学位論文要旨



No 213608
著者(漢字) 吉野,利治
著者(英字)
著者(カナ) ヨシノ,トシハル
標題(和) 制癌活性物質FR-900482の全合成
標題(洋)
報告番号 213608
報告番号 乙13608
学位授与日 1997.12.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第13608号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古賀,憲司
 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 助教授 小田嶋,和徳
 東京大学 助教授 遠藤,泰之
内容要旨

 1987年、藤沢薬品により放線菌から単離されたFR-900482(1)は強い制癌活性を有しており、1の化学修飾体であるFK973(3)及びFK317(4)は、既存の抗癌剤であるマイトマイシンC(2)より優れた活性を有しており、新規制癌剤として期待されている(Figure1)。1は有機合成化学的にも、2類似の興味深い構造を有しており、既に多くの合成研究や、2グループによるラセミ体の全合成(Fukuyama(1992)、Danishefsky(1995))が報告されているが、光学活性体の全合成は報告されていない。そこで、筆者は1を光学活性体として全合成すること、絶対配置と細胞毒性との相関を明らかにすること、さらに、その知見を応用して周辺化合物からより優れた制癌剤を探索することを目的とし本研究に着手した。

Figure 1.

 合成計画としては、Chart1に示すように、ジアルデヒド6の分子内アルドール反応を鍵反応とし、8員環の閉環と同時に8位側鎖の配置の制御も目論んだ。合成と平行し、この鍵反応に関する計算を行ったところ、8位側鎖に関し、不要な配置の生成が予想されたが、望む配置へのエピメリ化の可能性も示唆されたため、実際に合成を進めることとした。

Chart 1.Retrosynthesis of FR-900482

 全合成を始めるに当たり、保護基及び中間体の妥当性を確認するため、FK973(3)を原料に7段階で9を合成した後、4段階で1を得ることに成功し、保護基を含め、9が1の全合成の中間体として妥当であることを証明した(Chart2)。

Chart 2.aa(a)sodium naphthalenide,DME,-70℃,81%.(b)H2,10%Pd-C,AcOEt,rt,87%.(c)(COCl)2,DMSO,Et3N,CH2Cl2,-78℃,86%.(d)NH3,MeOH,rt,79%

 実際の合成として、芳香環フラグメント7は5-ヒドロキシイソフタル酸11を原料に、Claisen転位による4位へのアリル基の導入等で12とした後、ブロモラクトン13を経由し、Crutius転位によりアミノ基を導入し14とし、さらに、5段階を経て合成することに成功した(Chart3)。

Chart 3.a Synthesis of the Aromatic Fragment7a(a) SOCl2,MeOH,reflux,100%.(b)allylbromide,K2CO3,acetone,reflux,98%.(c)N,N-diethylaniline,reflux,88%.(d)BnBr,K2CO3,acetone,reflux,99%.(e)2M NaOH,THF,reflux,95%.(f)Br2,aqNaHCO3,CHCl3,0℃,72%.(g)ClCO2’Pr,Et3N,THF;NaBH4-H2O,95%.(h)BOMCl,’Pr2EtN,CH2Cl2,rt,85%.(i)Zn,NH4Cl,EtOH-H2O,81%.(j)DPPA,Et3N,tBuOH,rt to reflux,76%.(k)OsO4,NalO4,dioxane-H2O,rt,73%.(l)NaBH4,EtOH,rt,100%.(m)TBDMSCl,Et3N,DMAP,CH2Cl2,rt,97%.(n)TBDMSOTf,Py,CH2Cl2,rt;TBAF,92%.(o)AllocCl,aqNaHCO3,CH2Cl2,rt,98%.

 光学活性オキサゾリジンフラグメント8はL-酒石酸ジエチル16を原料に、既存のルートで17とした後、5段階で光学活性エポキシアルコール18とし、エポキシドをアジド基で開環後、一級水酸基の保護、アジド基の還元、生じたアミノ基の保護、続くアセトニド化によりオキサゾリジンとし、最後にMPM基を除去後、トリフラート化することで合成に成功した(Chart4)。

Chart 4.a Synthesis of the Oxazolidine Fragment8a(a) NaH,MPMCl,DMF,rt,97%.(b)H2,Raney Ni,EtOH,93%.(c)MsCl,Et3N,CH2Cl2,0℃,100%.(d)conc.HCl,MeOH,rt,97%.(e)K2CO3,MeOH,rt,88%.(f)NaN3,NH4Cl,EtOH,reflux,92%.(g)NalO4,THF-H2O,rt,55%.(h)TBDPSCl,Et3N,DMAP,CH2Cl2,rt,91%.(i)Ph3P,THF-H2O,rt;TrocCl,aqNaHCO3,rt,98%.(j)Me2C(OMe)2,TsOH,acetone,rt,97%.(k)DDQ,CH2Cl2-H2O,rt,98%.(l)Tf2O,Et3N,CH2Cl2,-78℃,94%.

 得られた両フラグメントに水素化ナトリウムを作用させることにより、定量的に縮合体20を得ることができた(Chart5)。その後、4段階でアジリジン環を構築後、二つのシリル基を除去し、酸化することにより鍵反応の基質であるジアルデヒド6の合成に成功した。この6にLiN(TMS)2(1当量)を作用させた後、系中に水素化ホウ素ナトリウムを作用させることにより、8員環閉環体21が48%で得られたが、8位側鎖は望まない配置であることが判明したため、エピメリ化を検討した。その結果、21より導いたケトン22をDBUで処理したところ、22を31%回収するとともに、エピメリ化した所望の体23を64%得ることに成功した。続く9位ケトンの還元は高立体選択的に進行し、単一の生成物として鍵合成中間体5が得られた。5の一級水酸基を保護した後、Alloc基を除去し、生じたアミノ基を酸化しヒドロキシルアミン24を得た。続く選択的なアセチル化の後、二級水酸基を酸化してケトン25とし、シリル基、アセチル基を順次除去することにより四環式化合物であるヘミアセタール体26を得ることに成功した。さらに、Fukuyamaらの方法を応用しカルバモイル基を導入した後、ヘミアセタールをアセチル基で保護することにより、重要鍵合成中間体9の合成に成功した。先と同条件で9を1へと誘導し、天然型(+)-FR-900482(1)の初の全合成に成功した。

Chart 5.Completion of the Total Sythesis of Natural(+)-FR-900482(1)a(a) NaH,THF,-78℃,100%.(b)Zn,AcOH,THF-H2O,rt.(c)TsCl,Et3N,DMF,0℃ to rt,77%(2steps).(d)MsCl,Et3N,CH2Cl2,0℃ to rt,94%.(e)NaH,imidazole,THF,reflux,92%.(f)(HF)n-Py,Py,0℃,99%.(g)Dess-Martin periodinane,CH2Cl2,rt,98%.(h)LiN(TMS)2(1.0eq),THF,-78 to -5℃.then NaBH4,H2O,-5 to 0℃,48%.(i)TBDPSCl,Et3N,DMAP,CH2Cl2,rt,79%.(j)Dess-Martin periodinane,CH2Cl2,rt,93%.(k)(HF)n-Py,Py,0℃ to rt,93%.(l)DBU,THF,rt,64%.(m)NaBH4,THF-H2O,0℃ to rt,87%.(n)TBDPSCl,Et3N,DMAP,CH2Cl2,rt,71%.(o)Pd(PPh3)4,PPh3,CH3(CH2)6CO2H,THF,rt,83%.(p)MCPBA,CH2Cl2,-5℃,67%.(q)Ac2O,NaHCO3,rt,69%.(r)Dess-Martin periodinane,CH2Cl2,rt,88%.(s)(HF)n-Py,Py,0℃ to rt,88%.(t)K2CO3.MeOH,0℃ to rt,89%.(u)ClCO2Cl3,Py,0℃ to rt,81%.(v)NH3,THF,0℃ to rt,94%.(w)Ac2O,Py,DMAP,rt,87%.(x)sodium naphthalenide,DME,-70℃,84%.(y)H2,10%Pd-C,AcOEt,rt,81%.(z)(COCl)2,DMSO,Et3N,CH2Cl2,-78℃,88%.(aa)NH3,MeOH,rt,73%.

 以上のルートに従い、L-酒石酸ジエチル(16)の代わりにD-酒石酸ジエチル(ent-16)を用い、天然型の対掌体である非天然型(-)-FR-900482(ent-1)の全合成にも成功した。

 次に、合成した1、ent-1、27、ent-27、28、及びent-28をマウス白血病P388細胞を用いたin vitro細胞毒性試験に供した(Table1)。その結果、天然型に比べ、その対掌体は約100分の1の活性しか有していないことが判明したが、これは酵素による還元的活性化の違いによるものと考えている。また、ヘミアセタールをアセチル基で保護することにより活性が約100倍増強されること、そして、アルデヒド体はアルコール体に比べ活性が約10倍強いことも判明したが、これらの結果は、主に脂溶性向上により細胞膜透過性が増したために活性が増強したものと考えている。

Table 1.In Vitro Cytotoxicity of Enantiomeric Pairs of FR-900482(1)and Its Congeners Against P388 Murine Leukemia Cellsa)Concentration required for 50% inhibition of the growth after incubation for 96h at 37℃(initial cell density:1x104 cell/ml).

 以上述べたように筆者は、光学活性体としての1、及びent-1の初の全合成に成功し、さらに、周辺化合物も含め、in vitro細胞毒性試験を実施し、対掌体は天然型の100分の1の活性しか有していない等の新たな知見を得ることに成功した。本研究が、今後の制癌剤の開発や制癌機構の解明に何らかの寄与ができれば、望外の喜びとするところである。

審査要旨

 1987年に放線菌から単離されたFR900482(1)は強い制がん活性を有している。また、その誘導体であるFK973(2)およびFK317(3)は、既存の抗がん剤であるマイトマイシンC(4)と同等以上の強力な制がん活性を有しているのみではなく、副作用も軽減されていることが知られており、新規制がん剤として期待されている。現在までに二つのグループによるdl-1の全合成の報告はあるが、光学活性体の全合成は全く報告されていない。本論文は、1とその対掌体(ent-1)を光学活性体として全合成し、絶対配置と細胞毒性との相関を明らかにし、周辺化合物からより優れた活性を示す化合物を探索した経緯を記したものである。

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 本合成は、光学活性酒石酸の不斉炭素を活用して行っている。すなわち、5-ヒドロキシイソフタル酸から誘導した5とL-酒石酸から誘導した6から7に導き、これからアジリジン環を有する鍵中間体のジアルデヒド体(8)を得た。アルドール反応によって8員環閉環体とし、還元してジオール体(9)を得たが、8位側鎖は望む立体配置とは逆の-配置であったため、対応するケトン体(10)経由のエピメリ化を行い、ジオール体(12)とした。これを13とし、ヘミアセタール体(14)を得た。福山の方法でカルバモイル基を導入し、アセチル化して15とし、これから数工程を経て1の全合成を完成した。本品の融点、比旋光度、各種スペクトルデータ(IR、NMR、MS)は天然品のデータと一致した。また、D-酒石酸を原料に用いた同様の合成ルートにより、その対掌体(ent-1)も合成した。

 次に、合成した1、ent-1およびそれらの誘導体(16、ent-16、17、ent-17)をマウス白血病P388を用いたin vitro細胞毒性試験に供した。その結果、天然型化合物に比べるとそれらの対掌体は100分の1程度の活性しか有していないことが判明した。これは、酵素による還元的活性化の違いによるものと推定した。また、ヘミアセタールをアセチル基で保護することにより、活性が100倍程度増強されること、アルデヒド体はアルコール体に比べて活性が10倍程度強いことも判明した。これらの結果は、おもに脂溶性の向上により、細胞膜透過性が増したためと推定した。

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 以上、本研究は、FR-900482(1)およびその対掌体(ent-1)を光学活性体としての初めての全合成するとともに、それらおよびそれらの周辺化合物の化学構造と細胞毒性との関係を調べたものであり、有機合成化学、医薬品化学に寄与するものとして、博士(薬学)に値するものと認める。

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