白血病や悪性リンパ腫などの造血器腫瘍には、しばしば病型特異的な染色体の異常が認められる。この中でも染色体の相互転座は、関連した癌遺伝子の発現の異常や構造変化を引き起こし、癌化に至る課程を理解する上でも興味深い現象である。しかし、この染色体転座の生じる機構に関しては、リンパ球系腫瘍の場合に、遺伝子再構成に関与するVDJリコンビネースの誤作動によって生じるというモデルが提唱されているものの、多くの場合には不明であり、今後解決すべき課題として残されている。そのリンパ球系腫瘍に限ってみても、実際の染色体転座切断点の塩基配列が解読されてみると、VDJ組み換えに必要なシグナル配列(ヘプタマー・ノナマー配列)の認められない症例が数多く存在することが判明し、別の機構の存在が示唆されるようになった。 学位申請者はこれまでに、リンパ球系腫瘍の中でt(8;14)(q24;q11)とt(1;14)(p32;q11)の染色体転座を有したT-ALLにおいて、その第1、第8染色体上の転座切断点に共通したシグナル様配列が存在することを発見し、その配列を特異的に認識する核内因子ReHF-1を同定した。さらに、濾胞性B-リンパ腫に特徴的にみられるt(14;18)(q32;q21)型転座において、転座切断点が集中する18q21上のbcl-2遺伝子内150bpの領域に、ReHF-1のシグナル様配列と類似した配列が存在することに着目し、この配列を認識するDNA結合蛋白・BCLF-1を同定するに至った。その後解析を進めると、この2つの核蛋白ReHF-1とBCLF-1は、i)核内では、リンパ球系細胞にのみ発現を認め、ii)分子量が同一であり、iii)お互いに結合配列を競合し合うことより、同一の因子である可能性が強く示唆されるようになった。そこで本研究においては、BCLF-1蛋白の純化・精製を行い、両因子の同一性を確定するとともに、そのアミノ酸配列よりこの蛋白をコードする遺伝子の単離を試み、さらにその分子解析を行なった。 染色体転座点結合蛋白トランスリンの発見 大量培養した細胞より得た核抽出液を用い、各種のカラム・クロマトグラフィーとゲルシフト・アッセイを組み合わせることにより、BCLF-1蛋白の純化・精製に成功した。しかしこの段階でも、BCLF-1活性とReHF-1活性は全く分離することができず、両者が同一の因子であることが判明した。 これにより、このDNA結合蛋白は、i)ATGCAG-GCCC(A/T)(G/C)(G/C)(A/T)というReHF-1の配列と、ii)GCCC(A/T)(G/C)(G/C)(A/T)の繰り返しのBCLF-1配列の2つの結合配列を有していると考えられた。 この段階で、この核蛋白が、多くの染色体転座切断点に結合しうる因子である可能性が示唆されたため、これまでに解明されたリンパ球系腫瘍の転座切断点の塩基配列を基にし、詳細な検討を加えた。その結果、数多くの染色体転座切断点のゲノム塩基配列に、このシグナル様結合配列が存在することが明らかとなった。さらに、これらの切断部位の塩基配列に相当するオリゴヌクレオチドを合成すると、実際に精製蛋白と結合しうることが、ゲルシフト・アッセイにより確認されたのである。 これらのことより、この因子は、広範囲にリンパ球系腫瘍の染色体転座切断点に結合しうるDNA結合蛋白であると考えられ、染色体転座機構への何らかの関与が予想された。そこで、染色体転座(Translocation)より引用し、トランスリン(Translin)と命名するとともに、その遺伝子解析を行なった。 トランスリン遺伝子のクローニング 精製トランスリン蛋白をプロテアーゼで処理し、その消化断片をアミノ酸シークエンサーで解析することにより、30のアミノ酸残基よりなる部分配列が決定された。これを基にして、両端のアミノ酸配列に相当するプライマーを合成し、PCRによりトランスリン遺伝子の一部分を増幅した。これをプローブとしてスクリーニングを行い、全長2.7kbのトランスリンcDNAクローンの単離に成功した。 この塩基配列を解読すると、トランスリンcDNAは、228アミノ酸よりなる約27kDaの蛋白をコードしていることが判明したが、そのアミノ酸配列の蛋白質データベースとの比較により、トランスリン蛋白は、既知のものとはいかなる相同性も有しない新奇の蛋白であることが明らかとなった。また、そのC末側にはロイシン・ジッパーと呼ばれる蛋白間の重合に必要な構造を有し、そのN末側に2箇所ある短い塩基性領域によりDNAに結合すると考えられた。 トランスリン蛋白の高次構造 組み換え蛋白を大腸菌内で発現させてその生化学的性状を調べてみると、トランスリンは、特徴的な高次構造を呈していることが判明した。即ち、組み換え型トランスリンが、SDS-PAGEにおいて還元条件では27kDa・非還元条件では54kDaの分子量を示すことより、まず、2箇所あるシステイン残基を介したジスルフィド結合にて2量体を形成することが示唆された。更にゲルろ過により、非変性条件下では約220kDaと8量体の分子量を呈することより、先のロイシン・ジッパー構造を介して4組の2量体が互いに重合し合い、8量体を形成していると推測された。実際に、組み換え蛋白を電子顕微鏡にて観察すると、一つ一つがリング状の構造をしており、1/8回転毎に多重露出することにより、そのリング状8量体の高次構造が明らかとなった。 また、マウスやニワトリのトランスリン相同蛋白は、アミノ酸一次配列上ヒト・トランスリンと非常に高い相同性を有していることが判明したが、特にそのロイシン・ジッパー構造やシステイン残基の位置は正確に保存されていた。このことより、マウスやニワトリのトランスリン蛋白は、ヒト同様にリング状高次構造をとっていることが予想された。したがって、トランスリン蛋白のこの構造は、その機能発現の上で必要不可欠な要素であると考えられたのである。 トランスリン蛋白の選択的核内移行 もう一つ判明したトランスリン蛋白の特徴は、その核内への移行が何らかの制御を受けていることであった。まず、トランスリン遺伝子の発現をmRNAレベルで調べてみると、全ての細胞・組織にわたって均一な発現が認められた。更に蛋白レベルでも、細胞質中には全ての細胞でトランスリン蛋白の結合活性が存在することが、ゲルシフト・アッセイでの解析により明らかとなった。ところがその活性は、核内ではリンパ球系細胞にのみ認められることが判明し、続いて行われた抗トランスリン抗体と共焦点レーザー顕微鏡を用いたその局在解析においても、リンパ球系細胞に限局して核内に存在することが確認された。 このことは、トランスリン蛋白の核内への輸送をリンパ球系細胞に限って行うよう制御する、選択的輸送機構の存在を示唆するものであった。更に、トランスリン蛋白がDNA結合蛋白であり、その機能発揮の場が核内であることを考慮すれば、トランスリンがリンパ球系に特異的な現象に関与している可能性が想定されたのである。 トランスリンの予想される機能と染色体転座への関与 トランスリン蛋白は、リング状8量体という特徴的な高次構造をとるDNA結合蛋白であることが明らかとなったが、この形状より、DNAはそのリング状構造の内腔を貫通するような形で、トランスリンと結合すると考えられた。この結合様式より判断すれば、長く連続した塩基の連なりであるDNAにトランスリンが結合するためには、まず何処かでDNAの切断が生じ、その断端が露出することが必要と推定される。そして、露出したそのDNAの断端にトランスリン蛋白が結合し、この過程の後に、その機能が発揮されてくるのであろう。このことより推測すれば、トランスリンはDNAの切断とその後に起こる現象(遺伝子の修復や組み換え等)と密接に関わっていると考えられる。さらにその細胞内局在より、リンパ球に特異的な現象に関与している可能性が考えられ、特にDNAの切断を伴うV-D-J組み換えやlgのクラス・スイッチなどの現象との関連が示唆されて興味深い。 また、トランスリン蛋白の染色体転座への関与については、今のところ直接その関連を示唆するような実験結果は得られていない。しかし、上記の予想される機能を念頭に置けば、一度切断されたDNAの修復あるいは組み換えがなされる過程で、トランスリンとその関連因子群の働きに間違いが生じて誤った再接合が起こり、その結果として染色体転座が起こってくる、という機序も考えられる。今後は、トランスリン蛋白の具体的な生理機能の解明と共に、染色体転座への関与の証明が大きな課題となるであろう。 |