学位論文要旨



No 213644
著者(漢字) 大黒,俊哉
著者(英字)
著者(カナ) オオクロ,トシヤ
標題(和) 中国北東部の草原地域における放牧活動が土地・植生の退行および回復に及ぼす影響
標題(洋)
報告番号 213644
報告番号 乙13644
学位授与日 1998.01.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第13644号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武内,和彦
 東京大学 教授 石井,龍一
 東京大学 教授 山木,久義
 東京大学 教授 林,良博
 東京大学 助教授 恒川,篤史
内容要旨

 不適切な放牧活動に起因する土地荒廃は,半乾燥地域を中心に世界各地で進行している。荒廃した地域ではこれまで,主に緑化による自然環境の修復が進められてきたが,一方で生産活動を維持していくためには,土地荒廃防止をふまえた持続的土地利用システムの確立が必要である。土地荒廃のプロセスは,一定程度以上のインパクトが加わると風,雨などの営力が強化され,加速的に進行する場合が多い。そこで,自然営力が強化される段階を中心とした植生・土壌・地形の変化および放牧圧の程度を定量的・定性的に評価できれば,それらを指標とした持続的な放牧活動が可能になると考えられる。また,荒廃地の修復を効果的に行うためには,回復のプロセスも同時に把握しておく必要がある。

 本研究では以上の視点から,過放牧による土地荒廃が問題となっている中国北東部の草原地域を対象として,放牧活動にともなう土地・植生の退行および放牧管理による回復のプロセスを明らかにし,持続的利用のための土地管理の指針を提示することを目的とする。

1.カルチン砂地における自然環境特性と土地荒廃プロセスの特性

 中国の草原地域のなかでも土地荒廃の進行が顕著なのは砂地とよばれる地域である。砂地の表層は第四紀の砂質の湖沼堆積物からなり,完新世の乾燥気候期に移動して形成された砂丘が植生により固定されている。しかし近年,人間活動の増大にともない固定砂丘の植生と土壌が破壊され,砂丘の再活動が引き起こされている。そこで本研究では,砂丘再活動が顕著にみられる中国北東部のカルチン砂地を対象とした。

 まず,過放牧による土地荒廃が問題となる立地タイプを抽出するために,カルチン砂地のなかでも土地荒廃の進行が最も著しいとされる内蒙古自治区奈曼旗を事例地域として,広域的な自然環境特性を把握した。地形タイプは地形形成プロセスの特徴から,砂丘地,低平地,黄土丘陵に区分され,植生,土壌の特性もそれらに対応して明瞭に区分された。土地荒廃に関わる営力も地形タイプによって異なり,砂丘地では砂丘再活動が,低平地では塩類集積が,黄土丘陵では土壌侵食がそれぞれ卓越することが確認された。

 このうち,放牧が行われているのは主として砂丘地であることから,本研究においては砂丘地における土地荒廃プロセスの解明が必要であることが明らかになった。さらに,砂丘地のなかには過去の砂丘活動の履歴を反映してさまざまな砂丘地形がみられ,植生・土壌の分布もこうした微細な地形条件によって異なることがわかった。このことは,退行・回復のプロセスも砂丘地形タイプ間で異なることを示唆する。そこで本研究ではとくに起伏の程度に着目して砂丘地形を大起伏砂丘と小起伏砂丘に区分したうえで,砂丘地における退行・回復のプロセスを把握することとした。

2.砂丘地における放牧管理による土地・植生の回復プロセス

 放牧管理による土地・植生の回復プロセスを明らかにするため,砂丘再活動の進行が著しい大起伏砂丘と比較的安定している小起伏砂丘を対象に,禁牧期間を含む放牧管理の履歴が明らかでかつ禁牧以前の状態が類似していたとされる複数の地区を選定し,植生および土壌の変化を地形条件との関連で把握した。

 大起伏砂丘では斜面の相対的位置によって回復のプロセスが異なった。砂丘中〜上部では土壌の養分や細粒物質の蓄積が遅く,固定砂丘の指標とされるシルト以下の含量10%,有機物含量0.5〜1%に達するには20年程度を要することがわかった。植生をみると,Artemisia halodendronなどの砂地植物が比較的早い時期に表層を被覆するが,これらは家畜の嗜好性が低いため,Pennisetum centrasiaticumなどのイネ科多年生植物を中心とした牧養力の高い植生に移行するには,土壌と同様に20年程度必要であることがわかった。このことはまた,土地利用の面からみた植生回復の指標としては,植被率などの量的な変化よりも,種組成の変化が有効であることを示唆している。

 一方大起伏砂丘の下部や小起伏砂丘では,禁牧が行われていない状態でも,植生タイプおよび土壌特性は禁牧20年を経過した大起伏砂丘中〜上部に類似しており,禁牧によって直ちに回復が進行すると考えられた。また小起伏砂丘では,放牧条件下でイネ科一年生植物が優占するが,4年間の禁牧でP.centrasiaticum,Phragmites australisなどのイネ科多年生植物が優占するようになり,顕著な植生回復が認められた。

 回復プロセスにおける以上の立地間差異は,家畜の踏圧に対する表層土壌への影響や表層土壌の残存程度,さらには地下水面からの距離に対応した水分条件の差異によって生じるものと考えられた。

3.砂丘地における過放牧による土地・植生の退行プロセス

 過放牧にともなう土地・植生の退行プロセスについては,大起伏砂丘を中心に多くの研究事例がある。しかし,今後とくに土地利用インパクトの増大が予想される小起伏砂丘についてはほとんど明らかになっていない。そこで本研究では小起伏砂丘を対象に放牧試験を実施した。すなわち,植生の状態がほぼ均一な小起伏砂丘において,緬羊の放牧密度の異なる4段階の処理区(6頭/ha,4頭/ha,2頭/ha,禁牧区)を設定し,植生,土壌,地形の経時的変化を4年間にわたって調査した。

(1)家畜生産からみた植生の量的変化

 土地荒廃のプロセスを家畜生産との関連でとらえた場合,植物バイオマスの減少過程が最も重要なプロセスと考えられる。そこでまず,移動ケージ法によって生産量の推移を把握した。その結果,重放牧区として設定した6頭/haの放牧密度でもある程度の生産量が維持されており,バイオマス生産の急激な低下という現象は認められなかった。しかし,生産された植物バイオマスの構成を詳細にみると,Aristida adscensionisなどの低嗜好性草種やArtemisia scopariaなどの低飼料価草種が増加するなどの質的変化が認められた。またそうした変化は,試験年数の経過にともない急速に生じる場合があることも確認された。さらに6頭/haの処理区では試験3年目以降は,緬羊体重が10%前後の減少に転じたことから,生産量の質的変化が緬羊の消費量や生産性にも大きな影響を及ぼしていることがわかった。

(2)植生被覆および地形・土壌変化からみた退行プロセス

 トランセクト法による植生,土壌,地形調査に基づき,とくに微地形条件の違いに着目して,植生被覆量,土壌,地形の変化を解析した。その結果,放牧が土地・植生に及ぼす影響は微地形タイプによって大きく異なることが明らかになった。

 小起伏砂丘のなかでも平坦部では放牧密度の増加にともなって土壌のち密化が進行するが,踏圧耐性種が表層を被覆するため,4頭/ha程度の放牧密度までは風食の影響がある程度抑制されることがわかった。しかし,6頭/haの放牧密度になると植生被覆量が急激に低下し,また一年生植物の割合が増加するため,風食の危険性が次第に高まることが示唆された。こうした土壌のち密化をともなう変化は,これまでの砂丘地を対象とした研究では指摘されていなかったプロセスであることから,小起伏砂丘に特有の退行プロセスと考えられる。

 一方起伏のある小丘部では,土壌のち密化が平坦部ほどは進まず,むしろ表層の撹乱によって,4頭/haの放牧密度でも植生被覆量が顕著に減少した。さらに6頭/haの放牧密度になると,風食による侵食活動が顕在化することが明らかになった。またAgriophyllum squarrosumなどの砂地植物は平坦部ではほとんどみられなかったのに対し,小丘部では高頻度で出現した。以上の変化は,大起伏砂丘における砂丘再活動とほぼ同様のプロセスであることから,ほぼ平坦な小起伏砂丘においても,小丘部での植生破壊を契機として砂丘再活動が引き起こされうることが実験的に明らかになった。

4.研究結果の土地管理への適用

 本研究で明らかになった退行・回復のプロセスの特徴は,以下のように要約できる。

 (1)過放牧による土地・植生の退行プロセスは微細な地形条件によって異なり,それらは傾斜に代表される受食性の一般的特性に加え,砂層の蓄積程度にみられる過去の砂丘活動の履歴,さらには踏圧耐性種の出現に関する地形タイプ間の差異によってもたらされている。

 (2)放牧管理による土地・植生の回復プロセスは退行プロセスと密接に関連しており,表層土壌および埋土種子が残存している段階と,風の作用の強化によりそれらが除去された段階では回復プロセスが大きく異なってくる。

 以上のプロセスはまた,温帯草原の砂質堆積物の分布域においてほぼ共通してみられる現象であると考えられた。

 またこれらの結果から,地形タイプごとに以下のような土地管理の指針が得られた。

 (1)大起伏砂丘では,一旦表層が破壊されると回復に長期間を要するため,砂丘が固定されていてもできるだけ軽度の利用にとどめるべきである。また放牧を行う際には,植生を指標とした砂丘安定度の評価や土地利用可能なサイトの診断を行うことが望まれる。

 (2)小起伏砂丘は大起伏砂丘に比べ牧養力が高いことから,放牧はこの地形タイプを中心に行うことが望まれる。しかしその際には,立地間の差異を考慮したミクロな土地利用ゾーニングが必要である。すなわち,微細な起伏に代表される地形的特徴や退行プロセスのパターンを指標する植物群の出現傾向から,各々の立地の特性および適正放牧密度を判断し,そのうえで家畜の放牧頭数をコントロールしていくというステップが必要である。

審査要旨

 不適切な放牧活動に起因する土地荒廃は、半乾燥地域を中心に世界各地で進行している。荒廃した地域で生産活動を維持していくには、土地荒廃防止をふまえた持続的土地利用システムの確立が必要である。本研究では以上の視点から、過放牧による土地荒廃が問題となっている中国北東部の草原地域を対象として、放牧活動にともなう土地・植生の退行および放牧管理による回復のプロセスを明らかにし、持続的利用のための土地管理の指針を提示することを目的とした。中国の草原地域のなかでも砂地とよばれる地域では、人間活動の増大により表層の植生と土壌が破壊されると、砂丘の再活動が引き起こされる。本研究では、中国北東部のカルチン砂地南部に位置する、内蒙古自治区奈曼旗を対象とした。

 まず、過放牧による土地荒廃が問題となる立地タイプを抽出するために、広域的な自然環境特性を把握した。地形タイプは地形形成プロセスの特徴から、砂丘地、低平地、黄土丘陵に区分され、砂丘地では砂丘再活動が、低平地では塩類集積が、黄土丘陵では土壌侵食がそれぞれ卓越することが確認された。このうち、放牧が行われているのは主として砂丘地であることから、本研究においては砂丘地における土地荒廃プロセスの解明が必要であることが明らかになった。さらに、退行・回復のプロセスは砂丘地形タイプ間で異なると予想されたため、本研究ではとくに起伏の程度に着目して砂丘地形を大起伏砂丘と小起伏砂丘に区分したうえで、それらの退行・回復プロセスを把握した。

 まず、放牧管理による土地・植生の回復プロセスを明らかにするため、禁牧期間を含む放牧管理の履歴が明らかでかつ禁牧以前の状態が類似していたとされる複数の地区を選定し、植生および土壌の変化を地形条件との関連で把握した。

 大起伏砂丘では斜面の相対的位置によって回復のプロセスが異なり、砂丘中〜上部では土壌の養分や細粒物質の蓄積が遅く、固定砂丘に回復するには20年程度を要することがわかった。植生をみると、砂地植物が比較的早い時期に表層を被覆するものの家畜の嗜好性が低いため、イネ科多年生植物を中心とした牧養力の高い植生に移行するには、土壌と同様に20年程度必要であることがわかった。一方砂丘下部では、放牧条件下でも、植生タイプおよび土壌特性は禁牧20年を経過した砂丘中〜上部に類似しており、禁牧によって直ちに回復が進行すると考えられた。また小起伏砂丘では、放牧条件下でイネ科一年生植物が優占するが、4年間の禁牧でイネ科多年生植物が優占するようになり、顕著な植生回復が認められた。以上のように、砂丘地における土地・植生の回復プロセスは、砂丘地形タイプや斜面の相対的位置などの微細な立地ごとに大きく異なることが明らかになった。

 つぎに、今後とくに土地利用インパクトの増大が予想される小起伏砂丘を対象に、緬羊の放牧密度の異なる4段階の処理区を設定し、植生、土壌、地形の経時的変化を4年間にわたって調査した。

 移動ケージ法によって生産量の推移を把握した結果、重放牧区として設定した6頭/haの放牧密度でもある程度の生産量が維持されていたが、一方で放牧密度の増加に伴い低嗜好性草種や低飼料価草種の顕著な増加が認められた。さらに6頭/haの処理区では、試験の継続に伴い緬羊体重が10%前後の減少に転じたことから、生産量の質的変化が緬羊の消費量や生産性にも大きな影響を及ぼしていることが示唆された。

 トランセクト法によって植生被覆量、土壌、地形の変化を解析した結果、退行プロセスは微地形タイプによって大きく異なることが明らかになった。小起伏砂丘のなかでも平坦部では放牧密度の増加にともなって土壌のち密化が進行するが、踏圧耐性種が表層を被覆するため、4頭/ha程度の放牧密度までは風食の影響がある程度抑制された。一方起伏のある小丘部では、土壌のち密化が平坦部ほどは進まず、むしろ表層の撹乱によって、4頭/haの放牧密度でも植生被覆量が顕著に減少した。さらに6頭/haの放牧密度になると、風食による侵食活動が顕在化し、砂丘再活動の危険性が高まることが明らかになった。

 以上の結果に基づき、退行・回復プロセス及び土地利用ポテンシャルの立地間差異を踏まえた、持続的放牧のための適正放牧圧及び土地管理の指針を検討し、ミクロな土地利用ゾーニングやローテーション利用の有効性を指摘した。

 以上要するに本研究は、土地・植生の退行・回復プロセスの詳細な解析に基づいて、持続的利用のための土地管理指針を定量的に提示したものとして評価できる。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51068