学位論文要旨



No 213639
著者(漢字) 和田,美紀
著者(英字)
著者(カナ) ワダ,ミキ
標題(和) ニューモシスチス・カリニ主要表面抗原における多型性発現の遺伝的制御
標題(洋)
報告番号 213639
報告番号 乙13639
学位授与日 1997.12.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13639号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 笹川,千尋
 東京大学 教授 木村,哲
 東京大学 助教授 北,潔
 東京大学 助教授 渡邊,俊樹
 東京大学 助教授 正井,久雄
内容要旨 序及び目的

 Pneumocystis cariniiは日和見病原体であり、免疫不全状態にある患者、特にHIV感染者に重篤なカリニ肺炎を引き起こす。カリニ肺炎は従来は症例数の少ない疾患であったが、1980年代から始まったAIDSの流行によって症例数は急増し、これを契機としてカリニ肺炎の治療薬の副作用が大きくクローズアップされた。現在の医療における免疫抑制剤の使用状況を考えれば、今後も日和見感染症は重要な位置を占めるものと考えられ、基礎疾患の変遷に耐えるカリニ肺炎の予防法や治療法の確立が是非とも必要である。そのためには現在のP.cariniiに関する基礎的知見は不十分であり、基礎研究によってP.cariniiの病原性のメカニズムを解明することが重要である。

 P.cariniiの表面上にはMSG(Major Surface Glycoprotein)と呼ばれる分子量115kDaの表面抗原分子が多量に発現しており、本分子は宿主との相互作用に深く関わっていることが報告されている。1)P.cariniiの増殖には宿主細胞への付着が必須と考えられているが、MSGはこの付着にはたらいている可能性が高い。2)MSGは抗原性が強く、また、T細胞応答を引き起こすエピトープを持つ。3)抗MSG抗体の投与により一部ながらカリニ肺炎の防御に効果が認められている。このようなことから、MSGはP.cariniiの病原性に重要と考えられる。そこで、分子生物学的方法によりMSGについて解析を行った。本研究により、MSGはアミノ酸レベルで高度に多型であることが明らかとなった。多型なMSGの発現はUCSという配列を介して遺伝子レベルで制御されており、UCSにおけるDNA組換えによって多型なMSGが産生され、抗原変換として機能している可能性が強く示唆された。

結果第1章MSGの免疫生化学的研究

 ハイマンノース型糖鎖をもつMSGをエンドグリコシダーゼFで処理したところ糖鎖に相当すると考えられる分子量の低下が認められた。この糖鎖をはずしたMSGを抗原として抗体を作製し反応性を確認したところ、ペプチド部分に反応することが確認された。

第2章MSGcDNAの研究

 MSGの1次構造を明らかにするため、上記の抗体を用いイムノスクリーニングによってMSGcDNAをクローニングした。得られた複数のクローンの塩基配列を解析したところ、意外なことに、塩基配列はクローン間で一致しなかった。しかしながら、DNAレベルで約80%の類似性を有することからみて、いずれのクローンもMSGをコードするものと考えられ、このことはノーザンブロット解析などによっても支持された。すなわち、MSGcDNAは多型なサブタイプで構成されるcDNAのファミリーであることが明らかとなった。推定されるアミノ酸レベルでの相同性はサブタイプ間で約70%であった。詳しく解析を進めたところ、MSGcDNAは全長が約4kbで、ほとんどの領域にサブタイプ間の多型性が認められるが、5’末端の約400bPの配列のみはサブタイプ間で完全に保存されていることが判明し、本保存配列をUCS(Upstream Conserved Sequence)と命名した。

第3章MSG遺伝子のゲノム研究

 MSGcDNAには多型性が認められたことから、これらをコードするMSG遺伝子にも多型が認められるものと予測され、遺伝子多型についても明らかにすべくMSGゲノム遺伝子について解析を進めた。予測通りゲノム上にはcDNA多型を説明するに十分と考えられる多型多重なMSG遺伝子が存在していた。ところが、MSG遺伝子の塩基配列を決定してみると、これらのMSGゲノム遺伝子はcDNAの5’末端に保存されたUCSを持たないことが明らかとなった。UCSはcDNAの5’末端に保存されていることから、UCSを持つMSG遺伝子こそが発現遺伝子と考えられた。そこで、UCSのゲノム上の存在を明らかにすべく、UCSをプローブとしてパルスフィールド電気泳動により染色体DNA解析行った。その結果、UCSは、約14本のP.cariniiの染色体の内、500kbの長さの1本の染色体にのみ存在していることが明らかとなった。この結果は、MSGの多型領域がほとんどの染色体上存在しているという結果とは大きく異なっていた。そこで、サザンブロット解析でUCSのコピー数を検討したところ、MSG遺伝子は多型多重であるのに対し、UCSは1コピーしか存在しないことが示唆された。以上の結果は、ゲノム上に存在する多型多重なMSG遺伝子のほとんどは非発現遺伝子であり、MSG発現部位はUCSの存在する一箇所であることを示している。発現クローンであるMSGcDNAが多型であったことを踏まえると、ゲノム上たった一箇所のMSG発現部位から多型なMSGが発現していることを示している。

 MSGの発現部位が一つであるにも関わらずP.carinii集団内でMSGRNAが多型となるメカニズムを探るため、UCSを持つ発現部位のゲノムクローンを複数解析したところ、各クローンにおいてUCSは異なるMSG多型領域に直結していた。すなわち、cDNAに認められた[UCS-多型領域]とつながる構造がDNAレベルでも認められたことになり、多型MSGの発現にはたらく調節はDNAレベルで起きていることが明らかとなった。ゲノム上にはプールと考えられる非発現MSG遺伝子が多数存在することから、この調節はDNA組換えである可能性が高いものと考えられた。

 組換えに関与するMSG遺伝子のゲノム上の位置をさらに追究した結果、組換え部位であるMSG発現部位は、500kbの染色体上のテロメア近傍に位置していた。MSG発現部位の下流にはサブテロメアと考えられる繰り返し配列と、TTAGGGというテロメア配列の繰り返しが存在している。一方、発現部位以外のサイレントなMSG遺伝子はゲノム上にタンデムなクラスターを形成し、少なくともその一部がテロメア近傍に位置している。

 総合的にみて、MSG発現クローンの多型は発現部位におけるプログラムされたDNA組換えによってつくり出されており、多型多重のサイレントなMSG遺伝子は、この遺伝子スイッチと遺伝子プールの保持とにはたらいている可能性が高いものと考えられる。

第4章酵母におけるUCS領域の発現解析

 UCSはcDNAの5’領域に保存されていたことから、ゲノム上のUCSが発現部位と考えられたが、分類学的に近縁な酵母でUCS上流領域がプロモーターとして機能し得るかを検討した。その結果、プロモーター活性が認められ、UCS部位がMSGの発現部位であることが支持された。

第5章遺伝子スイッチモデルの提唱

 遺伝子スイッチにはたらくメカニズムのモデルを、多数のMSG遺伝子の塩基配列の比較に基づき組み立てた。第1に、発現部位MSG遺伝子とサイレントなMSG遺伝子の塩基配列を比較すると、サイレントなMSG遺伝子はUCSのほとんどを持たないが、最も多型領域に近い28bpのみは保持していた。この配列をCRJE(Conserved Recombination Junction Element)と呼ぶが、CRJEのみは発現部位とサイレントなMSG遺伝子間で保存されていることから、発現部位のCRJEにおける部位特異的組換えにより、下流の多型領域が組換わっている可能性が高いものと考えられた(モデル1)。第2に、MSG遺伝子およびcDNAの多型領域の塩基配列に注目して比較を行ったところ、「キメラ」クローンが見つかった。「キメラ」クローン間では、類似性を示す部分と塩基配列が完全に一致している部分が存在していた。このようなクローンが見つかったことは、多型領域内の塩基配列の類似性に基づく相同組換えが起きていることを示唆するものと考えられた(モデル2)。モデル1及び2は協調的にはたらきあっている可能性が高い。これらのモデルに示したメカニズムにより、P.carinii集団のMSGがアミノ酸レベルで高度に多型になっているものと考えられる。

MSG遺伝子スイッチのモデル
考察

 以上の如く、P.cariniiはDNA組換えをプログラムすることによりMSG多型をつくりだしている。MSGは抗原性の強い分子であることから、このMSG多型は宿主免疫を回避するための抗原変換である可能性が高いものと考えられる。しかしながら、抗原変換の証明は今後の課題である。P.cariniiはこれまで抗原変換の報告されていない真菌に属し、MSGの多型の意義は、病原性の観点からも生物学的観点からも解明が期待される。

審査要旨

 本研究はAIDSなどの合併症として重要なカリニ肺炎の病原体ニューモシスチス・カリニの主要表面抗原(MSG)について分子生物学的方法で解析を行ったものであり、下記の結果を得ている。

 1.イムノスクリーニングによってMSGcDNAをクローニングし塩基配列を解析したところ、MSGcDNAは多型なサブタイプで構成されるファミリーであることが明らかとなった。サブタイプ間の相同性(identity)はアミノ酸レベルで約70%であり、約4kbの長さのMSGcDNAのほとんどの領域に多型性が認められる。しかしながら、最も5’領域の約400bpの配列(UCS)のみは保存されていることが判明し、UCSに多型領域が続くというMSGcDNAの一般構造が示された。

 2.MSGゲノム遺伝子についてパルスフィールド電気泳動による染色体DNAの解析、サザンブロット解析などを行ったところ、MSGゲノム遺伝子は多型多重であるが、cDNAに保存されたUCSを持つMSG遺伝子は、約14本の染色体の内、約500kbの長さの1本の染色体上にのみ存在していた。このUCSを持つMSG発現部位遺伝子はエキソヌクレアーゼによる消化実験及びクローニングした遺伝子の解析からテロメア近傍に位置していることが示された。その他の多数のMSG遺伝子はUCSを持たず非発現遺伝子と考えられるが、非発現遺伝子はその多くがゲノム上でタンデムに並ぶクラスターを形成しており、少なくともその一部がテロメア近傍に位置していた。

 UCSを持つ発現部位遺伝子を複数クローニングして解析したところ、得られたクローンはUCSの下流に各々異なる多型領域が直結していたことから、UCS部位におけるDNA組換えによりcDNA多型が形成されているものと考えられた。

 3.分類学的にニューモシスチス・カリニに近縁で発現解析の可能な分裂酵母において、UCS上流領域がプロモーターとして機能し得るかを検討したところ、UCS上流領域にプロモーター活性が認められ、UCS部位がMSGの発現部位であることが示唆された。

 4.多数のMSGcDNA及びMSG遺伝子の塩基配列の比較を行い、多型性発現にはたらくメカニズムを検討したところ、発現部位であるUCSを持つMSG遺伝子と非発現部位のMSG遺伝子の間には28bpの配列(CRJE)が保存されており、CRJEでの部位特異的組換えが示唆された。また、多型領域における比較において完全に一致する領域と類似領域を合わせ持つキメラな遺伝子が認められ、多型領域における相同組換えが示唆された。これらのCRJEにおける部位特異的組換えと多型領域における相同組換えが協調してはたらき、発現部位のMSG遺伝子が変換されて異なるMSG遺伝子が発現することにより、MSGが多型となっているというモデルが提唱された。

 以上、本論文はニューモシスチス・カリニのMSGの分子生物学的解析によって、MSGの遺伝子レベルでの多型性を発見し、MSGの多型性が特異的なDNA組換えによって遺伝的に制御されている可能性が高いことを示した。表面抗原分子の多型性とその遺伝的制御機構の存在を明らかにしたことは、ニューモシスチス・カリニの病原性の解明に重要な貢献をなすものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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