学位論文要旨



No 213631
著者(漢字) 吉栖,正生
著者(英字)
著者(カナ) ヨシズミ,マサオ
標題(和) 心血管系細胞における細胞周期制御因子サイクリンAの発現調節
標題(洋)
報告番号 213631
報告番号 乙13631
学位授与日 1997.12.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13631号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 助教授 山田,信博
 東京大学 助教授 安藤,譲二
 東京大学 助教授 金井,克光
 東京大学 助教授 後藤,淳郎
内容要旨 【背景および目的】

 細胞周期は、G1期→S期→G2期→M期と進行する。その進行には、サイクリンとサイクリン依存性キナーゼ(cdk)複合体によるリン酸化反応が必須であり、各々の細胞周期において特定のサイクリンが上昇することが知られている。細胞周期の制御因子の研究は、主にガン細胞を用いて進められてきており、心血管系細胞における細胞周期制御因子・サイクリンの発現調節についての報告は少ない。

 ヒトを含む哺乳類の心筋細胞は胎児期にさかんに分裂するが、出生後間もなく分裂を停止しその後は二度と細胞周期に入らないと考えられている。そのため、虚血性心疾患などで傷害を受けた心筋組織は再生できない。その心筋細胞の分裂停止のメカニズムを知るためには、サイクリンの発現を検討する必要がある。

 また血管内皮細胞は、培養系でコンフルエントになると接触阻止を生じ分裂を停止する。この現象は生体内でも同様に起こり、単層を維持し血管壁の物質の透過性の調節に重要な役割を果たしていると考えられる。この接触阻止による内皮細胞分裂停止のメカニズムの解明にも、サイクリンの発現とその調節機構の検討が重要である。

 本研究の目的は、これらの心血管系細胞におけるサイクリンの発現を検討し、さらにそのサイクリンの発現を転写レベルで調節している機構を解明することにある。

【方法】1.RNAブロット分析

 RNAを組織または細胞からグアニジン法により抽出し、ホルマリンを加えた1.3%アガロースゲルで泳動後、ナイトロセルロースメンブレンにトランスファーした。そして32Pでラベルした各々のサイクリンのcDNAプローブとハイブリダイゼーションを行った。

2.免疫組織染色

 ヒト胎児心筋組織をメチル・カーノイ法により固定しパラフィン包埋後切片を作成し、抗サイクリンA抗体を用いて免疫組織染色を行った。

3.ウエスタンブロット分析

 蛋白質を発達各段階のラットの心臓から抽出し、抗サイクリンA抗体を用いてウェスターン・ブロット法により定量した。

4.トランスフェクションとルシフェラーゼ活性測定

 様々な長さのサイクリンA遺伝子の5’上流配列をルシフェラーゼ遺伝子に結合し、内部標準としてのベータ・ガラクトシダーゼの発現プラスミドとともに、ウシ大動脈内皮細胞(BAEC)にカルシウムリン酸法によりトランスフェクションした。ルシフェラーゼ活性値をベータ・ガラクトシダーゼ活性値で補正したものを、ルシフェラーゼ活性として検討に用いた。

5.ゲル・シフト・アッセイ

 サイクリンAの5’上流配列の中で、ATFコンセンサス配列を含む約130塩基(-133/-2)部分、または22塩基のオリゴヌクレオタイドをプローブとして、BAECから得られた核抽出物を用いてゲル・シフト・アッセイを行った。

【結果】図1.ヒトのFetusとAdultの心臓におけるサイクリン遺伝子の発現RNAをヒト臍帯静脈血管内皮細胞(HUVEC)、またはヒトのFetusまたはAdultの心室筋から抽出し、各々20gのRNAを泳動後ナイトロセルロース膜に転写した。32Pで標識したヒト・サイクリンのcDNAプローブを用いてハイブリダイゼーションを行った。それぞれのRNAが等量存在することを確認するために18Sのオリゴヌクレオタイド・プローブを用いて再ハイブリダイゼーションを行った。

 まず第一に、ヒトのFetusとAdultの心室筋からRNAを抽出し、サイクリンA,B,C,D1,D2,D3,およびEの発現をノーザン・ブロット法により検討した。その結果、G1サイクリンに属するサイクリンC,D1,D2,D3,Eのヒト心室組織における発現は、FetusとAdultで差を認めなかった。一方、M期に重要なサイクリンBは、Fetusで強く発現しているが、Adultでの発現は著明に低下した。興味深いことにS期からM期にかけて重要なサイクリンAは、Fetusで強く発現しているが、Adultでは発現が全く認められなかった。ヒトFetusの心室組織においてサイクリンAを発現している細胞が心筋細胞であることを確認するため免疫組織染色を行ったところ、サイクリンA陽性の細胞は心筋細胞であり、心筋細胞の4%がサイクリンAを発現していることが判明した。そのサイクリンA陽性の心筋細胞は、分裂細胞のマーカーであるPCNAを発現していた。

 次に、心筋におけるサイクリンAの発現が、発達段階でどのように調節されているかを検討するために、異なる週令のラットの心室筋中のラット・サイクリンAの発現を検討した。その結果サイクリンAは、Fetusで強く発現しているが、生後2日ではその発現は37%に低下し、14日には発現が全く認められなかった。このサイクリンAの変動は、蛋白レベルでもウエスタンブロットで確認された。また、生後2日のラットの心臓におけるサイクリンA陽性の細胞は、ヒトFetusと同様に心筋細胞であることが確認された。このように、心筋細胞の分裂の停止に伴い、サイクリンAとBが低下し、特にサイクリンAの発現が完全に消失することが判明した。

 第二に、サイクリンAの血管壁細胞での発現調節を検討した。接触阻止によって分裂を停止したウシ大動脈内皮細胞(BAEC)では、サイクリンAの発現が低下していたが、サイクリンD1の低下は認められなかった。サイクリンA遺伝子発現を調節するメカニズムを解明するため、サイクリンAのプロモーターを単離したのち様々な長さにしルシフェラーゼ遺伝子に結合したものをBAECにトランスフェクションし、増殖中のBAECにおいてその活性を検討した。サイクリンAのプロモーター活性は、約3400塩基のサイクリンA遺伝子5’上流配列を含むリポーター・プラスミド(-3200/+245)から約300塩基のもの(-133/+205)まで基本的には不変であった。その300塩基のうち、ATFコンセンサス配列(TGACGTCA)を含む上流側を短縮したプラスミド(-23/+205)の活性は非常に低下した。しかし下流側を短縮したもの(-133/+100および-133/-2)の活性は低下したもののかなり残存した。

 さらに、各々のリポーター・プラスミドを用いて、接触阻止時と増殖時のその活性を比較した。約3400塩基のもの(-3200/+245)から約300塩基のもの(-133/+205)までは、増殖時の活性を100%とすると接触阻止時にはその5〜8%に活性が抑制された。興味深いことに、プラスミド(-133/+100)およびプラスミド(-133/-2)ともに接触阻止によるプロモーター活性の抑制は保たれていた。すなわち、約130塩基(-133/-2)部分だけが、サイクリンAのプロモーター活性が接触阻止によって抑制されるためには十分であることが分かった。

 また、この約130塩基(-133/-2)部分のうちで、ATFコンセンサス配列(TGACGTCA)がサイクリンAのプロモーター活性の制御に重要である可能性を検討するために、ATFコンセンサス配列に変異を作ったリポーター・プラスミドを2種類作成した。約500塩基のもの(-266/+205)と約300塩基のもの(-133/+205)の両者のATFコンセンサス配列部分(TGACGTCA)を(TGCCCCCA)と変異させた。増殖中のBAECにおいて、変異させたリポーター・プラスミドの活性は著明に低下した。また変異プラスミドの活性は接触阻止によって変化を受けなかった。

 次に、サイクリンAのプロモーター活性がATFコンセンサス配列を介してどのように制御されているかを検討するために、約130塩基(-133/-2)部分をプローブとしてゲル・シフト・アッセイを行った。増殖中のBAECから得られた核抽出物中に、このプローブのATFコンセンサス配列部分と特異的に結合する蛋白複合体があること、その複合体は接触阻止下にあるBAECから得られた核抽出物中で減少していることが判明した。

 ATFコンセンサス配列と特異的に結合する蛋白複合体を詳しく検討するため、ATFコンセンサス配列(TGACGTCA)を含む22塩基のオリゴヌクレオタイド・プローブを作成し、ゲル・シフト・アッセイを行った。増殖中のBAECから得られた核抽出物中には、このプローブと特異的に結合する蛋白複合体があり、その複合体は接触阻止下にあるBAECから得られた核抽出物中では減少していた。さらに、ATFコンセンサス配列と結合することが知られている転写調節因子に対する抗体を用いて、スーパーシフト・アッセイを行った。ATF-1もしくはCREBに対する抗体で、ゲル・シフトのバンドが減弱もしくは、上方に移動した。この結果は、少なくともこの2者が複合体の構成要素であることを示している。最後に、ATFコンセンサス配列に結合する可能性のある転写調節因子の発現をmRNAレベルで検討した結果、ATF-1のmRNAレベルは、増殖中のBAECに較べて接触阻止下にあるBAECで低下していた。一方ATF-2、Jun、およびCREBは変化しなかった。

【考察】

 トリチウム・ラベルしたサイミジンのラット心筋への取り込みをみたin vivoの実験において、ラットの心筋細胞は生後急速に細胞分裂を停止し、生後14日にはほぼサイミジンの取り込みが消失することが1975年に報告されている。本研究におけるラット心筋でのサイクリンA発現の時間経過は、この昔の報告によく一致する。この時間経過の一致の事実は、サイクリンAの発現の消失が心筋細胞の分裂停止においで重要な役割を担っている可能性を示唆する。心筋細胞におけるサイクリンAの発現調節の解明は今後の課題であるが、その基礎的解明は心筋細胞の再生の可能性にもつながる。

 血管内皮細胞を含む表皮系の細胞の増殖は接触阻止により抑制される。そのメカニズムとしてcdkインヒビターの活性化によるものなどが報告されている。本研究において、接触阻止時にサイクリンAが抑制される時、サイクリンAのプロモーター活性が低下していること、その低下はサイクリンAのプロモーター内のATFコンセンサス配列に結合する転写調節因子を介するものであることが示された。さらにその上流のメカニズム、すなわちATF結合因子の活性を調節している機構の解明は今後の課題である。

審査要旨

 本研究は、心血管系疾患の病態生理と密接にかかわる心血管系細胞の分裂調節機構を明らかにするため、心血管系細胞における細胞周期制御因子サイクリンAの発現を検討し、さらにそのサイクリンの発現を転写レベルで調節している機構の解明を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.接触阻止によって分裂を停止したウシ大動脈内皮細胞(BAEC)では、サイクリンA mRNAの発現が低下していたが、サイクリンD1 mRNAの低下は認められなかった。その転写調節において、サイクリンA遺伝子5’上流配列のうち約130塩基、そのうちでもATFコンセンサス配列が、増殖中のBAECのサイクリンAプロモーター活性に重要であるだけではなく、接触阻止によるサイクリンAのプロモーター活性の抑制に重要であることが示された。

 2.増殖中のBAECから得られた核抽出物中には、ATFコンセンサス配列を含む22塩基のプローブと特異的に結合する蛋白複合体があり、その複合体は、接触阻止下にあるBAECから得られた核抽出物中では減少することが、ゲル・シフト・アッセイで示された。抗体を用いた検討により、同複合体には少なくとも転写因子のATF-1およびCREBが存在することが判明した。

 3.これらの転写因子の発現をmRNAレベルで検討した結果、ATF-1のmRNAレベルは、増殖中のBAECに較べて接触阻止下にあるBAECで低下していた。一方ATF-2、Jun、およびCREBのmRNAレベルは変化しなかった。

 4.次に、出生後に分裂を停止する心筋細胞におけるサイクリンの発現を検討したところ、G1サイクリンに属するサイクリンC,D1,D2,D3,Eのヒト心室組織における発現はFetusとAdultで差を認めなかったが、サイクリンAは、Fetusの心筋細胞で強く発現しているにもかかわらず、Adultでは発現が全く認められなかった。

 5.この結果は、ラットの心室筋中のサイクリンAの発現を経時的に検討した結果とも一致し、ラットFetusの心筋細胞で強く発現しているサイクリンAは、生後2日目には発現が低下し、14日目には発現が全く認められないことがmRNAレベルと蛋白レベルで確認された。この結果は、ラット心筋細胞の分裂停止の時間経過と完全に一致する。

 6.ATFコンセンサス配列が、サイクリンAプロモーターの活性に重要であるという血管内皮細胞における実験結果を踏まえ、ヒト心室筋におけるCREB,ATF-1およびATF-2のmRNAのレベルを検討したところ、CREBとATF-2のmRNAレベルは変化せず、ATF-1mRNAレベルのみが、心筋細胞の分裂停止と併行して減少していた。

 以上、本論文は心血管系細胞の分裂停止に、細胞周期制御因子サイクリンAの発現の抑制が密接に関連していること、その転写調節にはサイクリンA遺伝子5’上流配列にあるATFコンセンサス配列およびその配列に結合する転写因子のうちでも特にATF-1が重要であることを明らかにした。本研究はこれまで解析の進んでいなかった心血管系細胞の分裂調節機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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