学位論文要旨



No 213595
著者(漢字) 松永,恒雄
著者(英字)
著者(カナ) マツナガ,ツネオ
標題(和) リモートセンシングデータを用いた地表面熱赤外域分光放射率の高精度推定に関する研究
標題(洋)
報告番号 213595
報告番号 乙13595
学位授与日 1997.11.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13595号
研究科 工学系研究科
専攻 地球システム工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 六川,修一
 東京大学 教授 正路,徹也
 東京大学 教授 藤田,和男
 東京大学 助教授 福井,勝則
 東京大学 助教授 松橋,隆治
 東京大学 助教授 茅根,創
内容要旨

 熱赤外域(8-12m)における地表面物質の分光特性は,地表面を構成する分子の基本振動がこの波長域にあり遠隔組成探査に利用できるため,地球科学及び惑星科学分野の注目を集めてきた.

 熱赤外域多波長リモートセンシングの様々な可能性を検討するため,1980年代前半以降,航空機搭載型熱赤外域多波長画像センサが幾つか開発・運用されてきた.その中でも米国航空宇宙局(NASA)/ジェット推進研究所が開発したThermal Infrared Multispectral Scanner(TIMS)は,地球科学の様々な分野における熱赤外多波長リモートセンシングの有効性を実証してきた.

 しかし技術的な困難さから,宇宙用熱赤外多波長画像センサは大気サウンディングや全球海面温度モニタリング等の低空間分解能観測用に今まで限定されていた.高い信号/雑音比を達成する検出器や,そのような検出器が要求する温度(80K)まで冷却するための宇宙用機械式冷却器の開発等が主な技術的な問題点であった.

 幸い近年の検出器及び冷却器技術の進歩により,ようやく宇宙用高空間分解能熱赤外域多波長画像センサの開発が技術的に可能になり,熱赤外域に5個の観測バンドを持つAdvanced Thermal Emission and Reflection Radiometer(ASTER)として1998年に打ち上げられるNASAの地球観測衛星EOS-AM1に搭載されることとなった.ASTERは日本の地球資源衛星1号(Japanese Earth Resource Satellite-1,JERS-1)に搭載された光学センサOptical Sensor(OPS)の後継センサであり,通商産業省によって開発が進められている.しかしASTERによって得られる膨大な量のデータから地球表面の温度及び分光放射率を高精度に抽出し,今後の地球科学研究の基礎となるデータセットを整備するためには,ASTERデータに対してルーチン的に適用できる標準データ処理アルゴリズムが開発され,地上システムに組み込まれる必要がある.

 本論文では,ASTERデータ処理において一つの鍵となる分野〜温度-放射率分離〜に,新しい手法(MMD法)を提案し,かつ新手法に基づく衛星用標準温度-放射率分離アルゴリズム(ASTER TES)を確立する.またMMD法,ASTER TES及び従来手法を,シミュレーション・室内測定・野外測定・航空機によるデータを用いて比較検証する.温度-放射率分離問題とは,観測値より未知数の方が多いという熱赤外リモートセンシング固有の問題であり,従来から様々な解法が提案されてきた.MMD法は熱赤外分光放射率の相対的なコントラストと絶対値の間の経験的関係に基づいている.スペクトルのコントラスト及び絶対値はそれぞれ,最大放射率と最小放射率の差(Maximum-Minimum Difference,MMD)及び平均放射率として表現され,その関係は線形式で定義される(図1).一般に水面や植生のように高い平均放射率を持つ物質のスペクトルはフラットであり,逆に酸性岩のように高いコントラストを持つ物質の平均放射率は低い.このように放射率の絶対値が異なる複数の物質について,従来の温度-放射率分離手法の精度は低かったが,MMD法はこのような物質に対しても有効に機能する.

図1 様々な地表面物質の平均放射率とMMDの関係○ Felsic Rocks + Coatings ● Intermediate Rocks × Soil □ Mafic/Ultra Mafic Rocks ▽ Vegetation ■ Sedimentary Rocks ◆ Water and lce ◇ Metamorphic Rocks

 MMD法及びASTER TESの有用性を示すために,4種類の検証を行なった.最初に37種類の物質・3種類の大気モデル・6種類の地表面温度より作成されたASTERシミュレーションデータセットにより,MMD法,ASTER TESと従来手法(モデルエミッタンス法と正規化法)の精度を比較した.この結果,MMD法及びASTER TESはASTERの全バンドが使用できる場合及び1個のバンドが使用できない場合において,従来手法よりも高精度であること,また使用する係数等のデータセット依存性が小さいことが示された.2番目に環境放射の地表面における反射・地表面内での散乱・画素内の植生の混在の影響を評価するため,理論的な解析を行なった.その結果これらはいずれも放射率を平均的に高めると同時に,スペクトルのコントラストを弱める働きがあることが分かった.さらにこれらの影響を受けたスペクトルは受けないスペクトルと同じMMD-平均値直線上にプロットされるため,最終的な温度-放射率分離精度は低下しないことも示された.3番目に,筆者等のグループによって実測された岩石の風化面及び湿った砂の分光放射率より,風化及び土壌水分量の熱赤外分光放射率及び温度-放射率分離への影響について考察した.その結果これらも放射率を平均的に高めると同時に,スペクトルのコントラストを弱める働きがあることが分かった.従って2番目の解析同様,最終的な温度-放射率分離精度は低下しない.

 最後に,MMD法に基づく衛星用標準温度-放射率分離アルゴリズムの実用性,安定性等を調べるため,米国ネバダ州キュープライトで取得された2種類の航空機データに対し,同アルゴリズムを適用した.その結果,本アルゴリズムによる解は安定しており,また得られた分光放射率は地質学的解釈及び現地サンプル放射率(図2.C6はオパール化帯,C9は珪化帯)との比較を通してほぼ妥当であることが示された.

図2 TIMS(太線),岩石サンプル新鮮面(細実線),岩石サンプル風化面(細点線)の分光放射率(上)とスケーリング後分光放射率(下).

 これらの検証の結果,本論文で提案した温度-放射率分離手法(MMD法)及び同法に基づく衛星用標準温度-放射率分離アルゴリズム(ASTER TES)は,精度の面で従来の手法を上回り,さらに実用性・安定性の面でも衛星用アルゴリズムに求められる諸条件を満たすことが明らかになった.従って本アルゴリズムは1998年から運用が開始されるASTERの標準プロダクト作成に用いることが可能であると結論できる.ただし,今後は実際に得られたASTERデータによるアルゴリズムの検証を行なう必要がある.

審査要旨

 本論文は、衛星搭載では世界初となる熱赤外域多波長リモートセンシングセンサーから高精度で地表物質の温度並びに放射率を導出するための方法論を追求したものである.対象となるセンサーには平成10年度打ち上げ予定の多バンドセンサーシステムであるASTER(Advanced Thermal Emission and Reflection Radiometer)を想定している.著者は熱赤外多バンドデータより、地表面の絶対温度と放射率を高精度で導出するための温度-放射率分離手法において新しい手法(MMD法)を提案し,かつ新手法に基づく衛星用標準温度-放射率分離アルゴリズム(ASTER TES)を提案、確立した.本文では新アルゴリズムの優位性をシミュレーション・室内測定・野外測定・航空機データを用いて従来のアルゴリズムと比較しながら詳細に検証している.温度-放射率分離問題は,観測値の数より未知数の数の方が多いという熱赤外リモートセンシング固有の問題であり,従来から様々な解法が提案されてきた.しかしながらそれらは、観測地域に固有の情報を必要とするなど、全地球観測をめざしている衛星リモートセンシングには必ずしも適当な方法ではなかった.これに対し、本文で提案しているMMD法は熱赤外分光放射率の相対的なコントラストと絶対値の間の経験的関係に基づいているため、これまでの方法に比べ、普遍性が格段に増している.スペクトルのコントラスト及び絶対値はそれぞれ,最大放射率と最小放射率の差(Maximum-Minimum Difference,MMD)及び平均放射率として表現され,その関係は線形式で表現される.一般に水面や植生のように高い平均放射率を持つ地球表面物質のスペクトルはフラットであり,逆に酸性岩のように高いコントラストを持つ物質の平均放射率は低い.このように放射率の絶対値が異なる複数の物質についても,従来の温度-放射率分離手法に比べ、MMD法は有効に機能する.MMD法及びASTER TESの有用性を示すために,4種類の検証を行なっている.最初に37種類の物質・3種類の大気モデル・6種類の地表面温度より作成されたASTERシミュレーションデータセットにより,MMD法,ASTER TESと従来から用いられている手法(モデルエミッタンス法と正規化法)の精度を比較している.この結果,MMD法及びASTER TESはASTERの全バンドが使用できる場合及び1個のバンドが使用できない場合において,従来の手法よりも高精度であること,また使用する係数等のデータセット依存性が小さいことが示された.2番目に環境放射の地表面における反射・地表面内での散乱・画素内の植生の混在の影響を評価するため,理論的な解析を行なった.その結果これらはいずれも放射率を平均的に高めると同時に,スペクトルのコントラストを弱める働きがあることが分かった.さらにこれらの影響を受けたスペクトルはそれを受けていないスペクトルと同じMMD-平均値直線上にプロットされるため,最終的な温度-放射率分離精度はこれらの影響をあまり受けないことも示された.3番目に,筆者のグループによって実測された岩石の風化面及び湿った砂の分光放射率より,風化及び土壌水分量の熱赤外分光放射率及び温度-放射率分離への影響について考察した.その結果これらはいずれも放射率を平均的に高めると同時に,スペクトルのコントラストを弱める働きがあることが分かった.従って2番目の解析同様,最終的な温度-放射率分離精度はこれらの影響をあまり受けないことが示された.最後に,本論文で開発した衛星用標準温度-放射率分離アルゴリズムの実用性,安定性等を調べるため,米国ネバダ州キュープライト地区で取得された2種類の航空機データについて,同アルゴリズムを適用した.その結果,本アルゴリズムによる解は安定しており,また得られた分光放射率は地質学的解釈及び現地サンプル放射率との比較を通してほぼ妥当であることが示された.これらの検証の結果,本論文で提案した温度-放射率分離手法(MMD法)及び同法に基づく衛星用標準温度-放射率分離アルゴリズム(ASTER TES)は,精度の面で従来の手法を上回り,さらに実用性・安定性の面でも衛星用アルゴリズムに求められる諸条件を十分に満たすことが明らかになった.これら一連の研究を通じ、本論文は多バンド熱赤外リモートセンシングの技術的発展に多大な貢献をしたと考えられる.

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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