学位論文要旨



No 213625
著者(漢字) 田中,雅治
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,マサハル
標題(和) 巨核球emperipolesisの生物学的意義およびその発現機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 213625
報告番号 乙13625
学位授与日 1997.12.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第13625号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 林,良博
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 助教授 九郎丸,正道
 東京大学 助教授 中山,裕之
内容要旨

 Emperipolesisは一つの細胞が他の細胞内に侵入し,双方の細胞が正常構造を維持したまま存在できる現象であると定義されている.したがって,単核球系細胞の特徴の一つであるphagocytosisとは明らかに区別される現象である.Emperipolesisの認められる宿主細胞としては巨核球での報告が最も多く,一方,侵入細胞としては好中球での報告が最も多い.臨床的には巨核球を宿主細胞とするemperipolesis(巨核球emperipolesis)は,消化管出血,溶血性貧血,特発性血小板減少症等の患者の骨髄で認められている.また,実験動物ではこれまで高度の炎症反応を伴ったラット,担癌ラット,実験的貧血ラットあるいはrhIL-6を投与したサル等の骨髄で報告されている.

 こうした巨核球emperipolesisの成因については,(1)巨核球の形成不全説,(2)巨核球turn overの早期化説,(3)巨核球の顆粒球保護説,および(4)血液-骨髄関門説が提唱されている.骨髄は血液細胞を末梢に供給している重要な臓器で,同部位では未熟な骨髄細胞が増殖,分化を経て十分な成熟を遂げた後に,必要量に応じて血液中に放出されており,このような骨髄細胞の増殖,分化および末梢への遊走は,骨髄の微小環境との相互作用によって担われていると考えられている.さらに,巨核球は成熟するにしたがって骨髄静脈洞の血管内皮細胞直下に移動して胞体突起を形成し,血管内皮細胞を貫いて血管腔内に胞体突起を伸展させ,その胞体突起に原血小板を産生し,突起が断裂して血小板が放出されると考えられている.このような骨髄組織における巨核球の局在性や血液細胞の骨髄組織から末梢循環への遊走といった血液細胞動態を考慮すると,血液-骨髄関門説は非常に理にかなっている.しかし,同現象の生物学的意義やその発現機構については一切明らかにされていない.

 ところで,リポポリサッカライド(LPS)はendotoxinの主成分であり,グラム陰性菌細胞壁に局在している.LPSは,腫瘍壊死因子(TNF)や顆粒球コロニー形成刺激因子(G-CSF)といったサイトカインの誘導をはじめ多彩な作用を有しており,LPSをラットに投与すると骨髄や脾臓で巨核球emperipolesisが高頻度に発現することが知られている.

 本研究では,巨核球emperipolesisの生物学的意義およびその発現機構を解明する一環として,主にLPSを投与したラットの骨髄を標的器官として取り上げ,巨核球emperipolesisの形態学的特徴,巨核球emperipolesisの発現頻度と血液細胞数の経時的変動,巨核球emperipolesisの発現頻度の増加に及ぼすサイトカインの関与,および巨核球emperipolesisの発現に及ぼす接着分子の関与について検討した.得られた成績は以下の通りである.

 1)LPS投与によってemperipolesisを呈する巨核球は大型化したが,光顕的にも電顕的にも正常な構造を示し,形態学的分類では血小板産生の旺盛な成熟型であった.

 2)巨核球に侵入した血液細胞の大半は成熟した分葉核好中球であった.光顕的には侵入好中球の多くは正常で,一部変性像を呈するものも認められた.これらの変性細胞は細胞化学的にTUNEL陽性で,apoptosisに陥っているものと考えられた.電顕的に侵入好中球は巨核球の血小板分離膜に沿って存在し,正常構造を維持したまま血管腔へ移動するものと,血小板分離膜の間でapoptosisに陥るものの2種類が認められた.

 3)LPSの投与初期から生体局所に炎症性変化が観察され,末梢血では血小板数や白血球数,特にリンバ球と分葉核好中球数の減少がみられた.一方,骨髄内では二次的反応として過度の造血亢進が認められた.

 4)LPS投与による巨核球emperipolesisの発現頻度の増加と骨髄内巨核球数および好中球数の増加には正の相関がみられた.特に,巨核球内に侵入する好中球数と骨髄内好中球数には強い相関が認められた.

 5)副腎摘出処置によってLPS投与による血中TNF活性を亢進させたラットの骨髄では,巨核球emperipolesisの発現頻度の増加はみられなかった.

 6)Dexamethasone処置によってLPS投与によるTNF合成を抑制したラットの骨髄でも,巨核球emperipolesis発現頻度の増加は抑制されなかった.

 7)顆粒球造血因子である遺伝子組み換えヒト顆粒球コロニー形成刺激因子(rh G-CSF)と二次的に骨髄内巨核球数を増加させる抗血小板抗体(ATA)の投与によって,骨髄内好中球および巨核球の造血は亢進し,さらに,好中球を侵入細胞とした巨核球emperipolesisの発現頻度も増加した.

 8)赤血球造血因子である遺伝子組み換えヒトエリスロポエチン(rh EPO)とATAの投与によって骨髄内の赤芽球系細胞および巨核球の造血は亢進したが,赤芽球系細胞を侵入細胞とする巨核球emperipolesisの発現頻度の増加は認められなかった.

 9)フローサイトメーターを用いた検討では,LPSおよびrh G-CSF処置ラットの巨核球でintercellular adhesion molecule-1(ICAM-1)の発現量が増加した.免疫組織化学的には,好中球を侵入細胞とする巨核球の辺縁部および細胞質内にICAM-1が検出され,侵入好中球の細胞表面にはICAM-1のリガンドであるlymphocyte function-associated antigen-1(LFA-1)の陽性反応が認められた.一方,金コロイド法を用いた免疫電顕的観察では,好中球が侵入した近傍の巨核球血小板分離膜にICAM-1の陽性反応が検出された.

 10)LPS投与ラットに抗ラットLFA-1抗体を前処置すると,巨核球emperipolesisの発現頻度が明らかに抑制された.

 以上の成績から,ラットにおける巨核球emperipolesisの発現頻度の増加はLPS投与による特異的な変化ではなく,骨髄内の好中球数や巨核球数の増加に起因した非特異的変化であることが示された.このことから,巨核球emperipolesisは骨髄内における血液細胞動態を推察する指標となる変化であると考えられた.また,骨髄内好中球数の増加がみられる個体では,emperipolesisを呈する巨核球内の侵入細胞の一部でapoptosisが認められたことから,巨核球emperipolesisは骨髄内で過剰に産生された好中球の一部淘汰に関与する現象である可能性が強く示唆された.

 一方,巨核球emperipolesisの成因については,(1)emperipolesisを呈する巨核球は超微形態学的に正常で,形成不全を示唆する所見は得られず,また,巨核球のturn overが早期化しているような結果は得られなかった.(2)巨核球内に侵入した好中球には正常な細胞の他に変性した細胞も観察されたが,形態学的には巨核球が積極的に好中球を取り込むのではなく,むしろ好中球が積極的に巨核球に侵入する組織像を呈していた.(3)巨核球内に侵入した好中球は巨核球の血小板分離膜に沿って存在し,一部は末梢循環へ連続する血管腔に移動する組織像も確認された.これらの結果は,血液-骨髄関門説を支持するものである.さらに,本研究によって,侵入細胞である好中球の細胞表面にLFA-1,宿主細胞である巨核球の血小板分離膜にICAM-1の発現が確認され,抗LFA-1抗体の投与によって巨核球emperipolesisの発現が抑制されるという結果が得られた.これらのことから,emperipolesisにおける巨核球内への好中球の侵入機序については,その一部にLFA-1/ICAM-1経路の接着分子が関与することが明らかとなった.本研究の成果は,巨核球emperipolesisの生物学的意義や発現機構の解明に大いに寄与するものである.

審査要旨

 Emperipolesisは一つの細胞が他の細胞に侵入し、双方の細胞が正常構造を維持したまま存在できる現象である。宿主細胞としては骨髄巨核球が、また侵入細胞としては好中球が最も多い。ヒトでは巨核球emperipolesisは消化管出血、溶血性貧血、特発性血小板減少症等の患者の骨髄で認められる。また、実験動物では炎症ラット、担癌ラット、貧血ラットあるいはrhIL-6を投与したサル等の骨髄で報告されている。

 こうした巨核球emperipolesisの成因については、(1)巨核球の形成不全説、(2)巨核球turn overの早期化説、(3)巨核球の顆粒球保護説、および(4)血液-骨髄関門説が提唱されている。骨髄組織における巨核球の局在性や血液細胞動態を考慮すると、血液-骨髄関門説は理にかなっている。しかし、同現象の生物学的意義やその発現機構については一切明らかにされていない。

 本研究では、巨核球emperipolesisの生物学的意義およびその発現機構を解明するため、主に、LPS投与ラットの骨髄について、巨核球emperipolesisの形態学的特徴、発現頻度と血液細胞の経時的変動、サイトカインや接着分子の関与について検討した。得られた成績は以下の通りである。

 1)LPS投与によってemperipolesisを呈する巨核球は大型化したが、光顕的にも電顕的にも正常で、形態学的には成熟型であった。

 2)巨核球に侵入した血液細胞の大半は成熟分葉核好中球であった。侵入好中球の多くは正常で、一部変性像を呈するものが認められた。これらの変性細胞はTUNEL陽性で、apoptosisに陥っていると考えられた。電顕的に侵入好中球は巨核球の血小板分離膜に沿って存在し、正常構造を維持したまま血管腔へ移動するものと、血小板分離膜の間でapoptosisに陥るものの2種類が認められた。

 3)LPSの投与初期には末梢血で血小板数や白血球数、特にリンパ球と分葉核好中球数の減少がみられた。骨髄では二次的反応として過度の造血亢進が認められた。

 4)LPS投与による巨核球emperipolesisの発現頻度の増加と骨髄内巨核球数および好中球数の増加には正の相関がみられた。

 5)副腎摘出処置によってLPS投与による血中TNF活性を亢進させたラットの骨髄では、巨核球emperipolesisの発現頻度の増加は見られなかった。

 6)Dexamethasone処置によってLPS投与によるTNF合成を抑制したラットの骨髄でも、巨核球emperipolesisの発現頻度の増加は抑制されなかった。

 7)顆粒球造血因子であるrh G-CSFと二次的に骨髄内巨核球数を増加させる抗血小板抗体(ATA)の投与によって、骨髄内好中球および巨核球数は増加し、さらに、好中球を侵入細胞とした巨核球emperipolesisの発現頻度も増加した。

 8)赤血球造血因子であるrh EPOとATAの投与によって骨髄内の赤芽球系細胞および巨核球の造血は亢進したが、赤芽球系細胞を侵入細胞とする巨核球emperipolesisの発現頻度の増加は認められなかった。

 9)フローサイトメーターを用いた検討では、LPSおよびrh G-CSF処置ラットの巨核球でICAM-1の発現量が増加した。免疫組織化学的には、好中球を侵入細胞とする巨核球の辺縁部および細胞質内にICAM-1が検出され、侵入好中球の細胞表面にはICAM-1のリガンドであるLFA-1の陽性反応が認められた。免疫電顕的観察では、好中球が侵入した近傍の巨核球血小板分離膜にICAM-1の陽性反応が検出された。

 10)LPS投与ラットに抗ラットLFA-1抗体を前処置すると、巨核球emperipolesisの発現頻度が明らかに抑制された。

 以上の成績から、ラットにおける巨核球emperipolesisの発現頻度の増加は骨髄内の好中球数や巨核球数の増加に起因した非特異的変化であることが示された。また、巨核球内の侵入好中球の一部でapoptosisが認められたことから、巨核球emperipolesisは骨髄内で過剰に産生された好中球の淘汰に関与する現象である可能性が示唆された。これらの結果は、血液-骨髄関門説を支持するものである。さらにemperipolesisにおける巨核球内への好中球の侵入機序としてLFA-1/ICAM-1経路の接着分子が関与することが示された。本研究の成果は、巨核球emperipolesisの生物学的意義や発現機構の解明に大いに寄与するものである。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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