学位論文要旨



No 213627
著者(漢字) 下地,善弘
著者(英字)
著者(カナ) シモジ,ヨシヒロ
標題(和) 豚丹毒菌莢膜の病原因子としての役割に関する研究
標題(洋)
報告番号 213627
報告番号 乙13627
学位授与日 1997.12.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第13627号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,英司
 東京大学 教授 長谷川,篤彦
 東京大学 教授 見上,彪
 東京大学 助教授 伊藤,喜久治
 日本獣医畜産大学 教授 澤田,拓士
内容要旨

 豚丹毒は豚丹毒菌(Erysipelothrix属菌)の感染によって起こる豚の伝染病である。その病型は多彩で、大別すると、急性に経過する敗血症および蕁麻疹型、慢性に経過する関節炎型および心内膜炎型に分けられる。豚丹毒菌は宿主域が非常に広く、豚以外にも牛や羊の多発性関節炎、鳥類では鶏、七面鳥などに敗血症を起こす。本菌は細胞壁ペプチドグリカンの耐熱性抗原を用いた寒天ゲル内沈降反応により、現在まで26の血清型とその抗原を欠くN型に分けられている。これらの血清型菌は形態学的・生化学的にも極めて似ていることから同一の菌と考えられ、永年にわたり1菌属(Erysipelothrix)1菌種(rhusiopathiae)として分類されてきた。しかしながら、DNA-DNAハイブリダイゼイション試験による分類学的研究により、これまで報告されてきた血清型の菌は、E.rhusiopathiaeとE.tonsillarumの少なくとも2菌種に分類されることが判明しており、さらに新たな別の2つの新菌種の存在も示唆されている。これまで、豚丹毒に罹患した豚から分離された株の血清型調査や鶏における感染実験から、豚や鶏に全身症状を引き起こす強毒株は血清型1型と2型のE.rhusiopathiaeに限られており、豚や鶏の豚丹毒菌感染症におけるその他の血清型のE.rhusiopathiaeおよびE.tonsillarumの病原学的意義は小さいと考えられてきた。

 豚丹毒菌の病原因子に関する研究は少なく,本菌の病原性について分子レベルでの研究はほとんど行われていない。1986年、Lachmann and Deicherにより本菌の病原性に菌体表層の物質が関与することが推測され、莢膜の存在が示唆された。そこで本研究において著者は、莢膜が本菌の病原因子の一つである可能性を考え、トランスポゾンTn916を使った変異試験により本菌が莢膜を保有することを証明するとともに、それの免疫学および遺伝学的解析を行った。

 第1章では、トランスポゾンTn916を豚丹毒菌の強毒株の染色体上に導入して弱毒変異株を分離し、その性状を親株と比較することによって本菌の莢膜の病原因子としての可能性について検討した。フィルター・メイテイング法により、Tn916をEnterococcus faecalis CG110株から豚丹毒菌強毒株Fujisawa-SmRの染色体に導入し、Fujisawa-SmR株とコロニー形態の異なった変異株33H6株、28G5株、28G12株を分離するとともに、33H6株の継代中にコロニー形態が元に復帰したリバータント株(33H6-R株)を分離した。これらの変異株の染色体上には1個から数個のトランスポゾンが存在すること、また、33H6-R株の染色体からトランスポゾンが脱落したことが、Tn916をプローブとしたサザーン・ハイブリダイゼーションにより確認された。莢膜に対するモノクローナル抗体を作製し、ウエスターン・ブロット法および免疫電顕法により莢膜抗原の分子サイズとその抗原の表在性を確認した結果、本菌の莢膜は低分子の物質から構成され、その物質は変異株では欠失していることが明かとなった。また、変異株のマウスに対する病原性を調べた結果、33H6株、28G5株、28G12株のいずれの変異株も病原性を失っているが、トランスポゾン脱落株である33H6-Rは親株のFujisawa-SmRと同様に強い病原性を有していることが判明した。変異株およびその親株について正常血清存在下および免疫血清存在下のマウス好中球による貪食能試験を行った結果、Fujisawa-SmR株とトランスポゾン脱落株である33H6-Rは正常血清存在下で強い貪食抵抗能を示すが、33H6株、28G5株、28G12株はいずれも貪食されることが判明した。また、免疫血清存在下ではFujisawa-SmR株と33H6-Rは変異株と同様に効率よく貪食されることが判明した。これらの結果から、本菌の病原性の一つとして貪食抵抗能の重要性が示唆され、それは菌体表層の莢膜によることが明らかになった。

 第2章では、豚丹毒菌強毒株およびトランスポゾンを挿入した無莢膜変異株のマウスマクロファージ内における生残・増殖能を見るとともに、強毒株の細胞内生残・増殖のメカニズムを解析した。はじめに、マウス腹腔マクロファージを使って正常血清存在下および免疫血清存在下における貪食能を、強毒株のFujisawa-SmRと無莢膜変異株とで比較した。正常血清存在下においてマクロファージは親株および変異株を貪食したが、その数は親株に比較して変異株の数が約3から4倍と多かった。免疫血清存在下においては、親株および変異株いずれも効率よく貪食されたが、その数は正常血清下の場合と同様に親株に比較して変異株の数が約3から4倍と多かった。次に、正常血清存在下および免疫血清存在下における菌貪食後のマクロファージ内殺菌能を調べた。正常血清存在下において、貪食された親株の細胞内生菌数は貪食後2時間目までほとんど変化しなかったが、貪食後2時間目から急激に増加し3時間目には貪食直後の約2倍になった。一方、貪食された変異株はいずれも貪食直後からその細胞内生菌数は減少し続け、3時間目にはその数は有意に減少した。免疫血清存在下において、貪食された細胞内生菌数は親株、変異株いずれにおいても貪食直後から減少し続け、3時間目にはその数は有意に減少した。以上の結果から、マウスマクロファージは正常血清存在下においても莢膜保有強毒株を貪食するが、その貪食された強毒株は細胞内で生残、増殖することが判明した。豚丹毒菌の強毒株がマウスマクロファージ内で生残する原因を探るため、マウスマクロファージの強毒株および無莢膜変異株貪食時の活性酸素の産生をルミノール依存性の化学発光量を指標として測定した。正常血清でオプソナイズした菌で刺激した場合、強毒株に対するマクロファージの反応は弱かったが、無莢膜変異株の場合はいずれも強い反応が見られた。免疫血清でオプソナイズした菌で刺激した場合、マクロファージは親株、変異株いずれに対しても強く反応した。さらに、個々の細胞の豚丹毒菌刺激時の活性酸素の産生量を細胞内ニトロ・ブルー・テトラゾリウム(NBT)色素還元能試験により解析した。細胞から産生された活性酸素は培地中のNBT試薬と反応して濃紺のフョルマザン沈澱物をつくるため、活性酸素の産生が検出できる。その結果、正常血清存在下で貪食させた菌の場合、親株でその約26%、変異株でいずれもその約84%がフォルマザン沈澱物により染色された。また、免疫血清存在下で貪食させた場合、親株、変異株いずれもその大部分がフォルマザン沈澱物により染色された。以上の結果から、正常血清存在下における豚丹毒菌強毒株のマウスマクロファージ内における生残は、マクロファージの活性酸素の発生が弱いことが原因の一つであることが示唆された。

 第3章では、莢膜形成に関わる遺伝子の一部を同定し、その遺伝子をクローニングして全塩基配列の決定を行った。トランスポゾンを目印として突然変異を起こした遺伝子をクローニングする方法、すなわち、トランスポゾン・タッギングにより33H6株のTn916の挿入により不活化された遺伝子領域のクローニングを行った。さらに、このクローニングしたDNAをプローブとして、野生株より目的とする遺伝子領域の一部である4.5-kbのClaI断片をクローニングして、そのDNA断片の全塩基配列を決定した。その結果、クローニングした断片は全長4,458塩基対で、その断片中には2つの完全なオープンリーデイングフレーム(ORF)とその両端に不完全なORFが存在することが判明した。これらのORFは一つの翻訳方向に並んでおり、最後の3つのORFにはリボゾーム結合部位がその開始コドン上流に認められた。また、これらのORFから推定されるアミノ酸配列とデータベースに登録されている遺伝子のアミノ酸配列とを比較したところ、他のグラム陰性および陽性菌の莢膜保有菌の莢膜形成に関与すると考えられるタンパク質と有意な相同性を示したことから、これらのORFは翻訳方向の左からそれぞれ、orfl.cps(apsular olysaccharide ynthesis),,と命名された。また、トランスポゾンの両サイドの染色体とのジャンクション領域をPCRにより増幅し、その増幅断片の塩基配列を決定することによりTn916の挿入場所の決定を行った結果、Tn916の挿入はcpsA遺伝子中に起こったことが判明した。

 第4章では、クローニングした莢膜遺伝子領域の一部をプローブとして、この遺伝子領域のErysipelothrix属菌種における存在状況を調べ、本遺伝子によるE.rhusio-pathiae種の簡易同定法の可能性について考察した。Erysipelothrix属菌種の各血清型参照株から抽出した染色体DNAを制限酵素のEcoRIで消化後、第3章において同定したcpsA遺伝子の一部をPCR法により増幅してジゴキシゲニンで標識した。この標識した遺伝子領域をプローブとして、サザーン・ハイブリダイゼーションを行った結果、Erysipelothrix属各菌種間ごとに特定のハイブリダイゼーション・パターンが観察されたことから、莢膜遺伝子中にE.rhusiopathiae種に特異的な塩基配列があることが示唆された。この結果は、これまで不可能であったPCR法によるE.rhusiopathiae種の簡易迅速同定法の確立に役立つものと考えられた。

 以上の結果から、著者はこれまで不明とされていた豚丹毒菌の病原性に莢膜が深く関与することを明らかにした。また、その機能について遺伝子レベルで解析するとともに、豚丹毒菌感染症の迅速診断法の確立のための可能性を示した。

審査要旨

 豚丹毒は豚丹毒菌(Erysipelothrix 属菌)の感染によって起こる豚の伝染病で、豚以外の哺乳類や鶏などの鳥類に様々な病気を引き起こす。本菌の血清型は現在まで26種類の血清型に分けられ、これまで1菌属(Erysipelothrix)1菌種(rhusiopathiae)として分類されてきた。しかしながら、DNA-DNAハイブリダイゼイション試験により、これらの血清型菌は、E.rhusiopathiaeとE.tonsillarumの少なくとも2菌種に分類されることとなり、さらに新たな未明名の2つの新菌種の存在も示唆されている。これまで、豚や鶏に全身症状を引き起こす強毒株は血清型1と2型を中心とするE.rhusiopathiaeに限られており、豚や鶏の豚丹毒菌感染症におけるE.rhusiopathiae以外の菌種の病原学的意義は少ないと考えられている。本研究では、これまで本菌の病原因子として示唆された莢膜の病原因子としての可能性について、トランスポゾン(Tn)Tn916を使った変異試験により解析するとともに、莢膜の形成に関わる遺伝子の一部をクローニングして、その遺伝子を利用したE.rhusiopathiae種の簡易同定法確立の可能性について検討した。

 第1章では、Tn916を豚丹毒菌強毒株の染色体上に導入して弱毒変異株を分離し、その性状を親株のそれと比較することにより本菌の莢膜の病原因子としての可能性について解析した。Tn916をEnterococcus faecalis CG110株から豚丹毒菌強毒株Fujisawa-SmRの染色体に導入し、親株とコロニー形態の異なった変異株33H6株、28G5株、28G12株を分離するとともに、33H6株の継代中にコロニー形態が元に復帰したリバータント株(33H6-R株)を分離した。これらの変異株の染色体上には1個から数個のTnが存在すること、また、33H6-R株の染色体からTnが脱落したことが、Tn916をプローブとしたサザーン・ハイブリダイゼーションにより確認された。莢膜に対するモノクローナル抗体を作製し、ウエスターン・ブロット法および免疫電顕法により莢膜抗原の分子サイズとその抗原の表在性を確認した結果、本菌の莢膜は低分子の物質から構成され、その物質は変異株では欠失していることが明かとなった。また、親株と変異株のマウスに対する病原性試験およびマウス好中球による貪食能試験の結果から、マウスに対して病原性の強い親株と33H6-Rは正常血清存在下で強い貪食抵抗能を示すが、病原性のない無莢膜変異株はいずれも貪食されることが判明し、本菌の病原性の一つに莢膜による貪食抵抗能の重要性が示唆された。

 第2章では、豚丹毒菌莢膜保有強毒株および無莢膜変異株のマウス腹腔マクロファージ内における生残・増殖能を解析した。はじめに、マクロファージを使って正常血清存在下および免疫血清存在下における貪食能および細胞内生残能を、強毒株のFujisawa-SmRと無莢膜変異株とで比較した。その結果、マクロファージは正常血清存在下において強毒株を貪食するが、貪食された強毒株は細胞内で生残、増殖することが判明した。次に、強毒株のマクロファージ内での生残メカニズムを解析するため、マクロファージの菌貪食時の活性酸素の産生をルミノール依存性の化学発光量および細胞内ニトロ・ブルー・テトラゾリウム色素還元能試験により測定した。その結果、正常血清でオプソナイズした菌で刺激した場合あるいは正常血清存在下で菌を貪食させた場合、強毒株貪食時のマクロファージの活性酸素の産生量は低かったが、変異株の場合はいずれも高い産生が見られたことから、正常血清存在下における強毒株のマウスマクロファージ内における生残は、マクロファージの活性酸素の産生が弱いことが原因の一つであることが示唆された。

 第3章では、33H6株のTn916挿入により不活化された遺伝子領域をプローブとして、野生株よりプローブとハイブリダイズする4.5-kbのClaI断片をクローニングし、その断片の全塩基配列を決定した。その結果、クローニングした断片は全長4458塩基対で、その断片中には、他のグラム陰性および陽性莢膜保有菌の莢膜形成に関与すると考えられるタンパク質と有意な相同性を示す複数のオープン・リーデイング・フレーム(ORF)が存在したことから、これらのORFはそれぞれ、orfl,cps(capsular polysaccharide synthesis)A,B,Cと命名された。さらに、Tn916の挿入場所の決定を行った結果、Tn916の挿入はcpsA遺伝子中に起こったことが判明した。

 第4章では、cpsA遺伝子の一部をプローブとして、サザーン・ハイブリダイゼーションを行い、この領域のErysipelothrix属菌種における存在状況を解析した。その結果、Erysipelothrix属各菌種間ごとに特定のハイブリダイゼーション・パターンが観察されたことから、莢膜遺伝子中にE.rhusiopathiae種に特異的な塩基配列があることが示唆された。この結果は、これまで不可能であったPCR法によるE.rhusiopathiae種の簡易迅速同定法の確立に役立つものと考えられた。

 以上本論文は豚豚丹毒菌の病原性に莢膜が深く関与していることを明らかにし、その機能について遺伝子レベルで解析するとともに、豚丹毒菌感染症の迅速診断法の確立を行ったもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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