学位論文要旨



No 213604
著者(漢字) 松永,浩和
著者(英字)
著者(カナ) マツナガ,ヒロカズ
標題(和) 蛍光エドマン試薬を用いるペプチドのN端アミノ酸遂次配列/絶対配置分析法に関する研究
標題(洋)
報告番号 213604
報告番号 乙13604
学位授与日 1997.12.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第13604号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 教授 古賀,憲司
 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 教授 長野,哲雄
内容要旨

 アミノ酸逐次配列分析は、実際に機能する発現タンパク質/ペプチドや、疾病に関連する異化タンパク質を知る上で重要である。この配列分析法として、イソチオシアノ(NCS)基を導入した試薬を用い、タンパク質/ペプチドのN端よりアミノ酸残基を切断しつつ同定するアミノ酸逐次配列分析法(エドマン法)がある。エドマン法はその発表以来、自動化・操作条件の最適化に関し数多くの研究がなされ、その成果としての自動配列分析装置は、現在多くの研究者に使われている。一方、近年、D-アミノ酸を配列に含むタンパク質/ペプチドが、赤血球、水晶体、歯や脳などに見出されるようになった。また、情報伝達に関与すると思われるD-アミノ酸含有ペプチドが、両生類の皮膚や神経節から見出されるに至っている。しかしながら、アミノ酸の配列とD/L絶対配置を同時に決定できる手法が確立していないため、D-アミノ酸含有ペプチドの構造解析には、通常のペプチドの構造解析に比べ、多大な時間と労力が費やされている。即ち、ラセミ化しないような条件下でタンパク質/ペプチドを加水分解し、D/Lアミノ酸の一斉分析を試み、D-アミノ酸残基であると疑わしい箇所が複数の場合は、さらに酵素により断片化したペプチドの配列分析を試み、可能性のあるペプチドの合成/活性比較などを行って決定するというものである。そこで私は、生体中の微量タンパク質/ペプチドを構成するアミノ酸のD/L絶対配置を判別しながらアミノ酸配列を決定できる、簡便で高感度なN端アミノ酸逐次配列分析法を開発することを目的として検討を行った。

1.DBD-チアゾリノン誘導体による高感度N端アミノ酸逐次配列分析法の開発

 エドマン法は、試薬とペプチドのカップリング反応、N端アミノ酸残基の切断反応(チアゾリノン(TZ)誘導体の生成)及び、N端アミノ酸誘導体の再環化反応(チオヒダントイン(TH)誘導体の生成)の3段階の反応を経てN端のアミノ酸残基を同定する方法である。私は、エドマン型試薬として、疎水性基であるベンゾフラザン骨格を蛍光団とするDBD-NCSを用いることにより、従来不安定とされてきた環化/切断反応後に生成するTZアミノ酸誘導体が、疎水性比率の高いHPLC用移動相中で安定な誘導体として検出可能であることを見出し、DBD-TZアミノ酸誘導体を高濃度のアセトニトリル条件下で分離/同定するN端アミノ酸逐次配列分析法を開発した。これは、エドマン反応を1段階省略した、簡便かつ高感度なN端アミノ酸逐次配列分析法であり、この方法の確立により、エドマン法の操作中に起こるアミノ酸残基のラセミ化機構を、より明確に追究することを可能とした。

2.エドマン型試薬のパラ位置換基が誘導体のラセミ化に及ぼす影響

 次に、上述したTZアミノ酸誘導体によるN端アミノ酸逐次配列分析法を用いて、環化/切断反応の段階でのラセミ化の検討を行った。NCS基の反応性を変化させる目的で、異なる電子吸引性基を有する置換基をパラ位に導入したエドマン型蛍光試薬を新規合成し、エドマン法を行った。これらのエドマン型蛍光試薬で標識したペプチドから、環化/切断して得られたN端TZアミノ酸誘導体のラセミ化率を求めたところ、置換基の電子吸引性とTZアミノ酸誘導体のラセミ化率とは、直線的な相関関係を示すことが認められ、電子吸引性の強い置換基を導入した試薬ほどラセミ化率が高かった。従来のエドマン型試薬(ベンゼン環を有する無蛍光性イソチオシアネート)に置換基を導入した試薬を用いて同様の実験を行ったところ、同じようにパラ位置換基の電子吸引性とアミノ酸誘導体のラセミ化との相関関係が認められた。しかしながら、TZアミノ酸誘導体のラセミ化を抑制するために、パラ位置換基により電子供与性の強い官能基を導入する程、TZアミノ酸誘導体の蛍光強度は減少することが明らかとなり、ベンゾフラザン骨格のパラ位置換基は、切断反応時のラセミ化と共にTZアミノ酸誘導体の蛍光特性にも影響を及ぼすことが認められた。

3.エドマン法の切断反応時におけるラセミ化機構の解明

 ついで、環化/切断反応によって生成するTZアミノ酸誘導体について速度論的に検討し、ラセミ化機構の解明を試みた。環化/切断反応に用いるトリフルオロ酢酸(TFA)中での、DBD-TZアミノ酸誘導体のラセミ化率について調べた結果、一次の可逆反応式に従うことが判った。また、重水素化TFAを用いて環化/切断反応を行い、生成するTZアミノ酸誘導体をLC/MSにより測定した結果、TZアミノ酸誘導体のアミノ酸位のプロトンが重水素置換され、時間と置換率との関係も一次反応式に従った。そこで、環化/切断反応条件下に存在する酸塩基触媒が、TZアミノ酸誘導体のカルボニル及び位炭素に位置する水素原子に対し各々影響を及ぼす結果、エノール中間体が生成し、それがラセミ化の原因となると推測した。そこで、プロトン置換反応が起きないように非プロトン性触媒である三ふっ化ホウ素(BF3)を用い、Bronsted塩基を反応系に含まないような条件(BF3試液;BF3、エタンチオール、ジクロルメタン混液)で環化/切断反応を行ったところ、いずれのTZアミノ酸誘導体でもほとんどラセミ化を認めなかった。また、反応が速く反応収率も高いことが判った。そこで環化/切断反応にBF3を用い、D-Phe-Met-Arg-Phe-amide(100 pmol)について、アミノ酸逐次配列/絶対配置分析を行ったところ、TFAと比べてBF3による環化/切断反応は、ラセミ化を抑制し、実際試料に適用可能であることが示唆された(図)。このような用手法でも高感度化が達成できたことから、将来自動化すれば、さらに微量ペプチドのD/L絶対配置を判別できることが予想された。

4.TZアミノ酸誘導体のD/L光学分割のためのカラム条件の検討

 最後に、TZアミノ酸誘導体のD/L光学分割について、フェニルカルバモイル(PhC)修飾を施した-シクロデキストリン(-CD)を固定相とする光学活性カラムを用い、PhC修飾率の違いによる光学分割能の変化について検討した。PhC修飾することによって、側鎖に芳香環を有するアミノ酸及び中性アミノ酸の誘導体の分離係数が増加した。また、塩基性アミノ酸誘導体に対する光学認識能について検討したところ、PhC修飾をしない-CDカラムは最も低く、100%PhC修飾した-CDカラムは、PhC基との相互作用により保持係数は増加したが、D/L分離係数は減少した。-CDの光学認識能を損なうことなく、本来-CDの持たない光学認識能を有する固定相を得るために、25%及び50%PhC修飾化-CDカラムを試作し検討したところ、25%PhC修飾化-CDがメタノール含量によらず良い光学認識能を有することが判った。これを用いて、全てのTZアミノ酸誘導体の光学分割挙動を調べたところ、25%PhC修飾化-CDカラムがTZアミノ酸誘導体のD/L光学分割に適していることが判った。

 本研究は、簡便な操作で、微量タンパク質/ペプチドの1次構造と構成アミノ酸のD/L絶対配置を同時に決定する方法を初めて提示したものである。まず、構成アミノ酸のD/L絶対配置を保持させるために、環化/切断時に起きるラセミ化機構について検討した結果、アミノ酸の位に位置する水素原子が引き抜かれ、環化/切断反応に使用する酸のプロトンと置換していることを明らかにした。そこで、環化/切断反応にBF3試液を用いればTZアミノ酸誘導体のD/L絶対配置が保持できることを、テトラペプチドを用いて実証した。また、パラ位置換基の異なる数種のエドマン型蛍光試薬を新規合成し、環化/切断時に生成するTZアミノ酸誘導体のラセミ化と置換基効果の関係を調べ、置換基の電子吸引性とラセミ化の関係を明らかにした。同時に、ベンゾフラザン骨格のパラ位に電子吸引性の強い置換基を導入する程、TZアミノ酸誘導体の蛍光強度が強くなる傾向が認められた。さらに、N端より切り出されるDBD-TZアミノ酸誘導体の光学分割について検討し、-CDに25%のPhC修飾を施した固定相が、従来の-CDカラムやPhC修飾化-CDカラムにない幅広い光学分割能を示すことが判った。

 本研究で示した方法は、TZアミノ酸誘導体で検出できる簡便な分析法であり、アミノ酸のD/L絶対配置を保持しつつ微量ペプチドの配列分析を可能とするものである。今後さらにベンゾフラザン骨格への新置換基の導入の検討、アミノ酸の相互分離能の向上などにより、微量D-アミノ酸含有タンパク質/ペプチドの構造解析への活用が期待される。

図表
審査要旨

 最近、哺乳類体内(赤血球、水晶体、歯および脳など)に、D-アミノ酸含有ペプチド(蛋白)が見出され、また、生理活性を有するD-アミノ酸含有ペプチドが、両生類の皮膚や神経節より見出されるようになった。しかし、現状では、これらD-アミノ酸含有ペプチド(蛋白)の構造解析には多大の労力と時間が費やされている。即ち、通常のエドマン法で得られるアミノ酸配列には、その絶対配置の情報が欠けているため、その配列結果に基づきL体のみで化学合成したペプチドは天然のペプチドと一致せず、そのため、可能性のあるD-アミノ酸残基含有ペプチドを再度化学合成して、比較同定するという方法が採られるからである。これは、エドマン法の操作中にN端アミノ酸のラセミ化が起こることに起因するが、どの段階でラセミ化が起こるかは知られていなかった(図1)。

図1 エドマン法1.DBD-チアゾリノン誘導体による高感度N端アミノ酸逐次配列分析法の開発

 松永はまず、エドマン型試薬として、疎水性基であるベンゾフラザン骨格を蛍光団とする4-(N,N-dimethylaminosulfonyl)-7-(2,1,3-benzoxadiazolyl)isothiocyanate(DBD-NCS)を用い検討することにより、従来不安定とされてきた環化/切断反応後に生成するチアゾリノン(TZ)アミノ酸誘導体が、安定な誘導体として検出可能であることを見出し、DBD-TZアミノ酸誘導体をHPLCで分離/同定するN端アミノ酸逐次配列分析法を開発した。

2.エドマン型試薬のパラ位置換基が誘導体のラセミ化に及ぼす影響

 この方法は、エドマン反応を1段階省略した、簡便かつ高感度なN端アミノ酸逐次配列分析法であり、これにより、エドマン法の操作中に起こるアミノ酸残基のラセミ化機構を、より詳細に検討することが可能となった。そこで、NCS-基のパラ位に、異なる電子吸引性基を有する置換基を導入したエドマン型蛍光試薬を新規に合成して検討したところ、置換基の電子吸引性とN端TZアミノ酸誘導体のラセミ化率とは、直線的な相関関係を示すことが認められ、電子吸引性の強い置換基を導入した試薬を利用すると、よりラセミ化率が高かった。

3.エドマン法の切断反応時におけるラセミ化機構の解明

 ついで、生成するTZアミノ酸誘導体について速度論的に検討し、ラセミ化機構の解明を試みた。環化/切断反応に用いるトリフルオロ酢酸(TFA)中での、DBD-TZアミノ酸誘導体のラセミ化率について調べた結果、一次の可逆反応式に従うことが判った。また、重水素化TFAを用いて環化/切断反応を行い、生成するTZアミノ酸誘導体をLC/MSにより測定した結果、TZアミノ酸誘導体のアミノ酸位のプロトンが重水素置換され、時間と置換率との関係も一次反応式に従った。これは、環化/切断反応条件下に存在する酸塩基触媒が、TZアミノ酸誘導体のカルボニル及び位炭素に位置する水素原子に対し各々影響を及ぼす結果、エノール中間体が生成し、それがラセミ化の原因となると推測した。

 そこで、プロトン置換反応が起きないように非プロトン性触媒である三フッ化ホウ素(BF3)を用い、環化/切断反応を行ったところ、いずれのTZアミノ酸誘導体でもほとんどラセミ化を認めなかった。また、反応が速く反応収率も高いことが判った。これを用いて、D-Phe-Met-Arg-Phe-amide(100 pmol)のアミノ酸逐次配列/絶対配置分析を行ったところ、TFAと比べてBF3による環化/切断反応は、ラセミ化を抑制し、実際試料に適用可能であることが示唆された。このように用手法でも高感度化が達成できたことから、将来自動化により、さらに高感度化が達成できるものと期待されている。

4.TZアミノ酸誘導体のD/L光学分割のためのカラム条件の検討

 最後に、TZアミノ酸誘導体のD/L光学分割について、フェニルカルバモイル(PhC)修飾を施した-シクロデキストリン(-CD)を固定相とする光学活性カラムを用い、PhC修飾率の違いによる光学分割能の変化について種々検討した。その結果、25%PhC修飾化-CDが良い光学認識能を有することが判り、これを用いることにより、全てのTZアミノ酸誘導体のD/L光学分割が可能となった。

 以上、本研究は、蛍光試薬を用いて、エドマン法の操作段階で起こるラセミ化の機構を明らかにすると同時に、それを基に、ペプチドの1次構造と構成アミノ酸のD/L絶対配置を同時に決定する簡便かつ高感度な方法を初めて提示したものであり、分析化学、生化学の発展に寄与すると思われ、博士(薬学)の学位論文に相応しいと認めた。

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