世界の食料需給の将来予測は、食料の過半を輸入に依存する我が国にとって、国民的関心事であり、食料、農業政策を検討するに当たって前提となる重要な情報である。 本論文は、1973年以来、筆者が中心となって開発、改良してきた世界食料需給モデルの最新バージョンとしての国際食料政策シミュレーションモデルとこれを用いた予測結果を基に、世界の食料需給の展望と予測方法について考察したものである。 筆者は、1974年の農林水産省による、わが国としては初めての世界食料需給モデルの開発と予測を担当し、その後FAOでこれを改良して、FAOの「世界食料モデル」の原型を開発した。 1970年代には先進国が農業保護を強化する一方、開発途上諸国において「緑の革命」が成果を上げた結果、1980年代には世界的な食料需給の緩和、国際農産物価格の低迷、農業保護のための財政負担の増大に直面し、各国は市場志向的な政策への転換による財政負担の削減を図ろうとした。かくして世界の食料需給問題の分析においても、農業保護の削減、価格政策の転換が農産物の国際価格に及ぼす影響の分析に焦点があてられるようになった。 国際食料政策シミュレーションモデル(IFPSIMモデル)は、世界食料需給モデルを農業保護の削減効果を分析するための政策シミュレーションモデルとして発展させたものである。IFPSIMモデルは、OECDのMTMモデル,USDAのSWOPSIMモデルの成果を取り入れ、農業保護の程度の計量的な推計値である「生産者補助金相当額」及び「消費者補助金相当額」を政策変数として明示的に組み込んでいる。IFPSIMモデルは、時間の遅れを伴った変数間の因果関係を組み込んだ動学モデルであり、MTMモデルやSWOPSIMモデルが、政策変更の効果を静学的に時間を捨象した世界で分析するのに対して、具体的な歴史的時間の流れの中で、農業保護の削減や価格政策、貿易政策の効果をシミュレーションできる。IFPSIMモデルは国際食料政策研究所(IFPRI、ワシントンD.C)において筆者により開発され、農林水産省の2010年予測及びIFPRIの2020年予測に用いられた。 IFPSIMモデルは、多地域(アジアに重点を置いた32の国または地域)、多品目(農産物14品目)を対象としたダイナミックな価格均衡型の世界モデルであり、他の大規模な世界食料需給モデルと同じく、弾力性等のパラメーターを他の研究成果に依存する統合型(synthetic)の農業部門モデルである。 IFPSIMモデルの基本構造は平易であるが、畜産部門と飼料部門のリンケージ、油脂部門の油脂と植物蛋白の結合生産という食料部門内における基本的な相互依存関係を組み込んでいる。さらに各国別に異なった制度、政策のスペシフィケーションが時間的経過の中で変更できる仕組みとしてのスウッチング関数が導入されている。多地域、多品目のダイナミックモデルにこれらの食料部門内の依存関係を統合したものとして、IFPSIMは、世界的に見ても最先端の世界食料需給予測モデルの一つといえる。 食料需給の長期的決定要因は、需要については人口と、経済成長であり、供給については耕地面積と単収の変化、とりわけ後者の貢献が大きいが、これらはIFPSIMモデルを含めて多くの世界食料需給モデルでは、多くの場合傾向値が与えられている。つまり、複雑なモデルによる予測結果も結局は予測者のトレンドの与え方に依存している。 IFPSIMモデルによる予測結果で特徴的なのは、FAO,OECD、アメリカ農務省などの予測と大差ない結果を示す標準的な予測ではなく、極端な仮定をおいた予測である。その結果は、世界経済の成長如何が需要を、単収の増加如何が供給を左右するというきわめて常識的な結論を確認させるものであるが、この両者の相対関係如何によって今後、世界の食料需給が緩和するか、逼迫するかが決まる。 1980年代まで、世界的全体として見れば、需要を上回る食料の生産が達成されてきた背景には、東西の冷戦構造の下での各国の食料自給政策があり、冷戦構造の崩壊後の将来について、過去と同様な単収の増加を仮定することはできない。今後は、資源・環境の制約と一般経済と農業との関係を組み込んだ食料需給モデルの開発が課題である。 |