学位論文要旨



No 213603
著者(漢字) 稲上,毅
著者(英字)
著者(カナ) イナガミ,タケシ
標題(和) 現代英国経営事情
標題(洋)
報告番号 213603
報告番号 乙13603
学位授与日 1997.12.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(社会学)
学位記番号 第13603号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 船津,衛
 東京大学 教授 庄司,興吉
 東京大学 教授 似田貝,香門
 東京大学 教授 近藤,和彦
 東京大学 教授 菅野,和夫
内容要旨

 過ぎる1980年代はネオ・リベラリズムの思想的波頭が高まり,経済のボーダーレス化が一段と進むなかで,それぞれに個性的な政治経済のナショナル・モデルが大きな試練に直面した時代であった.

 本論文は,アングロサクソン世界にありながら欧州連合のメンバー国でもある「境界国家」イギリスに焦点をあわせ,現代イギリス資本主義はネオ・アメリカ化したのかあるいはライン化したのか,それともそのいずれでもないのか,この点をミクロの企業レベルにまで下りて社会学的に観察しようとした作品である.

 その背景には,ベルリンの壁の崩壊後はたして現代資本主義はひとつの方向にむかって収斂しつつあるのか,逆に複数資本主義の存続ということであれば,いくつの資本主義か.その類型の差異はどこにあるかといった一連の問題関心が息づいている.

 第1章「産業衰退か製造業の物神崇拝か」では,歴史学的成果のいくつかに触れながら,イギリス資本主義が大英帝国とイングランド南東部の外部志向的な商業・金融活動によって支えられた「紳士の資本主義」としての性格を歴史的に堅持してきたこと,それを象徴するのが「シティー」という揺らぎない存在であったこと,その政治経済的あるいは文化的覇権がながく産業ブルジョアジーのそれを凌駕しつづけたこと-,これらの点にかんして論敵ウィーナーとルピンシュタインのみならず,サッチャーの師K.ジョセフ,マルクス主義史家のP.アンダーソン,実証史家のP.J.ケインとA.G.ホプキンズまで含めて,ひろくその歴史理解が共有されていることを明らかにしている.

 そのうえで,その共有された歴史認識はイギリス資本主義におけるインダストリー(勤勉・産業)とファイナンス(奢侈・投機)の構造的な確執を示唆するものとして解釈される.

 第2章「シティーと産業」では,シティーと産業の関係をめぐって確執仮説,融和仮説,循環仮説の3つが取り上げられ,第1の確執仮説に準拠しながら,シティーを担う経済諸制度が分析され,シティーの精髄とその問題性,シティーのあり方を含めたイギリスの企業統治(Corporate Governance)にかんする論争的構図が浮き彫りにされる.

 シティーの中核的制度が物語っているのはシティーの「仲介者的」な投機経済であり,敵対的企業買収など「略奪的商業行為」であること,それが示唆しているのは証券型と銀行型という現代資本主義の2類型であること,また経済実務家のあいだでは,イギリス型の企業統治のあるべき姿をめぐってネオ・アメリカ化,修正イギリス・モデル,ライン化など相対立する改革のシナリオが提起されていることなどが明らかにされる.

 第3章「株主・取締役・経営者」では,これらの分析と理解に基づいて,現代イギリスの企業統治の実態に肉薄している.はじめに,インタビュー調査の結果も加味しながら,イギリス型経営とは何かにかんして,「シティーによって仲介された株主の退出型の強い影響力を背景とする,人的資本投資に消極的な短期的経営」と定義される.この定義にそってその実態に迫るべく,イギリスにおける企業統治の改革を提唱した「キャドバリー報告」(1992)を取り上げ,機関投資家の意向をより企業経営に反映させるための社外取締役(NED)の権限強化というその提案に関連して,第1に,かれら社外取締役の歴史的な変遷と現状が多くの事例に基づいて詳細に分析される.「昔の誼み」によるリクルート,企業間での(株式ではなく)役員の持ち合い,社外取締役への常勤役員の役割期待,社外取締役の月1-2回といった出社ぶり,取締役会への関与の実態などにもとづいて,上記「報告」は社外取締役に過大な期待を寄せているとみなされる.

 第2に,キャドバリー報告につづく「グリーンバリー報告」(1995)に言及しながら,法外に高いといわれるイギリス大企業の役員報酬をめぐる(「太った猫」)論争を取り上げ,併せて役員報酬の実態に迫っている.

 国際比較的にみてイギリス大企業経営者の報酬が法外に高いということはないが,一般労働者の賃上げ率やインフレ率の推移に比べて,役員報酬の上昇率が特に80年代後半になってめだつようになったこと,そうなった背景には役員報酬体系のアメリカ化(ボーナス比重の顕著な上昇やストック・オプションなど)があること,その点にも関連して,80年代後半以降しだいに役員報酬が(敵対的企業買収による見かけ上の売上高上昇をカッコに括れば)企業の経営パフォーマンスと乖離しはじめたことなどが明らかにされる.

 第3に,イギリス大企業経営者の社会的性格をめぐってその学歴水準の低さ,公認会計士など経理・財務畑出身の役員の多いこと,頻繁な企業間の移動といった通念について多くの調査データを用いて検証が行われ,一部(たとえば,急激な高学歴化現象や工学系出身の経営者の顕著な増加など)通念の修正が必要であると論じている.

 第4に,安定株主化の傾向がイギリス型経営にいかなる影響を与えうるかについて検討を加え,たとえ機関投資家が安定株主化しても,その株主の企業経営への影響力行使は短期主義的な性格を払拭できない可能性が高いと推論する.

 第4章「短期的経営」では,企業間取引や雇用関係,労働者のなかの「短期主義」に触れたのち,短期的経営への批判と擁護をめぐる論争に照明をあてる.しかし短期的経営の是非を超えて,イギリス大企業の経営実態は依然として短期主義的であること,また銀行融資,株式売買の頻度,投資回収期間,経営パフォーマンスにかんする「四季報の圧制」,経営者の報酬体系などにそってそのそれぞれがいかに「短期的」であるかの実態が明らかにされる.

 さらに,短期的経営の原因でも結果でもある企業買収について取り上げ,その大義名分とそれを支持する経済理論が現実の企業買収といかに乖離しているかを実証する.そのうえで,なぜ短期的経営なのかと問い,それがシティーによって仲介された株主の短期主義,国際比較的には半官半民的な性格をもつイングランド銀行の短期主義とシティー・大蔵省・イングランド銀行からなる黄金のトライアングル,それらと裏表の関係にある準公的な低利長期金融の不在,敵対的な企業買収を当然視する株主本位の企業観などが指摘される.

 これらを踏まえて章末では,あらためてシティーの強靭な生命力と見通される将来における短期的経営の揺るぎない持続性が強調される.

 第5章「人的資本形成」では,イギリス国民の一般的教育水準の低さ,しかるべき教育を受けた者の「産業」忌避,従業員の教育訓練に熱心でない経営者というイギリスの職業教育訓練(VET)システムの伝統的といってよい3つの欠陥に触れたうえで,その「低熟練均衡の経済」の形成要因がどこにあった(ある)か,さらにそれを克服する方途とその可能性について問うている.

 クラフト型生産・熟練の時代,マスブロ型生産・熟練の時代におけるそれぞれの生産技術,雇用関係,労働市場,労働組合,労使関係,人的資源形成といった制度的複合が明らかにされたのち,「必要労働力の外部調達(「密漁」)がむずかしく,かつ必要な熟練の質が高度化すれば,企業は従業員にたいする訓練投資インセンティブをもつだろう」という命題を手懸かりにして,なぜ1960年代になってはじめてイギリスで職業訓練にかんする公共政策が発動されたか,その後サッチャー政権下でそれがいかに変質したか,さらに90年代に入って導入・展開された一連の新基軸によって上記の「伝統的欠陥」克服の可能性が生まれたかについて検討している.併せて,最新の調査データを駆使して職業教育訓練の国際比較,イギリスの徒弟制度および企業内教育の実態を洗い出している.

 訓練・企業協議会(TECs),人材投資家(IIPs)などの新基軸にかんする事例調査や統計分析に基づいて,90年代になって一方では注目すべき「伝統」超克の試みがみられるものの,なおイギリス型経営の短期主義がその企てをブロックする可能性が高いと見通される.

 以上要するに,イギリス型経営はどこへ行くかと自問し,「80年代にはアメリカ化の動きがみられたが,いましばらくはイギリスに留まるはずだ」と結論づけられる.

審査要旨

 本論文は現代イギリス資本主義の動態を,ミクロの企業レベルにおいて社会学的に考察しようとしたものである。とりわけ,イギリス型経営に焦点を当て,それを「『シティ』によって仲介された株主の退出型の強い影響力を背景とする,人的資本投資に消極的な短期的経営」と定義づけ,その変化と持続性を理論的,経験的に明らかにしている。

 第1章はイギリス資本主義が大英帝国と商業・金融活動によって支えられた,インダストリーに対してファイナンスが優位する「紳士の資本主義」としての性格を歴史的に有してきたこと,それを象徴する「シティー」が政治経済的,また文化的に産業ブルジョアジーを凌駕し続けてきたことを明らかにしている。第2章は「シティー」と産業の関係をめぐる確執仮説にもとづき「シティー」を担う経済制度を分析し,「シティー」の特質とその問題性,イギリス企業統治に関する論争的構図を明らかにしている。すなわち,「シティー」の中核はその「仲介者的」な投機経済であり,「略奪的商業行為」であり,それが示唆するのは証券型と銀行型という現代資本主義の2類型であることを指摘し,またイギリス型の企業統治の改革シナリオについて検討を加えている。

 第3章は本論文の最も中心的部分をなすものであるが,ここではイギリス型経営に関して,機関投資家の意向を企業経営に反映させる社外取締役の地位と役割に関して,その歴史的な変遷と現状を分析し,また,イギリス大企業の役員報酬をめぐる論争を取り上げ,併せて役員報酬の実態を明らかにしている。そして,大企業経営者の社会的性格について検証し,通念の修正の必要性を主張している。さらに,安定株主化の傾向がイギリス型経営に与える影響を検討し,株主の企業経営への影響力行使が短期主義的な性格を払拭できていないことを明らかにしている。

 第4章では短期的経営への批判と擁護をめぐる論争を取り上げ,大企業の経営実態がなお短期主義的である実態を解明している。そして,短期経営が,「シティー」によって仲介された株主の短期主義,イングランド銀行の短期主義,「シティー」・大蔵省・イングランド銀行からなる黄金のトライアングル,準公的な低利長期金融の不在,敵対的な企業買収を当然視する株主本位の企業観などに基づくことを明らかにしている。第5章ではイギリス国民の教育水準の低さ,教育を受けた者の「産業」忌避,従業員の教育訓練に不熱心な経営者という職業教育訓練システムの3つの欠陥に触れ,その「低熟練均衡の経済」の形成要因,それを克服する方途とその可能性について考察している。そして,訓練・企業協議会,人材投資家などについて事例調査や統計分析を行ない,イギリス型経営の短期主義の「伝統」超克の試みがブロックされる可能性の高いことを指摘している。

 以上のことから,イギリス型経営のゆくえに関して,変化の兆しがみられるものの,当分はこのままの状態が持続すると結論づけている。

 本論文はスケールの大きさ,論理の明確さ,分析の明晰さ,データの豊富さにおいて,類を見ない卓越した作品となっており,これまでの研究との関連や他の要因の分析の必要性があるものの,体系的で,かつ独創的な内容において高い水準を確保しており,社会学,および関連領域に大きなインパクトを与え,斯学に対する貢献はきわめて大なるものと考えられる。

 以上のことから,本論文を博士(社会学)の学位にふさわしい論文と判断する。

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