学位論文要旨



No 213635
著者(漢字) 近藤,晴彦
著者(英字)
著者(カナ) コンドウ,ハルヒコ
標題(和) 原発性肺癌手術における開胸時胸腔内洗浄細胞診の予後因子としての意義
標題(洋)
報告番号 213635
報告番号 乙13635
学位授与日 1997.12.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13635号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 町並,陸生
 東京大学 教授 森,茂郎
 東京大学 教授 幕内,雅敏
 東京大学 助教授 森田,寛
 東京大学 講師 滝澤,始
内容要旨

 近年増加している肺癌に対しては,病期の進展を適確に診断して治療方針をたてる必要があるが,肺癌の進展様式のうち,胸膜播種の存在は通常多量の胸水貯留を伴い治癒切除が不可能であることを意味する。しかし,肺癌の手術においては,時に,ごく少量あるいはほとんど胸水が認められないのにその中にすでに癌細胞が遊離し存在しているような場合に遭遇する。このような癌細胞の胸腔内遊離がおこっていることの意味するところを明かとするために,原発性肺癌患者の手術において,胸水をほとんど認めないときに開胸直後に胸腔内を洗浄しその細胞診断学的検討および切除標本の臨床病理学的検討ならびに予後調査を行なった。

 1985年8月から1990年7月までの5年間に国立がんセンター中央病院において施行された原発性肺癌全切除例は738例であり,うち467例において開胸時に胸腔内洗浄細胞診を施行した。そのうち42例(9.0%)において洗浄細胞診の結果が癌細胞陽性であった。洗浄細胞診が陽性であることには,以下の因子が有意に関与していた。すなわち,

 (1)腫瘍の臓側胸膜浸潤の程度がすすんでいること(すなわち腫瘍が肺表面に露出している症例で陽性率が最も高い,p<0.01),

 (2)顕微鏡的に胸膜播種のある症例(p<0.0001),

 (3)採取しえた生理的な量の微小胸水の細胞診結果が陽性(胸水陽性例6例はすべて洗浄細胞診も陽性であった),

 (4)病理病期がより進行したものであること(p<0.0001の有意差をもって病理病期IIIA+IIIB+IV期の方がI+II期より洗浄細胞診陽性率が高い),

 (5)リンパ管侵襲や血管侵襲の存在すること,(6)組織型(腺癌でその陽性率が13%と,他の組織型より高率であった)。

 しかし,病理病期I期においても3.7%において洗浄細胞診結果は陽性であり,また,腫瘍が臓側胸膜面に露出していないP1症例でも約14%において陽性であった。

 術後3年生存率は,陰性例で68.7%であったのに対し,陽性例では22.9%であった。陽性例の予後は,病理病期IIIB期およびIV期,すなわち通常根治切除が不可能な病期のものと同等に不良であった。なお,胸腔内洗浄細胞診陽性のI期症例の中には,径2cm以下の末梢早期肺癌とみなされたにもかかわらず,わずか術後1年で胸膜播種再発をきたした症例もあった。

 ここでの検討から,胸腔内洗浄細胞診陽性ということは,胸腔内を洗浄するという操作によって癌細胞がこぼれ落ちるというよりは,むしろすでに癌細胞が生理的な量の胸水中に遊離していることであり,潜在的な悪性胸水の存在を意味すると考えられた。また,その機序には癌細胞が胸膜直下のリンパ管を通じて遊離する場合もあることが示唆された。そして,肺癌手術において開胸時に胸水を認めないような場合でも,胸腔内洗浄細胞診を施行することにより予後不良因子を検出することができることが判明した。開胸時胸腔内洗浄細胞診は、肺癌の外科治療における重要な予後因子の一つである。

審査要旨

 本研究は、多数の原発性肺癌の手術例において胸腔内の洗浄細胞診と臨床病理学的解析を行い、洗浄細胞診陽性例は潜在的な悪性胸水と同意義であるということを報告したものである。

 肺癌の進展形式としては、原発巣からの周囲臓器への直接浸潤・リンパ節転移・遠隔転移が問題とされてくることが多かった。しかし、本研究では、臨床上はそれらと同等に治療方針・予後を規定する重要な因子でありながら、従来は、その初期像についてあまり検討されていなかった、もう一つの進展形式である「胸膜播腫」にいたる胸腔内への腫瘍進展に着目している。

 そして、その初期像は胸腔内を洗浄することで検出しうるということを示し、まず、胸腔内洗浄細胞診が陽性となることに関与する臨床病理学的因子について検討している。その結果、肺癌切除例の9%において胸腔内洗浄細胞診が陽性であり、病期が進むほど陽性率は高くなるが、病理病期I期においても3.7%で陽性であること、腺癌・微少な胸膜播腫例・胸膜浸潤の程度の進んだ症例ほど陽性率が高いことを示している。しかし、それ以外に、腫瘍のリンパ管侵襲・血管侵襲と洗浄細胞診陽性率との間に非常に強い相関関係があることを見いだし、単に癌が主病巣において肺の表面に露出して胸腔内へこぼれ落ちる場合だけではなく、肺胸膜直下のリンパ管を通じて癌細胞が胸腔内へ遊離する機序の可能性についても考察している。

 さらに、胸腔内洗浄細胞診の結果癌細胞が陽性であった場合の予後が、臨床的に明らかな胸膜播腫例を含む病期IIIB期と同等に不良であるという結果を得ており、臨床病理学的検討と予後との両方の面から、洗浄細胞診陽性ということは、通常の画像上では検出し得なくても癌性胸膜炎あるいは胸膜播腫がすでにおこってきているということであると結論している。

 このように、胸腔内洗浄細胞診という術中の評価法が、従来の術前・術中評価では看過されてきた重要な予後因子の一つであることを証明したものである。

 近年、肺癌の増加が社会的問題となってきており、肺癌の早期発見・有効な抗癌剤の開発・その他様々な研究がなされているが、適切な治療法を決定するためには、肺癌の進展度およびそれらに対する治療成績を正しく評価する必要があり、このような臨床に直結した研究で新しい予後因子を見いだしたことは肺癌診療に貢献するものであると考えられ、学位の授与に値するものであると考える。

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