学位論文要旨



No 213601
著者(漢字) 安酸,史子
著者(英字)
著者(カナ) ヤスカタ,フミコ
標題(和) 糖尿病患者の食事自己管理に対する自己効力感尺度の開発に関する研究
標題(洋)
報告番号 213601
報告番号 乙13601
学位授与日 1997.11.26
学位種別 論文博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 第13601号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小島,通代
 東京大学 教授 大橋,靖雄
 東京大学 助教授 山田,信博
 東京大学 助教授 横山,和仁
 東京大学 講師 奥,恒行
内容要旨 I.はじめに

 糖尿病の食事療法は質的には制限がなく「健康食」と言われているものの、量的には明らかに制限があり、成人に多いインスリン非依存性糖尿病の場合には元来食欲求が強い人が多いこともあり、糖尿病患者が一生食事療法を続けていく心理的負担は大きいと考えられる。

 糖尿病患者が食事の自己管理を続けていくためには、正確な知識は重要であるが、知識の活用には自己効力感が必要であると言われている。自己効力感とは、何らかの課題を達成するために必要とされる技能が効果的であるという信念を持ち、実際にその技能を自分が実施することができるという個人に認知されている確信のことである。自己効力感は根拠のある自信を意味する概念である。

 糖尿病患者用の自己効力感尺度は米国では開発されているが、我が国で有用性が確認されている尺度の報告はない。米国と日本では食文化が違うこと、我が国においては糖尿病患者に対する食事指導の方法が規制的になりがちであること等の違いから、日本人用の尺度を開発する必要があると考えた。特に糖尿病の食事自己管理に焦点を絞った自己効力感尺度は、境界型の人にも広く活用できるため、開発する意義は高いと考えた。

II.研究目的

 糖尿病患者の食事自己管理に対する自己効力感尺度(Diabetes Mellitus Dietary Self Efficacy Scale,以下DMDSESと略す)を開発し、その信頼性と妥当性を検討する。また、尺度の有用性について検討する。

 さらに開発したDMDSESを用いて、糖尿病患者の食事自己管理に対する自己効力感が食事自己管理行動及び医学データを予測する上で有効であるかどうかを検討する。

III.方法1.DMDSES開発及び信頼性・妥当性検討の手順

 本研究は、DMDSESを開発しその信頼性と妥当性を検討するとともに、尺度の有用性を検討する研究である。尺度開発のための研究は第一段階がアイテムプール、第二段階がアイテムの絞り込み、第三段階がアイテムの固定、最終段階が信頼性と妥当性の検証である。

 DMDSESの開発と尺度の信頼性・妥当性の検討の手順を図1に示した。

図1 DMDSESの開発と検討1)調査方法

 (1)患者インタビュー調査:対象者はS病院に外来通院をしている糖尿病患者13名(男性9名、女性4名)で、平均年齢63.6歳、平均糖尿病歴14.5年であった。外来の待ち時間を利用してインタビューを実施し、「どういうときに食事療法を続けていけそうだと実感するか」を具体的に語ってもらい、内容分析の手法を用いて分析し、アイテムを抽出する。

 (2)専門家へのアンケート調査:対象者は3年以上糖尿病患者教育を担当した経験のある栄養士9名と看護婦9名である。自記式で自由記載のアンケート調査を郵送法で実施した。記載内容を内容分析の手法を用いて分析し、アイテムを抽出する。

 (3)プレテスト1:対象者は調査協力の得られたO県の糖尿病の外来患者29名、入院患者31名。無記名での自記式質問紙または聞き取り聴取。

 (4)プレテスト2:対象者は都内の糖尿病外来患者30名。調査方法はプレテスト1と同様。

 (5)本調査:対象者は都内の糖尿病専門外来患者223名(回収率82.0%)。アンケートは医学データと照合するために記名とし、担当医師が研究の趣旨文を患者に手渡して研究同意を得、病院宛に1週間以内に郵送するよう依頼した。アンケートは自記式質問紙である。

2.DMDSESの信頼性と妥当性の検討

 表面妥当性・内容妥当性の検討は筆者を含む2名の研究者によるエキスパートレビューで行う。基準関連妥当性の検討には、坂野の作成した一般性自己効力感尺度(GSES)と理論的基準としてBanduraの理論をもとに筆者が作成した自己効力感刺激要因尺度との相関を検討する。構成概念妥当性の検討には、斜交成分分析の一つであり分割型のクラスタリング方法をとるVARCLUS分析の手法を採択して分析する。信頼性の検討にはテスト-再テスト法による安定性の検討とCronbachの係数による内的一貫性の検討を行う。

3.DMDSESと食事自己管理・医学データの関係の検討

 DMDSESと筆者が作成した食事自己管理行動尺度、血糖コントロール状態を把握する最も一般的な指標であるHbA1c、肥満度の指標であるBMIとの相関を調べる。

4.データ分析方法

 データ分析は基本統計、信頼性係数、相関係数、分散分析は統計パッケージHALBAUを用い、VARCLUS分析には統計パッケージSASを使用した。

IV.結果1.DMDSESの開発結果

 上述の項目作成手順で、54項目6件法のDMDSESの原案を作成し、プレテストの結果、不適切な項目として、回答に欠損の多い項目、偏りのあった項目、項目間相関が強い項目、内部相関の低い項目を削除し、最終的にアイテム数を15項目まで絞り込み固定した。

2.本調査の対象者の背景

 男性146名、女性77名であり、年齢は59.4±11.0歳であった。治療法は食事療法のみが110名、経口血糖降下剤使用者33名、インスリン使用者68名であった。調査時のHbA1cは7.6±1.4%、BMIは22.0±3.1であった。糖尿病歴の平均年数は13.6±9.1年であった。合併症は、神経障害43名(19.3%)、網膜症49名(22.0%)、腎症37名(16.6%)であった。

3.DMDSESの妥当性と信頼性の検討結果

 構成概念妥当性に関しては、VARCLUS分析の結果、二つのクラスターに分けられ、C1は食べ過ぎてしまいたくなる外的な環境下における自己効力感を問うアイテムと考え《外的誘惑に対する統制感》と命名した。C2は自己の欲求を管理していく意志力や実行力に対する自己効力感を問うアイテムと考え《内的誘惑に対する統制感》と命名した。クラスター間相関は0.75であった。

4.基準関連妥当性の検討結果

 属性及び影響要因のうち、DMDSESと1%水準で有意差が認められたBMIと同居家族の有無、年齢をコントロールして基準関連妥当性を検討した。その結果、GSESとDMDSESは全体として正の相関が認められ、C2とは有意相関が認められた(r=-0.16、p<0.05)。また自己効力感刺激要因とDMDSESは全体的に有意相関が認められた。自己効力感刺激要因尺度を下位尺度別に見ると、遂行行動の達成(p<0.001)、情動的喚起(p<0.001)、言語的説得(p<0.01)とは有意相関を認めたが、代理的経験とは相関が認められなかった。

 今回の調査では、GSESのCronbachの係数は0.32と低く信頼性が十分確保できたとは考えられないため、基準となる外的尺度に関しては今後検討していく必要がある。

5.信頼性の検討結果

 テスト-再テストの結果、相関係数は0.72であった。本調査におけるDMDSESのCronbachの係数は全体で0.94、C1で0.93、C2で0.90であった。

 6.DMDSESと自己管理行動、HbA1c・BMIとの相関を分析した結果、DMDSESは全体得点でも下位尺度別でも自己管理行動と強い有意相関を認めた(p<0.001)。HbA1cとは全体得点で有意な逆相関が認められたが、下位尺度で見るとC1では有意相関は認められず、C2で強い逆相関(p<0.001)が認められた。この傾向は調査時と2・3ヶ月後で同様であった。BMIとは全体得点及び下位尺度でも有意な逆相関を認めた(p<0.001)。

V.考察と結論1.DMDSESの妥当性と信頼性について

 エキスパート・レビューにより表面妥当性は確保され、患者及び専門家の経験を集約したアイテムで構成されているため内容妥当性も確保されていると考える。一般性自己効力感尺度と弱い相関が認められたこと、理論的な基準である自己効力感刺激要因尺度と有意相関を認めたことから基準関連妥当性は検証されたと考える。また構成概念妥当性も検証できたと考える。ただし、横断的な調査であるという限界を有しており、予測妥当性に関しては不十分であり、今後の検討が必要である。信頼性は安定性・内的一貫性ともに検証できたと考える。

2.DMDSESの特徴

 DMDSESは日本人の糖尿病患者及び専門家の経験を集約して帰納的に開発した尺度であるところに特徴がある。最終的に採択されたアイテムを欧米で開発された尺度のアイテムと比較すると、微妙な違いとしてはDMDSESには「もっと食べたいと思うときでもやめる」「あまり我慢しなくても糖尿病の食事療法をやっていける」等といった我慢することに関連したアイテムが多く含まれているが、欧米のアイテムは積極的に食事療法が出きる自信に関連したアイテムが中心となっている事に気づく。また、「人に勧められてもきちんと断る」といったアイテムは欧米にはなく、人付き合いの良さが公私にわたって人間関係を維持する重要な要素と考えられている日本人的な考え方の特徴を反映しているのではないかと考える。

3.DMDSESの有用性について

 DMDSESと血糖コントロール状態を示す代表的な指標であるHbA1cが調査時点だけでなく2・3ヶ月後のデータとも強い有意相関を示したこと、また肥満度の指標であるBMIとも有意な逆相関を示したことは、DMDSESが血糖コントロールの維持や体重コントロールと関連があることを意味するのではないかと考え、尺度としての有用性が確認されたと考える。

4.今後の患者教育の課題について

 今回の研究で、自己効力感という患者の主観的な認知が客観的な医学データと有意相関していることが確認できたことは、今後の患者教育のあり方を検討する際に、自己効力感を高めることを目的にしたアプローチを開発していく意義を示唆しているものと考える。

審査要旨

 本研究は、糖尿病患者の食事自己管理に対する自己効力感尺度(Diabetes Mellitus Dietary Self Efficacy Scale,以下DMDSESと略す)を開発し、その信頼性と妥当性を検討するとともに、尺度の有用性について検討したものである。

 さらに開発したDMDSESを用いて、糖尿病患者の食事自己管理に対する自己効力感が食事自己管理行動及び医学データを予測する上で有効であるかどうかを検討したものであり、下記の結果を得ている。

 1.糖尿病患者の食事療法の自己効力を測定する尺度開発が行なわれ、<外的誘惑に対する統制感>と<内的誘惑に対する統制感>の2下位尺度から構成される15アイテム6件法のDMDSESが開発された。妥当性と信頼性の検討の結果、基準関連妥当性に一部課題を残すものの、自己効力感尺度としての信頼性と妥当性は検証されたと考えられる。

 2.DMDSESはアイテムプールの段階で、日本人の糖尿病患者及び専門家の経験を集約するために質的な研究方法である内容分析の手法を用い、アイテムの絞り込みと固定の段階では統計学的な手法が用いられている。その結果、DMDSESには、「縁の原理」に生きる日本人の食に関する捉え方の特徴と我慢することが美徳といった日本人特有の精神性を反映したアイテムが採択された。

 3.糖尿病の外来患者223名に適用した結果、DMDSESは食事自己管理行動と有意相関を認めた。このことは、自己効力感と自己管理行動が相互に影響していることを意味し、自己効力感が高いことが自己管理行動を促進する可能性を示唆している。

 4.DMDSESは血糖コントロールの指標であるHbA1cおよび肥満度の指標であるBMIと有意な逆相関が認められた。このことは肥満度と血糖コントロール状態が自己効力感に大きく影響していることを示唆している。また、調査後2.3ヶ月後のHbA1cとも有意な逆相関を示したことから、DMDSESが血糖コントロール状態の持続と関連していることが確認された。

 5.糖尿病患者の食事自己管理に対する自己効力感が高くなると、食事自己管理行動や血糖コントロール状態が改善する可能性が確認できたことから、患者の食事自己管理に対する自己効力感を高める患者教育のアプローチ方法を開発していく意義が示唆された。

 以上、本論文は我が国の糖尿病患者の食事自己管理に対する自己効力感尺度を開発し、その妥当性と信頼性を検証したものである。患者教育の領域では患者の自己効力感への注目は高まっていたが、これまでは糖尿病患者の自己効力を把握するための尺度は欧米のものか課題を特定しない一般性自己効力感尺度をもちいるしかなかった。今回開発されたDMDSESは日本人の食の考えを反映したものであり、我が国の今後の糖尿病患者教育の評価研究において重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値すると考えられる。

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