本研究は、本邦におけるクロム顔料製造従事者の肺癌死亡を明らかにし、その超過危険について評価することを目的とするものである。 本研究の対象者は、本邦における男性クロム顔料製造従事者全員であり、クロム顔料製造会社5社における1950年から1989年末までの40年間の追跡が可能であった661人を調査の対象集団(コホート)としている。疫学的調査法として人年法(Person years method)を用い、クロム顔料製造従事者と一般の日本人との比較は、標準化死亡比(SMR=Standardized Mortality Ratio)を用いている。 調査期間は4つの期間、すなわち、1950-1959年(737人年)1960-1969年(3,069人年)1970-1979年(611人年)1980-1989年(6,277人年)に区分し、期待死亡数は1955年,1965年,1975年,1985年における日本人男性の死亡年齢、死亡原因別死亡率を人年(person years)に乗ずることによって算出している。死因の分類は第9回修正国際疾病分類に基づいて行っている。 追跡調査した661人について生存または死亡が確認され、死亡した全員について死亡原因が確認されている。得られた資料を用いて人年法により解析したところ、下記の結果を得ている。 1.死因別の観察死亡数及び期待死亡数について有意差が認められたのは、虫垂炎(ICD540-543)及び原因・診断不明(ICD797-799)である。肺癌(ICD162)については観察死亡数3、期待死亡数2.95、標準化死亡比(SMR)1.02であり、特に肺癌が有意に多いとはいえなかった。肺癌で死亡した3人のうち、2人はタバコを1日につき30本ほど吸っていたが、残りの1人は喫煙習慣については不明であった。 2.死亡原因及び死亡数について製造従事期間に従って観察死亡数と期待死亡数を比較したが、特に有意な差は認められなかった。肺癌で死亡した人は、それぞれの期間(1-10年,11-20年,21年以上)で1人のみであった。標準化死亡比(SMR)はそれぞれ0.61,1.20,及び2.04であったが、傾向は統計学的に有意でなかった。 3.潜伏期間について確かめるために、観察期間について比較検討した結果、死亡原因と観察期間で特に有意な差は認められなかった。 4.死亡率が会社間で異なっているかどうかを調べるために、それぞれの会社で観察死亡数及び期待死亡数について比較検討したところ、全死亡の標準化死亡比(SMR)は、それぞれの会社で同じ傾向であった。肺癌を含めて悪性新生物について会社間で特に超過死亡は認めれなかった。 5.調査対象者をクロム酸亜鉛(亜鉛黄)製造従事の経験の有無別に分類し、観察死亡数及び期待死亡数について、死亡原因別に分類し、検討した結果、2つの集団における標準化死亡比(SMR)、全死亡及び悪性新生物について殆ど同じであった。クロム酸亜鉛(亜鉛黄)製造の経験のある肺癌の標準化死亡比(SMR)は、経験のない群に比べて高いように見えたが、有意確率は0.19であり、有意差を示さなかった。 6.それぞれの調査対象者が最も長期に従事した仕事の種類が特定され、観察死亡数と期待死亡数について仕事の種類別に比較検討したが、特に有意な差は認められなかった。 これらの結果は換気の改善、マスクの使用、仕事着への配慮、労働後の入浴のような衛生学的考慮の実行により、その労働環境における6価クロムの量が低くなったことが考えられるとしている。本研究における肺癌の3人のうち、2人は喫煙者であった。わが国の肺癌の死亡は明らかに女性よりも男性に多く、増加の傾向にあるが、この主要原因は喫煙である。従って、本研究の結果についてもこの点を十分に考慮する必要があるとしている。 以上、本論文はこれまで未知であった本邦におけるクロム顔料製造従事者の肺癌の超過危険性について初めて明らかにしたものであり、クロム顔料製造従事者の肺癌の疫学研究に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。 |