胞のmassの減少が認められた。しかし、リンパ球の浸潤は認められず、臨床的にも膵ラ氏島抗体や抗GAD抗体の陰性例がほとんどであり、IDDMに特徴的なHLAとの関連もみられないことから、自己免疫機序と異なるメカニズムで膵 細胞数の減少が起こることが想像される。 以上3243変異を有する糖尿病の特徴は、(1)NIDDM、slowly progressive IDDM、IDDMと多彩な臨床病型をとりうる、(2)母系遺伝、(3)比較的若年発症、(4)インスリン分泌の低下と糖尿病が進行する場合が多い、(5)膵 細胞のグルコースのシグナル伝達障害とmassの減少とが認められる、(6)感音性難聴を認める場合が多い、(7)日本人糖尿病の約1%に認められる、のようにまとめられる。この特徴・頻度は他人種でもほぼ再現されており、単一遺伝子異常による糖尿病としては現時点で最も高頻度に見られるサブタイプといえる。われわれは3243変異による糖尿病亜型をMIDD(maternally inherited diabetes and deafness)と命名し、WHO分類および日本糖尿病学会分類で糖尿病の一亜型として分類することを提唱した。 以上、本研究はミトコンドリア遺伝子3243変異による新しい糖尿病亜型を提唱することができたことから、糖尿病の原因遺伝子や分子機序の解明へ極めて重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値すると考えられる。 |