学位論文要旨



No 213609
著者(漢字) 加藤,昌哉
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,マサヤ
標題(和) 新規可逆的MAO-A阻害薬T-794の薬理学的・神経化学的研究
標題(洋)
報告番号 213609
報告番号 乙13609
学位授与日 1997.12.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第13609号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 教授 桐野,豊
 東京大学 助教授 岩坪,威
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
内容要旨 序論

 モノアミン酸化酵素(MAO)阻害薬はその独特な抗うつ作用が評価される一方,肝毒性やtyramine含有食品摂取後に誘発される高血圧クリーゼ(チーズ効果)等の重篤な副作用を生じることから,使用が極めて制限されてきた.チーズ効果は,通常MAOにより行われるtyramineの代謝が阻害され,その昇圧作用が増強されることにより生じることが明らかになっている.MAOには2つのアイソザイム(MAO-AおよびMAO-B)の存在が知られているが,tyramineは両者共通の基質であることから,近年,MAO-Bを阻害せずMAO-Aに選択的で,作用が可逆的・競合的であるMAO阻害薬が,チーズ効果誘発作用の弱いMAO阻害薬として注目を集めている.T-794は安全性の高い抗うつ薬を指向して,MAO-Bに対するMAO-A選択性(MAO-A/MAO-B選択性),作用持続の短さを指標に選出されたMAO-A阻害薬である.本研究は,T-794の神経化学的・薬理学的特徴を明らかにするとともに,その臨床的有用性を推定することを主たる目的として行った.可逆的MAO-A阻害薬とされるmoclobemideおよびbrofaromine,非可逆的非選択的MAO阻害薬であるtranylcypromine等を対照薬として用いた.

1.神経化学的性質の検討

 T-794の神経化学的性質を検討し,他のMAO阻害薬と比較した.まず,in vitroにおけるMAO阻害作用を検討した.T-794およびbrofaromineは選択的にMAO-Aを阻害したが,moclobemideは100nMでも両アイソザイムの活性に影響を与えなかった(表1).また,T-794のMAO-A阻害作用は競合的であった.次に,MAOとともにモノアミン動態に影響を与えるモノアミン取り込み機構に対する作用をシナプトゾームを用いて検討したところ,T-794およびmoclobemideは作用を示さなかったが,brofaromineは5-hydroxytryptamine(5-HT,表1)およびnorepinephrineの取り込みを阻害した.さらに,T-794は検討した各受容体に対し親和性を示さなかった.以上から,T-794は高度に選択的かつ競合的なMAO-A阻害薬であることが明らかとなり,moclobemideやbrofaromineに比べ,特徴的な性質を有することが示された.

表1.In VitroでのMAO活性とシナプトゾームへの5-HT取り込みに対する影響MAO-AおよびMAO-B活性測定の際の基質は各々5-HTおよびbenzylamine.
2.In VivoにおけるMAO阻害作用の検討

 Ex vivoでのMAO阻害作用の測定では,酵素から解離しやすい薬物の場合,in vivoでの状態が正確に反映されない.In vivoでのMAO-AおよびMAO-B阻害作用を正確に評価するために,各々をL-5-hydroxytryptophan(L-5-HTP)誘発症状および-phenylethylamine(PEA)誘発症状の増強作用を指標に検討した.T-794は経口投与によりL-5-HTP誘発症状を,対照薬として用いたMAO阻害薬に比べ同程度あるいはより強い効力で増強した(表2).一方,T-794およびbrofaromineはPEA誘発症状に対し影響を与えなかったが,moclobemideは比較的低用量でこれを増強した(表2).以上から,T-794はin vivoにおいて強力かつ高度に選択的なMAO-A阻害作用を示すことが確認され,特にmoclobemideに比べ少なくとも齧歯類では,より高い選択性を有することが示された.さらに,ラットにおけるT-794のL-5-HTP増強作用はmoclobemideと同様に比較的短時間に消失した.そのin vitroでのMAO-A阻害作用が競合的であることと併せて,T-794の作用が可逆的であることが示唆された.

表2.L-5-HTPおよびPEA増強作用とreserpine拮抗作用
3.うつ病の動物モデルに対する作用

 抗うつ薬としての有効性を検討するためにうつ病の動物モデルに対する作用を検討した.T-794はreserpine拮抗(マウス・ラット,表2),絶望試験(マウス)という簡便なモデルに加え,よりモデルとして妥当性が高いとされる学習性無力(ラット,図1)に対しても有効な作用を示し,特に臨床使用されている抗うつ薬と同程度あるいはより強力な効力を示したことから,抗うつ薬としての有効性が強く示唆された.また,MAO-A/MAO-B選択性が比較的低いmoclobemideや,モノアミン再取り込み阻害作用を併せ持つbrofaromineと異なり,作用機序が明確で高度に選択的なMAO-A阻害薬T-794が動物モデルで抗うつ作用を示したことから,MAO-A阻害と抗うつ作用の高い関連が示唆された.なお,学習性無力を指標とした試験は手順・解釈のより簡便な独自の方法を確立し,薬効評価に用いたが,その過程でSD系ラットはWistar系ラットに比べ,より明確なストレス性行動障害を生じることを見いだした.

図1.学習性無力(シャトルボックス逃避行動障害)改善作用.Means±SEM.N=10-15.
4.安全性に関する検討

 続いて,安全性の検討を行った.Moclobemide(30mg/kg)やtranylcypromine(6mg/kg)の経口投与は麻酔ラットのtyramine昇圧反応を顕著に増強したが,T-794(30mg/kg)はこれに影響を与えず,チーズ効果誘発作用は非常に弱いことが示唆された.T-794のtyramine昇圧に対する影響の弱さはその高いMAO-A/MAO-B選択性および競合的阻害様式によるものと考えられた.また,抗コリン性の副作用が大きな問題となっている三環系抗うつ薬と異なり,T-794はoxotremorine誘発振戦を抑制せず,抗コリン作用を有さないことが示された.さらに,T-794およびmoclobemideの経口投与時の最大耐量は各々2g/kgおよび1g/kgを越え,急性毒性は非常に低く,一方brofaromineのそれは150mg/kgと急性毒性が高いことが明らかとなり,T-794は過量服用時にも比較的安全であることが示唆された.Brofaromineの急性毒性の高さには,そのモノアミン取り込み阻害作用の関与が推察された.

5.脳血管障害後の精神症状改善薬としての可能性

 T-794の脳血管障害後の精神症状改善薬としての可能性を検討した.同症状を反映した動物モデルはこれまで報告がないため,以下のアプローチにより検討した.第1に,T-794と臨床で同症状に処方されている脳代謝賦活薬のreserpine拮抗作用を比較したところ,T-794は脳代謝賦活薬に比べ数倍以上強力であり,より明確な抗うつ作用を有することが示唆された.第2に,前脳虚血処置動物を用いて絶望試験を行ったところ,T-794は30mg/kg p.o.,b.i.d.の7回投与で有効な作用を示し,脳血管障害という器質傷害を有する場合にもT-794の抗うつ作用が期待できることが示唆された.第3に,脳血管障害後に生じる行動変容で精神症状を反映したパラメーターを探索するする過程で,中大脳動脈閉塞(MCAO)処置後のラットに逃避行動障害が生じることを見いだした.この症状は学習性無力との類似性から脳血管障害に起因するうつ症状を反映している可能性が高いと考えられたので,これに対するT-794の作用を検討したところ,T-794は10mg/kg p.o.,b.i.d.の12回投与でこれを有意に改善した(図2A).また,このとき,MCAO処置により閉塞側脳半球においてカテコールアミンの減少とモノアミン代謝回転の亢進がみられたが,T-794はこれを正常化する作用を示した(図2B,C)ことから,逃避行動障害の改善に脳内モノアミン動態が関与していることが示唆された.以上の結果から,T-794が脳血管障害後の精神症状に対し改善作用を示す可能性が高いと考えられた.

図2.ラットのシャトルボックス逃避行動(A)および脳(閉塞側半球)内カテコールアミン代謝回転比(norepinephrine,B;dopamine,C)に及ぼすMCAOおよびT-794(10mg/kg p.o.,b.i.d.)の影響.Means±SEM.N=6-8.#,##vs sham-CMC;*,**vs MCAO-CMC.
総括

 T-794はin vitroおよびin vivoで高度に選択的かつ短持続性のMAO-A阻害薬であることが確認され,特にmoclobemideに比べ少なくとも齧歯類ではより高いMAO-A/MAO-B選択性を有すること,brofaromineと異なりモノアミン取り込みを阻害しないことなどがその特徴として明らかとなった.また,T-794は明確な抗うつ作用と高い安全性を有することが各動物モデルで示され,その抗うつ薬としての有用性が示唆されるとともに,MAO-Aの阻害と抗うつ作用の間に高い関連があることが確認された.さらに,脳血管障害後の精神症状に対し改善作用を示す可能性が示唆された.

審査要旨

 抗うつ薬としてのモノアミン酸化酵素(MAO)阻害薬は,tyramineなど食物中の昇圧アミンの代謝を抑え高血圧クリーゼ(チーズ効果)を誘発することが大きな問題であった.しかし,MAOに2つのアイソザイム(MAO-AとMAO-B)が発見されると,MAO阻害作用がMAO-A選択的かつ可逆的であれば,MAO阻害薬の抗うつ作用を保ちながらチーズ効果を減弱できることが明らかになってきた.本研究は,安全性の高い抗うつ薬を指向して,可逆的MAO-A阻害薬として合成されたT-794を用いてMAO-A阻害薬の神経化学的・薬理学的特徴を明らかにするとともに,その臨床的有用性を推定することを目的として行った.

 まず,T-794のin vitroでの神経化学的性質を検討し,MAO-Bに対するMAO-A選択性(MAO-A/MAO-B選択性)の高さを確認するとともに,MAO-A阻害は競合的であること,シナプトゾームへのモノアミン取り込みに影響を与えず,各種受容体に親和性を示さないことなどを明らかにした.また,T-794は可逆的MAO-A阻害薬とされるmoclobemideやbrofaromineに比べ,各々in vitroでも明確なMAO-A阻害作用を示すことおよびモノアミン取り込み阻害作用を有さないことが特徴として示された.

 次に,in vivoにおけるMAO-AおよびMAO-B阻害作用を,各々L-5-hydroxytryp tophan(L-5-HTP)および-phenylethylamine(PEA)誘発症状に与える影響を指標に検討した.T-794は経口投与により前者を強く増強する一方,後者には作用を示さず,in vivoにおいても選択的にMAO-Aを阻害すること,特に,moclobemideに比べ高いMAO-A/MAO-B選択性を有することが示唆された.また,T-794のL-5-HTP増強作用は比較的短時間に消失し,そのMAO-A阻害作用が可逆的であることが支持された.

 続いて、抗うつ作用をうつ病の動物モデルを用いて検討した.T-794はreserpine拮抗,絶望試験,および学習性無力において有効な作用を示し,その効力は各種抗うつ薬と同程度以上であったことから,抗うつ薬としての有効性が示唆された.また,学習性無力に関して独自の方法を確立し,その過程でストレス反応におけるラット系統差など新知見を得た.

 安全性に関して,まず,麻酔ラットのtyramine昇圧反応に対する影響を検討し,T-794はmoclobemideや古典的MAO阻害薬に比べ増強作用が非常に弱く,チーズ効果の問題を生じる可能性が極めて低いことを示した.これは,T-794の高いMAO-A/MAO-B選択性およびMAO-Aに対する競合的阻害様式に因ると考えられた.また,T-794は三環系抗うつ薬と異なり抗コリン作用を有さないこと,および急性毒性は非常に低いことも明らかにした.Brofaromineは高い急性毒性を示したが,これには,そのモノアミン取り込み阻害作用の関与が推察された.

 最後に,T-794の脳血管障害後の精神症状改善薬としての可能性を検討した.同症状の動物モデルは過去に報告がないため,まず,正常マウスおよび前脳虚血処置ラットにおいてT-794が脳代謝賦活薬に比べ非常に明確な抗うつ作用を示すことを明らかにした.さらに,中大脳動脈閉塞(MCAO)処置ラットの行動を観察し,うつ病モデルである学習性無力と同様のシャトルボックス逃避行動障害を示すことを見いだした.この症状を脳血管障害後のうつ症状のモデルと捉え,T-794の作用を検討したところ,同化合物は逃避行動障害改善作用を示すとともに,MCAOにより生じた脳内モノアミン動態異常を正常化する作用を示した.これらの結果から,T-794が脳血管障害後の精神症状に対し改善作用を示す可能性が示唆された.

 以上から,T-794は選択的かつ短持続性のMAO-A阻害作用を有し,各種の動物モデルにおいて明確な抗うつ作用を示すこと,チーズ効果を誘発する可能性が極めて低く高い安全性を有すること,および脳血管障害後の精神症状に対し改善作用を示す可能性が示唆された.以上本研究は抗うつ薬としてのMAO-A選択的阻害薬の有用性を動物実験で明確に示したものであり,その過程で各種動物モデルの特徴も明らかにしている。よってこの分野の研究進展への貢献は大きく,博士(薬学)の学位に値すると判断した.

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