学位論文要旨



No 213594
著者(漢字) 鈴浦,秀勝
著者(英字)
著者(カナ) スズウラ,ヒデカツ
標題(和) 一次元CuO鎖の光学的性質に関する理論的研究
標題(洋) Theoretical study on optical properties of one-dimensional CuO chains
報告番号 213594
報告番号 乙13594
学位授与日 1997.11.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13594号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 花村,榮一
 東京大学 教授 藤原,毅夫
 東京大学 教授 内田,慎一
 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 助教授 五神,真
 東京大学 助教授 永長,直人
 東京大学 助教授 時弘,哲治
内容要旨

 高温超伝導を示す物質群は共通して銅と酸素から構成される2次元平面を構造として持ち合わせている.その物性については,理論と実験の両面から様々な研究が精力的になされているにもかかわらず,いまだ完全な理解からは程遠い状態である.それは,系の構造が複雑であることも要因としてあげられるが,本質的には電子相関が強く効いている系を取り扱う普遍的な方法論が存在しないことが理解の深まらない原因であるといえる.近年,高温超伝導体の1次元版ともいえる物質群の良質な結晶が作成されるようになり,その物性が注目されている.固体の励起状態を調べる有力な方法の一つとして光学的測定があげられるが,最近,このような1次元銅酸化物(CuO鎖)の光学応答に関する興味深い実験データがいくつか報告された.一つは,吸収スペクトルで,約2eVあたりに電荷移動(Charge Transfer,CT)励起による広い幅を持つ強い吸収が観測されている.最も特徴的なのはCT吸収の低エネルギー側のすそにあたる中赤外の領域に三角状のスペクトル形状を持つ構造の存在である.しかも,その中心では明らかに尖った特異的な構造がはっきりと観測されている.

 我々は,この構造がCT吸収よりも充分低エネルギー側にあることから,スピン励起のみで決まると予想し,CuO鎖の低エネルギー有効モデルであるHeisenbergスピン鎖について吸収スペクトルを解析した.光とスピンは直接的に相互作用することはないが,結晶のフォノンと電子の結合を介して光でスピン状態を励起させることが可能になる.2次元系と比較して1次元系に特徴的なのは,絶対零度でも基底状態で長距離秩序が存在しないことである.つまり,秩序状態からのゆらぎであるマグノンは良い素励起ではない.そこで,2次元系において提唱されたスピン液体という状態を適用して計算を行った.そこでの素励起はスピノンと呼ばれ,スピン液体における粒子-正孔励起,つまり,スピノンを一つ消滅させて別のスピノンを生成するという過程からの寄与を計算することにより実験結果を定性的に再現した.吸収スペクトルの形状は主にスピノン励起の状態密度を反映しており,中央に現われる特異性はスピノン励起のvan Hove特異性によるものであることを明らかにした.この特異性の現われる位置はスピノン励起のバンド幅を特定するものであり,そのエネルギー位置から厳密解との比較によりスピンの交換相互作用Jの値を決定することが可能である.実験のスペクトルからSr2CuO3ではJ=0.23eVとなり,2次元系と比較してほぼ2倍の値を持つという結果を得た.この事実は非常に注目に値するが,帯磁率の実験からも同様なJの値が指摘されており,1次元鎖がなぜこのように大きな値を持つかは明らかではなく今後の大きな課題の一つである.

図1 中赤外域における吸収スペクトル (左)実験 (右)理論

 CT励起による吸収はCuのd軌道からOのp軌道への遷移が起こるため,吸収の前後でスピン配置が変化して,終状態相互作用を考慮する必要がある.しかも,隣り合うOとCuに局在したスピンのペアが生じることにより,遷移前の交換相互作用Jよりも大きな相互作用はたらくことになり,非摂動的な効果が現われる.これは,CT吸収が通常の絶縁体におけるバンド間遷移と異なり,同時に多くのスピノン励起を伴うことを示唆している.スペクトル形状を決めるパラメータとして,終状態相互作用の大きさJKとCT励起の運動エネルギーTがあるが,我々はどちらかの値が大きい極限から出発して,数値的にスペクトルの計算を行った.JK>>Tの場合,CT励起は局在しているとみなすことができて,JKにより局所的なスピン一重項と三重項に分裂する.基底状態がスピン一重項であることから三重項への吸収はないと結論するのは誤りで,三重項へも振動子強度が分配されることを明らかにした.これは,基底状態がコヒーレントなスピン液体状態であることからの帰結で,局所的に生じたスピンは広がった状態で補償され系全体としては当然一重項になっている.この吸収遷移ではスピン液体のフェルミ端特異性を伴い,べき的に減衰するような広い幅を持ったスペクトルになることが明らかになった.逆の極限の,JK<<Tの場合,励起子はスピンと弱く相互作用しながら運動するという描像が成立する.この時は,励起子がフォノンと相互作用しながら運動するときの吸収スペクトルと対応がつく.つまり,CT吸収にスピノンサイドバンドが付随するという解釈である.どちらの極限から出発しても,電荷励起はスピノンと相互作用して広い幅を持つという結論が導かれた.しかし,実験結果は単に広い幅だけではなく,より複雑な構造をもっている.そこで,我々は励起子の伝播がスピンの状態に依存するような相互作用項の存在に着目し,より複雑な構造の存在の可能性について議論した.しかし,現実には銅原子が複数の酸素原子に囲まれているという複雑さのため,我々の結果と実験結果を単純に比較することはできないが,非常に類似した構造を再現した.

図2 電荷移動励起による吸収スペクトル (左)実験 (右)理論

 もう一つの特筆すべき実験は,角度分解型光電子分光(ARPES)である.SrCuO2における実験データは,異なる分散を持った二つの素励起の存在を示唆している.これはまさに,スピン・電荷分離の結果であるが,スペクトルに現われる二つのピーク構造は単純にホロンとスピノンが独立に励起された結果とみなすのは早計である.厳密解を用いた解析的手法や数値的対角化によるスペクトル関数の計算結果は実験結果と良く一致しているのは確かだが,そこから物理的な解釈を読み取るのは容易ではない.我々は,スレープボゾン法を用いたスペクトル関数の解析を実行した.スレープボゾン法にもとづくRVB理論による平均場近似の結果は,系の励起がが自由なボーズ粒子(ホロン)とフェルミ粒子(スピノン)で記述されるため,物理的描像が掴みやすいという利点がある.ところがこのような単純な演算子の分解から得られるスペクトル関数は一つのピーク構造しか持たないことが示された.つまり,スピンと電荷が自由粒子として分離するような平均場では不十分であることが明らかになった.つまり,低エネルギーの揺らぎが非摂動的な効果をもたらす訳である.これを解決するのがPhase stringと呼ばれる位相的な相互作用で,反強磁性ハイゼンベルグ模型の基底状態における波動関数の位相情報とホールの伝播による波動関数の位相変化を考慮することにより導かれる相互作用である.形式的には演算子の分解の際,ジョルダン・ウィグナー変換に類似した位相を変化させるような演算子を付け足すことになる.この結果,相関関数の長距離的振る舞いが正しく記述され,スペクトル関数は2つのピーク構造を持つこととなる.一つはホロンの一次元的な状態密度の発散によるもので,もう一方はスピノン液体のフェルミ端特異性によるものであることがわかる.どちらもべき的に減衰する構造で準粒子的なスペクトルではなく,系がフェルミ液体では記述できないことを端的に表わしている.

 以上のように,一次元CuO鎖の光学スペクトルの示す多様性は,基本的にスピン液体という状態で理解できることがわかった.1次元量子系では朝永・ラッティンジャー流体,ベーテ仮設,共形場理論といった解析的な手法が発達しており,低エネルギーの振る舞いは厳密な議論が可能となっている.しかし,光学応答はエネルギーの高い状態まで含めた情報を与えるもので,低エネルギーに関する議論だけでは不十分である.一般に低次元系では揺らぎが大きいため平均場近似は正当化できない.ところが,我々の得た結果は,スペクトルの概形は平均場近似で取扱い,その補正として様厳密な結果を適用するという手順ですべて実験結果をある程度説明することに成功している.つまり,相互作用が強い低次元の系に対しても適当な平均場を選ぶことにより系のダイナミクスを記述することが充分に可能であるという一例であると考えられ,より一般的に有限エネルギーのダイナミクスを記述する有効モデルを見い出すのが今後の大きな課題である.

審査要旨

 高温超伝導を示す物質群は銅と酸素から構成される2次元平面構造を共通に持ち、しかもそれが高温超伝導を担うことが確立されている.しかしその物性は,理論と実験の両面から様々な研究が精力的になされているにもかかわらず,いまだ完全に理解されたとは言い難い.その一因として,1次元系を除き電子相関が強く効く系を取り扱う方法論が確立していないことがあげられる.近年,高温超伝導体の1次元版ともいえる物質群の良質な結晶が作成されるようになり,その光学測定が広いエネルギー領域にわたって行われた.本研究はそれらの実験データを理論的に解析し,1次元銅酸化物における低エネルギー励起状態の詳細を明らかにすることを目的としている.

 本論文では第1章にて高温超伝導を示す銅酸化物に対して提唱されている強い電子相関を考慮した有効モデルを中心に研究の背景を紹介する.第2章では1次元銅酸化物鎖より構成される物質群の構造とその吸収スペクトル,角度分解光電子放射スペクトル(ARPES)の実験結果を説明する.第3章において銅酸化物系を記述する有効モデルと本研究で中心的役割を果たす共鳴原子価理論(RVB),光とスピン自由度の結合など本研究で用いられる理論的手法について簡潔にまとめる.

 第4章で本研究で得られた結果が示される.第一に,中赤外領域における吸収スペクトルの解析を行った.三角状の特徴的なスペクトルは電荷励起の関与しないスピン励起によるものと仮定しハイゼンベルグ・スピン鎖をモデルとした.2次元系と異なり絶対零度でも長距離秩序を持たない1次元系の基底状態は,RVB理論によるスピン液体状態によりよく記述されると考えられ,その素励起はスピノンと呼ばれる.実際,結晶のフォノン励起を介したスピノンの粒子・正孔励起による吸収スペクトルの計算結果は実験と良く一致する.この理論によりその光吸収スペクトルは、フォノン・エネルギー0より立ち上がり,0+J/2にカスプ状のVan Hove特異性を示し、0+Jで途切れる.ここでJは交換相互作用エネルギーである.これより、中赤外のこの光吸収は、2スピノンが、格子振動の振動子強度を奪って起こるものであることが分かった.この交換相互作用の値を定量的に見積もることが可能になり,Sr2CuO3では0.23eVと結論づけた.第二に,可視近傍に見られる銅から酸素への電荷移動(CT)吸収に対し,スピン系と強く相互作用するCT励起子モデルによる解析を試みた.その相互作用が電荷移動によるスピン配列の変化のため生じる終状態相互作用であることを導き,局所的なスピンの近藤結合と励起子の伝播効果の二つの競合でスペクトル形状が決まることを示した.どちらか一方が支配的な場合には解析が可能で,励起子が局在する極限ではスピン系と強く相互作用している結果としてスピン一重項と三重項の両方に吸収が起こり,その吸収はスピン液体によるフェルミ端特異性によりべき的に裾を引くことを明らかにした.逆に,励起子が充分に広がった極限では,励起子の吸収にスピノンのサイドバンドが付随していると解釈される.また,励起子の移動がスピン配列に依存することにより,光学遷移禁制の励起子が吸収に寄与することを予言した.第3に,ARPESの実験結果として報告されたスピン・電荷分離についてRVB理論の立場から解析を行った.スピン自由度を担うスピノンと電荷自由度を担うホロンが相互作用しない自由粒子であることを仮定した理論では,実験でみられる2つの分散を持つ構造のうち一方しか再現しないことをまず明らかにした.さらに,もう一方の構造は基底状態の波数関数の符号変化-それはスピノンとホロンの非局所的量子位相を介した相互作用として表現される-を考慮して初めて回復することを示し,スピノンとホロンが関与するARPESの2つの構造を理解できた.また,それらの構造はスピンと電荷の準粒子的なスペクトルではなく,系の低エネルギー励起がフェルミ液体で記述されないことを示す端的な結果であることを指摘した.

 第5章において,結果を簡潔にまとめて,銅酸化物鎖の低エネルギー励起がRVB理論で良く記述され,光学スペクトルにスピン液体,つまり,スピノン励起の性質が強く反映されることを結論づけた.

 以上を要するに本研究で得られた成果は,応用物理学上非常に重要なものであり,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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