学位論文要旨



No 213607
著者(漢字) 大家,毅
著者(英字)
著者(カナ) オオイエ,ツヨシ
標題(和) キノロン系抗菌剤の中枢神経内分布の解析 : 脳からの能動的汲みだし機構の関与
標題(洋)
報告番号 213607
報告番号 乙13607
学位授与日 1997.12.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第13607号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 教授 桐野,豊
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 助教授 鈴木,洋史
内容要旨 【序論】

 キノロン系抗菌剤は-ラクタム系抗生物質,アミノ配糖体系抗菌剤と比べ脂溶性が高く,多くの組織に対して高い濃度で移行することをその体内動態的特徴の一つとしている.しかしながら中枢神経系に対するキノロンの移行性は低く,そこに何らかの障壁が存在することが示唆される.一方,多くの抗菌剤に見られるように,キノロンにおいても中枢に作用点を置くと考えられる副作用が知られている.従って,その中枢への移行性を決定する要因とその動態を定量的に明らかとすることは,より安全な薬剤の開発や有効な使用方法を考える上で重要な意義がある.

 本研究では,これらキノロンの中枢への移行性を制限している要因を,中枢神経系の生理解剖学的知見を組み入れた速度論的モデル,distributed modelを用いて定量的に評価することを目的とした.種々のキノロンの間でその中枢移行性が異なる原因を明らかとするため,6種の化合物,norfloxacin(NFLX),AM-1155,ofloxacin(OFLX),fleroxacin(FLRX),sparfloxacin(SPFX)及びpefloxacin(PFLX)を選び,そのラットにおける中枢動態を比較検討した.

【本論】1.ラットにおけるキノロン系抗菌剤の中枢神経内分布1-1)In vivoでの中枢移行性の検討

 各薬剤をラット静脈内に4時間インフュージョン投与し,定常状態における脳組織濃度,脳脊髄液(CSF)濃度及び血清中非結合型薬物濃度(Cp,u)を測定した.各薬物の脳組織中濃度のCp,uに対する比率(Kp,u,Brain)及びCSF濃度のCp,uに対する比率(Kp,u CSF)はいずれの化合物も1より小さく,これらキノロンの中枢神経系に対する分布性が何らかの形で制限されていることが示された.Kp,u,Brainの値は脂溶性の低いNFLXが最も小さく,最も大きな値を示したFLRXとの間ではほぼ8倍の差が見られた.

 各薬剤をラット大腿静脈より瞬時投与し,投与後10分間までの短い時間における脳組織及びCSF中薬物濃度を測定した.脂溶性の大きなキノロン,SPFXやPFLXでは静注後1分という短時間で既に定常状態のKp,u値と同程度まで脳組織とCSFの濃度が上昇し,これらキノロンの中枢へのinfluxが必ずしも遅くないことが示唆された.

1-2)組織内結合性の測定

 脳組織の薬物濃度は,中枢への薬物の移行経路;血液脳関門(BBB)と血液脳脊髄液関門(BCSFB)における透過性と共に,脳実質への薬物の結合性により影響を受ける.そこで各キノロンの脳組織内での結合性(脳内分布容積,Vd,Brain)をin vivo及びin vitroで検討した.

 In vivo

 脳微小透析法を用いて定常状態における脳組織,脳細胞外液(ECF),CSF及び血清中非結合型の薬物濃度を測定した.検討した4種のキノロンでそのECF中濃度は脳組織濃度と比較して低い値を示した.各薬物の脳組織濃度のECF中濃度に対する比率はいずれも約2を示し,各キノロンのVd,Brainがほぼ同等であることが示された.

 In vitro

 キノロンの脳組織内での結合性が化合物の間で一定である事を確認するためin vitroで脳スライスを用いた検討を加えた.In vitroにおいて測定されるVd,Brainに相当するスライス中薬物濃度のmedium中濃度に対する比率は各キノロンで一定であり,その平均値はin vivoで得られた値とほぼ等しかった.

 これらin vivo及びin vitroで得られたVd,Brainの値は脳組織中でECFが占める割合(約0.2mL/g)より大きく,各キノロンの分布がECFのみに限定されないことが示された.これらの結果はキノロンの中枢移行性が低い理由が,脳内での結合性が小さいことによるものでなく,ECF中の薬物濃度がCp,uに対して低く保たれていることに起因することを示すものであった.

2.脳脊髄液からの消失挙動の解析

 脳実質を取り巻くCSFと脳ECFとの間には自由な物質交換が存在する.CSF中の薬物の消失のルートとして1)物理的な流れに伴う消失,2)脈絡叢により形成されるBCSFBにおける膜透過、及び3)CSFからECFへの薬物の拡散とそれに引き続き生ずるBBBでの膜透過などの経路が考えられる.そこで,キノロンの中枢神経系からの消失に対するこれらの機構の寄与の大きさを検討した.

2-1)脳室内投与されたキノロン系抗菌剤のCSFからの消失挙動の検討

 各種のキノロン系抗菌剤及び比較のために14Cマンニトールをそれぞれラットの側脳室内へ瞬時投与し,そのCSF中濃度の推移を検討した.CSF内へ直接投与されたキノロンは,マンニトールと比較して速やかに消失した.各キノロンのCSFからの見かけの消失クリアランスCLCSFには、6種の化合物の間で3.4倍の差が見られた。

2-2)単離脈絡叢における輸送実験

 BCSFBにおけるキノロン系抗菌剤に対する能動輸送の大きさを,ラット側脳室から採取した脈絡叢を用いて検討した.14Cで標識したFLRXは脈絡叢に存在する有機アニオン輸送系を介した濃縮的な取り込みを受けた.この取り込みはBCSFBにおけるCSF側から血液側への汲みだしに対応する.一連のキノロン系抗菌剤はこの輸送を濃度依存的に阻害し,共にこの輸送系において認識されることが示された.輸送系に対する親和性(Km-1またはIC50-1)から外挿された各キノロンのBCSFBにおけるeffluxクリアランス(PSCSF,eff)は,CSFのbulk flow rateの1/10から2倍を示した.上述のin vivoで観察されたCSFからのキノロンの見かけの消失クリアランスCLCSFはこれらの値の和と比べ10倍程度大きく,キノロンのCSFからの消失をBCSFBでの能動輸送とbulk flowのみで説明することはできなかった.

3.Distributed modelを用いた速度論的解析

 中枢神経系の生理解剖学的な知見を組み入れたモデル(Collins and Dedrick,1983)を用い,静脈内投与時及び脳室内投与時の脳組織及びCSF中の薬物濃度を表す解を記述した.得られた解に,in vivoの実験で測定されたすべてのデータを同時に当てはめることにより,BBB及びBCSFBそれぞれにおける透過クリアランスを推定した.

 BBBにおけるeffluxを仮定した解析の結果,各化合物ともにBBBでの対称性の膜透過(PSBBB)に対して10-260倍の大きさのunidirectionalなefflux(PSBBB,eff)の存在が示された.各キノロンのBBBでの膜透過の非対称性の指標となるパラメータ(PSBBB/(PSBBB+PSBBB,eff))値と,そのKp,u,Brain値の間には良好な相関関係が見られた.これらの結果は,キノロン系抗菌剤が示す脳組織に対する低い移行性が,主としてBBBにおけるeffluxに起因していること,さらに,これら薬剤の脳内移行性は主としてBBBを介した輸送により決定され,BCSFBを介した排出の寄与は小さいことが確認された.

【結論】

 ラットにおいてキノロン系抗菌剤の中枢への分布性は低く,その移行の過程は何等かの制限を受けていた.薬物の中枢移行には血液脳関門及び血液脳脊髄液関門での膜透過の過程や,脳細胞外液と脳脊髄液との間での薬物の移行の過程,また脳細胞外液中での薬物の拡散の過程など複数の要因が関与する.脳の生理解剖学的知見を組み入れたdistributed modelを用いることで,それらすべての素過程を統合して解析することが可能となった.解析の結果,血液脳関門にキノロン系抗菌剤を脳細胞外液から血液側へと汲みだす機構の存在が示唆された.このefflux機構の存在による血液脳関門の膜透過の非対称性がキノロン系抗菌剤の中枢移行を制限する重要な要因であると考えられた.

図 薬物の中枢神経系内分布を記述するdistributed model
審査要旨

 薬物の脳及び脳脊髄液(CSF)への移行に関わる機構を明らかとすることは、中枢神経系に作用点をもつ化合物の薬理効果、毒性の発現を予測する上で重要な意義を持つ。臨床で広く用いられているキノロン系抗菌薬は、脳内の-aminobutylic acidレセプターに対する作用に伴う副作用の発現が知られている。本研究では、物理化学的性質の異なる複数のキノロン系抗菌薬をモデルの化合物として選択し、その中枢移行に関与する緒過程を定量的に評価し、化合物間で見られる異なる中枢移行性を決定している因子について検討を加えた。

1.キノロン系抗菌薬の中枢神経内分布

 ラットにおける各薬物の脳組織濃度、CSF濃度及び血清中非結合型薬物濃度(Cp,u)を測定した。定常状態の脳組織中濃度及びCSF濃度はいずれの化合物もCp,uより小さく、これらキノロンの中枢神経系に対する分布性が何らかの形で制限されていることが示された。一方、各薬物を静脈より瞬時投与し、投与後初期の移行過程を検討したところ、脂溶性の大きなキノロンでは投与後1分という短時間で定常状態の約1/2にまで脳組織及びCSF中薬物濃度のCp,uに対する比率が上昇し、これらキノロンの中枢へのinfluxが必ずしも遅くないことが示唆された。さらに、脳微小透析法(in vivo)及び脳スライス(in vitro)で検討した各化合物の脳細胞外液(ECF)中薬物濃度に対する脳組織中濃度の比率には化合物の間でほとんど差が見られず、またその値がすべての化合物で1より大きかった。これらの結果は、一連のキノロン系抗菌薬の中枢移行性が低い理由が、脳内での結合性が小さいことによるものでなく、ECF中の薬物濃度がCp,uに対して低く保たれていることに起因することを示すものであった。

2.CSFからの消失挙動の解析

 脳のECF濃度が低く保たれていることに対するCSF経由での薬物の消失の寄与を明らかとするため、脈絡叢における能動的排出機構の大きさを単離脈絡叢を用いた取り込み実験(in vitro)と脳室内投与後のCSF濃度推移(in vivo)を測定することにより検討した。取り込み実験の結果、脈絡叢に存在するアニオン輸送系がキノロンを輸送することが示されたが、脳室内投与されたキノロンのCSFからの消失はそれら脈絡叢からの能動排出の大きさのみでは説明できないことが明らかとなった。

3.Distributed modelを用いた速度論的解析

 中枢神経系の生理解剖学的な知見を組み入れた速度論的モデル(distributed model)を用い、各キノロンの中枢動態を総合的に解析した。解析の結果、検討した6種のキノロンすべてで血液脳関門での対称性の膜透過(PSBBB)に対して10-260倍の大きさのefflux(PSBBB,eff)の存在が示唆された。血液脳関門における膜透過の非対称性の指標:[PSBBB/(PSBBB+PSBBB,eff)]値と、各キノロンが定常状態で示した脳組織濃度のCp,uに対する比率(Kp,u,Brain)との間には良好な相関関係が見られた。また、PSBBBとKp,u,Brainの間にも同様に相関関係が認められた。これらの結果は、キノロン系抗菌薬が示す脳組織に対する低い移行性が、主として血液脳関門におけるefflux機構の存在に起因していること、さらに、これら薬物の間に見られる中枢移行性の違いが、血液脳関門における膜透過の大きさの違いにより一部説明されることを示唆した。

 以上、本研究は脳の生理解剖学的知見を組み入れた速度論的モデルを用いることで、キノロン系抗菌薬の中枢動態を素過程に分離して、且つ定量的に解析することが可能で有ることを示した。本研究によりその存在が示唆された血液脳関門におけるefflux機構をより詳細に検討することは、中枢への薬物の移行性を制御するという組織移行性を考慮した新たな薬剤の開発指針を示すものと考えられ、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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