学位論文要旨



No 213620
著者(漢字) 山口,不二夫
著者(英字)
著者(カナ) ヤマグチ,フジオ
標題(和) 日本郵船会計史の研究
標題(洋)
報告番号 213620
報告番号 乙13620
学位授与日 1997.12.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 第13620号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 醍醐,聰
 東京大学 教授 斎藤,静樹
 東京大学 教授 大東,英祐
 東京大学 教授 和田,一夫
 東京大学 教授 武田,晴人
内容要旨

 本研究は、三菱で発生し、日本郵船に受け継がれた会計ルールが、日本郵船のなかでどのような経緯で、いかに変化していったかを捉え、会計の特質を探ろうとしている。日本郵船創立以来の公表資料と内部資料をもちいて、会計処理方法の変化、管理会計技法の変化、勘定科目の新設、消滅の過程を中心に検討をおこなった。

 1885年に郵便汽船三菱会社と共同運輸会社が激烈な競争ののち、合併して日本郵船が設立される。合併後の日本郵船の会計上の課題は、三菱と共同運輸との競争時に疲弊した資産の整理と会計ルールの遵守であった。当時日本郵船は政府から8%の配当金を補償するだけの最大年額88万円という補助金を受けとっていた。日本郵船は政府との交渉のうえ1887年に補助金を88万円の定額とし、コストの高い負債の返済や減資を断行する。一方で老朽化した船舶の売却を行っている。これらは、不良資産の処理と経営の効率化の過程である。また減価償却率や保険・大修繕積立金の積み立て率の引き下げからは、会計規定の遵守の意識がみられる。注目すべきは船舶の売却損益を損益計算書に反映させていない点である。この後も船舶の売却損益を損益計算書に計上せずに、貸借対照表で直接加減するという処理は一貫して維持される。合併時の不良資産は1893年に施行された商法の時価評価規定をもちいて、資産の再評価分により処理される。

 1894年以降、日本郵船は日清・日露戦争の軍事物資の輸送に携わり多くの利益を獲得する。とくに日清戦争の軍事輸送に携わった結果の御用船利益はそれまでの積立金の枠を超えるほど大きかった。日本郵船は保険・大修繕積立金の定率計上を遵守するかわりに配当準備積立金を設定する。その後、業績の好調なさいには次々と新しい積立金が考案され、1914年には総資本の6割近くを積立金が占めるのである。

 貸借対照表の貸方の積立金の増加にともない、借方では有価証券勘定の増加が観察される。1901年以降、有価証券の帳簿価格を市場価格に引き下げる処理、そのさいの評価損失の処理にはいくつかの方法があり、それらには他の有価証券の評価益、決済未済勘定の有価証券処分差益金での相殺という方法が含まれていた。ここで注目されるのは有価証券の売却益は損益計算書に計上されず、いったん、貸借対照表貸方の有価証券売却及償還差益金に計上し、有価証券の評価損失の補填にあてられた後に、5年後をめやすに損益計算書の雑収入に計上するという処理である。同様な処理が船舶勘定についても行われていた。

 船舶の処分差益金で取得原価を切り下げる処理は大正期(1917年、1918年)に例がみられたが、1934年からの船舶改善助成施設(法)による船価切下げで常軌的な方法となり、手続的には1939年3月期からの臨時租税措置法による3分の1特別償却、1944年9月期にはじまる戦時災害国税減免法改正規定による船価の圧縮につながる。しかし、太平洋戦争中に遭難船が増加してからは、遭難船の補償差益金にたいする直接の課税を免れ、課税を繰りのべるという目的が、第一義的に重要になった。圧縮記帳という実務は、その萌芽期には資本を充実させ、将来の利益の増加を目的とした処理であったのが、太平洋戦争時に直接の課税を免れ、課税を繰りのべるための手段に変容したのである。

 大正期の船価の切下げのさいには、船舶の時価を考慮したり、切下げの目標として同型船舶の屯当り船価を目標とする場合もあった。しかし、そのさいでも、重要なのは、所有船舶の価格を相対的に均衡させることと、これは昭和期でもあてはまるが、船舶の帳簿価格を「時価」以下に、より引き下げようという姿勢である。

 船舶の帳簿価格をできる限り引き下げようとする姿勢は、海運業では普遍的にみられる。例外的に日本郵船で船価あるいは固定資産額を引き上げた例は、1885年に共同運輸と合併前の船価の水増し、1893年、旧共同運輸引継勘定処理のための地所建物代価の時価評価による切上げ、1949年の再建整備法による特別損失計算での特別損失処理のための船舶の評価増、1950年の資産再評価法にもとづく船価の切上げの例だけである。いずれも固定資産の再評価(評価増)の短期的効果、評価益発生と簿価の上昇、長期的効果、償却資産の耐用期間における減価償却費の増加による利益の減少のいずれかの効果を意図していた。

 太平洋戦争期の圧縮記帳は短期的効果である貸方勘定の減少、すなわち遭難船処分差益金の減少を目的として実施された。1934年からの船舶改善助成(金)での船価の切下げは、長期的効果である将来収益の向上を意図し、第一次大戦後の船価の切下げは短期的には積立金を船価の切下げにもちいて配当による社外流出の防止、長期的には不況に備えた償却負担の軽減を意図してした。商法の時価以下主義は、積極的に資産の評価を規定するものではなく、いわば資産評価の大枠をしめす規定にすぎない。時価以下主義という大枠のなかで、短期・長期の効果を考慮した会計政策の観点から、資産の評価額が決定された。

 本研究では、創立以来の日本郵船の予算書類の分析により、次のような結論を導いた。

 1 日本郵船では創立時(1885年)の全社的収支豫算から1899年の支店収支豫算、1917年の支店店費豫算へと統制範囲はコントロール可能な勘定科目に限定されていった。

 2 日本郵船では創立以来一貫して、各支店において前年度の実績に次年度の見込みを考慮して豫算が編成された。この予算は環境変化への弾力性にかけるという欠点があった。

 3 豫算制度が簡略化される契機は、日清戦争、太平洋戦争などによる突発的臨時費発生の増加であった。

 4 豫算制度の弾力性のなさを補うために、1926年に経常費豫算と臨時費豫算が区別された。これはある程度有効性を発揮したと思われ、1930年に本店店費豫算にも適応された。

 5 創立後かなりはやい時期から、支店店費豫算実算比較表が作成され、1926年以降は同表を毎月本店に提出し、短期的な資金の統制をおこない、支店豫算制度を補強していた。また、支店費対収入運賃比率により支店の効率を測定していた。

 複数の章にわたる興味深い論点を整理しておく。

 1 財務会計と管理会計の関係 財務会計と管理会計は企業内では、別な制度ではなく、たがいに関係をもつ。日本郵船の予算制度は、各支店の収益費用の見積を積み上げるかたちで作成されたので財務会計と管理会計相互の関係は密接であった。

 2 日本郵船では取得原価評価が原則であり、商法の時価主義、時価以下主義を利用し、そのときどきの会計政策として資産の時価評価がおこなわれた。

 3 日本郵船の事例では、会計面における戦前と戦後の連続性について観察できた。むしろ戦中戦後の統制経済下とそれ以外で、区分される。戦時統制下で海運業では船舶運営会が組織され、海運業の経営は大きく変化する。同時に運営会を通じて会計方法が統一化され、戦後の海運企業財務諸表準則につながっていくのである。

 4 戦時経済下における企業の対応 戦時統制経済下において企業はさまざまな制限をうける。それはおもに統制会を通じてである。海運業では全ての船舶が船舶運営会に徴用され、運営会により料率、運航が決定された。また、軍の要請によりディスクロージャーの制限がおこなわれていた。そのようななかでも企業にとって利益は第一義的に重要であった。戦時経済にともなう高額の税率のもとではさまざまの方法で課税の軽減、繰延べを実行した。近海郵船の合併も課税の軽減策のひとつであった。

 5 提出会計書類 日本郵船は創立以来、補助金の見返りの書類として財務諸表、予算書類、航路別計算書などを提出していた。これらのほとんどの書類では、会計数値とくに利益金額がすくなくなるように会計的な調整がおこなわれていた。

 6 新たな勘定の設定経緯 日本郵船の事例から勘定科目の生成をいくつかの類型にわけることができる。ひとつは、ある勘定科目に属する金額の増加により、その勘定が分割される例である。それは量から質への変化ともいえる。日清戦争後の積立金の種類が増加していく例である。もう一つは次にみるような外部からの要請やそれに対処した会計政策・技法にともない設定される場合である。

 7 会計政策あるいは会計技法の生成、変化の経緯となるのは、企業あるいは会計の内部的な要因と外部の要因に分けることができる。内部の要因としては利益、積立金の増加に代表される勘定の金額の増加がある。明治30年代以降の利益の増加はあらたな積立金勘定の創出とともに有価証券の増加とその評価ルールの確立につながった。外部の要因としては助成方法の変化、権力による強制があげられる。航路別補助の開始は航路別の収支計算の要求と重視となってあらわれた。また、太平洋戦争期の沈没船も船舶勘定に掲載するという処理は、軍による命令であり、遭難船の処分差益金による圧縮記帳は税務当局との折衝の結果であった。また戦時中に発生したチャーターベースという考え方は船舶運営会を通じてもたらされたものである。このように企業外部の会計実務への影響(このケースでは圧力)は戦時統制下以降強くなっていった。

審査要旨 〔1〕 本論文の主題と特色

 本論文は,1885年に創立されて以降の日本郵船の公表資料と内部資料を用いて,同社の財務会計処理,管理会計技術の変遷と勘定科目の新設・消滅の過程を追跡するとともに,そうした変化を引き起こした外的内的要因を検討したものである。

 第1章から第8章までの前編「日本郵船における財務会計の展開」では,創立以降,戦後企業再建整備,第1次資産再評価にいたるまでの日本郵船における諸種の資産勘定の評価と評価差額の処理の実態が,関連する勘定科目の動向に注目しながら,検討されている。また,第9章から第16章までの後編「日本郵船における管理会計の展開」では,創立以降の日本郵船における予算制度,航路別収支計算の変遷が,同社の内部資料を用いて検討されている。

 日本郵船という個別企業の会計史に密着し,とかく別々に扱われがちな財務会計と管理会計の展開を第一次資料にもとづいて並行的に追跡した点に本論文の特色がある。

〔2〕 本論文の概要

 第1章「日本郵船創立期(明治19年〜26年)財務諸表の一考察」では,同社が創立時に共同運輸から引き継いだ資産の水増し部分を老朽船の売却や船価の切り下げによって「水抜き」した経過が明らかにされている。本論文では,日本郵船が船舶や有価証券の売却益を損益計算書に計上せずに貸借対照表にプールして,資産の簿価の切り下げに伴う損失などの補填に充てる実務を採用したことを随所で明らかにしているが,第1章では日本郵船が創立後まもない時期に早くもこうした実務を採用していたことが指摘されている。

 第2章「わが国近代会計制度の展開過程の研究--日清・日露期における日本郵船の会計制度--」と,第3章「日本郵船における有価証券の評価」では,日本郵船が日清・日露戦争期に軍事物資の輸送に携わって獲得した利益を種々の積立金を新設して内部留保するとともに,こうして留保された余剰資金の多くが有価証券に投資された結果,貸借対照表の貸方側では積立金が総資本の6割近くを占める一方,借方側では有価証券が総資産の約41%(1919年当時)を占めるにいたった経過が明らかにされている。

 そうなると,これら保有有価証券の市場価格の動向に伴って発生する評価損益の処理のあり方が重要な会計問題となるばかりでなく,経営上の重要な政策課題にもなる。本論文はこの問題を第一次資料を駆使して克明に追跡しており,論文全体のなかで最も密度の濃い実証部分となっている。その際,本論文が注目しているのは,有価証券売却益を損益計算書を通さずに貸借対照表貸方の有価証券売却及償還差益金に計上したうえで,その後の有価証券評価損の補填にあて,5年後を目安に残額を損益計算書の雑収入に計上するという方法が採用されたことである。

 第4章「日本郵船における船舶簿価の切下」では,上記の有価証券売却益と同様の処理が行われた戦前期の日本郵船の船舶勘定の推移が検討されている。つまり,船舶の場合も1934年からの船舶改善助成施設(法)にもとづき,処分差益金を損益計算書を通さずに繰り延べて取得原価の切り下げにあてたのである。また,遭難船が増加した太平洋戦争中の船舶簿価に切り下げは,遭難船の補償差益金への課税を繰り延べる手段に変容し,「圧縮記帳」という形式で継続されたことが指摘されている。

 第5章「日中戦争期における近海郵船の合併と課税問題」は,近海郵船の合併に関連して生じた合併差益への課税というやや特殊なケースを,前章までの船舶を中心とする固定資産の再評価問題の延長線上で検討したものである。

 続く2つの章(第6章「戦時統制下における日本郵船のディスクロージャーと遭難船の会計処理」,第7章「戦後企業再建整備下における日本郵船の会計問題」)では、太平洋戦争中の日本郵船における遭難船の補償差益金への課税問題が,軍事機密が絡んだ遭難船の会計処理・開示のあり方と関わらせて検討されている。特にここでは,日本郵船が船舶の喪失を極力秘匿しようとした軍部の要求に抗して,遭難船に対する補償差益金を用いて船価の切り下げ(圧縮記帳)を行ない,高率の戦時課税の繰延を図った事実が明らかにされている。

 また,第7章では,日本郵船が戦時補償の打ち切りに伴う特別損失をどのように確定し処理したか,その過程で債権者,株主の利害がどのように調整されたかが実証されている。ここでは,なおearning powerをもち,将来の業務遂行に必要な資産とみなされた郵船ビルが債権者の強い主張で旧勘定に分類され,その含み益を特別損失の補填原資にあてることによって債権の保全が図られたことや,本来は新勘定に含めるべき資産が特別損失の処理のために旧勘定に区分されるといった新旧勘定間の移動が起きたこと,日本郵船では過去の圧縮記帳により,固定資産の簿価が小さかった分だけ,多額の評価益が期待できたこと等が指摘されている。

 前編の最後の章である第8章「資産再評価法にもとづく日本郵船の第1次資産再評価」では,企業再建整備法にもとづく資産再評価が戦時補償打ち切りに伴う特別損失の補填原資となる評価益を捻出するという短期的な効果を主眼にして行われたのに対して,資産再評価法にもとづく第1次の資産再評価が将来の収益見通しと節税効果を見込んで長期的効果を主眼において行われたことが強調されている。具体的には日本郵船が,法人税の軽減益≧再評価税+固定資産税の増加損という関係式にもとづいて,再評価に伴う減価償却の増加を吸収できる収益を稼得できる見通しがあるかどうか,減価償却費の増加による法人税の負担軽減益と,再評価に伴う6%の再評価税,1.75%の固定資産税の追加負担の大小関係を見計らいながら,再評価の実施を検討した経緯が詳細に解明されている。

 次に,後編の5つの章(第9章「明治期日本郵船における予算制度],第11章「日本郵船における豫算規程」,第12章「日本郵船小樽支店における予算実算勘定比較」,第14章「日本郵船における支店予算制度の確立--1896年から1919年--」,第15章「日本郵船における支店予算制度の展開--1920年から1949年--」)では,日本郵船における予算制度,特に支店予算制度の生成・確立・展開の過程が豊富な内部資料を用いて明らかにされている。

 本論文がこれらの章で精力的に実証しているのは,当初,三菱会社から継承した予算制度,すなわち,過去の実績をもとにした支店からの積上方式による収支予算制度を採用していた日本郵船が,その後,支店の実務を支配する基準として予算制度を用いようとしたものの,支店の収支のうちコントロールがむずかしい運賃収入や荷物費,船客費は予算からはずし,確実にコントロールが可能な店費の統制に予算業務を集中することになった経緯である。

 たとえば,「明治38年現行の社規類纂」によると,本店は支店が過年度の実績を基礎にして作成・提出した予算をそのまま承認せず,査定を加えたり,店費予算を経常費予算と臨時費予算に区分して支店の予算を統制しようとした。しかし,こうした査定は本店と支店の軋轢を引き起こし,本店が支店予算を削減するときには説明を付すことにした。また,支店の行う支出の原因が本店にある場合は追加予算を無条件に認めることにした。さらに,突発的支出が増大する戦時経済の下では,経常費予算と臨時費予算の区分はあいまいになり,1944年には両者の区分は廃止された。

 なお,日本郵船の支店,出張所の資料はほとんど残存しないが,例外的に小樽支店には同支店が毎月本社に提出した「予算実績勘定比較」と題する資料が保存されている。第12章では,本資料を利用して,日本郵船における支店予算制度を検討し,本社が支店費対収入運賃比率によって支店の効率性を管理していた実態を明らかにしている。また,第13章「日本郵船における逓信省提出豫算」では,日本郵船が政府からの補助金の見返りの書類として逓信省に提出した財務諸表,予算書類などと,内部管理用の予算実算比較表を比較検討し,利益金額が少なくなるような調整が行われていた事実を示している。

 ところで,全社的な配当補助という形をとっていた日本郵船への政府助成は,明治20年代後半から船または航路に対する補助に移行した。これに伴って,日本郵船が政府に提出する書類も全社的な収支計算書や予算書から航路別の収支計算書に変わった。第10章「日本郵船における航路別収支計算」では,こうした制度の変遷のなかで,日本郵船が航路別収支計算書を政府に対する報告書としてばかりでなく,内部的な業績管理の手段としてどのように利用したかを検討している。ここでは,店費をはじめとする間接的な経費が航路収入や船舶噸数などを基準にして航路別に配賦されるとともに,利益処分された配当金,社債利子,建物減価引除,重役費の総額を船価で割った利益率が航路別の業績管理の指標として用いられていたことが指摘されている。ここで,配当金が「船価外利子」「船価利子」といった項目で計上されていたことは,この時期の日本郵船の収支計算書の特徴のひとつであった。

 最後の第16章「統制経済下における日本郵船の原価計算」では,戦時期まで自社船による定期航路の運行を中心にしていた日本郵船における原価計算が,国が船舶の運行を一元的に管理し,海運会社の収益が徴用船の傭船料に大きく依存することになる戦時統制経済のもとで,チャーターベースの概念にそってどのように変貌したかを検討している。そこでは,船舶運営会による統一的な傭船料計算が採用されたことにより,変動費と固定費の分離が促されるとともに,船別ないしは航路次別の原価集計や,従来の現金主義的な航路別収支計算の体系のなかに発生主義的な引当計上方式が取り入れられるといった状況が生まれたことが指摘されている。

〔3〕 本論文の功績と問題点

 本論文は日本郵船という個別企業の会計史の解明という所期の課題にそって,いくつかの貴重な実証成果を提出している。なかでも,日本郵船の総資産のなかで大きな比重を占めた有価証券の評価損益の処理の実態の分析は詳細を極め,当時の商法の時価以下主義の運用の実態を個別事例を通して解明したことは,わが国における会計史研究の分野での画期的な成果と評価できる。また,本論文は日本郵船におけるこうした評価損益の処理が有価証券にかぎらず,早くは設立時に抱えていた水増し資産の「水抜き」処理をするために船舶の売却損益が用いられたことや,大正期に船舶の処分差益金が損益計算書に計上されず,未決算勘定として繰り越され,船価の切り下げにあてられたことなども明らかにしている。日本郵船という個別企業の半世紀近くの会計史を貫くこのような特徴を見い出したことは,本論文の貴重な成果といえる。

 また,本論文が日本郵船における企業再建整備期の資産再評価と資産再評価法にもとづく資産再評価の実態を詳細に検討するだけでなく,同社が資産再評価の節税効果と評価益課税,固定資産税の負担増を勘案しながら再評価の実施の是非を検討したプロセスを丹念に観察している点も,会計政策決定過程の事例研究として貴重である。

 しかも,本論文が上記のような日本郵船の会計実務や予算制度,原価計算制度の変遷を,たんなる会計技法の問題としてではなく,全社的な配当補助から船別または航路別の助成という政府の補助金方式の変化,戦時経済のもとでの高率税制や船舶の徴用,遭難船の補償といった環境要因とかかわらせて検討したことは,本格的な会計史研究としてばかりでなく,経済史,経営史研究にも貢献するものと評価できる。

 また,後編で手掛けられている日本郵船の管理会計史の実証研究は,前編で手掛けられた日本郵船の財務会計史の実証研究と比べて,実証結果の説得力と分析の深みが劣るとはいえ,先行研究が乏しい個別企業を対象にした管理会計史の研究成果として功績を認めることができる。特に,これまでほとんど明らかにされていなかった航路別の収支計算の手法を検討したことに加え,戦前期の日本郵船の予算制度の変遷を外形的な会計技法の変化に注目して実証するにとどまらず,本店と支店の利害の軋轢,経済の戦時化に伴う臨時費の経常費化,政府の助成方式の変化といった要因と関わらせて解明したことは,経済史,経営史研究にも連なるスケールをもった管理会計史の実証研究と評価できる。

 とはいえ,本論文にはいくつかの問題点,疑問点もある。

 まず,実証研究の方法に関連した問題点として,本論文のように第一次資料を重視するのは歴史研究として好ましいことには違いないが,その反面で本論文のなかに,既刊の重要と思われる二次資料を参照していない部分が見られるのは気になるところである。たとえば,本論文は,1985年に発表した雑誌論文を第1章として収録しているが,原論文発表以降,現在までに日本の海運業を扱った小風秀雅「帝国主義下の日本海運」山川出版社,1995年が刊行されている。本論文の作成にあたって,原論文とこうした二次文献を擦り合わせる作業も必要であったと思われる。

 次に,本論文全体に通じる問題点として,日本郵船という個別企業に密着した実証研究を目指したことは了解するとしても,同社の会計史の特徴を確定するには,同じ定期船海運会社である大阪商船,あるいは不定期船会社との比較が必要ではなかったかと考えられる。かりに同一レベルの資料が得られないとしても,他社の資産,負債構成との違いや評価損益の処理方法の異同,予算制度の差異などを確認することによって,日本郵船の財務会計と管理会計の特徴を相対化する作業が必要であったと考えられる。

 また,総じて本論文の実証密度が極めて高いことは確かであるが,実証が不十分と思われる部分や,日本郵船の会計実務や会計制度を動かした要因のさらなる究明が望まれる部分がいくつかある。たとえば,本論文は随所で政府の補助金と関わらせて日本郵船の会計制度の変遷を説明しているが,対政府関係だけでなく,株主との関係で特筆すべき日本郵船の会計制度はなかったのか,検討の余地がある。このほか,本論文の第4章では,日本郵船が戦時中に高騰した船価を戦時利潤にチャージして切り下げた実態を検討し,船価切り下げの主な理由はその後の償却費負担を軽減することにあったと指摘している。しかし,それ以外に戦時超過利得税の軽減,回避とか,船舶保険料の社外拠出額の軽減といった動機もなかったかどうか検討してみる必要があろう。さらに,第16章では,変動費と固定費の区分とか引当計上といった会計処理が戦時の統制経済のもとでのチャーターベースの計算と関連づけて説明されている。しかし,もともと会社の管理に必要な情報を生産するのに不可欠なこれらの会計処理がなぜ戦時の統制経済を待って初めて採用されたのか--日本郵船の内部管理システムの前近代性を意味するのか,それとも政府への提出資料にそれが現れなかっただけなのか--,さらに立ち入った吟味が望まれるところである。

〔4〕 本論文の総括的評価

 しかし,以上指摘したような問題点,疑問点が残るとはいえ,日本郵船の会計史を財務会計,管理会計の両面から徹底的に実証した本論文が,わが国における個別企業の会計史研究の水準を飛躍的に高めた功績はいささかも揺らぐものではない。この理由により,審査委員会は全員一致で本論文が博士(経済学)を授与するのに十分な研究業績であると評価するものである。

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