学位論文要旨



No 213602
著者(漢字) 佐野,みどり
著者(英字)
著者(カナ) サノ,ミドリ
標題(和) 風流造形物語 : 日本美術の構造と様態
標題(洋)
報告番号 213602
報告番号 乙13602
学位授与日 1997.12.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第13602号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 河野,元昭
 東京大学 教授 小川,裕充
 東京大学 教授 鈴木,日出男
 東京大学 教授 五味,文彦
 東京大学 助教授 佐藤,康宏
内容要旨

 日本美術の注目すべき特色として、物語絵画の盛行と装飾性への傾斜を挙げることができるだろう。本書は、主に古代・中世の造形を対象に、物語絵画においては、その物語る形式(物語構造)の解析、そして非-物語造形に関しては、造形を支える美意識とその発現の様態を考察する論考によって構成される。風流と物語表現という二つの異なる切り口の設定は、上述の命題、すなわち装飾性と物語性という日本美術の顕著な特性の双方を射程に取り込み、古代・中世の表象世界の構造とその具体的な様態をできうる限り包括的に捉え直す意図に拠っている。

 本書は、序論 王朝の美術、第一篇 風流と造形、第二篇 物語と絵画、の三部構成である。序論では、十世紀から十二世紀の世俗美術の動向を<みやび>の形成として概論し、また院政期絵巻の特性を概観する。第一篇では、装飾性の問題を風流の発現として論じ(第一節)、かつ古代より近世に至る装飾美術の諸相を考察する(第二節)。第二篇では、物語る形式の構造分析を主軸に(第二節)、王朝物語と絵画の相関を論じ(第一節)、さらに中世の物語絵画遺例の個別作品研究を展開する(第三節)。全体の構成と各章のタイトルは、次のとおりである。

 序論 王朝の美術

 第一章 王朝の美意識と造形

 第二章 院政期の美術

 第一篇 風流と造形

 第一節 風流の発現

 第一章 王朝の風流

 第二章 風流造り物--王朝のかざり--

 第三章 書芸の風流

 第二節 日本美術と装飾

 第一章 一四世紀前半の料紙装飾について

 --「伏見院宸翰源氏物語抜書」の紹介をかねて--

 第二章 中世やまと絵屏風に見る金銀加飾

 第三章 花園の絵画--文化庁本四季草花小禽図屏風をめぐって--

 第四章 宗達の金銀泥絵

 第二篇 物語と絵画

 第一節 王朝物語と絵画

 第一章 歌と絵と物語と

 第二章 源氏物語絵巻の世界

 付表 王朝物語に見る造形意識

 第二節 物語絵画の構造

 第一章 説話画の文法--信貴山縁起絵巻に見る叙述の論理--

 第二章 物語絵画における群像表現

 第三章 絵巻に見る風俗表現の意味と機能

 第四章 物語の視点・絵画の視点

 第五章 絵巻の表現--語法・イメージ・構図--

 第三節 物語絵画の諸相

 第一章 病草紙研究

 第二章 華厳縁起に見る絵と詞

 第三章 佐竹本三十六歌仙絵研究

 第四章 直幹申文絵巻研究

 第五章 枕草子絵巻の復原的考察--二巻構成試論--

 第六章 扇面画における伝統と創造--Y家蔵・幸若舞曲等扇面画帖の場合--

 以下、考察の方法と論述の概略を各篇ごとに記す。

 <序論> 平安後期の世俗美術の遺品は多いとはいえない。そこで、主としてさまざまな記録や文学作品での記述をもとに、造形の思考と文化状況を推し量り、和様の形成とみやびの深化の道程を論ずる。このような文献研究から造形の動向を考えるという方法自体は、目新しいものではないが、ここでは歴史分析に物語文学の解析を積極的に取り込むことを目指している。物語での記述は厳密な意味での事実ではない。だが物語という虚構の中に取り込まれた事実の投影を注意深く解析し、そこに展開する心的世界を照射するならば、言語世界と造形世界双方に通底する思考を析出することができるだろう。このような方法的意図は、必然的に平安後期の文化のうち、とりわけ都市的で貴族的な<みやび>の文化に焦点をあわせることとなった。すなわち、豊かなモノの世界を展開した豪奢で富貴の貴族文化、あくまでも美麗であることを求め装飾化を進展させた造形の諸相、公や理念を超克し規範として屹立する中国文化を相対化していく<私>の文化といった十〜十二世紀の動向を、王朝の美意識の発現として再考する。さらに院政期絵巻に焦点をあて、説話絵巻と物語絵巻の表現の差異を、画面の構成原理(ストーリーの論理:場面性の論理)から論ずる。

 <第一篇> 風流の語は、平安時代では庭園や詩文の趣、調度・装束のかざり、晴の場をかざる造り物などに対して用いられているが、その用語法の基層には、洗練美もしくは通常とは異なる美といった美的認識が見え隠れしている。そこでまず、風流の語の輪郭を確認し、風流が過差・奇巧というノイズによる<私>の存在確認であることを押さえ、歌合と結縁経・物語絵巻の経営を風流の場として検討する。つぎに風流の具体相を、造り物に焦点を当てて考えていく。まず七世紀の須弥山像から正倉院の仮山・蓮池、大嘗会の標の山、歌合等の洲浜、そして中・近世の島台や山車へと至る<山>に注目し、山を象る造り物の象徴機能を考察し、さらに法会、歌合、五十日、入内、算賀、祭礼など、さまざまな場における造り物の諸相を文献および造形史料から解析し、奇巧のミニチュアかざりが祝祭の場において、いかに聖と俗の互換性を可視化したかを眺める。最後に十一・二世紀の書芸の風流を、紙の製法や加飾によって追求された紙好みの側面と、茸手や歌絵という遊戯精神の側面から考えていく。(以上、第一節)。さて風流精神は、他と異なる意匠、贅沢で華麗な装飾、知的遊戯性へと傾倒する。そこで日本の装飾美術を、風流の発現として捉え、装飾性の問題を古代より近世にいたる造形の諸相から具体的に論ずる。まず料紙装飾をとりあげ、その様式展開を跡付け、その特質が同時代絵画の動向と相関することを論じ、さらに中世末のやまと絵屏風の金銀加飾を解析し、その造形思考を明らかにする。つぎに様式議論をいったん離れ、花鳥表現というモチーフから中世末の装飾的大画面花鳥画の成立を考える。最後に再び様式議論に戻り、宗達の金銀泥下絵の展開とその造形特性を明らかにする(以上、第二節)。

 <第二篇> まず、王朝物語と絵画の相関を、1)物語絵の生成と享受、2)源氏物語絵巻の解析から考察し、「物語絵」の表現の特質を絵画の語りと物語の語りという視点で論ずる(第一節)。つぎに物語絵画の構造を、1)信貴山縁起絵巻を例に、空間と時間の関係項としてストーリー叙述の仕組みを解析する試み、2)物語絵画における群像表現に焦点をあて、形象の構成原理と語りの機能の解析、3)同様に風俗表現をとりあげ、類型と語りの機能の考察、4)枕草子絵巻を例に、絵画の語りを視点議論として考察する試み、5)絵巻の表現特性の議論を、語法、イメージ、構図の三相に総括して再考する試み、という五つの角度から論ずる。すなわち語り、視点、シークエンスといった論点をたちあげ、叙述のシステムを考察する(第二節)。最後に、物語絵画の諸相を、1)関戸家本病草紙の原形、主題、様式、制作背景すべてにわたる総括的作品研究、2)華厳縁起の原形復元と成立の内的論理をめぐる検討、3)佐竹本三十六歌仙絵巻の構想と表現特性の分析、4)直幹申文絵巻の様式と作期に関する検討、5)枕草子絵巻の原形と構想を主に詞書(主題と書体)の分析から推論する考察、6)幸若舞曲等扇面画帖の主題を解明し、場面選択法とストーリー叙述の特性を分析する基礎的研究、といった個々の作品研究から眺めていく。これらの作品研究は、作品理解のための基礎的研究から、作品総体を輪郭づける総括的研究までの振幅を示すが、いずれも造形諸要素の分析と作品構想の解析を相互に止揚することを目指す(第三節)。

 以上、本書は、風流と造形、物語と絵画という二つの軸で、日本美術の構造と様態を詳論するものであり、造形の理解にあたって社会的・文化的文脈へ目配りしつつも、基本的には、著者の考察は、造形成立の内的論理としての造形思考を析出せんとするところに向かうものである。

審査要旨

 本論文は風流と物語表現という二つの視点を設定し、古代および中世における表象世界、特に世俗画の構造と様態を明らかにしようと試みたものである。これによって、日本美術のもっとも注目すべき特色である装飾性と物語性の実相が、明快に解き明かされる結果ともなった。本論文の構成は、序論「王朝の美術」、第一篇「風流と造形」、第二篇「物語と絵画」の三部からなっている。

 本論文最大の独創性は、古代・中世の世俗画を一つの有機体として、包括的に把握しようとする巨視性に求められる。これまでの古代・中世絵画史研究は、一つ一つの作品が中心であった。もちろん、それは多くの成果を生んできたわけだが、全体を貫く造形の構造や美意識などには、ほとんど関心が払われてこなかった。たとえ払われたとしても、いまだ十全なる考察にまでは到達していなかった。本論文は美術史の分野において、はじめてこれに真正面から取り組み、刮目すべき成果を挙げたものである。このような巨視性が、王朝の美意識と造形を総論的に概観した序論第一章に示されることは当然として、特にすぐれた結実は、第二篇の緒論に現われる。たとえば、遺品のない十二世紀以前の物語絵について、文学作品の記述をもとに、生成と享受の様態をさぐり、表現構造を解析し、鑑賞者と物語および物語絵の密接な関係を明らかにする。また、物語絵画における群像表現に焦点を当てて、群像の情景が全知の視点と多声的な語りという二極の緊張を明確化することを論証する。さらに、絵巻に見る風俗表現を取り上げて、そこに特有の図様や光景などの類型化が見られること、それが音楽の対位法的効果を画面にもたらすこと、トリックスターとも呼ぶべき周縁的なある種のモチーフが作品世界と鑑賞空間を結び合せていることを明快に解き明かす。それらに、この時代の絵画史を大系化しようとする論者の強い意欲を読み取ることができる。

 このような大系化がきわめて斬新な視点からなされていることも、本論文の独創性として、是非指摘しておかなければならない。それは美術史はもちろんのこと、社会学、文化人類学、文芸理論などの新しい学問成果をも積極的に取り込もうとする論者の研究態度と無関係ではない。たとえば、先の絵巻に見る風俗表現の意味と機能においては、言語作品研究におけるディスクールなどの概念や、引用論・典拠論が実に効果的に使われている。美術史研究にはじめて新しい研究方法を導入し、高い水準の成果を挙げている。その意味では、風流も特筆されるべき概念である。論者は風流が王朝美を解明するキーワードの一つであることに着目、風流の場であった歌合の変化から一品結縁経の誕生を考証、大規模な物語絵巻の制作も同様な環境で行なわれたことを証明する。また、書芸の風流が王朝の美意識を形作っていく重要な役割を果たしたことを明快に論ずる。これらはすべて、風流という新しい視点の導入によって、論証が可能になったものにほかならない。以上の巨視性と斬新な視点が、第二篇第一節の付表や、同第三節にまとめられているような文献の博捜および実証的作品研究により堅固に支えられている点も、決して見逃してはなるまい。

 以上、本論文は古代・中世の世俗画研究に、新しい地平を切り開く研究として、きわめて高い評価を下すことができる。もっとも、その基礎にある中国絵画への目配りなど、今後に残された問題もないではないが、それは本論文の価値をいささかも損うものではありえない。審査委員会は本論文を博士(文学)の学位を授与するにふさわしいものと判断した。

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