〈1.6Mbダウン症関連領域の遺伝子の同定と完全長cDNAの単離〉 次に1.6Mb領域について遺伝子の探索を行った。この領域のP1クローンを直接プローブとして用いてcDNAライブラリーのスクリーニングを行う方法(direct cDNA library screening)とエキソントラッピング法を行った。前者の方法ではヒト胎児の脳と心臓のcDNAライブラリーを用い、合わせて97個のcDNA断片を得た。また後者では100個のエキソン候補断片を単離した。これらはP1のBam HI制限酵素地図にマッピングすることによって由来を確認したのち内部の塩基配列を決定した。この塩基配列から互いの相同性を検索した結果、最終的に16種のcDNAクローンのグループと44種のエキソン候補断片に集約された。これらをノザン解析により各組織での発現を調べ、DNAデータベースに対して類似性を検索したところ、5つの遺伝子が同定された。これらの遺伝子の構造を調べるため、他のcDNAライブラリーやRACE法を用いてそれぞれのほぼ完全長のcDNAを単離し、塩基配列を決定した。
さらに遺伝子のゲノム上での分布と転写方向を決定した。完全長cDNAを1.6Mb領域のBam HI制限酵素地図にハイブリダイゼーションによりマップしたところ、5つの遺伝子は約70kb-300kb(平均120-150kb)もの範囲にわたって分布しており、現在までに報告された他の染色体領域(20-50kbに一つの遺伝子)と比較すると、この領域に存在する遺伝子の数は少ないことが予想された。
単離した5つの遺伝子のうち2つは既知の遺伝子であり、HCS(holo carboxylase synthetase)とGIRK2(Gprotein coupled inward rectifier K+channel 2)であった。また、1つはDrosophia minibrain遺伝子のヒトホモログMNBであった。そして残る2つは新規の遺伝子で、TPRD(a gene containing tetratricopeptide repeat motifs in the Down syndrome region)とIRKK(inward rectifier K+channel from kidney)と名付けた。
TPRDは34アミノ酸を単位としたリピート配列からなるTPRドメインを持つ新規の遺伝子で、この産物は数箇所の膜貫通ドメインをもち全体的に親水性であることが予想された。ダウン症との関連性は不明だが、TPRドメインがさまざまな蛋白質において蛋白質間の相互作用の場になっていることから、TPRDも他の何らかのタンパク質と連関して機能を果たしていることが想像される。
MNBはDrosophiaのセリン/スレオニンキナーゼであるminibrain(mnb)遺伝子のヒトホモログである。mnbがDrosophiaの初期発生において脳の正常な形成に必須なことから、ヒトのダウン症でみられる精神遅滞やその他の中枢神経欠損に関連している可能性があり、5つの遺伝子のうち最も興味深いダウン症の候補遺伝子であると考えられた。
GIRK2と新規遺伝子IRKKは内向き整流性タイプのカリウムチャネルである。マウスでのGIRK2の変異が神経疾患であるweaverの原因となることから、GIRK2はダウン症の中枢神経系の発達不全などに関連する可能性がある。また、IRKKは塩基配列や組織での発現パターンから、GIRK2とは異なった組織(腎臓や肺など)で機能を果たしていることが予想され、ダウン症の症状では腎臓の形成不全などに関与する可能性が考えられる。
HCSはビオチン依存性カルボキシラーゼのビオチン化を触媒する。この遺伝子は日本人部分トリソミー家系の転座切断点をまたいで存在することから、少なくとも日本人家系では3コピーになっておらず、そのダウン症状には関連しない可能性が高い。
また、今までに報告された2.5Mbダウン症関連領域内の遺伝子のなかでSIM2(single-minded gene 2)はDrosophiaで胎児期の中枢神経系の発達に関連する遺伝子であり、ダウン症の候補遺伝子として注目されているが、これをゲノム上にマッピングしたところ1.6Mb領域の外であり、少なくとも日本人ダウン症家系には関与しないことがわかった。